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11章……目下実習中

 定期考査が一応無事に終了し、息をつく暇もなく1ヶ月間の長期に亘る本実習に突入した。

 昨年も10月と2月に2週間ずつ行われたのだが、分散していることもあって最初の2週間は、見学実習(保育士としての1日の基本的な流れをつかむ為に、担当の保育士の補助を行うこと)と設定保育(粘土や折り紙などの製作、鬼ごっこやかくれんぼなどの遊びのみを行うこと)を中心に行った。残りの2週間はそれに部分実習(おやつの時間やお昼の時間などを部分的に行うこと)を加えて見学実習を廃し、来年の本実習に備えた。

 初日は形だけのオリエンテーション。本来であれば、実習担当の保育士が2日目以降の実習の流れを懇切丁寧に説明、質疑応答するのであろう。

 しかし、侑治郎を除く4人は説明を聞くだけに終わった。既に去年からボランティアに週に複数回も来ているから、園内のことを隅々まで熟知していたからだ。

 侑治郎は侑治郎で、1年弱のブランクと約3ヶ月ボランティアだけでは不安なのか、担当の保育士相手に質疑応答を繰り返していたが。

 翌日。実習2日目ともあって、早速5人は現場で働くことになった。最後の1週間を除き、いくらボランティアを何度もこなしている者であっても、保育士が補助に当たってくれた。最初の週は3人、次週からは2人、3週目と最終週は1人と、1人ずつ減らしていく方針である。

 ブランク長かったとのことから侑治郎は、当分の間は4歳児クラスを担当することになっていた。因みに、他の4人は日替わりで4歳児クラス以外を担当した。

「ねーねー、ゆうじろーせんせー。なんでせんせーのエプロンは、キリンさんがいるの?」

 男子園児達の執拗な猛攻を軽々と受け流していると、腰下から無邪気且つ可愛い声で女子園児に質問された。 

「お、よく訊いてくれたね。これは……」

「タマつぶしナックル――っ!」

 1人の園児が小さな手を握って作った拳を、よりにもよって男の泣き所に突き入れた。

 

 実習に入る数日前のある日のこと。真優の部屋にいつもの4人が集まっていた。

 保育園に実習となればエプロンが必要である。そこで裁縫の一番得意な真優が、昨年に引き続き一手に引き受けて、みなの分を作製していた。

「俺のエプロンってこの麒麟……?」

 最初に受け取った侑治郎の眼が点になっていた。

 黄色い生地の真ん中に、少し大きめの白布が縫い付けられてあり、そこにでかでかと"ゆうじろう"と黒字で書かれていた。その名札を取り囲むように、アニメ風の可愛い麒麟のアップリケが複数貼られていた。

「だって侑さん、背が高いんだもん。イメージがそれしか思いつかなくって」

 真優は、口では申し訳なさそうに言ってるものの、楽しそうな声音だった。

 この確信犯的な犯行に、侑治郎は頼んだ手前もあってか、文句1つ言わずに黙したままエプロンを両手に持って、じいっと見続けるしかなかった。

「はい、これはなるちゃんの」

 成佳にエプロンを渡す。そのエプロンは茶色い生地の真ん中に、侑治郎と同じく少し大きめの白布が縫い付けられ、大きな字で"なるか"と黒字で書かれてあった。名札を囲むようにして、これまたアニメ風の可愛いカンガルーのアップリケが複数貼られてあった。

 成佳は嬉しさのあまりに真優を抱擁する。

「わぁ~可愛いわねぇ。真優ちゃん、ありがとう。わざわざ新調までしてもらって」

「ううん、丁度新しいのにしようと思ってたの。ほら、意外に傷んだり汚れたりしてる所があったしね」

 言い終わった所で真優は、抱擁から解放された。

 成佳は、気に入ったのかすっかりエプロンに熱視線を送っている。

「さやっちゃんはこれだよ」

 ねずみ色と白の水玉模様の生地にやはり中央には白布が縫われてあり、大きな黒字で"さやな"と記されてあった。名札を囲むように、アニメ風の可愛い子猫のアップリケが何枚も貼られてある。

