第百十話 黒幕
「くそっ!そろそろ本当に溺れちまう――」
「刹那!下がれ!」
凛の想像を絶する気力に刹那が迷いを生じさせていた時、突然の声がその意識を逸らさせた。そして、刹那は今までの経験から反射的にその声に従う。
と、刹那の頭のあった位置に横から鋭い突きが飛び込んできた。これは凛のものではない。
「あれは……」
その強烈な突きを生み出したものは一本の腕だった。成人の腕よりも小さく、まだ幼ささえ残るその腕の先にいたのは、Ωだった。闘技場に飛び降り、こちらに左腕を向けている。そして、その横にはまたあの白衣の老人がいる。
「なんでここに?」
あの時自分と別れて、Ωたちはこの街を離れたと思っていた。まだ残っていた上に、なぜ今自分を狙う?
「やあ刹那君、元気そうで何よりじゃ」
いつもと同じように不気味な笑いを浮かべながら聯賦が声をかけてくる。
「こちらから行こうと思っていたが、まさかそっちから顔を出すとはな……」
その声に振り向くと、円が凄まじい形相で聯賦を睨んでいる。
「円?」
「刹那、俺の予想が合っていれば、お前を罠に嵌めたのはあの老人だ」
「何ッ?じゃあ、あの手紙は?」
「手紙?そうか、お前の方にも同じようなものが届いたか。それは恐らくやつが用意したものだ」
「いかにも。君たちの所にそれぞれ手紙を出してな、待ち合わせ場所をわしが兵たちに教えたんじゃよ。君の仲間としてな。もっとも、円君の方は気付いてしまったようじゃが」
なんということだ。では自分は勘違いで円を恨んでいたのか?
「――ッ!なぜそんなことをッ?アンタは俺の体が必要なんじゃないのか?」
「なに、君には少し苦労してもらう必要があるからの。その為の試練というやつじゃ」
「試練?そんなくだらない事のために、アンタは……」
試練だか何だか知らないが、それだけの為に俺と円は……。
「そんな下らないことの為に俺たちを……テメェェェェェェ!」
激高した刹那が凄まじい勢いで聯賦に切りかかった。だが、聯賦をかばうようにΩが立ちふさがる。
「ほっほっほ、闇雲に切りかかるだけではわしには傷はつけられんぞ?」
「それはどうかな?」
その言葉に聯賦が反応するよりも早く、その横で巨大な炎の柱が上がった。聯賦の左袖があっという間に消し炭になる。
「楽に死ねると思うなよ?」
「ちっ――ッ!」
円の炎に気を取られていた聯賦の頬に一筋の切り傷が走った。見れば、刹那はいつの間にか奏流を飛旋に変え、真っすぐに切っ先を聯賦の方へと向けていた。Ωは何が起きたのか分からなかったのか、刹那と聯賦に交互に顔を向けていた。
今までのような風ではない、一点集中、聯賦だけを狙った突風を放ったのだ。
「爺さん、アンタはやっちゃいけないことをした」
刹那と円、今の二人はまさに怒りの権化だった。
円が鉄格子にかぶりつくように前に出る。もし鉄格子がなければ、今頃あの年寄りの喉元に喰らいついているのではなかろうか。しかし、刹那も同じ気持ちだ。この老人のおかげで自分は大切なものを失いかけた。それは到底許せることではない。落とし前はつけてもらう。だがその前に。
「円……」
「今はあの爺さんたちに集中しろ。それに、生憎と俺は今冷静に話ができるほど落ち着いていない」
肩で息をしている円の目は真っ直ぐに聯賦を見据えている。どうやら言葉通り、プッツンする一歩手前と言ったところらしい。
刹那がΩの聯賦達の方へと向き直る。その横に並ぶようにして凛が多節棍を構えて立つ。
「まったく、また決闘の邪魔されるとはね」
「凛、君も――」
「円が言ってたでしょ。今は目の前のアイツに集中しましょう。話はそれから」
Ωが血を流しながら右腕の鎌を振り上げる。どうやら、まだやるつもりらしい。怪我をした子供相手に戦うのは気が引けると、いつもの刹那なら言うだろう。だが今は、自分の邪魔をする対象に容赦をするつもりはない。
「待て!神聖な決闘を邪魔するとは何事か!」
王をはじめ、兵たちが闘技場に集まる。不届き者であるΩと聯賦を取り押さえるつもりだろう。
「君たちに用は無いんじゃ。引っ込んでおれ」
聯賦のその言葉に続く様にΩの左腕が兵士たちを一掃する。ただ一人その攻撃を受け流した王は多節棍を構え攻撃の準備に移った。
「そこの罪人」
「ん?」
「君には後で伝えることがある。だが、今は非常事態だ。王として情けないが、この者を倒すために力を貸してくれ」
「わかりました」
聯賦達をを囲むようにして凛、刹那、王がそれぞれ武器を構えた。もちろん、円はいつでも相手を消し炭に出来るように両目を赤く染めている。
「Ω、今回は加減しなくて良い。思い切り暴れろ」
聯賦のその言葉を聞いて、Ωが一気に刹那たちとの距離を詰めた。それと同時に王もΩの方へと突っ込んで行った。
「むぅん!」
王が多節棍を振るう。凛とは違った、とても力強い攻撃だ。鎌で受けようとしたΩだったが、その攻撃はΩの鎌をものともせず、そのままΩの脇腹へと食い込んだ。
「すごい……」
その豪快な一撃は怒りに我を忘れかけていた刹那でさえ見惚れてしまうものだった。やはり、堅要の王は違う。
「感心してる場合じゃないでしょ!私たちも行くわよ!」
まず凛が仕掛ける。彼女の多節棍がバラバラになり、Ωの体をがんじがらめにするように巻き付く。それをなんとか抜けようとするΩだが、刹那がそれを許さない。再び奏流へと姿を変えた刃から湧き出た激流が多節棍ごとΩを飲み込む。水に飲まれながらも左手を伸ばして反撃しようとするΩだが、その左腕を王の多節棍が叩き落とす。
圧倒的だった。流石のΩと言えどもこの三人にかかってしまえば全く太刀打ちできないのだ。
「これは旗色が悪いのぅ」
聯賦が胸元から小さな筒状のものを出した。また何かを呼ぶつもりか?
「させん!」
「――ッ!」
円の炎が聯賦の腕を狙った。突然の熱さに手を放した聯賦の手に握られていた筒状の物体は地面に落ちるなりすぐに燃えカスになってしまった。
「さて、これからどうする?万事休すというやつではないのか?」
王が聯賦の方へと近づく。
「仕方ない。ここは大人しく降参しておくかの」
聯賦は驚くほど素直に降伏すると、王が呼んだ兵士たちに連行されていった。もちろんΩも一緒に連行されたのだが、その危険性を認められ、彼には聯賦の倍の人数の兵士が割かれた。