20章……それぞれが歩み続ける道
「し~あわせなら、手をた~たこう」
「あわわ~」
「し~あわせなら、た~いどでしめそうよ、ほら、み~んなで手をた~たこう」
「あわわ~」
「すとぉーっぷ! 誰だー、インディアンの真似をしてるのは――っ!」
「はーい、ぼくでーす!」
「また空也かー。やってくれるじゃないの。覚悟は出来てるんだろうね?」
「ぜんっぜんできてないよっ!」
「あっ、こら、待てっ」
教室から飛び出して行った空也を捕まえる為に、爽奈も物凄い勢いで教室から出て行った。
「またでていっちゃったね」
「ねー。これじゃまにあわないよねー」
呆れ顔で口々に言い合う園児達。と、ピアノの前に1人の男子園児が座り、みなの方に顔を向けた。
「じゃあ、またぼくがせんせいの代わりをしてあげるよ」
「星夜くんはピアノがおじょうずだからね。きょうもおねがいー」
「うん、まかせて!」
昼休み。
爽奈が子どものように嬉しそうな表情を浮かべながら、弁当を食べていると、1人の壮年の女性が近付いてきた。
「あ、えんてふ」
口をもごもご言わせながら気さくに声をかける爽奈に、園長の鍋島加代子は苦笑を滲ませつつ、爽奈の肩を軽くぽんぽんと叩いた。
「あんた。また練習をそっちのけで空也を追っかけ回してたでしょう?」
「んぐっ」
思わず噴飯しかけた爽奈だったが、手で口を押さえて何とか防いだ。コップに入ってたお茶を、口内に入っていた咀嚼物と一緒に飲み込むと、深く安堵の息をついた。
「だって、ふざけたうえに逃げたんですもん。手を叩けばいい所で、インディアンみたいに掌で口を叩いて『あわわ』ですよ。そりゃ、とっ捕まえて叱らなきゃ」
なるほど、と頷く加代子。
「確かにその行為について叱るのはいいわ。でも、別に追いかけなくてもいいんじゃない。他の園児達をおろそかにしてしまっては、いつかみんな爽奈の言うことを聞かなくなるわよ。それに、逃げた園児の対応については、他の先生が担当するって前にも言ったばかりじゃない」
厳しい語調が雨あられと爽奈を襲った。だが、爽奈は不服そうに頬を膨らませ、言い返す。
「その担当の侑治郎が今日は居ないから、私は必死で追いかけたんですよ。万が一道路に飛び出して轢かれたりでもしたら、どうするんですか」
「あ……」
言ったきり、口をぽっかり開けて二の句が告げない加代子。
「『あ……』って加代子さん、まさか……」
爽奈の危ぶむ声が耳朶を打ち、我に帰った加代子は軽く喉払いをし、気まずそうに取り繕う。
「そう言えば、成佳ちゃんの方は大丈夫なのかしらね?」
「大丈夫も何も、ほぼ1週間後は秋明祭ですよ。今更ドタキャンってことはないでしょう」
数年経ち成佳は、声優としての転機を迎えていた。これまで端役・脇役を多数こなしてきたのだが、1月から始まるアニメで主人公役に抜擢されたのだった。
当然、プレッシャーは計り知れないものがあるが、それでも成佳はスケジュールを空けてでも加代子の呼びかけに応じたのだった。
「それもそうね」
「あ、そうそう。昨日なるさんに電話したら、後輩の子も連れて来るとか言ってましたよ。名前は何て言ったか忘れましたけど」
「そう、それは楽しみが1つ増えたわね」
莞爾と笑う加代子に、爽奈が更にあっ、と言い、付け加えた。
「まゆっちの人形劇で使う人形も、もうちょっとで出来るみたいですよ」
真優は野瀬保育園内にある学童クラブで働いていた。手芸の腕はここ数年で更に上がっていて、ぬいぐるみ作りから端を発し、セーターや手袋やマフラーや刺繍など縫い物関係なら何でも出来るようになっていた。今もこうして、ぬいぐるみ作りを依頼されている。
「真優ちゃんには大変のことをさせたわね。終わったら、学童クラブの先生方も誘ってみんなで打ち上げでもやりましょうか」
大賛成とばかりに首肯してから、喜色満面に開口する。
「いいねー。いや、いいですねー。ぱーっとやりましょうよ、ぱーっと」
「ふふ、別に無理して丁寧語を使わなくていいのよ」
照れくさそうに頭を掻いてから、爽奈はまたも不満をぶうたれる。
「それにしても、侑治郎と紗弥菜の休みが一緒ってどういうことなんです」
侑治郎と紗弥菜は爽奈とともに、野瀬私立保育園に勤めている。得意の泳ぎを活かし、同保育園内にある野瀬スイミングクラブで週3日ほど教えている。園児や小学生のコーチも担当し、丁寧且つ優しい指導で高い人気を得ていた。
紗弥菜は、前述通り野瀬私立保育園で働きながら、小説を毎年投稿し続けている。が、未だに賞に恵まれず、作家としての道はまだまだ遠そうだった。
「どういうことってたまたまよ。あ、もしかして……」
加代子は含み笑いを喉で響かせ、爽奈をからかう。
「何ですか?」
怪訝に問う爽奈。
「何でもないわ。と、私は用事あるから失礼するわね」
「はあ」
「じゃ、午後からも頑張ってね」
そう言うと加代子は、そそくさとその場から立ち去ってしまった。
(最後のは何だったんだろ)
勿論、からかわれたことなど全く分からない爽奈であった。
「さあー、みんなちゃんと着替えたね! じゃ、砂場へ行ってよーし!」
園児達が元気な声を挙げて、砂場へ駆け出して行く。季節的には結構厳しいものがあるが、子どもは風の子元気の子と爽奈が勝手に提唱した為、長きに亘って続いている。しかし、流石に今週までと園長の加代子に釘を刺されているので、実質今日が今年の砂遊び納めになっていた。
伸びをしながら軒下から出ると、木枯らしが爽奈を見舞った。身震いを隠すようにまたひとつ伸びをして、雲は多いが晴れた空を見上げる。
季節柄、普段から底抜けに明るい爽奈でも感傷に浸る。
(おかーさん、元気でやってるかなぁ……)
と、雲間から太陽が現れるや、暖かな陽光が爽奈を包んだ。
それだけで母親が答えてくれたのだろう、と思った。
爽奈は空に向かって顎を引き寄せると、視線を正面に戻し、砂場へと元気よく駆け出して行った。
園児達に負けないような笑みを、閃かせながら。
終