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吾輩は犬である(れおん編)続き

作者: 相川れおん

 この点を踏まえて僕なりに解釈すると、豊受大御神とようけのおおみかみ天照大神あまてらすおおみかみの「カゲの部分ではないか?」ということだ。カゲを影ととらえたり、陰と捉えたり、景(背景)と捉えるということだ。つまり、二人は同じ一人の神であり、表の部分を天照大神が、裏の部分を豊受大御神が見守っているということだ。陽と陰、表と裏、光と影、地上のすべての部分を二人で見守っているという図式だ。どちらかがいなくなると、当然その部分を守る神がいなくなってしまうので、二人で一つという説が成り立つ。南が光なら、北が影ということも成り立つ。内宮が右側通行ということは、左回りということだ。日本は北半球にあり、北半球は左回りが主回転で正道になる。外宮は左側通行ということなので、右回りだ。ここでも二人で双方向を守護している。時計で例えると、壁掛時計を正面から見ると右廻りだが、裏から見ると左廻りになる。片廻りしか見えない世界では、すべてを見通せない。両廻りを守護するから、すべての世界を見守ることができるのだ。また、外宮と内宮の一番重要な施設が、それぞれ敷地の対極にある。伊勢をこの世の縮図に見立て投影しているのだろう。すべての世界を双方から安寧していると捉えると、伊勢神宮の作りの謎に合点がいく。僕は天照大神と豊受大御神は一心別体であると思っている。二人の神が、我々の世界を表側も裏側もしっかり見守ってくれていると、僕は想像している。

 昨日とうって変わって、僕は元気いっぱいだったので、動けない分いろいろな思考が頭を縦横無尽に駆け巡った。気が付くと長い時間が経過している。あまりに長い時間迎えに来てくれないように思えて、不安になってきた。僕はパパさんたちが向かって行った方角に意識を集中し、六人の気配や匂いを探してみた。なかなかこの建物の中では、気配を捉えにくかったが、ママさんの声が聞こえて来たので、僕は忘れて帰られては大変と、懸命に吠えた。しばらく待つと、橋を渡り終えたママさんが、迎えに来てくれて、僕は嬉しさのあまりママさんに飛び着き、口を舐めまわした。

 僕たちはそのまま門前の〝おはらい町〟に繰り出し、お買い物を楽しんだ。皆がお土産を買っている間に、ママさんが僕にもおやつとお水をくれたので、やっと少し落ち着いた。町の中を散策していると、雑学を耳にした。

 伊勢神宮は昔から、一生に一度は参拝すべき場所の一つだった。しかし、距離も遠く、旅費もかかるので、庶民はなかなか行くことができない。そこで皆で話合い、村の代表者に行ってもらうという集落が多かったようだ。代表者は、何日もかけて伊勢まで行き、無事参拝を済ませると、厄除けの札や薬を小箱に納めて持ち帰った。この小箱を御祓箱おはらいばこといい、箱も中の物もお祓いされているもので、貴重なものであった。しかし、毎年参拝すると、空の箱だけが増えてくる。不要なものを処分するという意味の「お払い」と、不要になった札入れのお祓いされた箱をもじって、お現代では不要な物や人を捨てることを「お払い箱」と言うようになったのだ。僕は、一服しながら「へぇー」と思って聞いていた。すると、さらに興味深い話を始めた。昔は人だけでなく、イヌもお伊勢参りに行ったという記録が残っているとのことだった。僕は「えっ!」と耳を疑った。さらに静かにして聞いていると、1771年に犬が飼い主のかわりに伊勢まで行って、しっかりお札を持って帰ってきたという話があり、当時では有名な物語だったようだ。その後も、何頭かそうした犬がいたらしいという記載があちこちに残っている。伊勢参り犬は、伊勢参りをするむねを書いたものを携え、首にしめ縄で固定し、路銀を袋に入れて、目的地に向かって歩いたそうだ。当時の人々は、そうした犬を見ると感心し、路銀をもらってご飯をあげたり、道案内をしたりして、その犬を無事に伊勢まで辿り着かせてあげたのだ。伊勢で目的を果たした犬は、多くの人の助けを借り、また主人の元まで、何事もなく帰り着くことが出来たようだ。そして、なんと、帰ってきた時、イヌの首に携えていた路銀が増えていたというから、日本人の温かい心と、助け合いの気質を象徴する話だ。今でもここおかげ横丁には、おかげ犬の土産物やおかげ犬を模した犬が看板犬となっている。僕はとてもいい話が聞けて嬉しかった半面、今はイヌが中に入れないのは何故なのだと、残念な気持ちにもなった。伊勢神宮にイヌの組み合わせは、特別扱いでもいいような気もするのだが・・・。

