第百三十二話 なんじゃこりゃ
その声がしたのは船の後方、刹那たちがいる場所とは正反対の方だった。
「なんだッ?」
「わからん、見に行くぞ」
とにかく状況の確認が第一だ。刹那と円は急いでその声がした方へと急いだ。そして、その場へとたどり着いた刹那たちが目にしたものは信じられない光景だった。
「おいおいおい」
「なんだこれは?」
船の後方に何やら巨大な物体が乗り上げている。ブヨブヨとしたそれは後方部分を覆い隠すような形で広がっており、そこからいくらか細くなった触手の様な部分が表面をウネウネと波打たせながら段々とこちらに迫ってきていた。これは生き物なのだろうか?
「円、なんだよこれ?」
「俺に聞くな」
その不気味な光景に刹那を初めとして船員たちも誰一人としてそれに近づこうとしない。――と、今までただウネウネと進んでいただけの物体が、突如大きく上に持ち上がった。その高さと大きさは上空の月を覆い隠してしまうほどだ。
「な、なぁ円、俺すっごい嫌な予感がする」
「奇遇だな。俺もだ」
持ち上がった部分が段々と傾きだす。その方向は刹那たちがいる側。つまり――
「逃げろォォォ!」
刹那のその叫び声とともに後方にいた船員たちが一斉に船首の方へと駆けだした。まさに全力疾走。あの物体に押しつぶされれば恐らくただでは済まない。
辺りが急に暗さを増した。雲?違う、あの巨大な物体だ。
「刹那!跳べ!」
円のその声で刹那は思いきり前方に跳んだ。そのままゴロゴロと転がり、前方の甲板に体を打ち付けてしまう。
「いてぇ」
背中から頭にかけて痛みが走る。だが、痛みを感じられるということはまだ生きているということだ。
「ま、円、無事か?」
「俺の方はな。お前こそ、大丈夫か?」
「あぁ、俺の方もなんとか」
体を起こして今まで自分たちがいた所を確認する。あの物体が甲板を突き破り、下の船室まで丸見えになっている。酷い有様だ。
「ああぁ、俺たちの船が……」
「い、いてぇよぉ」
船の損害に意気消沈する者、先程の衝撃で怪我をして蹲る者、とてもではないが見ていられない。
「何があったのッ?」
船首の方に残っていた律夏が騒ぎを聞きつけて走ってくる。彼女の目にも後ろの惨状が映ったようだ、苦虫を噛み潰したような顔をすると、それを振り払うように顔を一度左右に振り、声を張り上げた。
「ボサッとするな!歩けるやつは怪我してるやつの救護!手の空いてるやつは被害状況を確認しろ!」
流石は副長、予想外の事態にも冷静に対処し、船員たちをまとめ上げている。だが、彼女の声で船員たちが動き出そうとしたまさにその時だった。
「あああ!あれ見ろ!」
その船員の指差す先、そこには不気味に輝く二つの月、いや、巨大な目があった!その目は刹那たちの方を見据え、その虚ろな瞳に彼らの姿を反射している。これで確信した。あれは生き物だ。巨大な生き物だ。
「ば、化け物!」
再び船員たちがパニックを起こしそうになる。だが――
「落ち着けぇ!」
その大声の主、律夏の方へと皆の視線が向いた。
「ガタガタ騒ぐんじゃない!アンタら泣く子も黙る雷海の海賊団の船員だろうが!ちょっと図体のデカいくらいの奴が相手で何ビビってんだ!」
律夏の視線がぐるりと回り、船員一人一人の顔を覘いていく。その度に船員たちの顔から恐怖が消えて行った。
「そ、そうだ、姉御の言うとおりだ!」
「やってやる!」
先ほどまでの動揺が嘘のように船員たちが再びまとまっていく。
その手際の良さに、刹那はただただ感心してしまう。
「おぉ、律夏さんすげぇ……それに比べて」
「ウゥゥゥオェェェ」
刹那が振り向いた先では周りの状況など意に介さず一心不乱に吐き続ける男の姿があった。これだけの状況で吐き続けられるというのはある意味すごい度胸をしていると言えるかもしれない。