第十二話 絶体絶命
「なんだ、ありゃ?」
刹那の眼の前に立つ凛が持っていた棒は、上の部分三分の一ほどが本体から離れ、振り子のように揺れていた。本体とその振り子を繋ぐのは細い鎖だ。そして、振り子の先に付いた反しには血に染まった刹那の衣服の一部がくっ付いている。
「刹那!アレは多節棍と呼ばれる武器の一種だ!一見棒のように見えるが、あれは棒一本一本が独立して繋がっている!その間合いは棒の比ではないぞ!」
円の解説によって、刹那はなぜ自分の左肩が抉られたのか理解した。彼女はあの多節棍を振りかぶり、それを振り切る瞬間に一定の部分だけ分離させ、そのままの勢いでその部分を刹那に飛ばしてきた。そして、刹那が気付くよりも早く、先端に付いた反しが彼の左肩を抉ったのだ。
「へぇ、あの猫ちゃん、物知りね」
多節棍を構えたままの凛が笑みをこぼす。顔は笑っているが、目は一切笑っていない。その瞳は獲物を狙う獣を彷彿とさせる。
「それが取り柄みたいなもんだからね。それにしても、そっちも相当なもんだ」
いくら勢いをつけたからと言っても、相手に気付かせないほどの速さで振り回すのは相当の腕力と訓練が必要だろう。今、目の前にいる彼女はその両方を兼ね備えているということだ。
「私にはこれしかないからね」
「そんなことないと思うけど、可愛いんだからお洒落とかすればいいのに」
「うるさい!私を女扱いするな!」
刹那は褒めたつもりだったのだが、何かが彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。彼女は先ほどよりも早い速度で多節棍を振り回し始めた。
風を切る音が恐怖を助長させる。否が応でも先ほどの肩の痛みとそれに対する恐怖が脳裏に浮かびあがる。そしてそれは確実に刹那の動きを鈍らせていた。
「あれではどの方向から来るか分らんぞ……」
円の言う通り、凛の攻撃は左、右、はたまた上からなどあらゆる方向から刹那を襲った。刹那はそのたびに神威で防ごうとするのだが、虚しく空振り、体中傷だらけになっている。
「くそっ、こうなったら!」
凛が多節棍を振りかぶった瞬間、刹那はいっきに間合いを詰め、彼女の飛ばしてくる棍を真っ向から弾こうとした。
「もらった!」
しかし――
「甘い!」
何かがねじれるような音。凛の多節棍が先ほどとはまた違った空気を裂く音を発する。刹那はその意味を視覚で確認するよりも早く、己の痛覚で感じることとなった。
「――ッ!」
生々しい肉の裂ける音と共に刹那の背中に激痛が走る。凛の多節棍は上から四本目までが分離し、それによって変化した軌道によって棍が刹那の背中まで回り込み、そのまま彼の背中を抉ったのだった。その予想以上の痛みに、刹那は思わず膝をついてしまった。
「刹那!」
心配して駆け寄ろうとする円を刹那が右腕で制した。その眼はまだ負けを認めていない。
「あ~あ、ずいぶん派手にいちゃったね。さっきお友達の猫ちゃんが言ってたでしょ。多節棍は棒一本一本が独立してるって。全部バラバラにすれば軌道だって変化するのよ」
得意げに語る凛はもう勝利を確信しているのかもしれない。先ほどまでの殺気だった目はいくらか落ち着きを取り戻していた。
「へぇ~、そうかい」
傷だらけになった刹那だったが、まだ顔には笑顔が浮いている。いや、努めて笑顔を浮かべていると言うべきか。心は折れていないという刹那なりの意地だった。
「そんなにやられてまだ笑ってられるなんて、体力あるみたいね」
「そんな馬鹿デカイもん振り回してる君には負けるよ」
刹那は立ち上がると改めて神威を構えなおした。しかし、先ほどの一撃が効いているのか、きちんと立つことが出来ず、膝は笑っている。
結構ヤバいかもしれないな――
この状態ではあまり動きまわることはできないだろう。今の自分は格好の的だ。
「まだやるの?負けを認めるなら命だけは助けてあげても良いのよ?」
「生憎と負けず嫌いでね。体が動くうちはやらせてもらうよ」
「その減らず口がいつまで続くかしらっねっ!」
凛が再び多節棍を振りかぶる。刹那はその場を動かず、神威を構えたままだ。動き回ることは出来ない。それならば、避けるのではなく防ぐしかない。集中しろ、神経を研ぎ澄ませ。
「どうしたの?もう諦めた?」
凛は先ほどと同じように四番目までの棍を分離させた。
空気をねじるあの音がまた響く。刹那の目の前の空間を切り裂き棍が迫る。
「こなくそっ」
「へぇ?やるじゃない」
先ほどと同じように棍が彼の肉を抉ったが、完全に抉りきらずに刹那の体を離れた。それは、途中で刹那の神威が棍を弾いたからだ。
「はぁはぁはぁ」
まだ完全に棍の早さに対応出来ているわけではないが、ある程度の動きは追えてき始めている。
この調子なら――
だが、目が完全に慣れるまで体が持つかどうか。少し休むことが出来ればいいのだが……。
彼女の体力も無限ではない。あれだけ激しい動きをする得物を振り回しているのだから少しは休憩が必要なはずだ。
「シッ」
だが、刹那の願いも空しく凛は間髪を入れることなく棍を振るう。刹那に迫る棍。肉を抉る音と、鉄同士のぶつかり合う音が交じり合う。
「シッ」
「――ッ!」
今度は鉄の音の方が強い。段々と刹那の神威が棍に追いついてきているのだ。
「もう、ちょっと……」
「驚いたわね、この短時間で私の棍の動きを見切るなんて。今まで何人も相手にしてきたけど、一度も私の棍捌きを見抜かれたことはないのが自慢だったんだけどね。仕方ない。これを使うか」
そう言うと、凛は先から八本目までの棍を分離させて、ブンブンと振り回し始めた。手に持つ部分はほとんどなくなっているが、それによって生じた間合いは先ほどの比では無く、また柔軟に動く棍の空気を切る音がその勢いの強さを物語る。刹那は自分の中で血の気が引き始めたのが実感できた。アレを捌けるのか、いや、食らって無事でいられるのだろうか。
「シッ」
長い間振り回され勢いを溜めた棍が解放される。その勢いは凄まじく、まるで獲物を狙う蛇のように刹那に迫ってくる。先ほどまでの曲線を描く様な動きではない。一撃必殺、力を一点に溜めた一撃だ。
「これなら!」
「甘い!」
真っ直ぐな動きなため先ほどよりも見切りやすい。そう考えていた刹那だったが、なんと棍は彼の目の前で軌道を変え、その勢いのまま刹那に襲い掛かった!
巨大な蛇に締め付けられるように棍が刹那の体に巻き付く。先ほどまでは棍の一部が体に当たり、棍に付いていた反しによってダメージを受けていた。だが、今はその棍が体中に巻き付いて身動きが取れない状態だ。
「これで終わりよ」
その言葉と共に棍が凜の方へと戻ろうと動き出す。そして次の瞬間――
「――ッ!」