 僕たちは小一時間ブラブラして、駐車場に戻るとすでに昼を回っていた。パパさんたちは、もう一か所行きたい所が有ったみたいだが、そこに行くと時間的に帰るのが難しくなるので、今回は断念したみたいだ。ご飯をどうするかという事になったが、つまみ食いが多かったので、みなお腹が空いていなかったようだ。誰も食べたがらないので、僕たちは岡山に向けて帰ることにした。昨日からの強行スケジュールと内宮ないくうでの四時間近い参拝で、シニアたちは疲れ切っていた。高速道路に乗った時には、皆ウツラウツラと船をこいでいた。パパさんは一人元気に運転して、数時間後には兵庫のサービスエリアに立ち寄った。SAで少し休憩して、ママさんと運転を交代した。その後、備前で高速を降り、ブルーラインを通って、夕方には自宅に到着した。僕はみんなと一緒に居られる車の中が好きだ。誰もどこにも行かないし、誰の膝の上にものられるので、これほど安心する場所はない。自宅に到着したので、僕のささやかな喜びは終わりを告げた。ママさんの両親は、僕の家に上がることなく、そのまま乗って来ていた車に乗り換え、帰宅していった。僕は家に上がると、いつもの夕方を迎えた。僕にとって今回の旅行は長時間のドライブと長時間の待機が多かったが、ご飯は美味しかったし、気の合う家族が沢山いたので、とても楽しい旅だった。今回行った六人も一生に一度は伊勢参りをしたいと思っていたらしく、晴れ晴れした顔をしていた。日本国民であれば、日本という国が出来て以来、この国を守ってくれている伊勢神宮に、一度は参拝するべきなのかも知れない。

 

 ある日テレビを見ていて、ママさんが

「赤ちゃんは人でも動物でも可愛いよね。」

と言っていた。これは、”ベビースキーマ”と呼ばれ、動物に備わった感情だとされている。身体からだに対して、大きな顔や目、短くぎこちない四肢を見ると、見守ることを優先するみたいだ。どの哺乳類も、赤ちゃんは絶対に狙わないらしい。なぜか赤ちゃんには、僕たちの闘争本能が働かない。だから大型犬の近くに赤ちゃんが寝ていても、襲い掛かることはない。しかし、イヌがヒトの赤ちゃんを舐めたりすると、黴菌ばいきんに感染するリスクが高いので、ヒトの赤ちゃんと犬を一緒にするのは控えた方がいいと言われている。僕はよくパパさんやママさんの口を舐める。口の周りは〝ラブ・スポット〟と呼ばれ、口や鼻を舐める動作は、愛情表現の一つなのだ。子が親から食べ物を貰う時に、親の口の周りを舐めることでお腹が空いたと伝える。その合図で、親が食べ物を咀嚼して子に与える。このボディーランゲージの名残と言われている。さらに、この口を舐める行為は、僕たちが狼だった頃に、”あなたを頼っている””あなたに従っている”というサインでもあった。逆に、異常なほど口を舐める時は、あなたの態度に不安を抱えているというサインでもある。自分の不安を解消するためと、心のバランスを取るために、この行動を行っている場合もある。その時は、舐められている本人が、僕の接し方を考えてくれないといけない。僕は今のところ愛情表現として舐めているのだが、一度だけパパさんの態度に不信感を抱き、パパさんの顔を舐めまわしたことがある。何を言っても僕を無視するので、まさか、嫌われているのだろうかと不安になったのだ。また、僕は文ちゃん所の「檸檬れもん」とも口を舐め合った。これは”カーミングシグナル”と呼ばれ、犬通しの社交的関係を築くものなのだ。カーミングシグナルは”落ち着かせる合図”といい、攻撃行動を起こしている犬に送ると、攻撃行動が抑えられる。顔見知りでも初対面の犬でも、このジェスチャーを行うことで、円滑に犬の社会を構成できるのだ。檸檬も僕のシグナルに応じて来たので、僕たちは仲良しの関係になったのだ。斗真とうまとはなかなか口を舐め合うことができない。まだ斗真に慣れないのだ。人間の世界でも右手で握手をするのは、円滑な交流行動の一つだ。しかし左手で握手する場合は、悪意があるとされるので注意が必要になる。会談の席で足を組むという動作も、あなたに害意はありませんというジェスチャーなのだ。足を組んだままで人を倒すことは出来ないからだと言われている。ジェスチャーは決して僕たちイヌだけの行動ではないのだ。人も公の場では良く行っている行動なのだ。

