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06章……使用上の用法・用量に気をつけてください

「でっくん、お前は完全に包囲されている。大人しく出て来い!」

「黙れ! 人質の命がどうなってもいいのか!」

 俺は今、見知らぬ一軒家の二階で人質を取って立てこもっている。人質の木下を左で首を絞めるようにして引き寄せ、右手には鋭利で部屋の電灯に反射し、鈍色にきらめくナイフを持って首筋に当てつつ、窓から叫んでいる。

 何でこんな状態になったかは知らない。気が付いたら、この状態だったんだ。

 そして、かれこれ10分ほどこの問答が続いている。よくまあ、飽きもせずやっているな、と我ながら思う。

「でっくん、お前は完全に包囲されている。大人しく出て来い!」

 また言った。お前もよく飽きないなあ、江里口よ。と言うか、よくお前にぴったりな警察の服があったもんだ。

 さて、何て返そうか……。

「黙れ! 人質の命がどうなってもいいのか!」

 と思ってたら、また無意識に出ちゃったよ。何回目のオウム返しだ。お互い事態を進展させる気がないんだな。

「江里口巡査部長、これ以上の説得は不毛かと思われますが」

 江里口の隣に居る女にしては結構な長身で、眼鏡をかけた美人――百武が眉を曇らせている。スタイルが良いだけあって警察官の服が似合うなぁ。

 江里口は、百武の提言を受け止めたのか、はっとして頷く。ほっ……やっと終わるのか。

「でっくん、お前は完全に包囲されている。大人しく出て来い!」

 同じかよ! 思わずこけかけて、隣のうんともすんとも言わない無表情の木下を刺しそうになったじゃねえか。ああ、そうか終わらせる気がないなら、こっちもこう返すよ。

「黙れ! 人質の命がどうなってもいいのか!」

 どうだ。百武の言う通り、不毛だろう。こっちはお前が居なくなればいいんだ。早く帰れ。

「江里口巡査部長、ここはもう……」

 江里口の後方に居る小柄の方の眼鏡――成松がおずおずといった感じで袖を引く。おいおい、成松の方はえらいぶかぶかだな。手が袖から出てないぞ。江里口の寸法があるんなら、成松の分も用意しとけよ。

 江里口は、また同じ所作を繰り返した。ようやく分かってくれたか。早く帰れ。そしたら、人質を放してやるから。

「このままではきりがない。よし、私が独りで突入しよう!」

 はあ? 何でそうなるんだ。2人とも「仕方ないね」じゃないよ。奴を止めろって!

