第百四十五話 奴らが来る
義衛はまず城壁へと向かったようだ。刹那が義衛に追いつくと、彼は巨大な城壁の門を閉めようと一人奮闘していた。
「義衛さん!」
「刹那君ッ?部屋に戻れと言っただろう!」
「そんなことより、門を閉めるんですか?」
「ん、あぁ。大急ぎで閉めなければ。奴らが来る前に」
「奴ら?」
「話している時間が惜しい。刹那君、手伝ってくれ」
「わかりました」
刹那と義衛は力を合わせて巨大な門を閉める作業に取り掛かった。しばらく格闘した二人だが、やがて門はギィィィという重苦しい音を響かせながらその口を閉じる。
「ふぅ、なんとか間に合ったな」
「なんでいきなり門を閉める必要があったんです?」
「耳を澄ましてごらん」
義衛に言われたとおり、刹那が耳を澄ましてみると、門の向こうから何かが近づく音が聞こえてきた。
「なんの音ですか?」
「屋上に移動しよう。そこからなら良く見える」
屋上へと移動する最中もあの音は途切れることはなく、それどころかますます大きくなってきていた。
「見てみろ」
「あッ!」
屋上から城下を眺めた刹那が見たのは、騎士の大群だった。彼らは黒い鎧を身に纏い、黒い旗を掲げながら真っ直ぐにこちらへと向かってくる。
「何なんですかあれ?」
「わしも分らんのだ。分かっていることは、あの卑怯者たちはこうやって夜な夜なこの城にやってきてはからかう様に城の周りを荒らし回って帰って行くということだけだ」
「一体何のために?」
「さあな。だが、あの挑発するような態度は、その気になればいつでも落とせるという意味だろう。士堂様とわが士堂騎士団無き今、この城の守りはわし一人だからな」
黒い騎士たちは城の眼前まで到着すると、そのまま城壁の周りを回り始めた。義衛の言うように特に何かを仕掛けてくるというわけではないようだ。
「ふん、まるで馬鹿な野良犬のようだな」
吐き捨てるように侮蔑の言葉を言う義衛の眼は本当に嫌悪しているようで、まるで腐った生ゴミを見るような目をしていた。
と、城の周りを回っていた騎士たちが急に立ち止まり、何かをし始めた。あれは……
「くるぞ、頭を下げていろ」
「え?――ッうわ!」
義衛の方へ顔を向けた刹那の顔のすぐ横を何かがかすった。足下に落ちたそれを見てみると、それは弓矢だった。そして、次々に弓矢の雨が降り注ぐ。どうやら、何かを狙うというわけでもなく弓を放っているようだ。
「あぶねっ!」
刹那に当たりそうになる弓を義衛が身を呈して防いでくれる。彼の頑丈な鎧にかかっては弓矢も手も足も出ない。
「部屋に戻るんだ刹那君。丸腰では危険だぞ?」
確かに義衛の言うとおり、刹那の軽装ではこの弓矢の雨は危険だ。義衛の言葉を信じるなら、あの騎士たちはしばらくすれば立ち去るようだし、ここは大人しく部屋に戻るべきだろう。
刹那は体を低くして弓矢を避けながら城の中へと入って行った。とりあえず、自分の部屋へ戻るとしよう。
階段を下りて、長い廊下を渡り自分の部屋へと戻る。外ではまだ怒声の様な音が聞こえることから、あの騎士たちはまだ帰っていないのだろう。刹那は自分の部屋の扉を開けて中へと入った。
「義衛さん一人で大丈夫かな?」
今更ながらにそんなことを考えたが、いつも相手をしていると言っていたし恐らく大丈夫だろう。それによく知らない自分がうろついたら邪魔になるかもしれない。
そんなことを考えながらソファーに腰を落とした。やはり高そうなソファーだけあって座り心地は悪くない。横になればそのまま寝てしまえそうだ。現に今、刹那は横になってしまいたい衝動にかられている。このような事態でも何の躊躇もなく寝ようと思えるのはよく言えば相当な胆力の持ち主ということになるのだろうか。
「ふあぁ~」
眠くなってきてしまった。このままソファーで寝てしまおうか。しかし、そんなことをすれば円に行儀が悪いだの何だのと説教されてしまうだろう。……そうだ、円はいないんだったな。
ベッドに向かうのも面倒だし。今日はこのまま――
刹那の思考を遮るように部屋のドアが開いた。義衛さんだろうか?いや、まだ外から音がする。きっと外の対応に追われているはずだ。では……誰だ?
本能だったに違いない。背中越しのドアの方に嫌な予感を覚え、振り向くよりも先に刹那は体を動かしていた。
「うぉっ!」
とっさにソファーから飛び退いた刹那の首の後ろを何かが掠めた。見れば、先ほどまで彼が坐っていた場所に深々と剣が突き刺さっている。そして、その剣を持っていたのは、黒衣の鎧に身を包んだ騎士だ。
「――ッ!入ってきたのかよッ!」
騎士との距離を取るため思い切り後ろに飛び退く。相手はソファーに刺さった剣を抜きとり、一歩ずつこちらに近づいている。
――神威はッ?
神威はベッドに立てかけてある。ベッドは刹那から見て右手側。ちょうど騎士と刹那との間隔と同じくらいの距離だ。こちらから一気に飛び込めば神威に届くだろうか。しかし、間に合わなければ丸腰の刹那は良い的だ。
「オオウウォォォ!」
騎士が不気味な咆哮を上げながら剣を振り上げた。
「悩んでる暇はねぇか!」
刹那はベッドに向かって走った。騎士の剣が振り下ろされる。その瞬間、刹那は力の限りベッドへと跳ぶ。足の先を何かが掠めた感触が伝わり、そして手に慣れ親しんだ神威の感触が伝わる。勢い余った刹那は、神威を掴んだままベッドを飛び越し、反対側の床に転がるように着地した。
「いてぇ」
だが痛がっている暇はない。敵は目の前にいるのだ。騎士がベッドに飛び乗った。また剣を振りかぶる。
「させるかよ!」
刹那は騎士が踏んでいる毛布を力いっぱい引っ張った。足下が揺らいだ騎士はそのままベッドの上に転がり一瞬の隙が出来る。だが、一瞬で十分だ。刹那は神威を引き抜くと、それを騎士の喉元へと突き立てた。
「動くな。お前の負けだ」
刹那が勝ちを確信した、その時だった――