花の跡
竹垣の先から石塔が覗いている。わたくしが門をくぐって浄閑寺の境内へと足を踏み入れると、掃除していた住職が顔を上げた。
「お邪魔します」
「こんにちは。……またいらっしゃったんですねぇ。荷風先生もよくよく飽きない」
「供養ですからね。飽きるも飽きないもありませんよ」
住職が呆れた様子で、坊主頭にぺちりと手を寄せた。わたくしは軽く会釈をすると、無縁仏の祀られた区画へと足を運ぶ。
境内の木々がざわざわと鳴った。風が強いのであろう。この分では掃除もままなるまい。
墓前に花を供え、ろうそくと線香に火をつけて手を合わせる。いくつもの骨壷が並んでいるのが目についた。彼女たちは鬼籍に入って尚、格子の向こうに囚われている。
浄閑寺では、吉原で亡くなった娼妓たちが無縁仏として供養されている。病で亡くなった者、あるいは刃傷沙汰で亡くなった者……歳も故郷も事情もさまざまの娼妓たちである。
線香の煙がふっと立ち上り、風に揺らいだのちに消えた。
先般、わたくしは花柳小説を上梓した。元より道楽好きであるが、薄れゆく江戸文化の影を記さねば、今に跡形もなく時代の波に飲まれてしまうのではないかとの危惧による。
彼女たちには生前、大いに世話になった。身を削って芸を見せるという点に於いて、作家も娼妓も大差なかろう。
わたくしは、煙の向こうで揺らめくチントンシャンという音に耳をそばだてながら、目を閉じた。
好き好んで苦界に沈む者はおらぬ。にも関わらず芸を磨いた彼女たちを讃えずしてなんとしよう。
墓参を終えて立ち上がると、ステッキの先が砂利にぶつかって音をたてた。わたくしの耳の奥に残っていた三味線の音は、あっという間にかき消えてしまった。
境内の脇に、枯れた花がまとめてある。前回わたくしが墓前に供えた花である。
世の人々は廓には行くが、弔いなどはせぬ。彼女たちを弔うのは、謡や舞を楽しんだ者の礼節のごとく思えてならない。花の一つも供えればよいものを。
芸を見せた果てに思い至り、背筋に冷たいものが落ちていく。作家も娼妓も大差ない。自身の行く末を重ねているのに相違なかった。
ため息とともに、頬に薄く笑みを刻む。住職に「また来ます」と声をかけ、門をくぐった。
線香の香りが鼻先をかすめ、宙に消えた。
【参考資料】
浄閑寺/ Wikipedia「永井荷風」「浄閑寺」 / 永井荷風の遺書
森乃響喜「幻影の吉原 ー永井荷風「里の今昔」と浄閑寺訪問ー」