 僕は常に体のどこかがむずむずするのだ。これはアレルギーというものだが、僕の場合はなんと三十五種類もあるのだ。全部をあげると大変なので、一部を紹介すると、木のカテゴリーでは、オリーブ・ブナ・柳。雑草のカテゴリーでは、よもぎ・ブタクサ。イネ科の植物では、セイバンモロコシ。かびきんのカテゴリーでは、アスペルギルス・ドレクスレラ。表皮(=動物の表面を覆う皮)のカテゴリーでは、羽毛混合。食べ物のカテゴリーでは、かつお・かぼちゃ・大豆・玄米・牛肉・米。その他、ゴキブリ・ノミもアレルギーだ。だからアレルギーを検査の後は、食事に非常に気を使っている。

 もともと僕たちイヌが飲むことのできない物がある。それは、体で分解できないアルコール類。これを飲むと、アルコール中毒で死に至る可能性が高い。あとはカフェインが多く入った緑茶やコーヒー・エナジードリンクなどの飲み物は、カフェイン中毒で嘔吐下痢や痙攣になるのだ。さらに、マグネシウムが多く入っていると、尿路結石になる恐れがあるので、ミネラルウォーターや硬水(金属イオン含有量の多い水)も控えた方がいい。僕はお小水に血が混じり、しっかりこの病気を経験しているのでよくわかる。この時は、排尿の時に幾らか痛みがあるので、おしっこをゆっくりしかできない上、量もあまりでないから何度もトイレに行くようになる。完全な頻尿ひんにょう状態だ。他に僕たちが飲むのを控えた方がいいものは、塩分が多すぎる汁物や糖分が多すぎるジュースなど、人間用に作られているものは、僕たちにとっては成分量が多すぎる。人間と同じ体重なら大丈夫かも知れないが、四キロしかない僕には高カロリーすぎるのだ。そしてカカオが入っているココアは完全にアウトだ。カカオはチョコレートの原料でもあり、僕たちにとっては毒そのものだ。摂取すると、ほぼ高確率この世に居られなくなる。水も水道水の場合は、一度煮沸して塩素を飛ばしてくれるとありがたい。牛乳などの乳製品は、飲める同胞と飲めない同胞がいるので、犬種に合わせて管理してほしいものだ。

 次に、食べ物で僕たち犬が食べられない食材も挙げておこう。先程出て来たチョコレート。これにはテオブロミンと言う物質が含まれ、不整脈がおき体温が高くなり、痙攣発作が起きて、僕たちは死に至る確率が高い。また、生のパンは酵母が含まれているものがあり、これが胃を拡張させ呼吸困難に陥る恐れがあるのだ。キシリトールは、血糖値が急激に低下し、腎不全を起こし死亡することがある。ニンニクやエシャロット、ネギやニラ、ラッキョウなど玉ねぎの仲間は、有機チオ硫酸化合物が含まれ、赤血球を破壊して貧血を起こしてしまう。ぼくも一度だけニラを間違えて食べてしまい、血便が出てどうにも体調がすぐれなかったことを今でも記憶している。ママさんは血を見て慌てふためき、すぐに僕を抱えて病院に直行した。対処が早かったお陰で、薬を飲むと良くなり、事なきを得たが、正直僕は不安でたまらなかった。「興味本位で何でも口に入れるはやめよう」とこの時、僕は心に誓った。それ以来、ニラの匂いがするものは避けて通るようにしている。次にぶどうとレーズンだ。これはイヌにより異なるが、急性腎不全のリスクがあり、死亡例もよく聞く食材だ。また、鳥や魚など骨が付いたままの食材は、かみ砕く前に飲み込んでしまうことがある。その骨が内臓に突き刺さり、深刻なダメージになることがあるので、骨付きは控えていただきたい。ここまでは、僕たちが避けるべき食べ物だ。その他の食材は、個人差があるので犬種やイヌの大きさで状況は変わるのだが、マカダミアナッツは、筋力低下や麻痺を引き起こすことがあり、アボカドはペルシンと呼ばれる物質が胃の不調を起こさせることがある。また、生卵の白身・さくらんぼ・いちじく・りんご・トマト・牛肉・イカ・エビ・カニ・梅干しにも、犬種により食べさせる時には注意が必要だ。僕たちには食材を吟味する能力が低く、食べ物と分かれば摂取してしまう危険がある。だから僕たちが食べられる高さに、食材を置かない様にして欲しい。これは僕からのお願いだ。