「こ、これ……なの?」

 紗弥菜は驚きを隠せないでいる。

 真優は笑顔で頷く。

「うん。すっごく可愛いでしょ~?」

「いーなー。私も子猫にすれば良かったなー」

 順番待ちをしていた爽奈が、羨望の眼差しで紗弥菜が持っているエプロンを見ている。

「あ、そーちゃんはこれだよ」

 薄い水色を生地にしていて、ど真ん中に白布が縫い付けられある。それに大きく黒字で"そうな"と書かれてあり、かなり目立つ。名札の周りには、アニメ風の可愛いおこじょのアップリケが幾多も貼られている。

「わあ、まゆっちありがとうっ! イメージどおりだよ。滅茶苦茶可愛いし!」

 爽奈がエプロンを手に取ると、子供のように跳びはねて喜び始めた。

 欣喜雀躍をしている爽奈を微笑ましく見てると、ちょっと間固まっていた紗弥菜が、憂い混じりに再び口を開く。

「こんなに可愛いのを着て大丈夫かしら……」

 そんな紗弥菜を真優は優しく勇気付ける。

「大丈夫、大丈夫。かえって親しみやすいと思うし、園児達も喜ぶよ」

「……そうね。考えすぎよね」

 紗弥菜の顔に明るさが戻る。

「私や子供達から見たらさやっちゃんは、大人っぽ過ぎるんだよね。ある程度、幼さを残してもいいんじゃないかって思うし」

 すると紗弥奈は侑治郎を一瞥し、少し哀れに思いながら「でも」と言いかける。

「侑治郎のエプロンは、もう少し大人っぽくても良かったんじゃない? せめて麒麟の頭数を減らすとか」

 真優は笑顔を見せつつ首を横に数回振り、断言する。

「そんなことないよ。大人気間違いなしだよっ」

「だといいんだけどね……」

 どうにも爽奈ほどではないが、真優には子供っぽく少し融通の利かないことがある。特に、自分が作った物に対する愛着は強いものがあり、侑治郎を除く3人が呆れることもあるほどだ。

(まあ、人の心配より私自身の心配だけどね……)

 真優の作ったエプロンは可愛くて、生地もしっかりしているから丈夫で長持ちする。これはありがたいことなのだが、やっぱり紗弥菜には子猫満載のエプロンは恥ずかしかった。例え実習がいつもの4人と一緒だとしてもだ。それに、爽奈とのやりとり以外では比較的大人っぽく振舞っているつもりである。

 その場で瞑目し、腕組みをしていた紗弥菜の脳に閃光が奔った。

(もしかしてこれはきっと、園児に対してもっとフランクに行けって真優なりの意思表示を含んでいるのかしら? だとしたら、この子猫だらけというのも納得だわ)

 突如として両目をつむり、黙りこくった紗弥菜の目の前で手を振って起こそうとする真優。

「どうしたのさやっちゃん? 眠くなったんだったら、ベッドを使ってもいいよ」

 真優の声に反応し、ゆっくり両目を開けて微笑む。

「真優、このエプロンを作ってくれてありがとう。やっと分かったわ」

「ん? 何のことか分からないけど、気に入ってもらえたみたいだね」

「うんっ。今回は、もっと園児達と仲良く遊べるように頑張るわ」

 そう言い放つや、紗弥菜は成佳の方に向かっていった。

 その場に残された真優は、安堵の息を吐く。その息は10分前、思案の海に潜ってしまった侑治郎の存在を、忘れているかのようだった。


「いっ……」

 いくら幼児のパンチと言えども勢いをつけて、一点集中すればそりゃ痛い。あまりの激痛に、苦悶の表情でその場にうずくまる。

「はっはっはー、怪人・ハラスメンの恐ろしさを思い知ったか――っ!」

 男子園児が歓喜の声を挙げた。周りの男子園児達も真似して「思い知ったかー」と言いながら、飛び跳ね回っている。

 侑治郎は、初っ端から痛い洗礼を受けてしまった。

 その後も上手くいかないこともあった。しかし、それもそのはずである。丸1日ボランティアなど行ったなどない。しかもボランティアと言えど、園長の私用の手伝い(草むしりや買い物)と園児達と遊ぶのみで、細かな部分は一切取り除かれていた。

だから、失敗しないはずがないのである。他の4人も例外ではなく、その都度担当の保育士を呼ぶ声が、それぞれの教室から半ば悲鳴のように発せられた。

 それでも、去年行った実習での設定保育と部分実習を思い出して、実践にしていった。とにかく最初の1週間は、自分が慣れることで精一杯であり、試行錯誤のみで園児達と触れ合うと言うよりも、触れ合ってもらうと言ったほうが過言ではないだろう。

