喫茶店の風景
僕は2ヶ月前から、駅から少し離れた場所にある喫茶店で働いている。
僕は30近くになるが店長ではなくバイトである。
からん、ドアの鈴の音がして最初のお客さんが入ってきた。
初老の男性客だ。
「いらっしゃいませ。何にしましょう。」
「コーヒーとトースト。」
コーヒーとトーストのセットはお昼までよく出る。
競馬の新聞片手に・・夫婦同士で会話をしながら・・もくもくと一人で食べる人・・出勤前のサラリーマン・・・など同じセットを色んな違った人が頼んでいく。
僕は人々のコーヒーを飲んでいる姿が好きだ。
人それぞれに風景がある。
それを眺めるのが好きで、色んな喫茶店を転々としている。
未だ「ちゃんと」働いていない。
毎日店に足を運んでくれる人もいて、その中の一人に小学生の男の子がいる。
ほぼ毎日夕方4時頃、学校が退けてから寄ってくれるらしい。
毎日寄ってくれるが、少し緊張したような、きょろきょろしながら席につく。
「今日もココアにしますか?」
「はい。」
と少し照れて答える。
いつも注文するのはココアだ。
僕は特別、この子には生クリームをたっぷりのせてあげる。
少年はココアを飲みながら5時まで図書館で借りてきた本を読んでいる。
5時になったら300円を手渡して店を出て行く。
ご飯の時間だろうか、両親が共働きしていてお迎えの時間だろうか?少し気になった。
僕が小学生の頃なんて喫茶店は大人の世界で入るなんて考えた事もなかった。
それから3週間ほど少年は来なかった。
始めは然程気にならなかったが3、4日くらい経って気になりだした。
それ程少年は通ってくれていたのである。
ある日の仕事帰りに少年が母親らしき人とスーパーから出てくるのを見た。
「ねぇ、今日は一緒のおふとんに入っていい?」
ひっきりなしに母親の裾をひっぱりながら愉しそうに歩いていた。
僕はタバコを買う為にスーパーの横の自販機に向かって歩いていた。
少年とすれ違ったが、どうやら少年は僕の存在に気づいたようで、恥ずかしそうにうつむきながら軽く僕に会釈した。
僕は、まさか会釈されるとは思わず、思いがけないことだったので会釈し返すタイミングを失った。
振り返ると、まだ愉しそうに親子歩いて帰る姿をみて幸せそうだな、とただ思った。
それから、また数日後。
仕事の行きしなにあの少年の母親をバス停で見かけた。
僕は、少しためらったが母親に近づいた。
「あの、」
「はい?」
「先日スーパーのところですれ違ったものですが・・・お子さんお元気にしていますか?」
「あ!あなた喫茶店のお兄さんね。」
母親は少し大きな声で思いついたような顔つきで応えた。
「いつも、お子さん、ココアを飲みに来てくれてたのですが、最近見かけないから、あのー、少し元気にしてるのかなと思いまして・・・」僕はどぎまぎ話した。
母親は、少し嬉しそうに
「いつも息子がお世話になっています。喫茶店の話をあの子から聞きますよ。
実は、あの喫茶店は昔、主人が生きていた頃に家族3人で日曜の朝にモーニングをしに行ってたんです。
あの子、マスターの時はクリーム少ないけどお兄さんの時はクリーム多くしてくれるからお兄さんが好きだ、とか言ってましたよ。」と笑いながら話してくれました。そして続けて
「今は私が入院していまして、昨日まで一時帰宅していたんです。父親は一昨年亡くなってしまい、今は私とあの子の2人きりなんです。それで私の入院中はあの子を一人で暮らさせるわけにもいかず、施設に預かってもらっていて、施設から学校へ通わせているんです。
けどあの子は学校が終るとすぐ施設へは帰らず、バスを一時間遅らせてあの喫茶店に寄るそうなんです。。
あの子一人で寄るもんだからお店の方に迷惑かけるんじゃあないかと心配になります。
けど今の私にできる事は、せめてココアの代金を施設の先生に渡してもらうようにお願いすることくらいなんです。」
「そうですか・・・」
僕はこないだスーパーですれ違った時に「幸せな家族」という印象を持ったが、あれはただの印象にしか過ぎなかったのだ。
あの子にとってはあの一瞬がどれくらい大切な時間なものか、と思うと胸が熱くなったのと同時に平凡に育った為に同じ経験を味わった事が僕にはなく、あの子の気持ちや感情を自分の事のように理解できない自分にも歯がゆさを感じた。
「お母さん、早くよくなって退院したらお子さんと一緒に来て下さいね。」
これが精一杯の言葉だった。
僕は他人の人生に首を突っ込んだような気持ちになった。
僕はただの給仕で、少年はお客さんである。
喫茶店でコーヒーを飲む少しの間はどんな寂しい人だって幸せそうに見えることがある。
けど、それはただの印象にしか過ぎないのかもしれない。
少年が喫茶店に来る際には僕は精一杯生クリームを多くココアにのせてあげようと強く思った。