02章……仲がよろしいことで
爽奈こと江里口爽奈は20歳になっていた。母親の奈津美が逝去したのは8歳の頃であるから、既に12年もの月日が経過していた。葬式の時泣き倒したが、年月を追うごとに母の死のショック少しずつを乗り越えた。割と大らかな父親のもとで育ち、反抗期も皆無だった。
残念ながら肉体的な成長にあまり恵まれず、身長は144cmほどで止まり、胸もまな板やら洗濯板と言われても仕方がないくらいである。それでも心身ともに健康に育ち、大病を患ったことさえも皆無であった。
高校を卒業した後、とある県にある野瀬市の野瀬保育専門学校に入学を果たした。
因みに、学科は幼稚園教諭保育士養成科である。この学科は2年間で修了し、卒業と同時に幼稚園教諭2種免許と保育士資格取得することができる。何ともお得だと思われるが、その分講義が月曜日から金曜日をほぼきつきつに埋められるので、遊ぶ時間などほとんどないのだ。
学友達の助けもあり、何とか1年時の学習内容を修め、本日から2年目に入る。
そんな爽奈は急いでいた。小学生に絡まれてかまっていたら、すっかり到着時間が遅くなってしまったからである。
現在の時刻は、8時25分。普段なら講義は9時から始まるので、8時50分頃に学校に到着していれば良いのだが、今日に限って事情が異なっていた。
「何でよりにもよって今日なんかに、ホームルームを行うかなー……」
爽奈が不満をぶつぶつと独語した通り、8時35分からホームルームを行うと昨晩いきなり、担任からメールが届いたのだ。
「全く、こういうことはもっと早くから報せてもらいたいよ」
そうこうしているうちに校門を駆け抜け、校舎内に入った。階段を1段飛ばしで上り、教室に勢いよく駆け込んだ。
「8時30分! よーし、間に合った――っ!」
爽奈が諸手を上げ、歓喜の声を教室に響き渡らせた。
その声に反応して数人の女子が、爽奈の方を見る。すると、途端に三者三様の表情となり、そのうち眼鏡をかけた女子がこちらに走ってきた。
「おー、まゆっちではないか。おっはよう! 今日もナイス眼鏡だね!」
「そーちゃん、どうしたのその格好? まるで小学生みたいだよ」
優しく柔らかな印象の卵型のオーバル型の眼鏡と和するように、眼を丸くして驚くまゆっちと呼ばれた彼女の名前は、成松真優。爽奈とは1年時の頃からの親友である。肩先まで伸びた後ろ髪を、水色のリボンでポニーテールにしている。背格好は爽奈と似ていて、結構小さい。それでも、身長と胸の大きさは爽奈より少しは勝っている。
「はーっはっはっは、ちょいとあそこに居る性悪眼鏡にゲームで負けちゃったもんでね。罰ゲームでこんな格好をさせられちゃたわけ」
爽奈がびしっと人差し指で指す先を見ると、口辺に今にも噴き出さんばかりの笑みを溜めている眼鏡の女子が居た。
真優は、得心がいったと感じで首肯する。
「さやっちゃんは、容赦ないからね。でも、そーちゃんもあんまりやらないゲームをよくやったね。相手はプロ級なのに」
「うん、乗った私も馬鹿だった。けど、挑発されたからには、どーしてもあの鼻っ柱を折って、ぎゃふんって言わせたかったんよ」
「そーちゃんは本当に、負けず嫌いだねぇ」
爽奈と真優が揃って歩き出し、談笑しながら2人の許へと向かう。
ふと、爽奈の視界に見慣れぬ男が入った。なぜか不審に思う。しかし、真優との談笑の方が大事だと思い、たちまち男の存在を脳内から消し去った。
「おはよー、性悪眼鏡になるさん」
性悪眼鏡と面と向かって言われた女子は笑みを壊し、眼鏡のリムを指で挟みながら怒気を発する。
「誰が性悪よ。このドチビ! あんたが負けたのが悪いんでしょうが。いい気味よ。それにしても、チビで童顔だけあって小学生姿がよく似合うわね。今日はそのままいたら」
言い終えて、意地悪気な笑みを満面に湛える。
「うっさいなー、でか女。性格が良くて黙ってりゃ器量よしなくせに、本っ当台無しだわ。そんなんだから、男が寄って来ないんだよー。つーか、普通に着替え持ってきてますから。年相応の恥じらいぐらいありますから」
