第百十二話 慣れたもの
「で、でけぇ」
十メートルはあるかというその巨大な石像は鎧に身を包み、神というより武将というほうが似合うような形相をしていた。その鋭い眼光に睨まれれば誰もがすくんで動けなくなってしまうだろう。
「これが神様かよ、ずいぶん怖そうな感じだな」
「まあ、戦の神だしな」
「にしたって、この顔は怖すぎだろ。子供泣くぞ?」
刹那はその神の信奉者たちがいる目の前で散々なことを言っている。
「怖い顔で悪かったな」
「ん?円なんか言ったか?」
「いや、俺は何も言っていないぞ」
「じゃあ?」
刹那は王達の顔を見やる。しかし、皆一様に首を横に振り否定する。
「我だ」
その声の主は、彼らの目の前にいた。そう、今まさに、石像が口を開いている。
「我が名は緋炎。この堅要を守護する者也」
「緋炎様の像がしゃ、しゃべったッ?」
凛は驚きの声を上げ、王と蓉は目の前の信じられない光景に目を見開き、王妃は今にも卒倒しそうだった。刹那と円だけは今までいろいろな体験をしてきただけあって、全く動じない。
「んで、その堅要を守護する者が俺に何の用?」
「もう分かっているだろうが、我は、貴様に力を授けるために現れた」
「力ねぇ、じゃあ、新しい刀をくれんのかい?」
堅要の王には恐縮するくせに神の像には馴れ馴れしい。これが刹那の凄いところである。
「左様。神威を我に」
緋炎はその巨大な身体で腰を落とすと、刹那の前に右手を差し出した。腰を落としたと言っても元々が十メートルはある像である。刹那は背伸びをしてその手の上に神威を置いた。
「では……ムゥン!」
緋炎が神威を握りしめ目を閉じたかと思うと、指の隙間から一瞬光が洩れ、それに続いて炎が噴き出した。どうやら、あの「キェェェェ!」はいらないようだ。
「出来たぞ、これで神威は新しい力を手に入れた」
「ずいぶんあっさりしてるなぁ」
これなら瀏蘭がやってくれたように、多少芝居がかっていた方がありがたみがある気がする。まあ、この顔で「キェェェェェ!」は勘弁してほしいが……。
「それで、新しい力ってのは火が使えるのかい?」
緋炎から刀身の真っ赤に染まった刀を受け取りながら刹那が尋ねる。先ほど見た光景から、まず間違いないだろう。
「左様。その刀の名は紅煉。その一振りは目の前のもの全てを焼き払うだろう」
「紅煉……」
燃えるような刀身を眺めながら刹那がつぶやく、同じように円もその刀に熱い視線を送っていた。
「これで我の仕事は終わりだ。刹那よ、次は黄夜へと向かえ。そこに最後の刀がある」
「最後?確か刀はあと二つあるはずなんだけど?」
「行けば分かる」
「そうかい。それじゃあそうするよ」
それ以上訊いても多分無駄だろうと判断した刹那は素直に従っておくことにした。三度目ともなると、どういった対応をされるかはある程度分かって来ているのだ。
「さて、騎山よ。お前の日頃の働き、見ているぞ。堅要のために尽力してくれているようだな。礼を言う」
「もったいないお言葉!」
王は畏まり頭を下げた。どうやら、騎山というのは王の名前のようだ。
「これからもこの都を頼むぞ」
「それなのですが、私はそろそろ引退を考えております。しかし、次期当主が見つからず……」
「僕がやります」
王の言葉を遮ったのは蓉の声だった。その声は自信に満ちた、とても頼りがいのある声だ。
「蓉、お前……」
「姉さんの戦いを見て、僕も決心がつきました。もう、逃げません」
そう言った蓉の顔は晴れ晴れとしていて、何かを吹っ切ったような清々しいものだった。
「お前がそう言ってくれるのは嬉しく思う。しかし、それには凛に勝利する必要があるな」
「「え?」」
