第百九話 引かぬ理由
「何をやってるんだ刹那!」
その声に刹那の中で再び何かが燃え上がった。
「――ッ!」
飛旋を放しかけた両の手に再び力がこもる。刹那を覆うように突風が吹き荒れ、そのあまりの勢いに凛が体勢を崩した。その瞬間、刹那が大きく後ろに下がる。背後には鉄格子、そして、振り向かなくても分かる。アイツの気配があった。
「なんのつもりだよ円?」
自分を殺すつもりだったのなら今声をかけてきたのはおかしい。黙っておけば凛の一撃で自分は負けて刑が執行されただろう。もしかすると、弱ったところでトドメを刺すことも出来たかもしれない。
「今はそんなことはどうでもいい!まずは目の前の相手に集中しろ!」
「どうでもよくない!お前はッ――」
思わず振り返ってしまう。そこで見た円の目は、なぜだろう?とても悲しそうに見えた。
「いいか刹那、よく聞け。いくら俺を恨んでも構わん。その代わり決して負けるな、分かったなッ?」
その言葉に刹那は何も返すことが出来なかった。だが、再び凛の方へと体を向けた時、小さな、本当に小さな声で、「わかった」とだけ呟いたのだった。
「良い顔になったわね」
「別に」
その刹那の返事に凛は小さく笑うと、再び顔を引き締め、棍を振り上げた。刹那はそれに反応し、再び風の防護壁を纏う。だが、今度の防護壁は先ほどとは違う。規則正しく、かつ素早く、全く無駄の無い風が彼の体の周りを覆っている。無駄に荒れまわるだけの風の帯ではない、鉄壁の壁がそこにあった。
しかし、凛も怯まない。何の躊躇もなくその壁に突き進んでいく。
最初の時とは比べ物にならない速度で彼女の体が傷ついていく。だが凛は足を止めない。それどころか、棍を引くと、それを刹那の体めがけて突いていく。
風の壁と棍がぶつかり合う。鉄のぶつかり合う様な異質な音が響く中、両者一歩も後には引かない。
* * *
「姉さん、すごい……」
貴賓席からその様子を眺めていた蓉は感嘆の声を上げた。
姉が旅に出るまで毎日一緒に稽古をしてきたが、あそこまで激しい戦い方をする姉を見たのは初めてだった。
それにしても、なぜ姉さんは一歩も後ろに下がろうとしないんだ。いくら相手に反撃の隙を与えないようにしているとしても、あれでは……
「凛は随分と激しい戦い方をしているな。消耗しなければいいんだが……」
隣に座っていた王が蓉とまったく同じ感想を述べる。
「しかし、あれこそ堅要の代表たる戦い方だ」
「え?」
蓉は思いもよらぬ父親の言葉に思わず顔をそちらに向けた。父親の方も蓉の方へと顔を向けたため、目が合う形となる。
「王は敵に対して決して背中を見せない。なぜだか分かるか?」
「兵の士気に関わるから、ですか?」
「その通りだ。そして、それに加えて、王は決して歩を止めてはいけない。常に前に進まなければならない」
「それは……」
「それは、止まっていても何も得られないからだ。常に前を向き、進まなければ進歩はない。堅要の発展のためにも、王は決して歩みを止めてはいけない。戦いにおいても、政においてもな」
父親のその言葉に蓉は何も答えない。
「アレは不器用な娘だ。戦う姿でそれをお前に見せようとしているんだろう。蓉、現実に背を向けず、前に進まなければ何も状況は変わらないぞ?」
「――ッ!父上、まさか……すべてご存じなのですか?」
「何年お前の父親をやっていると思っている?」
「……」
「今すぐに答えを出せとは言わん。ただ、今は姉さんの戦いを見ておけ」
そう言うと王は正面に向き直った。蓉も父に習って正面を向いた。姉の戦いを見るために。
* * *
「くそっ」
このままじゃ埒が明かない。こうなったら――
飛旋が光を帯びる。半透明の刀身は見る見るうちに鮮やかな青へと変わっていく。
「くらえッ」
刹那が奏流を振るうと、刀身から水が滝のように流れ出し、激流が凛をのみ込まんと襲いかかった。
「この程度でぇ!」
濁流は凛の胸の当たりまでの高さで彼女を押し流そうとするが、彼女は両足でしっかりと地面を踏みしめるとそこから一歩も下がらない。だが、水の流れに押されているためか、棍は動かず、まっすぐに持っているのがやっとと言った様子だ。
「――ッ!しぶといッ」
「負けるかぁ」
奏流を振り、絶え間なく水を出し続ける刹那と、それに耐え続ける凛、一見、どちらもまったく互角に見えた。だが――
「これならどうだ!」
水の流れが変わり、凛の胸のあたりに流れていた水が、もっと上、彼女の顔を狙い始めた。
「ガボッ」
次々に顔に飛び込んでくる水。それはまさに溺れてしまったのと同じ状態だ。
「降参しろ!そのままだと溺れるぞッ!」
水の流れは止まらない。このままいけば刹那の言うとおり溺れてしまうだろう。だが、凛は降参しなかった。その両目に闘志をたぎらせて、彼女は歯を食いしばる。
何が彼女をここまで奮い立たせるのか?刹那には分からない。
分かることはただ一つ。今、彼女への攻撃を緩めれば、やられるのは自分だ。その執念にも似た闘志が刹那を威圧する。
だが、自分にも負けられない理由がある。
刹那は奏流を握る手にさらに力を込めた。




