第百二話 路上にて
「腹減った……」
暗がりを一人歩く刹那は今、とてつもない空腹と戦っていた。
聯賦に拉致されてから今まで、水も口にしていない。牢に捕らえられた時に持ち物全てを没収されてしまったので、食料品を購入する金も無いのだ。
周りを見回してみれば、路上に寝転がる者が目についた。先ほどからすれ違う人々もお世辞にも綺麗な服とは言えない物を着込んでおり、刹那にもこの辺りに住んでいる人々の生活水準が容易に想像できる。
「おっと」
「ッ!気をつけろ!」
「あ、すいません」
前をよく見ていなかったために、刹那は前方から近づく男にぶつかってしまった。刹那が素直に頭を下げると、男は舌打ちしてそのまま行ってしまった。
ただでさえ暗いのだ、よそ見をしていては危ないな。
「ハハ、こんなんじゃ円に怒られちまうな」
円が今のを見たらなんと言うだろうか。きっと長々とお説教をしてくるに違いない。
そんなことを考えていると、無性にあの黒猫のことが気になってきた。
「円……」
やはり怒っているだろうか?無理もないか、せっかく助けに来てくれたのに、自分はそれを不意にしてしまったのだ。次に会った時は素直に謝ろう。
「会える……よな?」
あたりが暗いせいだろうか。なぜか悪い方へと考えが向かってしまう。
なんと言えば良いのだろう。Ωが放っておけなかったから?間違ってはいないのだが、それでも以前忠告されたはずだ。きっと円は覚えていて、それも合わせて怒ってくるかもしれない。
「ふふ」
怒られると分かっているのだが、なぜだかその光景を考えると笑えて来てしまう。嫌だと思うよりも、そうやって話ができることを望んでいる自分がいるのだ。
「どうやって連絡するかな」
少し楽し気に刹那がそんなことを考え始めた時だった。
「よくも裏切りやがったなッ!」
背後から聞こえてきた怒声で刹那の考えは中断される。
「てめぇのせいで、俺は!」
「ガタガタうるせぇよ!」
その声の方へ振り返ると、そこでは二人の男が睨み合っていた。片方は先ほど刹那が肩をぶつけた男だ。どうやら喧嘩らしい。状況の理解できない刹那は静観することしかできない。
「何があったんだい?」
「どうやらあの怒ってる方の男が相手に儲け話を振られたらしいんだが、それが失敗したみたいだな。話を振った方としても出来れば顔を見たくなかっただろうが、運悪く鉢合わせしちまったみたいだな」
刹那の近くで同じように様子を見ていた酔っ払いたちの会話で何とか状況が把握できた。ようは、詐欺にあったということだろうか?
「俺は、お前のこと信じてたんだぞ!それなのに!」
「んなもん知ったことか。俺にとっちゃ、お前なんてどうでもよかったんだよ!」
怒っている方の男は今にも泣き出しそうになっている。対して、相手の男の方は涼しい、というか冷たいほどの冷徹な視線を向けている。あまり見ていて気分の良いものではないはずなのに、なぜだろう、今の自分は彼らから目が離せない。
「あの二人、よくここら辺笑いながら一緒に歩いてたのにな。俺ぁ、仲が良いんだと思ってたぜ」
「それも相手にとっちゃ演技だったんだろうなぁ。利用するための布石っつうのか?」
酔っ払いたちの言葉が耳について離れない。利用するための布石……。そのための演技……。
「ちくしょう!」
「ッ!何しやがるんだてめぇ!」
騙されていたという方の男が相手に殴りかかった。それを受けて、相手の方も殴り返し、そのままその場で殴り合いが始まってしまう。
「いいぞ!やれやれ!」
「そこだ!腹を狙え!」
よほど余興に飢えているのか、やじ馬たちが集まりはやし立てていた。
刹那は見ている気も起きず、踵を返して歩き出した。
と、不意に背後から声をかけられた。
「アンタ、刹那さんかい?」
「え?」
その声に振り返ると、そこには見るからにみすぼらしい姿の男が立っていた。猫背で、ニタニタと笑っているその口は前歯が何本か欠けている。どう見ても、自分にはこんな知り合いはいない。
「そうですけど。どちら様?」
「アンタに渡すように言われてるんだ」
男が胸元から白い紙を出した。彼の姿とは程遠い、純白の綺麗な紙だ。
「誰から?」
「相棒って言えば分かるって言われた」
「――ッ!」
その言葉に、刹那はすぐにその手紙を手に取った。