11章-3…ガチンコ球技
紗弥菜の担当するクラスは体育館に向かった――と、侑治郎が伝えられたのは、空になった教室をうろうろしてた時だった。
早速体育館に行ってみると、ひと際身長が飛び抜けて高いジャージ姿の女子が、何やら子供達を集めて話していた。右腕にはサッカーボール大の柔らかめなボールを抱えており、どうやらボール遊びをするらしい。
(それにしても、よく静かに話を聞いてるなあ。どんな教え方をしたのやら)
子供達の目線はまっすぐに、話をしている紗弥菜に一点集中していた。騒いでいたり雑談している子供が居てもいいはずなのだが、誰1人として居なかった。ともすれば、最近の大学生より聞くと言う態度が成っている。
敬服の念を抱き唸っていると、紗弥菜が侑治郎の存在に初めて気づいた。
「……以上で説明は終わりです。質問がある人は居るかなー?」
普段からは想像できない猫をなでるような声で、園児達に質問した。
「ないでーす!」
「早くやろうよー! 時間がもったいないよ!」
園児達は早く遊びたくてうずうずしているようだ。
「はーい、分かったよ。でもね。その前にもう1人先生が来ているから、その先生と一緒に遊ぼうか」
「わあっ、だれだれー?」
どんな先生が来るのかと、辺りを見渡そうとする園児達だったが、紗弥菜が優しく制する。
「お楽しみが減っちゃうから、先生の方を向いていようね」
言うや、空いていた方の長い手が真上に伸びた。
これが合図だと確信した侑治郎は、素早く紗弥菜の隣に移動する。
園児達が、歓喜と驚きが混じった声を挙げる。
「わあー、ゆうじろう先生だー」
「大きいなー、まるでセイスモサウルスみたーい!」
「はーい、みんな静かに。お口にチャックだよ。知っている人が居るかもしれないけど、ゆうじろう先生です」
侑治郎に紗弥菜の手が差し向けられる。暗に自己紹介をしろ、ということらしい。
「今日は1時間だけみんなと遊ぶことになりました。楽しく遊ぼうね」
「ゆうじろう先生、よろしくね!」
「絶対、負けないからね!」
やる気に満ち溢れた園児達の言葉を聞いていたら、侑治郎にもやる気が漲ってきた。
「おーう、先生も負けないぞー! ……って、紗弥菜先生、何をするんですか?」
「見れば分かるでしょう。ドッチボールをするんですよ」
紗弥菜は表情こそ朗らかそのままに、やや棘のある語調で言った。
敏感に不愉快だと感じ取った侑治郎は、心中でしまった、と言いつつ「ああ~」と大きく頷いた。
「それじゃ、さっき決めたチームに別れてくださいねー。侑治郎先生は、左のコートに」
園児達がそれぞれのコートに散っていく。なお、内外野制度はなくてみんな内野である。
「分かりました。ところで紗弥菜先生、眼鏡はどうするんです?」
まだ遠慮がちに訊いてくる侑治郎に、真顔に戻った紗弥菜は、ふうっと息を小さく吐いた。
「いつまで他人行儀にしてんの、外さないわよ。まさか顔面を狙う子なんて居る訳ないし、居たとしたら……」
凄みのある笑みを満面に表す。
「……姐さん、怖いっす」
その笑みに侑治郎の背筋は、真夏であるのにも関わらず、気温が一桁で外にほっぽり出された時のように、にわかに寒くなった。
かくしてドッチボールが始まった。分身魔球や火の玉ボールやカーブなどの現実離れしたものではなく、ごく普通の地味なものである。しかも保育園児同士の試合であるから、力の度合も成人の男女には弱いものであり、ボールが飛んできたらそのまま捕ってしまいそうになる。そこで捕ってしまっては、園児達は面白くない。なので侑治郎と紗弥菜は、ある程度当たるようにしていた。わざとらしく当たるのもそれはそれでいいのだが、中には疑ってかかる聡い園児も居るから、あれこれ言われたら対応が面倒臭くなる。だから、それとなく意識されないようにしているのだ。
ドッチボールも5試合目を開始され、まさかこのままぶっ通しでやるのかと、侑治郎は壁掛け時計を眼張る。まさにその通りらしく、11時20分を過ぎようとしていた。
(もう、1時間経とうとしているのか……)
侑治郎は、常に運動しているから大丈夫だ。しかし、紗弥菜はどちらかと言うとインドア派であり、日頃あまり運動をしない。体力はとうに限界突破しているであろうに、流石に息は切らしているがまだまだ機敏に動いている。
(あいつ、午後からまともに動けんのかな……)
などと、考えにふけっていると、腹に柔らかいものが当たった。
「やりぃ! ゆうじろう先生を倒したぞ!」
「へ?」
向かいのコートで飛び跳ねて喜んでいる男子園児に、何が起きたのか分からなかい侑治郎。
紗弥菜が痺れを切らしたように教えてやる。
「侑治郎先生、当たったんですよ。早く外野に行かないと、今度は顔に当てちゃいますよ」
聞いていた園児達がどっと沸く。
「あ、ごめんごめん」
そんなに慌てていないが、侑治郎はノリに合わせることにした。慌てたように内野のコートを去り、外野のコートに入る。そんな滑稽な様子に園児達は、爆笑し続けた。
10分も経つと最後までしぶとく生き残った園児が、とうとう倒れて5試合目が終了した。
1人の女子園児が、とことこと紗弥菜の傍によってきた。
「ねえ、さやな先生」
「んー何かな? 羽瑠乃ちゃん」
