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『第4話:天野先生の最後の授業─正義を決める一つの答え』

夕日に染まる教室で始まったのは、単なる授業ではない。

立場を入れ替え、相手の痛みを身体で知ったとき、憲法と法律が示す「本当の正義」が見えてくる。

これは、感情と原理が交差する場所で、私たちが選択を迫られる物語だ。

## プロローグ:最後の授業



数日後、放課後の教室。


生徒たちの活動は少しずつ広がり始めていたが、この日、天野先生は四人を呼び寄せた。


「みんな、よく頑張ってるね」


先生は、いつものように穏やかな笑みを浮かべている。


「遥を助けるために動き出して、他の生徒たちも声をあげ始めた。素晴らしいことだ」


「でも……」


葵が不安そうに聞く。


「これで本当に、変わるんでしょうか? 私たち、正しいことをしてるんでしょうか?」


天野先生は、ゆっくりと黒板に向かった。


チョークを手に取り、一言だけ書く。


「日本国憲法」


「今日は、最後の授業をしよう」


先生は振り返る。


「この三日間、君たちはいろんな『正義』があることを学んだ。葵の正義感、怜の冷静な分析、遥の当事者としての痛み、健太の迷い──そのどれもが、間違いではなかった」


「でも、実は日本という国には、みんなが守るべき『たった一つの正義』がすでに書かれているんだ」


-----



## 第一章:憲法という名の約束



「先生、それって……」


怜が聞く。


「つまり、正解があるってことですか?」


「そうだ。少なくとも、日本という国においては」


天野先生は黒板に書き続ける。


「憲法前文」


「憲法の最初に、こう書かれている」


先生の声が、静かに教室に響く。


「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」


「わかるかい? 国は、国民から『信託』を受けた存在なんだ。そして、その目的は──」


先生は黒板の一部を丸で囲む。


「国民の福利」


「国民全員の幸せのために、国は存在する。これが、日本という国が自分で決めた約束だ」


葵が手を挙げる。


「でも先生、それって当たり前のことじゃないですか?」


「当たり前だと思うかい?」


先生は微笑む。


「じゃあ、A社を優遇して、B/C/D/Eさんたちを『生きることすら難しい』状態に追い込む政策は、『国民全員の福利』になっているかな?」


教室が静まり返る。


「……なってない」


遥が小さく呟く。


「そうだ。つまり、あの政策は──」


先生は黒板に大きく書く。


「憲法違反」


-----


## 第二章:生存権という盾


「先生……」


健太が戸惑いながら聞く。


「でも、国も大変なんじゃないですか? 全員を助けるなんて、無理なんじゃ……」


「いい質問だ、健太」


天野先生は別の条文を書く。


「憲法第13条」


「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」


「『最大の尊重』だよ。これは『できる範囲で』じゃない。『最大限』なんだ」


そして、先生はもう一つの条文を加える。


「憲法第25条」


「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」


遥が、その文字をじっと見つめている。


「これが……」


遥の声が震える。


「私の、権利……?」


「そうだ、遥」


天野先生は静かに答える。


「君が『生きることすら難しい』状態にあるなら、それは君の責任じゃない。国が、この憲法を守っていないからだ」


先生は一度、深呼吸をする。


「憲法というのは、国民が国に対して命じる『命令書』なんだ。『私たちを守れ』『私たちの生活を保障しろ』と」


「だから、遥。君が声をあげることは、わがままじゃない。それは、憲法が保障する権利なんだ」


-----



## 第三章:人間らしく働く権利



「先生、でも……」


怜が口を開く。


「企業はどうなんですか? A社のCEOも、会社を守るために必死だったじゃないですか」


「そうだね。企業も存続しなければならない。でも──」


天野先生は新しい言葉を書く。


「労働基準法第1条」


「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。


この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない」


葵が立ち上がる。


「『人たるに値する生活』……」


「そうだ。会社は、社員が人間らしく生きられるようにする義務がある。それが法律で定められた『最低限』なんだ」


先生は黒板を指す。


「最低でこれなのだから」


その言葉が、教室に静かに響く。


「会社を守ることが第一目的であってはならない。社員が人間らしく生きられること──それが優先されなければならない」


「でも、A社は600兆円もの内部留保を抱えながら、『リスク管理』を理由に社員に還元しなかった」


健太が呟く。


「それって……」


「そうだ。労働基準法違反だ」


-----



## 第四章:時代に合わない法律



「先生、でも……」


怜が冷静に分析する。


「法律があっても、守られてないってことですよね。じゃあ、法律に意味があるんですか?」


「鋭い指摘だ」


天野先生は頷く。


「法律があっても、それを守らせる仕組みがなければ意味がない。そして、時代に合わない法律もある」


先生は黒板に書く。


「36協定」


「これは、労働基準法第36条に基づく制度で、時間外労働や休日労働を可能にするものだ」


「この制度が活用されたのは、高度経済成長期──1960年代から70年代。『働けば働くほど豊かになる』時代だった」


「でも、今は違う」


先生は窓の外を見る。


「企業の内部留保は637兆円を超え、13年連続で過去最高を更新している 。経済は成長しているのに、労働者の賃金は上がらず、長時間労働は常態化している」


