第百十九話 何時だと思っているんだ、たくっ
円が目を覚ましたのは耳障りな騒音が聞こえたからだ。
「なんだッ?」
何かが激しくぶつかった音と、積み上げておいたものが一気に崩れてきたかのような音が混じりあったようなその騒音は、ただ事ではないということを瞬時に悟らせた。
「刹那?」
ベッドの方へ呼びかけてみたが反応はない。見れば、そこには誰もいなかった。……ふむ。
「刹那か?」
アイツのことだ。腹でも減ってキッチンを漁っている最中に食器棚の中のものをぶちまけでもしたのだろう。まったく、こんな夜中に何をやっているんだアイツは。
そんな刹那が聞いたら怒りだしそうな想像をしながら、円は真相を確かめるために部屋の外へ出た。真夜中と言うこともあって、物音ひとつ聞こえない。しかし、円が数歩歩みを進めたその時――
「ヤロウ!放せ!」
刹那だ!だが、声は明らかに怒気を孕んでいる。もしや、何かあったのか?
嫌な予感を覚えた円は廊下を走った。その間も刹那の怒鳴り声が聞こえてくる。その声を頼りに刹那の居場所を探す。階段を下り、廊下を抜ける。刹那の声はまだ遠い。
「ここか」
円が立ち止まったのは藍色の扉の前だった。
「くそっ、放せ!」
かすかに開いた隙間から刹那の怒鳴り声が聞こえてくる。
隙間に前足を入れドアを開ける。部屋に一歩踏みいると、古い紙独特のニオイがした。
「書斎か」
所狭しと置かれた本棚。そこにギッシリと詰め込まれた本たち。規則正しく並べられた本棚の一角にぽっかりと穴が開いていた。近づいて見てみると、全てをのみ込むような暗闇の先に地下へと続く階段が伸びている。そして、その先からあの聞き慣れた声。
「この下だな」
階段はまっすぐに下へ下へと続いているが、普通の人間は明かりが殆どないこの状況ならよく見て歩かなければ一段踏み外してしまうだろう。だが、そこは猫又の円である。暗闇は慣れたものだ。彼の目にはまるで昼間のようによく見えている。しかし、円は慎重に階段を下りて行った。暗がりのせいではない、自分の本能が警戒しろと訴えているのだ。
一番下へ着いたとき、目の前にはこの家のどの扉とも違う、鉄で出来た重厚な扉がそびえ立っていた。こればかりは円も動かすことが出来ないため、隙間から体をねじ込むようにして中に入る。
「ここは……」
部屋の中は先ほどの階段とは打って変わってとても明るかった。明かりに照らされて見えるのは、テーブルの上に置かれたビーカーやフラスコ、それに何やらよく分らない液体に浸けられた蛇などが入った瓶の収納された棚。お世辞にも趣味の良い部屋とは言い難い。そのまま視線をぐるりと回してみると……いた。
「刹那!」
刹那は二つある診察台の様なものの一つにバンドで固定され、身動きをとれないようにされていた。円の声に気がつくと、首を一生懸命持ち上げ、こちらに顔を向けてきた。
「どうしたんだ刹那、そんなところで?」
「円!」
「待っていろ、今助けてやる」
刹那を見つけたことで円の警戒が一瞬緩む。そして、事態はその瞬間に起こった!
「円!後ろ!」
「――ッ!」
円が振り向こうとした時には既に遅かった。頭に鈍い痛みが走り、円は意識を失った。