「比呂柾くん達と話していたんだけど、さやな先生とゆうじろう先生の何だっけ……? あ、そうそう"ですまっち"が観たいなーって」
無垢な声が鼓膜に心地よく響く。だが、よくよく頭の中で巻き戻して再生してみると、羽瑠乃がとんでもないことを口走っていることに気づいた。
「ねえ、そうだよねー? 比呂柾くん」
振り向きながら訊ねる羽瑠乃に、比呂柾はこくっと首を振る。
「そうだね。どっちが倒れるかやってもらいたいな。みんなも見たいよねー? さやな先生とゆうじろう先生のドッチボール対決」
「私は観たいな! さやな先生がんばって!」
「まるでティラノサウルス対トリケラトプスの戦いみたいだね!」
たちまち園児達の「見たい、見たい」の声が幾重にも重なる。周りの奴には負けてられない、と各々の園児が幼児特有のきいきい声を、段々大きく発っしていくものだから、さながら合唱のような体相と化した。
ここまで対決を乞われては断りようもない。
侑治郎と紗弥菜は、目配せして仕方ないと言わんばかりに、頷き合ってコートに入った。
「よーし、勝負しようじゃないか! 紗弥菜……先生」
「望む所よ! 侑治郎……先生」
やるからにはお互い本気でやらねばなるまい。そんな思いが2人の腹を据えさせた。
ボールを持つのは紗弥菜。力の差なのかレディーファーストなのかは不明だが、おそらくたまたま持っていたからであろう。
紗弥菜が内野のギリギリのラインまで下がる。
その不可解な行動に侑治郎の頭上には疑問符が浮いたが、紗弥菜の投げようと姿勢を変えた始めたことで、すぐに掻き消された。
何と下手投げ――野球で言うアンダースロー――だったからだ。流麗さえ思わせるフォームが展開される。その見事な様は、暫時勝負ということ脳内から滅却されてもおかしくなかった。
やがてぴん、と伸びた右腕が、目前の敵の向こう脛を殴るように、左方に振り切られる。まさにその時、手の内にあったボールが、凄まじいまでの横回転を持って侑治郎を襲う。
空気を横殴りに切り裂き、滑るように曲る。スライダーとよく似た球筋に、侑治郎は目を剥いた。
ボールが懐に入ってきたので、とりあえずは鍛えられた胸板を盾にし、多少の勢いを殺す。それから敏活に両腕の肘を胸の前で折り曲げ、抱え込むようにして本格的に殺しにかかる。回転がなかなか治まらなく、取り逃がしそうになるが、何とか捕球に成功した。
「ふう……なかなか変わったもんを投げてくれるな」
「ふふふ、昔はソフトボールとバスケットボールをやってたからね。さて、侑治郎先生はどんな球を投げてくるのかしら」
挑発的な笑みを侑治郎に投げる。
(あんまり使いたくなかったが、あれを使うか。紗弥菜は手強そうだし、午後から外で遊ぶんだろうし……)
侑治郎はおもむろに、天井へ無造作にボールをぶん投げた。
「は……?」
紗弥菜は呆気に取られる。戦意のかけらもへったくれもない、と思ったからだ。
「ちょっと侑治郎先生、こんなボールじゃ勝負にならないわよっ!」
反射的に頭にきて、つい叫んだ。
極めて冷静に侑治郎は応じる。
「ほう。紗弥菜先生は、あの球を捕れると言われますか」
「捕れるわよっ……いえ、捕れますよっ!」
ふざけた球を投げたことを詫びる様子もない侑治郎に、紗弥菜は柳眉を逆立ててしまった。それでも園児達の存在を思い出したのか、慌てて口調を変えた。
「それじゃ、捕ってみて下さい。ちょうど今、上昇が終わりましたから」
侑治郎の言う通り、真上を見上げる。すると、上昇を終えたボールが、重力に従うように真っ逆さま落ちてくるではないか。
紗弥菜は落下点に入り、捕球体勢に入った。脇を締めて大きな胸を寄せ、両の掌を上に向ける。決してこんな格好をしたい訳ではない。ただ、正確に捕球する為には仕方のないことであった。
数十秒とも経たないうちに、紗弥菜の両の掌にボールが着弾する。そのまま胸元に抱き寄せれば捕球完了だった。しかしボールはちっ、と言う擦過音とともに、あらぬ方向へ逃げてしまった。
「えっ!?」
ボールの逃げた方へ跳ぶが、時既に遅し。無常にも床についてしまった。
勝負は決した。
「そんな……」
がっくりと肩を落とす紗弥菜。
侑治郎がぽん、と肩に手を置く。
「勝負は時の運。そんなに落ち込むなって」
「べ、別に落ち込んでないかないわよっ! 私はただ……眼鏡を直してただけよ!」
満面を真っ赤にして、眼鏡を触りながら下手な抗弁する紗弥菜に、侑治郎はぷっと吹き出してしまう。
火が出るほど恥ずかしくなった紗弥菜は、八つ当たり気味にボールを押し付ける。
「な、何、笑ってんのよ! あんたは早く片付けなさい!」
「はいはい」
笑みを浮かべながら、紗弥菜を軽くあしらう。次いで、踵を返すと羽瑠乃が立っていた。
「ん? どうしたのかな?」
羽瑠乃が無邪気に言い放つ。
「先生たち、恋人みたいだねー」
「んんっ!?」
思いがけない一言に、侑治郎は瞠目する。
「……って、比呂柾くんが言ってたよ」
そう言うと、羽瑠乃は女子園児達の輪に入っていった。
「はははは、最近の子どもってませてるよな」
侑治郎は大笑しつつ、紗弥菜の方を見やる。しかし、紗弥菜の姿はなかった。何処へ行ったのだろうと見渡す。
「あ、居た」
紗弥菜は、比呂柾の近くにいつの間にか移動していた。そして、今にもきいきい声で注意をしようとしていたのだった。