第百二十六話 おぉ兄弟!
黄夜へと渡る当てがついた刹那たちは雷の案内で彼の船を見せてもらうこととなった。雷が言うには世に二つとない自慢の船とのことだが、果たしてどのようなものが出てくるのか。
「おぉ」
港に着いて刹那は雷の言葉に納得した。小型の漁船が並ぶ中に、一際巨大な船が止まっていたのだ。船は風を動力にして進むようで巨大なマストが三つ付いている。今は止まっているためかマストは畳まれ、木の柱しか見えないが、全てのマストを張った姿はさぞ壮観だろう。船の先端の船首には女性をかたどった金色の装飾品が備え付けてある。何とも派手な船だ。
「これが俺の自慢の船、轟海丸だ」
「すげぇ。かっこいい!」
刹那の目はキラキラと輝き、まるでおもちゃを目の前にした子供のようになっている。
「そうだろ?じゃあ中を案内するぜ」
刹那の反応に気を良くしたのか、雷はニヤリと笑うと刹那たちを連れ立って船へと乗り込んだ。そこでは、船員らしき人たちが忙しなく動き回っていた。どうやら、食料などの荷物を積んでいるようだ。その中には女性も交じっており、船乗りは屈強な男たちばかりだと思っていた刹那は少なからず驚いた。
と、その女性がこちらに歩いてくる。肩まで伸びた茶髪のおさげを揺らし、長いブーツとは対照的に短く切ったズボンと、肩から先を切り落としたシャツが活発な印象を与える。
「よう律夏、実はここにいる刹――グホッ」
雷の声を遮るように律夏と呼ばれた女性の右拳が彼の鳩尾に直撃する。そのあまりの鮮やかさは思わず刹那が拍手をしてしまったほどだ。
「『よう律夏』じゃない!どこほっつき歩いてたんだクソ船長!」
怒り心頭の律夏に対して、雷は未だに先ほどの鳩尾の痛みから立ち直れておらず、甲板に膝をついて蹲っている。
「おら、なんとか言えロクデナシ」
そんな雷にも全く容赦することなく、律夏は彼の脇腹に蹴りを入れている。これでは鳩尾の痛みから回復しても今度は脇腹の痛みで立ち上がれないのではないのだろうか?
「ちょ、ちょっと待て、あんまり蹴るな。今説明すっから」
雷がゆっくりと立ち上がり律夏を見下ろした。頭二つ分は彼の方が大きいのだが、それでも明らかに力関係は彼女の方が上だ。
「説明?んなもんはいらない。アンタはアタシらに仕事を押し付けてどっかに出かけてた。その事実だけで十分だ」
律夏が右拳を握りしめ腕を後ろに引いた。その瞬間、雷が刹那の後ろに隠れる。
「刹那、説明よろしく」
「えッ?ちょッ?」
雷が刹那の背中をグイグイと押すために彼は律夏の方へとドンドン体が進んで行ってしまう。あの怒りに燃える両目が近づいていくたびに刹那は喉の渇きを覚え、両の手に嫌な汗をかき始めていた。
「何アンタ?」
律夏のひと睨みに刹那が縮こまる。蛇に睨まれた蛙の気分だ。
「あ、いや、実はですね、俺が雷さんに船を出してもらえるように頼んで、それで雷さんは俺と話を――」
「話が長ぇ!」
「グフォッ!」
先ほど雷を沈めた右拳が刹那の鳩尾に炸裂し、刹那はその場に崩れ落ちた。
「刹那、死ぬな!刹那ァァァ!」
雷の叫び声がその場にこだまする中、刹那の意識はそこでプッツリと切れてしまったのだった。
* * *
「いや、ホントすまなかったね、お客さんだとは思わなくてさ」
刹那が目を覚ました時にはすでに日が暮れており、その間に事情を知った律夏からお詫びも兼ねて夕食を共に、と誘われたのだった。場所は雷と出会った飯屋。雷の船の船員たちが勢ぞろいしあちらこちらで笑い声と酒があふれている。
「大丈夫っすよ。なかなか強烈でしたけど」
「本当に申し訳ない」
先ほどの烈火のごとき怒りはどこへやら、律夏が素直に頭を下げる。少し話して分かったが、彼女は竹を割ったようなサッパリした性格のようだ。
