11章-4…子どもよりも子どもな奴
5人揃って昼食を食べ終えて、のんびりと談笑していると、短い昼休みがあっと言う間に終了した。
「んじゃ、行こっか」
「ん、ああ」
爽奈に促され、侑治郎は急いで腰を上げた。先を行く爽奈の足が、思ったよりも早い。
「なあ、いい加減教えてくれよ。お前の所のクラスは、一体全体何をするんだ?」
「分かったよー。ヒントはあれ」
爽奈がその場にぴたっと止まり、やれやれといった表情で砂場を指差す。
侑治郎は即座に理解した。
「ああ、砂遊びか。でもさ、最近ある親御さんが、不潔だとか言って遊ばせないとか言ってたな。その辺は大丈夫なのか?」
「何が?」
爽奈の素っ頓狂な答えに、侑治郎は顔をしかめる。
「だから、衛生上には問題ないかってことだ」
楽しい気分に水を差された爽奈は、眼を吊り上げる。
「衛生上だぁ? 侑治郎、君は今の今まで何を勉強してきたの? 何を見てきたの? 砂遊びって言うのはね、ばっちいと思われ勝ちだけど、そのばっちさが子どもにとってある程度大事なんだよ! ……何だったかは忘れたけど、体の中にあるあれを刺激させないと、病弱っ子になるかもしれないんだよ。それに、物を作るということや泥だんごを使ったごっこ遊びもできるから、一石何鳥にもなる素晴らしいものなんだよ。私はその辺のことも考えて言ってるのに、理解できないってかこのやろー!」
最後の方は最早嚇怒せんばかりの語調だったが、実に的を射た説得力だった。
一気に言ったせいか、はあはあと火のような荒い息を吐く爽奈。
迫力に気圧された侑治郎は、この場は執り成すことが先決だ、と頭の中のそろばんを弾いた。
「そ、そうだな。免疫がないってのは後々困ることになるし、何よりごっこ遊びは、表現力や想像(創造)性を養うに良いとされてるし……あ、あと、男女問わず遊べる砂遊びは秀逸な遊びだな」
爽奈の顔から怒りが一瞬の内にして没却され、立ち所に満足気な表情となっていく。
「なーんだ、分かってんじゃん。そんなら最初から無駄口叩かなきゃ良かったのに。ほら、さっさと行くよ」
体をくるりと向け、さっさと歩く爽奈の後姿を見つつ、侑治郎は再び顔をしかめて首をひねる。
(俺は聞きたかったのは、園児達の替えのシャツやパンツを用意してたのかってことなんだけどな……。これ以上怒らせると厄介だし、用意してんだろうな)
無理矢理納得すると、すっかり教室に入ってしまったらしい爽奈の後を、急いで追った。
「と、言う訳で。これから砂遊びをしまーす! 目指せアンコールワットとタージ-マハル! 川は黄河並みが目標ね! 分かった人ー?」
鈍色で鉄製の小さなシャベルを、天を突かんばかりに上げ、弾けんばかりの笑顔で訊く爽奈。
「はーい!」
園児達が手を上げ、充満した生気を爆裂させるように返事を返した。男女ともに私服から体操着に着替えている。因みに、みんな白い半袖のシャツに紺のハーフパンツと言った出立ちである。それに、暑さ対策の為に水色の帽子を頭に被り、靴は履いておらず裸足であり、あとは遊ぶだけの状態だ。
(いやいや、4歳そこらの子どもがそんなもん知ってるわけないだろ……)
1人ツッコミを入れる侑治郎だが、細かいことを気にしていては詮方ないと頭を振った。
「それじゃあみんなー、元気に遊ぼうじゃないか! 砂場に突撃――っ!」
ここ野瀬私立保育園の砂場は極端に広く、まるで海水浴に来たような錯覚に陥るくらいである。
