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5 Freeze

―― 3 ――


 雑居ビルの連なる通りで騒ぎが起きる数時間前。


 (ひと)気のない路地裏をこけつまろびつしながら走ってゆく男がいた。まだ青年と呼べそうな年代で肉付きは薄く、ぎょろりとした目と至るところに付けたピアスが特徴的だ。服は返り血らしきもので染まり、顔にも拭った跡があった。男は、たまに通る車の音にはっとして身を隠し、街頭監視カメラを避けるように路地から路地へと伝っていく。


 行先に当てがあるわけではない。だが警察や病院へ飛び込むわけにもいかなかった。男に仕事を与えていた者へ連絡しようにも、特殊回線専用の通信機は間抜けな相方が壊してしまった。どうせまともな仕事ではない。ヤバくなったらとっとと逃げ出して、ほとぼりが冷めたらまた似たようなところへ潜り込めばいい。とにかくここから離れるのが先決だった。


 相方は、廃ビルの地下で血溜まりに沈んでいるはずだ。


 つい先ほどだった。二人で見張り部屋に詰めていると、相方は前触れなく椅子から転げ落ちた。騒々しさに怒鳴りつけようと思ったが、ただごとではない様子に逆に引いた。


『おい、何やってんだ!? 面倒をかけるなよ、チップ』

『うう……痛え、苦しい。苦しいよう。ガス、助けてくれよう』


 チップは奇妙に体を引きつらせながら、床をのたうち回った。


『おいマジかよ、しっかりしろ』

『や、やっぱりアレがまずかったんだよ。あの注射……パ、パチもんだあ……』

『は!? う、うるせえ、俺はなんともねえぞ! お前に合わなかっただけだろ。とにかく寝床に行ってじっとしてろ!』


 だがチップは苦痛のあまりまともな意識を保てなくなっていた。もはや喋ることもできず、喚き暴れるばかりだった。椅子を蹴倒し、デスクの上の一切を払い、手当たり次第にものを掴んでは投げつける。定時報告用の通信機まで壁にぶち当ててしまった。


『何やってやがる!!』


 慌てて羽交い締めにしようとした瞬間、チップは口から大量の鮮血を噴き出した。驚くガスを向いてまた噴射すると、そのまま膝をついて倒れ込んだ。いつの間にかシャツの端を掴まれていたので引き剥がす。


 あの注射は、本来は二人が監視している連中向けのものだった。ここで待機している間に弱ってきた者がいたら、薬の代わりに投与するよう指示されていた。いや、ある意味それも薬だ。自己治癒力を上げるナノボットが配合された溶液なのだから。しかも正規品より数倍効くという話だった。


 初めは順当に、風邪を引いた奴に投与した。それから持病を隠していた奴。大部屋から逃げ出そうとしてガスに撃たれ、銃創で熱を出した奴。何にでも効くなと思っていたら、傷までさっさと塞がったのにはガスもチップも驚いた。そうなると次に考えるのは手抜きだ。倒れてから面倒を見るよりは、最初から倒れないようにしといた方が早い。それで、全員にナノボットを投与した。昨夜のことだ。


 ついでに二人もご相伴(・・・)にあずかった。見張り役は連中以上に健康じゃなきゃいけねえよな、などとへらへら笑いながら。病気も怪我もしない頑丈な体が手に入るなら、そう舐められることもないしもっと箔が付く仕事もやれる。チップなどは、いっそ足を洗って田舎でやり直して、頼れるあんちゃん扱いされたいなどと夢みたいなことを言っていた。


 だが夢は叶わず、すぐさまツケを払う羽目になった。


 ガスは通信機を拾ったものの、完璧に壊れていたのでまた放り投げた。そのとき大部屋の方から叫び声が聞こえ、慌ててデスクの前に並べたモニターを覗き込む。


『うへ、やべえ……』


 モニターには、大部屋に詰め込まれた連中――連邦の目が届きにくい辺境の星系で狩り集めた貧乏人や世間知らずたち――が、チップと同じように苦しがっていた。それだけではない。何人かは肩や頭が異常なほど盛り上がり、皮膚が裂けて血を飛び散らせながら倍ほどの体格に巨大化したのだ。彼らはその変化に耐えかねるように咆哮を上げ、他の者や壁にぶつかるのも構わず暴れ始めた。


