第百十三話 お宅訪問
「おぉ、やっと人がいる所に着いた……」
堅要を飛び出すように出発して早一週間。彼らは今、家々が立ち並ぶ村へとたどり着いた。まともな寝床も得られず歩き続けてきたが、これで雨風のしのげる場所にありつける。歩き続きの疲れも吹き飛ぶというものだ。
「さて、どこか泊まるところは……」
刹那が周りを見回すと、おそらく村人であろう男性が向こうから歩いてくる。あの人に聞けば何か教えてくれるかもしれないな。
「あの、すいません」
「ん?」
声をかけると、男性は見慣れない顔の刹那に不思議そうな顔をしたが、刹那の姿からどうやら旅人だろうと当たりをつけたのか、愛想よく笑顔で迎えてくれた。
「ここって、宿はありますか?」
「宿?いや~、うちの村にはないね」
即答。
その瞬間、刹那はその場にへたり込んだ。満身創痍の彼にとって、その一言は死刑宣告にも等しい威力を発揮する。そして、それは円も同様だった。刹那と同じように地面にへたり込むと、顎を地に着け黙って目を閉じる。
「そんな……宿が無いなんて……」
まるでこの世の終わりの様な顔をしてへたり込んでしまった刹那を見た男性は、自分の言葉に予想以上の威力があったことに驚いたのか、慌てて言葉を付け加えた。
「あ~、もしかしたら泊めてくれる人がいるかもしれんよ?」
男性に教えてもらったのは、その村でも随一の富豪である久遠という人の屋敷だった。聞いた話によると、その久遠という人はとても良い人で、今回の刹那の様に泊まる場所がない人に一晩の寝床を提供しているらしい。刹那のように旅の途中でこの村による人は少なくないようだが、宿屋としてやっていけるほど人通りが多いわけでもない。そのため、宿屋の無いこの村で、困った旅人を助けているという。
男性に礼を言って、刹那と円は疲れた体に鞭打って、その久遠氏の屋敷まで向かった。
久遠氏の屋敷は村の端の方にあり、村の入り口からはちょうど反対方向に当たる。それほど距離があるわけではないのだが、地形の関係か、久遠氏の屋敷のある場所は少し小高い場所になっていた。そのため刹那と円は鞭打つ体にさらに針を突き刺すような心境でそこまで向かわなければならなかった。
「ここか」
その屋敷は遠目から見ても大きなものだったが、目の前で見てみると改めてその大きさを実感させられる。敷地と道は高い塀で区切られており、百メートルはあろうかという長さで続いている。入口の門も大きく、大人三人が横一列になっても楽に通ることが出来るだろう。その門の間から見える屋敷は見た目から高価そうな雰囲気を醸し出しており、まるでその一帯だけ別の世界になっているかのような空気を作り出している。富豪ということだったが、この邸宅を見るに大富豪と言った方が良い気がする。
「とりあえず入ってみよう」
ギギギという重苦しい音とともに門が閉ざされた口を開く。中は芝が敷き詰められた立派な庭だった。刹那達は開かれた門をくぐり、屋敷へと歩いて行った。
「それにしても馬鹿デカイ屋敷だな」
目の前にそびえる屋敷を見上げて刹那がつぶやく。
「刹那、突っ立っていても仕方がないぞ」
「お、おう」
自分の体の倍はあろうかという扉をノックする。ゴンゴンという重苦しい音が響き、しばらくすると扉が開いた。
「はい?どちら様ですか?」
しばらくして顔を出したのは三十代前半の男性だった。短くまとめられた黒髪は綺麗に整えられ、口に蓄えた髭と相まって良く似合っている。服も小奇麗でいかにも裕福な家の人間であるように見える。おそらく、これが久遠氏だろう。
「突然すいません。僕は旅の者で、今日この村に着いたんですが、この村には宿がないと知り、村の方にここのお屋敷のことを聞きまして、よろしければ一晩の宿をお借りしたいと思っているんですが」
「おぉ、そうだったんですか。それは大変でしょう。さぁ、どうぞ」
事情を理解した久遠氏は嫌な顔一つせず刹那たちを招き入れ居間まで彼らを案内してくれた。
「今、飲み物をお出ししますよ。そちらの猫ちゃんは牛乳で良いですかな?」
「あぁ、こいつには水で結構――ッいて」
見ると円が刹那の足に噛みついていた。いつものように喋るわけにもいかないので、こうやって意思表示しているのだ。
「牛乳でお願いします」
「わかりました。出来るまでそちらの椅子でくつろいでいてください」
「ありがとうございます」
奥へ消えた久遠氏を見送った後、刹那は部屋の中を見回した。白塗りの壁には久遠氏の趣味なのだろうか、獣の顔の剥製と何枚かの小さい鳥の絵が飾られていた。床には高そうなカーペットが敷かれ、置いてある椅子やテーブルも高そうなものばかりだ。
「良い趣味をしているな」
壁の絵を見ながら円がそう呟いた。見ているのは小鳥の絵だ。
「なんだ?円、腹減ったのか?」
「お前と一緒にするな。俺はこの絵自体のことを言っているんだ」
「へぇ、分かんのか?」
「この躍動感のある絵は素晴らしいぞ。まるで生きているようだ」
確かに絵心のない刹那が見てもその鳥の絵は素晴らしかった。特にその中の一枚、木の枝に留まり辺りを見回している小鳥の絵は今すぐ絵から飛び出して部屋を飛びまわってしまいそうだ。
と、刹那は背後に視線を感じて振り返る。
そこにいたのは白い肌に白銀の髪、金色の瞳を携えた女性だった。年は二十代半ばと言ったところか、白い肌は透き通っていて体の向こうの壁まで見えてしまいそうだ。胸の辺りまで伸びた白銀の髪は、まるで絹の様に艶やかで、その柔らかい肌触りを想像させる。両の金の眼は満月の様に部屋の明かりを反射していたが、どこか虚ろで、寂しげな雰囲気を感じさせた。着ている長そでのワンピースも純白で、その白い肌と相まってどこからが服でどこからが肌なのか分らないくらいだ。
「あ、こんにちは」
この家の人だろうからとりあえず挨拶をしておく。だが、その純白の女性は悲しそうに眼を細めると、そのまま立ち去ってしまった。
「アレ?俺なんか失礼なことした?」
「お前のアホ面があまりに惨めなんで何も言えなかったんだろう」
「うるせぇよ。それより、あんまり人前で喋るなよ」
円は「大丈夫だ」とだけ言うと、床に寝ころんでしまった。
それから程なくして、久遠氏が紅茶が入ったコップと、牛乳が入った皿を乗せたお盆を運んで来てくれたのだった。