「36協定は、もはや時代に合っていない。それを改正しないのは──」


先生は黒板に大きく書く。


「立法の怠慢」


「国会の仕事は、法律を作ることだ。でも、時代に合わせて法律を変えることも、同じくらい重要な仕事なんだ」


-----



## 第五章:日本の正義は、決まっている



葵が聞く。


「先生、つまり……私たちが『おかしい』と思ったことは、本当におかしかったってことですか?」


「そうだ」


天野先生は静かに答える。


「君たちの感覚は正しかった。なぜなら──」


先生は黒板に書かれた言葉を指す。


憲法前文

憲法第13条

憲法第25条

労働基準法第1条


「これらすべてが、君たちの感覚を裏付けているからだ」


先生は一度、教室を見渡す。


「この三日間、君たちはいろんな『正義』があることを学んだ。それは事実だ」


「でも、日本という国においては、守るべき正義の形はすでに決まっている」


先生の声に、静かな力がこもる。


「それが、憲法であり、法律だ」


「そして、現状は──」


先生は黒板に書く。


「憲法と法律に反している」


「つまり、現状は間違っている。これは私の『意見』じゃない。憲法と法律という『事実』に基づく結論なんだ」


-----



## 第六章:私たちの武器



「でも先生……」


健太が不安そうに聞く。


「憲法や法律があっても、現実は変わってないじゃないですか。じゃあ、意味ないんじゃ……」


「健太、違うんだ」


天野先生は微笑む。


「法律があるということは、私たちには『武器』があるということだ」


先生は黒板に書く。


「三つの武器」


1. 声をあげる正当性


「『こんな働き方はおかしい』『こんな政策はおかしい』と声をあげることは、わがままじゃない。それは、憲法と法律が保障する権利なんだ」


2. 投票という権利


「憲法を守らない政治家、法律を軽視する政治家を、私たちは選挙で落とすことができる。逆に、憲法と法律を守る政治家を、選挙で支持することができる」


3. 連帯という力


「一人では弱くても、集まれば強くなれる。そして、憲法第21条は、私たちに結社の自由──つまり、連帯する権利を保障している」


先生は三人を見つめる。


「声をあげることは、誰かを攻撃することじゃない。それは、自分と他人を同時に守る行為なんだ」


-----



## 終章:未来への約束



授業が終わり、夕日が教室を染める。


葵が先生に聞く。


「先生……私たちは、これからどうすればいいんですか?」


「それは、君たち自身が決めることだ」


天野先生は静かに答える。


「ただ、一つだけ覚えておいてほしい」


先生は黒板の一番上に、大きく書く。


「憲法前文の最後の言葉」


「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」


「この『崇高な理想と目的』とは、すべての国民の福利だ」


「私たちは、それを達成する責任がある。それは、私たち自身が誓ったことなんだ」


先生は四人を見つめる。


「君たちが今日学んだことは、『正解』じゃない。それは『約束』なんだ」


「日本という国が、国民に対してした約束。そして、国民が、お互いに対してした約束」


「その約束を守るかどうか──それが、これから君たちに問われることだ」


窓の外では、夕日が沈みかけている。


でも、教室には静かな希望が満ちていた。


─── 第4話 完 ───


-----


## エピローグ:読者であるあなたへ


物語は、ここで終わる。


でも、約束は続く。


天野先生が語ったことは、物語の中だけの話ではない。


それは、現実のあなたが生きている、この日本の話だ。


憲法と法律は、あなたの味方だ。


あなたが「おかしい」と感じたその感覚は、正しい。


なぜなら、憲法と法律が、あなたの感覚を裏付けているから。


さあ、あなたはどうする?


沈黙するか。


声をあげるか。


約束を守るか。


約束を破られたまま、黙っているか。


選ぶのは、あなただ。


そして、あなたの選択が、未来を作る。


未来は、諦めない人たちの手の中にある。


─── 四部作 完結 ───

第4話「天野先生の最後の授業」を読んでくださり、ありがとうございます。最後の章では、物語を通して提示してきた多様な「正義」の声を憲法と法律という公的な基準に照らし合わせ、現実の齟齬を問い直すことを試みました。教室という小さな舞台で交わされた問いは、国家と市民の約束にまで視点を広げるための導火線です。


主題のまとめ


• 本作は「多様な正義は存在するが、国として守るべき正義は憲法と法律にある」と主張しているわけではなく、むしろ「憲法・法律が示す基準があるにもかかわらず、それが実効化されていない現実」を問題にしています。

• 憲法前文・第13条・第25条、労働基準法第1条は、作品内で登場人物たちの直感を裏付ける根拠として配置しました。物語の力点は「原理」と「運用」の乖離を可視化することにあります。



創作上の工夫と意図


• 教室の対話形式にした理由は、読者が複数の立場を短時間で体験できることにあります。立場を入れ替える演出は、感情的共感と理性的理解を同時に引き出すための装置です。

• 天野先生の語りは「法の文字」と「市民の感覚」をつなぐ媒介として配置しました。講義調の語りが説教にならないよう、登場人物の具体的な痛みに常に戻る構図を保っています。

• 最後に「約束」という語を用いたのは、憲法・法律を個人間の合意や市民的責務として再読してほしかったからです。

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最後に(感謝)


執筆にあたり、登場人物たちは私の仮説と問いを映す鏡でした。読んでくださったあなたがその鏡にどんな顔を映すかで、この物語の意味は変わります。

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