3 廃ビルの地下で
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ビアンカとルゥは、それぞれのヴィークルを駆り宿主の集団が出てきた通りの奥へと入っていった。次第に空室が目立つビルばかりになってゆくためか、この辺りからは街頭監視カメラも設置されていない。だが、彼らがやって来た足取りをたどるのは容易だった。ほうぼうにビル壁や配管の破片が散らばり、彼らが血や泥を引きずった足跡がずっと続いている。
「こっちの方って、もともとうちらが当たりを付けてた会社があるとこじゃん?」
「そうね。おあつらえ向きにボロを出してくれたってことかしら」
二人は、最近頻発しているナノボット暴走事件を追っていた。
銀河に散らばる人類が、様々な宇宙環境に適応するためにナノボットを体内に入れるのは今やありふれた処置だ。筋肉の強化や止血、有害物質の分解といった特定の機能がナノボット監督局により認可されている。
しかしナノボットが普及して以降、粗悪な廉価品をつかんで死にかけたり、感覚中枢支援型製品をドラッグ代わりに大量に注入したりといった事件が後を絶たない。
特に問題なのは、違法に製造・売買する闇組織の存在だ。麻酔用ナノボットのプログラムを書き換えて、使用者の中枢神経に作用して多幸感や酩酊感を与える機能だけでなく、依存性も持たせている。一定時間経過すると排出されるという本来の機能が逆に使用者に喪失感をもたらし、常用せずにいられなくなる。マフィアにとってはいい資金源である。
隣の星系では、そのナノボットの虜となった宿主たちが極秘パーティーを開き、そこで事件が起きた。摂取したボットが暴走した影響で彼らは極度の興奮状態に陥り、居合わせた者同士で激しい乱闘――殺し合いとなった。最後にはみな目や耳から血を噴き出して絶命した。
彼女たちが警察の許可を得て現場に立ち入ったときはまだ痕跡が残っており、それだけでも十分凄惨だった。
現場となった地下クラブのオーナーや出入りしていた業者などを調べて怪しい会社を絞り込み、この星に拠点があるらしいとやって来たところへ、ちょうど先程の暴走集団に出くわしたのである。
「おっと。ここみたい」
ルゥが、とあるさびれたビルの前でエアバイクを停めた。足跡はこのビルの地下から出てきていた。周囲には人影はない。せいぜい通りの入口に負傷者が一人二人いただけで、今のところ他に目ぼしい被害者がいないのは幸いだった。
スクーターの中では、ビアンカが数枚のスクリーンを立ち上げて流れる情報を追っている。
「ヴィオレット、ビルのデータを」
〈はい〉
インカムを通じて無味乾燥な女性の声が答える。
ヴィオレットは、監督局が彼女たちにアテンドさせているサポートAIだ。いま宇宙港に停留させている二人の宇宙船を管理する傍らドローンやスクーターをも操作し、同時に星間ネットワークや連邦統合データベースをさらってあらゆる情報を収集する。必要に応じて高次アクセス権を行使して治安当局の通信回線を傍受するぐらいはお手のものだ。
ヴィオレットによれば、ここはとっくに潰れた零細運送会社の備品倉庫だったらしい。しかし定期的に電力と水道の消費が増える時期があり、最近の数週間もその状態だった。
〈手前の通りのアイカメラのログは残っていませんが、インフラの消費量から大勢の人間が潜伏していたと推測されます〉
「そいつらがみんな宿主になって出てったってわけか」
「どうかしらね?」
スタンピードを引き起こさなかった者がいるかもしれないし、中にこそ被害者がいるかもしれない。
スクーターを降りたビアンカはビルの地階入口を覗き込んだ。薄暗い照明に、血で汚れた壁や床が見える。かすかに吹き上げてくる風の生臭さで、思わず鼻にしわが寄る。もし居残っている者がいたとしても、生存は期待できないかもしれない。
ルゥも同様に感じたのか、ゴーグルのパネルを引き伸ばして顔全体を覆った。パネルの内面にインフォモニタを表示し、装備品のコンディションをチェックしている。
ゴーグルを好まないビアンカはインカムだけを耳に着けた。手首の端末がワンアクションでスクリーンを展開できるので状況把握に支障はない。
「ヴィオレット」
〈はい、先行します〉
彼女の声にドローンがすっと飛び立った。小さな飛行音を立てて階段を降りて行く。