凛と蓉の姉弟は父親のその突発的な発言の意図を計り兼ねている様子だ。
「今回の決闘を見てよく分かった。凛は王としての資質が十分にある。ならば堅要の伝統に則ってどちらが王になるべきか戦って決めるべきだ」
「お父様……」
「すまなかったな、凛。今まで『女だから』と下らないことに拘って。大事なものを見逃してしまっていたようだ」
王は素直に頭を下げた。凜は目の前のその光景がよほど驚きなのか目を見開いている。
「そうか、それじゃあ姉さん、僕と一勝負――」
「やらない。私は辞退するから蓉が王になりなさい」
「「え?」」
今度は父親たちが驚く番だった。
「姉さん、何を言ってるんだ」
「だって、私、人の上に立つのって向いてないし。それに、外を旅して強い奴と戦う方が楽しいしね。まだ決着がついてない奴もいるし」
凛の視線に刹那はとっさに顔を背けた。まずい、嫌な予感がする。
「モテる男は辛いな」
「うるせぇよ」
足元の嫌み猫に軽く蹴りを入れる。
「そういうわけだから。ここのことはよろしく」
「よろしくって……いいの?父さん?」
「まあ、本人がそれで良いと言っているのだから良いだろう。それに、王族が負けたままといういうのもな」
そう言いながら王までがこちらに視線を向けてくる。
親子そろって何を考えているのか、そして、なぜか蓉王子も刹那に視線を向けていた。どうやらこの都の人間は生粋の決闘馬鹿らしい。
「そういうこと~。というわけで刹那、後で勝負してもらうわよ?」
「やっぱりやるの?」
このまま全て丸く収まる雰囲気だったのに。最後に大きな関門が残ってしまった。
「当たり前でしょ、そのために協力したんだし。円の許可も取ってあるしね」
「何ッ?円、そんなことしたのか?」
「……そんなこともあったかもしれんな」
円がバツが悪そうに視線を逸らす。
コイツ――
「なに余計なことしてんだよ!」
「ゴチャゴチャ言わないで戦いなさい!」
「刹那、観念して戦え」
「刹那君、私の方からもぜひ頼む」
「刹那さん、姉さんの願いを叶えてやってください」
「う……ううう。分かったよ、その代わり、明日な!」
皆に迫られ、刹那はしぶしぶ了承したのだった。
そして、王の手厚い歓迎を受けた次の日――
「よかったのか?」
「何が?」
「手紙だけ残して出て来たことだ」
「いいんだって。いちいち相手してたら俺の身がもたねぇよ」
刹那たちは今、堅要から離れた場所にいた。部屋に一つだけ手紙を残し、皆が寝静まっている早朝に堅要を出たのだ。
手紙には決闘はまた次の機会に、と記しておいたが、おそらく今頃、逆上した凜が刹那たちに追いつくために急いで出立の準備をしているに違いない。
「そうか」
そこからしばらく沈黙が続いた。特に理由もないのだが、ただなんとなくお互い喋らない。そして、いつも沈黙を破るのは刹那の方だ。
「なあ円」
「なんだ?」
「その、悪かったな、疑ったりして」
「ん?あぁ、あの事か」
聯賦にそそのかされたとはいえ、刹那は円を疑ってしまった。その事実は消すことが出来ない。自分に出来るのは謝ることだけだ。
「気にしていないと言えば嘘になるが、過ぎたことを言っても仕方あるまい。せいぜい猛省しろ」
「はい」
まるでいたずらを見咎められた子供の気分だ。どう見てもこちらが悪いので何も言えない。まあ、言えたとしても言い返さないとは思うのだが。
「共に居ればこういうこともあるだろう。それに、お前が騙されやすいのは俺が一番よく知っている。本当にすぐ問題を起こすんだからな。目が離せん」
こちらは見咎めている親と言ったところだろうか?
「頼りにしてるよ、相棒」
「うむ」
刹那と円は肩を並べながら真っ直ぐに歩いて行く。目指すは最後の刀のある場所、黄夜だ。