「お、男が寄ってこないのと性格は関係ないでしょっ! そ、それに、去年まで似た様な格好で学校に来てたのは、何処の誰かさんかしら。私や成佳や真優が、コーディネートしたおかげでまともになったくせに」
「あはは、あんたが選んだ奴なんか、タンスの肥やしになってるよ。そのおかげで他の服がすくすくと育ってるしね」
「ちょっと、それどういう意味?」
「虫食いの被害が、あんたの選んだ服だけにいってるってこと」
「なっ……!」
爽奈と会うや口論を始めた彼女の名は、百武紗弥菜。爽奈とは1年の頃からの付き合い。いつ頃かは定かではないが、気づいたら会うたびに口論をする仲になっていた。やや切れ長な眼に、長方形に近い形のスクエア型の眼鏡をかけていて、腰まで伸びた黒髪を背になびかせている。背が高く、170cmはある長身で且つスタイルも良く、モデルにでもなれそうな体躯だ。胸も大きく、爽奈や真優とは対照的である。
「まあまあ、2人とも朝からそんなに喧嘩しないの。爽奈ちゃんは、着替えるんなら着替えちゃいなさい。私達が壁になってあげるから」
2人の間にやんわり割って入った彼女は、木下成佳。他の2人と同じく、爽奈とは去年からの付き合いで親友。何もかもを優しく包み込むような、まるで聖母を思わせるような雰囲気を纏った人物である。人好きにしそうな少し垂れ目勝ちな眼をしていて、黒く長い髪で割りと太目な2本の三つ編みを作り、余った髪とともに背に流している。背はそこそこ高い方なのだが、紗弥菜よりは少し低い。しかし、その分胸が圧倒的な大きさを誇っており、それでいて腰周りも細いものだから、クラス中の女子の羨望の的となっている。
「はーい。分かりましたー」
「ふん、成佳が言うなら仕方ないわね。って……注意しながら爽奈と私の髪のにおいを嗅がないでよ」
紗弥菜が若干呆れる視線を投げかける先には、成佳がすんすんと小さく音を鳴らしつつ顔を首を上下させていた。
はっとした成佳は、ばつが悪そうに苦笑しながら、
「あ、ごめんねぇ。ついつい癖でやっちゃうのよね。本当に、みんな良いシャンプーやボディソープを使ってるわ~」
それでも、うっとりとしていて幸せそうな顔に瞬時に戻った。
紗弥菜は呆れ顔だが、爽奈と既にかがれていた真優は、別段気にしなくなった。なんせ、去年から続いている習慣みたいなものだからだ。
「ほら、早くしないと先生が来ちゃうよ」
真優が、黒板の上にある時計を見つつ、急かすように言った。
3人が爽奈を囲みその中で爽奈が着替え始める。キャラもののトレーナーとスカートを素早く脱ぎ、別の袋に押し込んだ。
「あれ? それって私の……」
爽奈の穿いているショーツを見て、目を白黒させる真優。
「あー、昨日言うの忘れてたけど、借りたよー」
「何で自分のを穿かなかったの?」
「あの辺の通学路には、スカートめくりの達人が居るって風の噂で聞いてね。だから、私のじゃ鼻血出してぶっ倒れるんじゃないかと思って、割りと幼げなまゆっちのを借りたわけさ」
「まぁ、別にいいけど……で、結果はどうなったの?」
「今朝達人――まあ、悪ガキだったんだけど。そいつにスカートをめくられて、見られちゃったけどね。奴が泣くまで! 私は! くすぐるのを止めなかったよ! まゆっちの仇だーって言いながら」
日頃穿いているショーツが、爽奈を通して衆目に晒されてしまったことに、まるで自分がめくられた被害者にでもなったと感じた真優の双眸に、みるみるうちに涙が溜まってきた。
「あんたねぇ……。新学期早々真優を泣かせてどうすんの」
紗弥菜が呆れ返った様子でつっこむ。
「あららららら……ごめんねまゆっち。アパートに帰ったらさ、実家から送られたお菓子をあげるから、泣かないで」
爽奈は、手を合わせて懇願した。
「本当っ!?」
すると、潮を引くようにして真優の双眸から涙が消え失せ、屈託のない笑顔を見せた。
「これでよし、と。お2人と性悪子さんサンキューでした!」
着替え終わった爽奈が、片目をつぶって親指を立てて見せた。
「だから、誰が性悪か!」「おはようございまーす」
紗弥菜のつっこみと担任が入って来たのは、偶然にも同時だった。