『ば、化け物になりやがった!?』


 モニター越しでなくても、連中の暴れる音や振動がここまで伝わってくる。モニターの中では、頑丈なはずの大部屋のドアが凹み始めた。

 ガスはすぐさま決断した。目を見開いたまま動かないチップを見捨て、一目散に地上へと駆け上がったのだった。


「悪く思うなよ、チップ!」


 ひょっとしたらまだ息があったかもしれない。だが担いで逃げたらこっちまで命がけになる。たまたま初めて組まされた相手に、そこまでの義理はない。ヤバくなったらさっさとずらかるのが生き延びるコツだとガスは信じていた。


 逃げながら、自分もいつ血を噴き出すかと気が気ではなかった。あんなパチもんの不良品が自分の体内を巡っているかと思うとぞっとするが、排出する方法もわからない。


 ガスは、いつの間にかさびれた倉庫街へと入り込んでいた。目の届く範囲に人影がないことを確認し、ようやく立ち止まる。途端に、強烈な目眩に襲われてガスはひざまずいた。全身が内側に引っ張られるような痛みに包まれる。へそ下あたりにいる何かが、体の中身をすべて吸い込もうとしているかのようだ。と同時に大きな気泡がせり上がってきて胸や肩や頭のてっぺんが突き破られそうな感覚に苛まれる。


「あ、頭が……はち切れる……」


 ガスは脂汗を浮かせながらうずくまった。


 おい、と誰かが呼んだ。目の前に白い光線が突き刺さり、思わず首をすくめる。顔を上げると、数メートル先に声の主が立っていた。


「なんだ……てめえ……」


 そこには、青紫の長髪を後ろで一つにまとめ、暗色のロングコートをまとった細身の人物がいた。目元を一文字に覆うゴーグルがやたらと威圧的な印象だ。右腕に装着したレイガンの銃口が油断なく狙いをつけている。


「おい。お前の中にいるそいつ――どこで手に入れた?」


 そいつが口を開いた。低音寄りだが女の声質だ。


「は?」

「ナノボットだよ。と言っても、まがい物だがな」

「くそ、やっぱりか……」

「誰から仕入れた?」


 女の詰問に、ガスは答えるどころではなかった。身の内を引きちぎられるような痛みに、うめくのがやっとだった。


「言え!」

「う……うるせえ……」


 どのみちあのナノボットの出どころなど知らない。いつも呼び出されてヤミの仕事をやってるが、どんな組織の仕事なのかはおろか、手配師も現場の上役もみな偽名に違いなかった。現場で支給される物に関心を持つなどもっての外だ。


「口を利けるうちに言った方がいいぞ」


 女は冷たく言った。


「そのナノボットはな、お前を喰う(・・)ぞ」

「……は?」


 ガスの思考はそこまでだった。意識が真っ赤に塗りつぶされ、五感が弾け飛ぶ。彼は、女の目の前で断末魔に等しい咆哮を上げながら体を膨れ上がらせた。ゆらゆらと立ち上がり、女を見据える。


「チッ、手遅れか」


 女は半歩だけ下がり右腕を構えた。銃口から目映い白光が放たれると、ガスだったものが一瞬で凍りつく。冷凍光線銃(フリージングガン)だ。


 女が少しばかり近づいて膝のあたりを蹴ると、氷像はバランスを崩して倒れ込んだ。突き出していた腕があっさりと折れ、指先が何本か欠片となって転がる。


 その様子を、女は口元を不快げに引き歪めて眺めた。程なくして、凍っているはずの不運な宿主(ホスト)の全身から蒸気が上がり始めた。漂う異臭に、女が黒革の手袋をはめた手で鼻と口を覆う。反応が激しくなるに連れ宿主(ホスト)の体は溶け縮み、ひと塊の赤い石へと凝固した。