「黙れ! 人質の命がどうなってもいいのか!」

 何で今これが出るんだよ! 使いどころが若干変だぞ。

「突入せよ! でっくんの部屋へ!」

 ドアを大きく開け放って江里口が入って来る。しばらくすると、背中に重さと衝撃が襲った。

 そこで俺は、目が覚めた。


「犯人、確保――っ。おっはよー、でっくん!」

 爽奈の元気で溌剌とした声が部屋中に響き、寝起きの侑治郎の鼓膜を激しく揺らす。首だけ動かし、寝惚け眼を背中の方にやると、覆いかぶさった爽奈が居た。

「な、何をしてんだ!?」

 侑治郎の目がかっと見開かれた。眠気も当然ながらすっ飛んだようだ。

「何って起きないから、飛びついて起こしたまでだよー。鍵も開いてたし、無用心だなーでっくんは」

 邪気のかけらもない笑顔を向け、背中軽く叩いた。

「昨晩うっかりかけ忘れただけだ。もしかして江里口、ずっと何10分も前からドアの前で、何か叫んでなかったか?」

「うん、言ってたよー。『でっくん、お前は完全に包囲されている。大人しく出て来い!』ってね。でっくんも言ってたよね?」

「ああ、俺は夢の中で『黙れ! 人質の命がどうなってもいいのか!』って言ってたな。右手にナイフを持って、左手に木下を人質に取って。……あれ?」

 侑治郎の右手には孫の手、左手にはクッションが握られていた。

 固まってしまった侑治郎を見て、爽奈はおかしそうに頬を膨らませていく。

「ぷっ……どれがナイフでどれがなるさんなの?」

「あれ、おかしいな……。夢の中では確かにあったんだけどな」

 堪えきれなくなった爽奈が、哄笑する。

「あれー……。まあ、いっか」

 侑治郎もあれこれ考えても仕方ないと思い、爽奈に釣られる形で哄笑した。

 暫時、2人が笑い合っていると、玄関先から咳払いが1つ鳴った。紗弥菜によるものである。それが合図だったのか、にがにがしげに口を開く。

「爽奈! あんたって奴は……仮にも嫁入り前の娘なのよ! 今すぐ離れなさい! 円城寺も早く着替えて!」

 怒りと恥ずかしさで、林檎のように顔が真っ赤になっている。

「はいはい」

 珍しく素直に従った爽奈は、ベッドから身軽にひょいと飛び降りた。

 ようやく、上半身が自由の身となった侑治郎。開放感を味わっている中で、ふと頭に疑問が生まれてきた。

「なあ、さっきから気になっていたんだけど、何でみんなジャージなんだ? 何処かに行くのか」

「近くにある野瀬私立保育園に、ボランティアに行くんですよ。だから、円城寺さんもどうかなー、って」

 紗弥菜の隣でこちらを窺っていた真優が、やんわりと答えた。

「ほー、ボランティアねぇ。良いね。俺も一緒に行くよ」

「んじゃ、早く着替えようかー。はい、ジャージ」

「ありがとう……っておい、何を勝手に人のタンスを開けてんだよっ?」

「それにしても、良いジャージだねー。もしかして新しいジャージ? そしたら、アメリカにある州と同じだね。ほら、ニュージャージーって」

 瞬間、春なのに寒風が吹き荒んだ気がした。誰1人としてくすりとも笑わない。表情そのままに、雪像のように固まった。

「あれ?」

 爽奈が状況掴めず、素っ頓狂な声を挙げた。 

 いち早く我に戻った侑治郎が、無言で爽奈の脇の下に手を入れ、高い高いをするようにして軽々と持ち上げると、そのまま玄関先まで連れて行った。

「悪いけど、少し待っててくれ」

 ドアを閉めた途端、紗弥菜のきいきいと叱る声が爽奈に浴びせられた。


「ところで」

 最後にアパートの階段を下りきった侑治郎が切り出した。

「今居ない木下はどうするんだ。と言うか、どうしたんだ?」

 自慢の長い黒髪を、首の後ろで束ねてポニーテールにしていた紗弥菜が、首を少し後方に回す。

「今から起こしに行くのよ。成佳は休日になると、大抵寝起きがよくないから」

 ぶっきらぼうに言って、すぐに前を向いた。

 背が低く、自然と爽奈以外には上目遣いになってしまう真優が、侑治郎の顔に眼を向けながら苦笑する。

「今日のボランティア自体そーちゃんの思いつきで急だったから、私が貸したゲームかアニメのDVDを徹夜で観たと思うんですよ。だから、寝たばかりかあんまり寝てないかもしれません」

「どうよ。凄いでしょー」

 爽奈が振り向いて、得意顔で偉がって見せた。

「全然誉めてない」

「ちぇっ」

 爽奈は、面白くなさそうに正面を向いた。

「そうなのか。本当、人は見かけによらないもんだな」

 侑治郎がしみじみ感じ入っていると、紗弥菜が成佳の部屋のインターホンを押した。寝ているのか全く反応がない。

「よーし、また私の出番がきたようだ」

「煩いから却下」

 紗弥菜が爽奈の頭をがしっと両手で掴んだ。

 とさかにきた爽奈は、悪態をつく。

「何をするだぁー、この牛乳うしぢち! 愛もない胸を持つお主に、私を止める資格などなぁい!」

 紗弥菜は、たちまち目を吊り上げ、赤々と顔を上気させながら、憤怒する。

「黙りなさい、この無乳! 胸のないあんたに胸のことをとやかく言われる筋合いなんてないわっ!」

「ぬゎんだとぉ! それを言うのか! あんたもつくづく嫌な女だね。だから、男が――」

「それは関係ないでしょっ! 大体、いつも言葉に詰まるとそればっかり――」

 口喧嘩をしている2人を後目に、真優がドアノブを捻る。すると、あっさりと開いてしまい、驚きのあまりに思わず声を漏らす。

「開いちゃった……」

「突入せよ! なるさんの部屋へ!」

 それを聞いた爽奈は、言いかけた面罵の言葉を飲み込んだ。次にきびすをかえすと真優をどかし、玄関に入るや靴を脱ぎ散らかして、突撃していった。

 仰向けにすうすうと寝息を立てている成佳の胸に飛び込んで、気持ち良さそうに頬ずりする。

「う……うぅん……」

 くすぐったいのか眉を困らせる。しかし、眼は細められ、口元は微笑んでいるから、嫌ではなさそうだ。

「はふぅ……」

 至福の吐息が漏れた。胸を枕に爽奈も寝てしまいそうだ。

 急な胸の圧迫感に、成佳の眠気は少しずつ飛んでいく。薄目になったところで、闖入者が居ることに気づいた。

「あれ、爽奈ちゃんじゃない。おはよう。どうしたの? こんな朝早くに」

 そこそこにのんびりな口調で言い終えて、嫌な顔1つせずに爽奈の頭を優しく撫でる。

「今日ねー、もうちょっとしたらボランティアに行こうかと思うんだー。でもねー、今は、なるさんの愛が一杯詰まった胸を枕に寝ちゃうのもいいかなー、って思ってきたんだけどー、どうしよっかー?」

 今にも寝くたばりそうな間延びした語勢だった。

 成佳は爽奈の頭のにおいをかぎつつ、しばし思案する。

「うーん……特に用事もないし、私も行くわぁ。ちょっと眠いけど」

「ええー……」

「『ええー……』じゃないわよ、このチビ子! 成佳から離れなさい!」 

 いつのまにか紗弥菜も部屋に入ってきていた。成佳の胸の上で眠りかけている爽奈を割と軽そうに持ち上げた。

 爽奈が口をとがらせる。

「な~に、を、するだぁ~」

「黙りなさい。それじゃ成佳、私達は外で待ってるから。それとも、三つ編みを作るのを手伝おうか?」

「うん。悪いんだけど、お願いします」

 起き上がって端座位になっていた成佳が、頭を軽く下げた。

「となると、人手が必要ね。真優も入ってきて手伝って。円城寺は、外でこれを持って待っててくれない?」

「はーい、分かりましたー」

 真優が嬉々として手を上げ、承諾。部屋に入っていった。

「別にいいけど……。起きたら、大変なんじゃないのか? 俺は木下みたいにその……」

 恥ずかしそうに口ごもる侑治郎に紗弥菜は、口元に狡猾な笑みを湛える。

「胸の感触がないから怒るって? ふふふ、馬鹿ね。それが狙いなのよ。そうなったらなったで被害を被るのは貴方1人だしね」

 あまりにも自分勝手な言い分に絶句した侑治郎に、すっかり眠ってしまった爽奈を預ける。そして、ふっと真顔に戻り、

「じゃ、頼んだわよ」

 言い返す暇を与えず、ドアを閉めてしまった。

(な、何て奴だ……)

 この時、初めて紗弥菜の恐ろしさを知った侑治郎であった。

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