ルゥは、ドローンを見送るとゴーグル内面に焦点を戻した。視野の下方に置いたインフォモニタの内容が切り替わり、ドローン視点の映像が表示される。画面の右端にはビルのマップの小画面が配置されている。ドローン自身の現在地を示す光点つきだ。ビアンカも自前のスクリーンを浮かべて同じものを見ている。
階段を降りきると、すぐ右手へ通路が伸びていた。階下も酷いありさまだった。四メートル程の幅の通路が長く伸び、奥の方は照明が壊されていて暗い。
壁や床は血しぶきだらけで、暴走した宿主に襲われたらしい犠牲者が点々と転がっていた。ドローンが生命反応を検知できないので、いずれも死体だ。中には、腕や脚などの部位だけが歪に膨れ上がったものもあった。
「ここでも殺し合いか。非合法のブツなんかに手を出しても、ろくなことはないってのに」
「……何だか妙ね」
「何が?」
「みんな似たような服を着てる……病衣かしら。スタンピードの発現度合いもバラバラみたいだし……」
「でもここ、病院て感じじゃないよ」
違法な生体実験でも行われていたのではと訝しむビアンカだったが、ルゥの言う通りそれらしい機器や設備は見当たらない。セキュリティもさほど厳重ではない。
〈生命反応あり〉
ヴィオレットの報告とともに、マップに白い点がともった。ドローンは通路の突き当りまで進み、真横に開いた入口から中をうかがおうとしている。マップによればそこは大部屋だ。室内の様子が映し出されようとしたとき、突然画面が大きくぶれた。
「あっ……」
二人は同時に息を呑んだ。暗転する直前、ドローンのマイクには唸り声とも吠え声ともつかない音声が入ったのだ。妨害者の存在を感じ、彼女たちは急いで壁際に寄って身をかがめた。
〈ドローンが破損しました〉
「いや、それより今の何? 獣!?」
ルゥの問いに応じて、スクリーンに壊される直前の静止画が映される。高精度センサーのおかげで陰影ははっきりしている。濡れた床に散乱する物や死体、ひしゃげた檻のようなもの。だが肝心の、ドローンを壊した何者かは映り込んでいない。
「……!」
おそらく大部屋のドアにぶつかったであろう衝撃音が、直に二人の耳に届いた。ルゥの手がさっとホルスターに伸びる。
「ルゥ」
「今度は効くタイプかも」
彼女が装備している短針銃は合法違法を問わずほとんどの人体用ナノボットには効くはずだが、最近になってこれを無効化してしまう変種が出回り始めていた。先ほどの集団がまさにその例だ。
「だめでも、時間稼ぎしとくよ」
「……わかったわ」
ビアンカは頷くとアタッシュケースを開けた。ワクチン無効なら彼女の出番だ。だが触媒は先ほど使い切ったのでまた調合が必要だ。同じレシピの素材を手早く探す。
「……ここはエーテルが変に薄いわね」
「へー……わ!」
つぶやきに振り向いたルゥはぎょっとした。逆光で影になったビアンカの顔の双眸だけが金色に光っている。どうやらその目でこの場のエーテル量を推し量っているらしかった。
「慣れて」
「う、うん」
エーテルを扱うには、そもそもエーテルを感知できなければならない。錬金術師であるビアンカにはそのスキルがあるが、ルゥは違う。単に同僚だ。二人でやっている相談事務所が監督局の嘱託を受けたので、一緒に調査に出向いている。もちろんルゥにはルゥなりのスキルがある。
「大技はあんまり使えそうにないわ」
ビアンカは眉を軽くひそめた。
咆哮とともに、また壁が振動した。〝推定〟宿主が、文字通り闇雲に暴れてはあちこちに激しく衝突しているようだ。ドローンの観測ログから、生存者はこの者だけと思われた。
もう猶予はない。ルゥは後ろ手でビアンカに合図すると、一人で階段を降りた。光量に応じてゴーグルが暗視モードに切り替わる。階下まで降りきり、壁に背を当てて耳を澄ます。相手は暗がりの中を踏み惑いながら少しずつこちらへ進んできているようだ。荒い息遣い、いや、しきりに周囲を嗅ぎ回るような音。唐突に立ち止まり、威嚇するような人語未満の吠え声が二、三度。気配に気づかれた。
「動くな!」
ルゥは通路へ飛び出し、短針銃を構えた。外の通りにいたような巨体を想定していたが、ゴーグルにはもっと意外な姿が映っていた。
「ウウ……」
暗闇に光る目、体毛に覆われ獣にしか見えない頭部。汚れて破けた貫頭衣をまとった毛むくじゃらの全身は、ほぼ後足で立ち上がった狼と呼んでも差し支えない姿だった。ただ手足の形はヒトに近い。尖った耳、突き出た鼻梁、その両側で赤く燃える目。
「ワーウルフ!?」
2025/7/12 修正