「……また情報なしか」


 石を無造作に拾い上げ、女は呟いた。


「まあいい。こいつを集めるほど――奴に近づける」


 懐へ石を収めた女は、素早く周囲を警戒すると倉庫街の一角を選んで建物の隙間へ滑り込んだ。しばし後、装備をコートの内側へ隠した彼女は離れた路地へ出て、適当な通りの人波へ紛れていくことだろう。


* * *


「ビアンカ、ちょっと待った!」


 閑散とした倉庫街を横目に走り過ぎようとしたスクーターに、エアバイクを低速低高度に落として左右を確認していたルゥが止めた。

 ビアンカがスクーターの中から振り返ると、ルゥはエアバイクを停め、地上に片足を付けて辺りを見回していた。


「見つけた?」

「……なんか臭い」


 ビアンカも側面の窓を開け、顔を出す。言われてみれば確かに、宿主(ホスト)が溶けたときと同じプロテイン臭がする。ルゥが、漂ってくる方向を指した。


「こっちだ」


 二人は再び車を動かし、似たような建物が並ぶ区画へ進んでいった。都市の中心部を離れると監視カメラは格段に減る。この星の惑星管理システムが衛星も導入していれば上空からも調査できたのだが、そこまでの予算がなかったらしい。

 ルゥが、一つの脇道を覗いた途端にエアバイクを急進させた。道端に、ぼろぼろの服の切れ端や靴の残骸が転がっている。服は半分血染めだった。見回すと、アスファルトの地面に濡れた跡があった。先ほどよりはっきりした臭いからも、今しがた宿主(ホスト)が溶け去ったであろうことは確実だった。


「ちっくしょう!」


 ルゥが地団駄を踏む。彼女は、監禁されていた被害者たちを見捨てて逃げたらしい見張りの男を絶対に許さないと息巻いていたが、その男もまた被害者の一人になってしまったようだ。


「ちょっと、暴れないで」


 ビアンカは、地面を調べた。男に同じ事象が起きたのなら、赤い石が残っているかも知れない。

 だが、見つからなかった。

 少し考えて、腰のポーチから触媒溶剤を取り出した。容器の頭にスプレーノズルを取り付けると、辺りに数度噴霧する。そのうえでロッドから火花を走らせると、場にあるエーテルに反応が伝播していく。

 これは、空間に漂うエーテルと、人間の体内に取り込まれ生体エネルギーと一体化したエーテル――「オーラ」とも呼ばれる――を区別する触媒で、ここに直前まで人がいたならばオーラの残滓が浮かび上がるはずだった。


「……」


 〝目〟を使うと、ぼんやりと物体の輪郭が浮かび上がり、移動していたさまを感じ取れた。ただしエーテルが見えないルゥには、一帯の空間が陽炎のようにかすかに揺らめいているように感じるだけだったが。


「どうよ? なんか見えた?」

「……一人ここへ入り込んできて、もう一人そこへ立った」


 オーラの色合いがやや違うので区別はつく。地面に跡がある箇所で始めの一人のオーラは立ち消え――おそらくそこで死んだ――もう一人は近寄り、別の方角へ去っていった。


「つまり、追手が来て、見張りを殺して逃げたってこと?」

「たぶん……」


 ビアンカは、引っ掛かりを感じながらもうなずいた。人身売買組織の殺し屋が見張りを始末しに来たと考えるにしては、来るのが早すぎる気もする。それに、赤い石も回収していったとするなら、そこにはどんな意味があるのだろうか。


 あの石は暴走事件の重要な手がかりになる。これは直感だ。


「行きましょう。 追手はあっちへ逃げていったわ」


 彼女は立ち上がると、ルゥを促した。

2025/7/12 修正

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