「まったく、律夏は加減ってものを知らねぇんだよな」
「元はと言えば誰のせいだと思ってんだよ!」
「はい、すいません」
律夏に睨まれ、雷が小さくなる。本当に彼が船長で彼女が船員なのだろうか?正直逆の方がしっくりくるような……。
「それで、刹那はなんで黄夜へ行こうとしてるんだい?」
「あ~、ちょっと目的がありまして。どうしてもそこに行かなきゃならないんですよ」
「誰かに会うとか?」
「あ、いや、そうじゃなくて、探しものなんですけど」
「そいつは大変だ。だけど、こんな状態の海に繰り出そうってんだから、よほど大切なものなんだろうね」
「ええ、まあ。目標って言い換えてもいいかもしれないです」
「目標ッ?」
刹那の言葉になぜか雷が過剰に反応する。
「刹那、それは人生を賭けるだけの価値があるものか?」
「え?あぁ、まあ……」
人生を賭けると言うより人生そのものの様な気もするが。
「そうか、ならいいんだ。俺にも目標があってな……」
雷が言葉を溜めた瞬間、周りの船員たちがコソコソと呟き始めた。
「また始まるぞ」「酔うと必ず言うんだよな」
律夏もなぜか顔を抑えてため息をついている。一体何が始まるというのだ?
「俺の目標はな……人魚を探すことだ」
「人魚?」
刹那は思わず聞き返してしまう。
「そう、人魚だ。上半身が人間、下半身が魚の神秘的な生物。その姿はこの世の何ものよりも美しいという。だが、人魚はその数が少なく、目撃情報も少ない。もしかしたら実在しないんじゃないかとも言われている。だけど俺は信じてるんだ。人魚は絶対にいる」
身振り手振りを交えて人魚について語る雷の眼はキラキラしていて、まるで子供のようだ。本当に人魚のことが好きなのだろう。
「俺と人魚の出会いは幼少期まで遡る。俺の爺さんがある物を見せてくれたんだ。刹那、なんだと思う?」
「う〜ん……」
悩む刹那を嬉しそうに見る雷とそれを呆れたように見る律夏、おそらく今まで何回と同じやり取りをしてきたのだろう。
「ヒントだ、それは人魚の体の一部」
「人魚の髪?」
「惜しい!」
「人魚のヒレ?」
「かなり近い!」
「ん〜、降参っす」
「正解は……コレさ」
そう言って雷が服のポケットから何かを取り出した。布に包まれたそれは手のひらより少し小さい。雷がその布を剥がしていくと、中から楕円形の物体が現れた。それは光沢を持った淡い水色をしており、中心から広がる波紋のような模様が雷が手を動かすたびに光を反射していた。厚さはあまりなく、力強く握れば砕けてしまうのではないかと思えた。
「これは人魚の鱗だ」
「人魚の鱗ッ?」
「あぁ、爺さんが俺に話をした後にくれたんだ。じいさんは昔人魚を助けてこれを貰ったらしい。これが俺が人魚の存在を信じる理由さ。俺はな、いつか絶対に人魚を見つけてみせる」
雷は満足したようにグラスの酒を少し口に含んだ。刹那はそれを黙って見ている。そして、下をうつむいてプルプルと震えだした。あまりの突拍子の無い話に笑いを堪えているのだろうか。いや違う。刹那はの性格からして……
「すげぇ。人生を賭けて人魚を追うなんて、かっこよすぎますよ!」
「おぉ、分かってくれるかッ?」
「もちろんです。何かの為に人生を懸ける。男はこうでなくちゃ!」
雷に感化されたのか、刹那まで鼻息荒くなっている。
「ありがとう兄弟!今までこの話をしてそこまで感動してくれたのは君が初めてだ!」
「雷さん!」
「おいおい、水臭いな、俺たちは兄弟だぜ?呼び捨てにしてくれよ!」
雷が両手を広げた。そして――
「雷!」
「刹那!」
刹那と雷は熱い抱擁を交わしたのだった。
その瞬間、その場にいた誰もが思っただろう「あぁ、めんどくさいのが増えてしまった」と。