 

 僕はいつも前足を舐める。酷いときは赤くなって血が滲んでいることもある。この行動はストレスかアレルギーが原因とされている。ストレス行動は、他にも尻尾を追いかけていつまでもその場で回っていることや、自分の脇腹を吸う行動がそうだ。散歩時には、後方をやたらと気にしたり、自分の影を見つめたり、影を追いかけたりする行動もそうだ。そして、同じルートを行ったり来たりすることや、同じところをグルグル歩き回る行動は、ストレスからくる葛藤行動とされている。僕たちがずっと同じことを繰り返しているのは、何かあるサインなのだ。僕の場合は、ストレスというより、体のどこと言うことは無くムズムズして落ち着かないからやっているのだ。前足を舐めていると気が逸れる。動いていたり、ご飯を食べたりしているときは、気にならないのだが、丸くなってゆっくりしている時に症状がでる。病院の先生もママさんもたぶんアレルギーだろうと思い検査すると、前述のような結果だったのだ。そこで、ママさんはフードの成分を調べることにした。前から少しお値段高めの自然派食品にしていたのだが、このフードに米や大豆が入っていることが分かった。僕は米や大豆もアレルギーで駄目なのだ。そこでママさんはネットで検索して、別のさらに高い缶詰タイプのウエットフードに切り替えた。今までのドライフードは、味気が無く食べにくかったが、ウエットフードはあまり顎を使うことなく食べられ、少しおいしくなったと僕は思えた。ドライフードは、穀物を主原料にしているので、長期保存が効き、歯に付きにくいので歯石になりにくく、便が硬めなのでトイレが汚れないメリットがある。しかし、嗜好性が低く、水分含有量が少ないので、積極的に水分を取らせるようにする必要がある。