シャベルやプラスチック製の短いスコップを持って、思い思いに砂場を掘っていく園児達。
山を作る者、川を作る者、泥だんごを作る者、ただただ掘る者と、それぞれ何の計画性はもなく自由気ままにやっている。その中に爽奈が加わっているのは言うまでもないが。
やっぱり(爽奈も含めて)子どもだな、と思いつつ、侑治郎は山を作っている園児達に話しかける。
「あーっ、ゆうじろう先生! ちょうど良かったよ!」
因みにこの男子園児は、いつも侑治郎の急所を狙う狼藉者ではない。その園児は、少し離れた所で川作りに没頭している。
「ん、どうしたの?」
「なかなか山が出来ないんだよ。どうしたらいい!?」
視線をその山の方に向ける。なるほど、山のような泥の塊が、今にも崩れそうな状況である。
侑治郎は、しゃがんで園児と目線を合わせる。
「乾いた土を振りかければいいんだよ。そんで、ぺちぺちと叩いてみて、ぐちゃって感触だったらもっとかければいい。で、ぱちって掌に乾いた砂だけがつくぐらいだったら、今度は少しずつ泥を塗って、乾いた砂をかけてを繰り返せばいいんだよ」
くだけた口調で説明し終える。園児達には難しい言葉はまだ早い。これぐらい砕けた口調の方が分かってくれるのだ。
「そっかあ! 分かった! ありがとう、ゆうじろう先生!」
「どう致しまして」
にこっと笑い、立ち上がる。その時、園児達の奇声と喚声と歓声の中に、場違いな声が聞こえてきた。
「誰か助けてー、せーんせーい!」
声のする方に、瞬時に噴き出た冷や汗を掻きながら行く。すると、そこには身の丈以上に穴を掘ってしまって、出られなくなった男子園児が居た。
「先生、助けて――っ!」
男子園児の眼から大粒の涙がこぼれ、鼻からは透明な鼻水が、鼻の下を伝って口に入っていた。
侑治郎はその場にひざまずき、
「おいおい、どうしてこんなことになったんだ……。とにかく、先生の腕に掴まって」
両腕を伸ばした。男子園児が掴まったことを確認すると、一気にぐいっと引っ張り上げた。
「せんせぇ……ありがとう……」
えぐえぐと泣き続ける男子園児に、侑治郎は頭を優しく撫でつつも、質問する。
「どう致しまして。それにしても、何で穴なんか掘ってたんだ?」
男子園児は、悲しそうに鼻をすする。
「地球の裏側に行きたかったの。そんで、ブラジル人と遊びたかった……」
侑治郎は諭すように言う。
「そうか。でもな、ブラジル人って言うのはお祭り好きなんだよ。お祭りの時に行くと喜ぶんだけど、それ以外はあんまり機嫌が良くないんだよ。だから、いきなり行ったりなんかしたら、怒られるだけさ。それに、1人で行っちゃ尚更だ」
「はぁい……」
この男子園児は、1人にしておくとまた同じ行為をしかねない。なので、ひとまず仲の良い園児達の輪に入れることにした。
園児の手を引いて歩いていると、背後から何かが飛来し、背中に当たった。
「何だ?」
首を回して背中を視認する。すると、一塊分の泥がべったりとくっ付いていた。こんなことをする奴は、1人しかいない。
泥が飛んできた方に向き直ると、まさにいたずらっ子の笑みを顔面に貼り付けた問題児が、やや離れた所に泥だんごを持って立っていた。
「こらっ、樹紀! 先生が見えない所で泥だんごを投げちゃ――」
べちゃっと言う泥だんごの着弾音とともに、侑治郎の白い額が黒く染まった。樹紀の隣の園児が思いっきり投げたら、たまたま当たってしまったのだ。
