第百三十五話 船長
自らの命の危機を本能的に理解したのだろう。巨大イカは目に見えて彼を恐れている。雷が一歩近づくたびに、一歩下がり、距離を置こうとしている。
「さて、ずいぶん好き放題暴れてくれたな。ここまでやったんだ。覚悟は……出来てるんだよなァッ?」
雷が飛び出した。狙うは相手の巨大な頭。しかし巨大イカも馬鹿ではない。彼の行く手を阻もうといくつもの足が襲い掛かる。
「邪魔だァッ!」
雷が槍を振るうと巨大な足が一瞬にして跡形もなくなってしまう。巨大イカが声にならない声を上げて悶えるが、雷は止まらない。次々に襲い掛かる足を吹き飛ばしては真っ直ぐに頭へと飛び掛かった。
「!!!!!!!」
槍が巨大イカの右目を貫いた。巨大イカの体が激しく揺れる。
「すげぇ」
圧倒的だ。あれだけの体格差があるにもかかわらず、雷の方が相手を圧倒している。
「当然だよ、なんてったってうちの船長だからね」
その声の方へと視線を向ければ、律夏が目を覚ましていた。
「律夏さん、まだ起き上がらない方が」
「大丈夫さ、もうそろそろ終わるから」
雷はいったん距離を置くと槍を引き絞り力を溜め始めた。だが相手もただでは転ばない。目を貫かれたことで逆上したのか、体を激しく揺らしながら雷へ突っ込んできた。
「危ない!」
刹那が叫ぶ。だが雷は避けることもせずまだ力を溜めている。巨大イカが彼の目の前まで迫った。もう避けられない!
そして――
一閃。空を切る槍の音。そして、次の瞬間には巨大イカがその体を横たえる音が船中に響き渡った。そしてピクリとも動かなくなるどうやら、終わったらしい。
雷の槍は見事に相手の頭を穿った。その勢いは相当だったようで、巨大イカの頭を貫通し、そのまま船の外まで放り出されてしまった。するとどうだろう。彼の腕から離れた槍は海の上で反転すると、彼の手元へと戻ってきたではないか!これには刹那たちも驚きを隠せない。
「どうなってんだあれッ?」
もはや槍捌きでは説明が出来ない事態に刹那だけでなく円まで目を丸くしている。
「あの槍は雷のお祖父さんが遺したものなのさ。どこで手に入れたか知らないが、どんな方向に投げても必ずアイツの元に戻ってくるんだよ」
「不思議な槍もあるもんだな」
「神威と言い、あの槍と言い、変わった持ち主には変わった武器がつくんだな」
「どういう意味だよ?」
「自分の胸に聞いてみろ」
とことん追求してやろうと思ったが、今は止めておこう。慣れない船の上で化け物と戦ったせいでいつもより疲れてしまった。
その後、航行機能が残っていた轟海丸は再び陸を目指し出発した。そこから先は特に目立った障害などは発生せず、ボロボロの船体ながらも順調に航海を進めることが出来た。
どうやら定期船の行方不明の原因はあの巨大イカだったらしい。あのイカが通りかかる船を沈めていたのだ。しかし、それも今は雷の手によって倒され、海には平和が戻った。
そして、この船旅にもついに終わりが訪れる。
「陸だ!陸が見えてきたぞ!」
港を出発してから四日目の朝、見張りの船員のその声で刹那は目を覚ました。そしてすぐにその言葉の意味を理解し、寝起きであるにもかかわらず、ものすごい速さで甲板へと飛び出した。
「おぉ!」
海がまっすぐ続く先に確かに陸地が見えた。そこにはいくつかの小さな家も見える。
それから間もなくして船は港へと到着した。港の男たちは見た目がボロボロな船に興味津々だ。そのうちの一人、六十代ほどの男性がこちらに声をかけてきた。
「アンタらどっから来た?」
「反対側の港から渡って来たのさ」
雷が海の彼方を指差しながら答える。その言葉に港の人間がどよめき出した。
「向こうって、アンタら、よく生きてこれたな」
「当たり前よ。なんたって俺らは――」
「雷海の海賊団だからね!」
「あ、律夏、てめぇ!」
美味しい所を律夏に取られてしまった雷はご立腹だ。刹那はそれを見て微笑んだ。しかし、同時にもの寂しさがこみ上げた。この漫才を見るのもこれが最後だ。彼らとは別れなくてはならない。
そんな思いを胸に秘めて、その日の夜、刹那たちは航海の無事を祝って宴を開いたのだった。
* * *
「世話になったな」
別れの朝、刹那たちの見送りに雷海の海賊団の皆が総出でやってきてくれた。
轟海丸は修理の為にしばらくこの港に残ることとなり、雷たちはしばらくはこの港でのんびりするらしい。
「みんなと船旅が出来て楽しかったよ」
「こっちこそ、楽しませてもらったよ」
律夏が刹那に握手を求めてくる。刹那はその手をガッチリと握り返した。柔らかいが、しっかりとした手だ。
「雷?」
雷は、なぜか刹那たちに背中を向けて決して顔を見せようとしない。
「気にしないで。アイツ、こういうのに弱いのよ」
「うるせぇ!余計なこと言ってんじゃねぇぞ律夏!」
背中越しに雷が怒鳴る。その声は少し涙交じりだ。
「刹那!円!短い間だったが、お前たちは俺たち雷海の海賊団の一員だった。何かあったら俺たちを呼べ。水平線の彼方でも駆けつけてやる」
「ありがとう雷」
「ふっ、その時はゲロの処理はしておいてくれよ」
円の憎まれ口にも雷は「ふっ」と笑うだけだった。
「それじゃあ、行くよ」
刹那と円が彼らに背を向けた。
「さよならは無しだ」
「あぁ」
刹那と雷が同時に手を上げる。
「「またな兄弟!」」