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16 寄り道の代償

* * *


 サヴァンとの通信を終えると、すっかり真夜中だった。気づいてしまうと急に疲れと眠気が襲ってくる。あくびをしかけたビアンカに、ルゥが神妙に言った。


「ビアンカ、腕のメンテしてくれる?」

「え? 昨日したばっかりじゃない」

「うん、でもこれ見て」


 ルゥは右手のグローブを外してブルゾンの袖をまくった。


「え……!? どうしたのこれ!?」


 その手は指先から手首にかけて紫色に変色していた。慎重に触れると、肌の表面は通常と変わりなく、外傷やむくみといった異常もないようだ。


「動きや感覚は別に変わんないんだけどさ、謎ローションが……腐ったみたいな?」

「腐るってそんな。何で急に?」


 肌をさすりながらオーラを送り込んでみる。しかし、レシピ44ポーションはもう効能を失い――というより使い果たして残り滓が貼り付いているだけだった。


「今日、あのスード・ルビーを掴もうとしたら、何かバリッと弾かれて」

「それよ。コーティングが護ったのね」


 ビアンカは眉を強く寄せた。

 レシピ44は、錬金術で言うところの霊域――肉体とぴったりと重なっている魂――を保護する。それだけが影響を受けたということは、あのスード・ルビーは人体そのものより霊域を喰らおうとしたのか。


「ルゥ! 具合悪くない? 指が潰れた感じとかしない?」

「え、それは大丈夫だよ。義肢はいつもの通りだし」


 ルゥの腕は義肢だが、霊域は失う前の腕の形を持っている。レシピ44のもう一つの効果である随意強化で義肢に重ねて繋いでいるのだ。


「……そう。もし幻痛があったら言ってね」


 懸念は残るがひとまず医療ルームへ連れ立って入り、再びコーティングを施した。


「ガルォンはもう寝たかな」


 だいぶ長いことほったらかしにしちゃった、とルゥがため息をついた。ヴィオレットがスピーカーから答える。


〈二時間前にベッドへお連れしました。お二人を待ちわびて夕食もかなり遅くなり、先に寝るのも非常に不服そうでした〉


「私のせいね。明日しっかり謝るわ」

「うん」


 だが、その機会はしばらく先延ばしになった。ヴィオレットが続けて、ガルォンのバイタルにやや変調があると報告したためだ。慌てて様子を見に行くと、彼の呼吸は手汗をじっとりとかいていた。


「熱があるわ」

「どうすんの!? ライカン用の薬なんてある?」

「ルバイデの医療センターから鎮静剤を少しもらってる。ヴィオレット、緊急ポッドを準備して」

「あたしも手伝う」

「じゃあ任せるわ。ヴィオレットは出航許可を取って。一刻も早くアンバースへ発つのよ!」


 ビアンカはガルォンを慎重に抱き上げながら、彼から目を離したことを強く後悔した。調査のためにもう一日滞在したいだなんて、却下されて良かった。サヴァンは正しい。

 

(落ち着いて……。ナノボットはもう体内にない。これはただの自家中毒か何かよ……)


 船のエンジンが起動した。振動を足元に感じながら、彼女は心からそう願った。




* * *




 暗黒の宇宙空間の一点に、ぽつりとした歪みが生じた。と、瞬時に円環となりその(きわ)が星明りを捉えて光る。円環が分離するように後方へもう一つの円環を生み出すと、その間から一機の航宙機が吐き出された。

 歪みは消え、ハイパードライブから抜けたばかりの航宙機は減速を始める。


 ここはオーロ28からの航路から大きく外れており、最寄りの居住惑星からも数光日離れた一種の盲点のような場所だった。


 知らなければ見落としそうな、はぐれ小惑星の欠片が浮かんでいる。航宙機はその陰へ回り込み、停めてあったキャンプ・シップに接続した。

 エアロックを出してキャンプ・シップへ乗り移ったのは、この船の主――ジェイだった。

 彼女は航宙機との接続を外すと、遠隔で再び発進させた。燃料が尽きるまで自動運転するよう設定してあるので、その後はどこかの無人惑星に引っ張られて墜ちるか、彗星にでも突っ込むだろう。


 ゴーグルをまだ着けたまま、最小限の照明の中を足早に操縦室(デッキルーム)へ向かう。


「――――」


 声なき呟きとともにデッキへ入ると、壁際の白い彫像のホログラムが出迎えるようにほのかにライトアップされた。

 ジェイは部屋の中央に据えられた天球儀の前に立った。幾重もの金の円環に囲まれた球形の空間は、光を吸収するかのように真っ黒だった。懐からスード・ルビーを収めた容器を取り出し、その黒い空間の中へ石だけを放り込む。空間を囲む円環が静かに回りだし、暗黒の中に赤い光とそこへ向かって渦巻く金色の光の砂粒が浮かび上がった。だが、赤い光はあまりにも弱々しかった。


「――まだだめか」


 ジェイは天球儀をしばし見守っていたが、舌打ちして身を起こした。


「もっと精度の高い石が必要だ。……いや、石だけじゃ埒が明かないな」


 室内の照明を入れ、ゴーグルを外す。少しばかり紫がかった、くすんだ薄青色の目が現れた。ジェイは黒手袋も脱ぐと、操縦席にどっかりと倒れ込んだ。


「他に何が必要だ……?」


 その姿勢のままでヴィジスクリーンを出したものの、指先は着地先を決めあぐねていた。分割画面にオーロ28のニュースが流れた。オークションが数日延期になったことを知り鼻先で笑う。と、指先が止まる。


「あんなところで錬金術師に出くわすとは……何者だ?」


 ジェイは起き上がると、スクリーンの通話機能を立ち上げた。すぐに相手に繋がる。互いに音声のみで、映像はオフだ。


『よう』

「情報屋、頼みがある」


 ゴーグルを手に取り、ビデオログをスクリーンへ送信して必要な部分を選び出す。氷だらけの展示会場の床が瞬時に逆茂木と化した場面だ。画面がぐるりとパンし、何かを構えた白い服の女が映る。


「こいつの素性を調べてほしい」

『なかなか可愛いな。一目惚れか?』

「ああ、そうかもな。何しろ錬金術師だ」


 スクリーンの向こうから、ヒュウと口笛が鳴った。


『そりゃまた面白え。任せな、昼寝してる間にスリーサイズから恋人の好みまで調べてやるぜ』

「……そこまでは要らんからもっと負けろ」

『乗らねえ奴だな。まあいい、ちょっと待ってろ』


 通話は切れた。ジェイは視線を巡らし、彫像のホログラムを見た。若い華奢な女性が両頬に手を当て、夢見るような表情をたたえている――そんな像だ。

 像を見つめるジェイの唇から、呟きが漏れた。


「……錬金術師など、滅べばいい」

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