この樹紀と呼ばれた少年こそ、実習初日に侑治郎の股間に突きを入れたことにより、同じ歳の男子園児達からは、勇者として崇められている園児なのだ。
侑治郎は無言で泥を払う。そして、能面のような表情で樹紀達に近付いて行く。
「やばい、逃げるぞ!」
焦った樹紀が仲間の園児を伴って、逃亡しようとする。だが、樹紀の頭に泥だんごが飛来した。
「うっ……」
その場に事切れたかのように倒れる樹紀。
侑治郎はいささか仰天した。泥だんごが飛んできた方角に体を向ける。
そこには泥だんごをもてあそびながら、満開に咲き誇った花のような笑顔で、こちらを楽しそうに見ている爽奈が居た。
侑治郎も歯を見せて笑い返し、快哉を叫ぶ。
「お、爽奈ナイス! 樹紀の奴のことをちょっとこらしめなきゃならん、と思ってたところ――」
べちゃっ
「はあっ?」
視界が突然真っ暗になる。飛散する泥を浸入させまいと、反射的にまぶたを閉じたからいいものの侑治郎は、眉間辺りに命中したらしい泥を手で除けながら、暫時の経緯を回顧する。
爽奈を褒めた→爽奈が照れ隠しなのか何なのか不明ながらも、持っていた泥だんごを侑治郎に投げつける→見事的中。視界真っ暗、聞こえる歓喜の声(←今ここ)。
「あ~……」
回顧から帰ってきた侑治郎が、何度もこくこくと頷く。様々な爽奈に対する不満と一緒にふつふつと沸く怒りのせいで頭が熱い。袖で眼の周りを拭うと、眼をかっと見開いた。
「みんなー! これから泥合戦を始めるよー! 泥だんご作って、誰彼構わず投げちゃえばいいと思うよ! そんじゃ、よーい始め!」
まるで侑治郎の怒りの言葉が、噴出する頃合を見計らっていたかのように爽奈は、周りを扇動して自身の行いを一旦はうやむやにした。
園児達が一斉に足元の泥を丸めて、適当に投げつけ合う。勿論、相手が泣いたら、そこで攻撃中止という暗黙のルールもある。
「清義。お前は危ないから、先生から離れろ」
「う、うん」
侑治郎の手を離し清義は、友達の園児の居る方へと走っていく。
その様を横目で視界に入れつつ泥だんごを作り、
「これでも喰らえっ!」
爽奈に思いっきりぶん投げた。
それを上体を反らし、あたかも100人ぐらいのクローンがうじゃうじゃ出てくるシーンがある某映画のように、紙一重のところで爽奈は避けた。
「おわっと! ……こらー、侑治郎! そんなにマジになって投げちゃ怖いよ! もっと穏便に行かないと、園児達が怖がっちゃうよー」
半ば焦りながらも笑顔を崩さない爽奈。
対する侑治郎は顔を怒りで赤く染め、仁王のような表情で泥を両手で器用に丸める。
「問答無用! もう一丁喰らふぐっ!?」
「やーい、がら空きでやんの!」
いつの間にか復活した樹紀が、どの頃合で前方に回ったのかとにかく、侑治郎の急所を拳で突いた。
「おー、みっきーグッジョブ!」
「へへへー。そうな先生、俺ってすげーだろ!」
2人のやり取りを見て、ようやく侑治郎は悟った。
「お、お前等グルだったの……かっ……」
前方にゆっくりとした動作で崩れ落ちる侑治郎。そこで意識が事切れた。
「じゃ、みっきーにもご褒美をあげるよー」
言って、爽奈は泥だんごを投じる。
「げっ」
避けるすべもなく、額にまともに喰らった樹紀は、侑治郎と仲良く砂場に仰向けになって倒れた。
「はーっはっはっは、正義は勝つのだよ!」
おそらくはヒーローもののアニメの台詞を気持ちよく発しながら、爽奈の高らかな大笑が砂場一体に響き渡った。
紗弥菜がこの場に居れば、こう言っただろう。
「まさに外道ね……」
と。