 因みに今回は本実習なので、全日程の基本が1日保育(園児の登園から帰りまでを行うこと。ただし、ここでは8時~17時を指す)であり、部分実習等の折よりも忙しさが何倍も増えた。5人に充足感はあるが、やはり精神的・肉体的疲労のほうが上回り勝ちだった。

 2週目に入ると補助は2人に減った。週の初めこそまだまだ試行錯誤の手探り状態が、依然として続いていた。だが、感覚をつかみつつある者も居たし、週の後半には割りと不器用な爽奈と未だにブランクが響いている侑治郎を除いた3人が、自分なりのペースを会得したいった。

 3週目に入った。補助は1人になり、助けもだんだん要らなくなってきた。爽奈も慣れ、最後に侑治郎も慣れて、ようやく園児達との触れ合いを持ちつつあった。保育園の業務にも余力を残せるようにもなって、それほど心配もなく全力で園児達と遊べるまでに成長した。

 そして、いよいよ最終週に突入した。補助は変わらず1人付く。しかしその補助の保育士が、

「ねえ、円城寺くん。今日は他の子達のクラスの補助をやってみない?」

 と、こんなことを提案してみたのである。

「えっ? でも、大丈夫なんでしょうか? 万が一のことが起こったら……」

「大丈夫よ。私も補助の1人として見まわっているから。何かあったら、廊下に出て大声で叫んでくれれば、すぐに飛んでいくわよ」

 両腕を翼に見立てて、中年の恰幅のよくなった体を揺らせて見せる。

 侑治郎は吹きそうになったが、それは失礼だと意識の底に追いやりながら、苦笑を面に表す。

「分かりました。何ごとも経験ですからね。引き受けます。ところで仕事内容は、どのようになるのでしょうか?」

「そうねえ……午前8時に成佳ちゃんの担当の0歳児クラス。午前9時10分に真優ちゃんの担当の2歳児クラス。午前10時20分に紗弥菜ちゃん担当の5歳児クラス。午後からはずっと爽奈ちゃんについてもらってもいいかしら? なんせ、4歳児クラスは」

 思わず股間を押さえそうになったが、それを防いでやや暗い口調で割り込んだ。

「元気一杯ですからね……」

「ああ、円城寺くんは何度もやられたんだっけ。ほんっと、男の子って不憫よねぇ。決定的な弱点が外にあるんですもの。くれぐれも気をつけてね」

「まあ、対策は完成してますから、不意打ちさえ喰らわなければ大丈夫そうですけどね」

 あれから幾度ともなく急所にクリーンヒットを喰らわせられてきた。侑治郎とて馬鹿ではない。流石にオウム返しはできないが、やられっ放しでは本当に使い物にならなくなってしまう可能性もある。そこで攻撃パターンを頭に入れたり、園児達が観ているであろう、早朝に放映している特撮物を観て、台詞や変身シーンを覚えて抵抗した。もともと特撮物は、6章で講演していた元同級生で親友の納富晋之介と成富果穂がどん引きするほどの知識を持っているから苦ではなかった。無論、男子園児ばかり相手をしている訳ではない。

 女子園児達には、その1時間後のアニメを物真似していた。因みに、少女漫画雑誌に掲載されている人気漫画である。内容は最近流行りの"魔法もの"で、主人公が敵にとどめをさす時に言う「ミラクルレジェンド、ファイヤーアースクラッシュ!」や「♪あっ、びっ、地獄にぃ~(10秒ほど効果音や音楽や動きが止まる)落ちちゃえ☆♪」と、微妙に年齢層を絞りにくいことになっている。それらを侑治郎は、園児の為にと覚えて実践する様は尊敬に値する。だが、保育園関係以外の仕事に就いている人から見れば、キチガイの類にしか見えないと思われた。

「そうなの。それよりも、もうちょっとで8時になるわよ。そろそろ行ったほうがいいんじゃない?」

 腕時計を見ながら保育士が言った。

「あ、そうですね。じゃ、そろそろ……」

 侑治郎は、ひとまず成佳が担当している0歳児クラスへと向かった。


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