4 生存者
ゴーグルの視界の端で、ヴィオレットが照合結果を表示している。
〈外見的特徴からライカン族と見られます〉
「狼人? えーと、セリオン星系の獣人だったか。随分でかいな」
銀河連邦各星各国の人々の多種多様さはルゥも一応頭に入ってはいるが、セリオン星系の人間に会うのは初めてだ。
巨人たちほどではないが、それでも二メートルはゆうに越えている。インカムからヴィオレットが回答する。
〈標準の成人男性より一・四倍の体積と推定、スタンピード発症の可能性大〉
「なるほど」
つまり宿主だ。
予告なしで撃つ。相手は当たった瞬間わずかに後ろに下がったが、案の定ワクチンの効果はなかった。
「グゥルルゥ……!」
ライカン族の男は低く唸ると一歩下がり、すかさずルゥに飛びかかった。さっとかわして後ろから一発撃つ。もちろん相手は振り返る。
「来い!」
銃をホルスターに収め、グローブの手首を交互に軽く締める。ビアンカの準備ができるまで、そちらに気を惹かせるわけにはいかない。
今度は殴りかかってくるライカンの拳を払い流し、がら空きの腹にフックを入れる。
「ガッ……!?」
体格差にもかかわらず、ライカンは派手に吹き飛ばされた。だがすぐに、床の血に足を滑らせながらも起き上がった。全身の毛を逆立て、ルゥを見据えて吠え立てる。
「重いだろう? あたしの拳は」
ルゥは拳を構え、再び挑発する。ライカンの単調な攻撃を何度かかわし、その度に一撃を入れてダメージを積んでいく。
ライカンは苛立ち足を踏み鳴らした。その拍子に、辺りに転がる死体につまずき膝をついた。四つん這いで顔を伏せたまま腹の底から咆哮する。
「む?」
その咆哮の末尾に何か言葉が混じった気がして、ルゥは内心で首を傾げた。
(ケ……テ……)
だがそれはすぐにただの喚き声にかき消された。ライカンが彼女へ掴みかかる。口は大きく開かれ、明らかに噛みつく気だ。
ルゥはハッとし、凶暴な牙が到着する前に跳び上がった。空中で身をひねり、天井を蹴ってライカンの脳天に重い一撃を叩き込む。ライカンは衝撃で顎をしたたかに床に打ち付け、情けない声を上げた。
「クゥゥン……キュルル……ガ・フゥー」
爪の飛び出た両手がもぞもぞと床を掻く。まだやるかと身構えるルゥのゴーグルに、文字列が浮かんだ。
『助けて』
ヴィオレットがライカン語を翻訳したのだ。
「お前……」
そのとき、ルゥの視界の端に金色の光が閃いた。
「ルゥ!」
呼び声に応じて壁際に避けると背後から一筋の霧が噴き走り、倒れているライカンを包んだ。体表が金色に光ると彼はびくんと身を震わせたのち弛緩した。処置が終わったようだ。ビアンカが駆けてくる。
「手間取ってごめんなさい。怪我はない?」
「全然」
ルゥはこともなげに答えながら、グローブの手首に付いている加重スイッチをオフにした。これの起動中は、両腕の先にボウリングのボールをぶら下げているようなものだ。彼女がこの特殊装備を使いこなせるのは、両腕が強化筋肉をまとったサイバネティクス義肢になっているからこそだった。
階段の方が騒がしくなった。警察の増援による調査班が到着したらしい。フラッシュライトが数本こちらへ向かってくる。
ライカンが出てきた大部屋にもいくつかの死体があった。大量の毛布と食料パックのゴミが散乱し、奥に簡易トイレボックスが置かれているほかは設備らしいものはなかった。大勢がここに押し込められていたのは明らかで、人身売買組織が関わっている疑いがあった。
「食い詰め者や難民をいろんな手で集めてナノボットで強化して、危険な環境で働かせるんだ」
調査班の誰かが説明した。
「じゃあ、この狼男もどこかから売っ払われてきたのか?」
「おそらくな」
「……」
ルゥは黙って拘束されたライカン族を見下ろした。
〈ビアンカ、緊急報告です〉
ヴィオレットの呼び出しだ。その内容に二人は顔色を変えた。通りで処置中の宿主たちの容態が急変し、次々に死亡しているという。
一瞬ライカン族を振り返ってためらうビアンカに、ルゥが「ここはあたしが見てるよ!」と引き受けた。
「お願い」
ビアンカはアタッシュケースを掴むとスクーターへ飛び乗った。追加の調査班とすれ違いながら、背中から嫌な汗が噴き出すのを感じていた。
* * *
通りでは、ブルーシートで囲んだ中で簡易救命装置を取り付けた宿主たちが寝かせられ、その間を数人の医療局の救急隊員やキャビネット型の救急ロボが動き回っていた。隊員の一人が宿主の腕にドレーンを付け、ナノボットの排出を試みている。
だが、この宿主には手遅れだった。彼の体に異変が生じた。全身から蒸気が上がり、巨体が縮み始めた。
「こ……これはどういうこと?」
ビアンカは側に寄り、その異様な光景を見守った。宿主の体は次第に標準的なヒトの体格になったが、そこで止まらなかった。蒸気は一層激しくなり、プロテインの臭気とともにその体がぐずりと溶け崩れた。まるで体組織が蒸発しているかのようだ。
「監督局さん!」
救急隊員がビアンカを呼び、脂汗を拭きながら状況を手短に説明した。宿主たちは違法ナノボットの暴走により体細胞を変質させられており、次第に体組織を維持できなくなったらしい。
「一刻も早くこのナノボットを排出させ、入れ替わりに修復用ナノボットを注入する必要があります。今、ロボに合成させていますが間に合うか……」
前代未聞の悪質さに、ビアンカは言葉を失った。だがショックを受けている場合ではない。対処が必要な者がまだいる。彼らの潜伏場所にも宿主の生存者がいたと告げると、すでに調査班に排出剤だけは持たせたとのことだった。どうやら途中ですれ違ったのがそれらしい。
「修復用ナノボットが合成できたらすぐに向かわせます」
「ありがとう」
礼を言うと隊員は作業に戻った。
ビアンカは宿主が消失した場所の傍らに立ったまま、左手首の端末をそこへかざした。内蔵センサーで場をスキャンしたデータをヴィオレットへ送る。
ふと、場を金に光る〝目〟で視る。空間に重なるようにうっすらと金色の靄――エーテル――が漂っているのを感じる。その濃度にどことなくムラがある気がした。エーテルは常に場を流れているが、均一に存在しているわけではない。流れが偏って薄くなっていたり逆にとろりと濃密に溜まっている場所もある。だが宿主たちが寝かされていた辺りは、いったん穴でも空いたようにごっそりと減ってまた流れ込んだかのように靄の厚みや渦の流れが周囲と異なっていた。
「……これは?」
足元に、何かのかけらが転がっている。小指の先ほどの赤い石だ。拾おうとして素手なのに気づき、ポーチから保管袋とピンセットを取り出してそれらを使う。袋越しに視ると、微量のエーテルが内包されているようだ。しかし、人間が体内に溜めるエーテルに似ているのが不審だ。これは鉱物ではないのだろうか?
ビアンカは辺りを見回し、他の消失してしまった宿主たちの跡から同様に赤い石を拾い集めた。
〈――ビアンカ、クサい奴がいた〉
ルゥから通信が入った。
〈フロアの反対側に見張り部屋があって、そこから逃げ出した奴がいたみたいだ。ヴィオレットがアイカメラのログを遡って、二時間前にそれっぽい奴を見つけた〉
「わかったわ。ライカンの彼はどうなったの?」
ビアンカは立ち上がり、現場の外周に停めていたスクーターへ向かった。宿主の危険な状況はルゥにもすでに伝わっている。
〈今のとこ異変はないよ。ナノボットの排出がうまく行ってるってことかな? ヒトより出が悪いって医療局は言ってるけど〉
「すぐに修復用ボットも届くわ」
〈じゃあここは大丈夫だね? 逃げた奴を追っかけるよ!〉
「ええ」
〈……見つけたらタダじゃおかない〉
台詞に怒りが滲んでいる。私たちはあくまで調査員なんだからね、と言ってやるがもちろんビアンカも逃すつもりはない。隣の星系から追ってきているのだ。
彼女は警官隊の現場責任者を見つけて手短に引き継ぐと、スクーターに乗り込んだ。三時間の差は、ヴィオレットのカメラログ解析が埋めてくれるだろう。
「合流するわよ、ルゥ」
スクーターは走り出した。
2025/7/12 修正