 ウエットフードの場合は、肉や魚を主原料にしているので、旨味が多く風味が残っているのが特徴だ。また、水分含有量も多いので、水分不足によるトラブルは起こりにくい。しかし、歯に歯石が溜まりやすく、ウンチも柔らかいのでシートに汚物が引っ付いたまま取れない。また、傷みやすいので開けた物は全て食べないと捨てることになる。この缶詰は一個が三百五十円ぐらいするのでコスト的には非常に高くつく。さらに、トイレの回数がドライフードの時より増えた。朝起きてすぐに排尿二回、排便三回した時には、ママさんが呆れていた。しかし、トイレにいきたくなるのは仕方がない上に、毎回かなりの量でるのだ。たまに僕も自分で大丈夫かと思えることもある。マーキングでもこんな短時間に行わないだろうというぐらいのペースだ。ママさんは僕の薬をKクリニックに貰いに行くついでに、ネットで取り寄せた缶詰を持って行って、女医さんに僕のご飯の相談をした。僕のサイズ四㎏の体重の場合、この缶詰一個半がベストなようだ。ママさんはどうするかパパさんに相談した。缶詰一個半を毎日食べさせる場合、必ず半分捨てることになる。一日ぐらいは何とかいけるかも知れないが、なにせ僕はデリケートだ。アレルギーの塊みたいなものなので、半分残して別の病気になると、さらに別の薬が必要になり、高い缶詰にした意味がなくなる。しかし、缶詰一個の値段もかなりする上に、半分捨てるのももったいないからどうしようかという相談だ。パパさんは、缶詰一個にして、残りは手作りで食事を嵩増ししたらどうかと提案した。僕にはアレルギーが非常に多く、僕にあうフードを見つけるのは不可能だと判断したようだ。ママさんもいろいろ検索を掛けたが、成分的に僕に合うものは見つからなかったようだ。パパさんの提案に乗って、僕に一日に必要なカロリーを計算した。僕に必要なカロリーは一日二百七十七㎉だ。缶詰一個が二百二㎉なので、プラス七十五㎉が必要だと割り出した。それを僕が食べられる野菜で計算しなおして、炭水化物とタンパク質と緑黄色野菜の三種類を混ぜるようにした。それで栄養の偏りを防ぐようだ。例えば炭水化物を小麦粉で取る時は6.6g、タンパク質を銀鮭で取る時は12g、野菜をさやえんどうで取る時は69gを一緒にして、缶詰一個と混ぜて僕の一日の食事にするのだ。炭水化物は小麦6.6g(水と混ぜる前)押麦(7g炊飯前)のどちらかを使う。タンパク質は鳥の胸肉(13g)無塩銀鮭(12g)マグロ(20g)のどれかを使う。緑黄色野菜は、人参(65g)・大根(135g)・いんげん(105g)・さやえんどう(69g)のどれかを使う。これを表にして冷蔵庫に貼って、組み合わせを変えるのだ。「最近は冷凍の野菜もあるので大助かりだ。」とママさんは言っていた。僕は少し申し訳なく思えて来た。専門家は、ご飯はいつも同じものではなく、何種類かをローテーションしたり、ドライとウエットを交互にやったりして、偏らない食事を心がける方が健康維持につながるので良いと言っている。僕もその意見には賛成だ。ドライフードばかりは飽きる上にあまり美味しくないので、イヌ業界を代表してこの意見を支持したい。さらに、さんまやトウガンやアスパラガスなど季節の食材や納豆やアマニ油・ゴマや青のりなどを取り入れるのも栄養価の面でよいと言っていた。青魚や発酵食品、酵素は人間と同じく、取り入れた方がいいそうだ。また、ドッグフードに書かれているメーカーの給餌量きゅうじりょうはあくまで目安であり、イヌの状態に合わせて量を調整するのがよいのだ。そのまま表示通り摂取すると肥満になることもある。僕たちもヒトと同じで、非常に個人差がある。また、各家庭により一日の運動量や環境が異なるので、ご飯の量はヒトとイヌとの相互確認が必要だ。パパさんもママさんも、僕の身体がいろいろな意味でデリケートなので、頭を痛めている。特にママさんには大変お世話になっていることは分かっている。感謝しかない。


 日本の犬と言われているのは、秋田犬・甲斐犬・紀州犬・アメリカンアキタ・四国犬・柴犬・ちん・土佐犬・日本スピッツ・日本テリア・アイヌ(北海道)犬・屋久島犬・川上犬・十石犬じっこくいぬ・岩手犬・美濃柴犬・三河犬・山陰柴犬・肥後狼犬・薩摩犬・琉球犬・大東犬といろいろな種類があげられる。この中で日本原産の純血種は、柴犬・秋田犬・北海道犬・甲斐犬・紀州犬・四国犬の六種類だけである。この六種類は国の天然記念物にも指定されていて、大切に扱われている。イメージでは、土佐犬や日本スピッツなどは純血に思えるが、外来種の血が交配の過程で混じっているらしい。僕は完全に外国から入って来た外来種なので、日本にお邪魔をしている格好だ。純血種の中で一番多い柴犬は、日本各地に生息して馴染みが深い。オスがメスより少し大きく、十㎏ぐらいが平均的な体重だ。ピンと立った耳、キリッとした顔立ち、クルッと丸まった尻尾が特徴的で、体格は均整がとれており、筋肉質な中型犬だ。きつねやアナグマ対策の猟犬として飼われていた過去がある。性格は飼い主に忠実で独立心に富んでいる。体を動かすことが好きで活発なのだが、警戒心は強く、散歩中攻撃的になることもあるようだ。パパさんが小学生の時に柴犬を飼っていたらしいのだが、苦い経験があるようだ。小学校六年生の時に夕方散歩をしていると、正面から別の犬を連れた小学三年生の女の子がやって来た。道は車二台がすれ違うのにやっとの道幅なので、そんなに広くない。リードを短くしていても、犬通しが接触してしまうぐらいの道幅だ。当時のパパさんは小学生なので、あまりいろいろな知識があるわけでは無い。当然、イヌ通しがすれ違うのに問題が発生するとは露ほども思っていなかった。パパさんの家の前で、すれ違う時に、パパさんの連れていたイヌが、女の子のイヌに突進し、噛み付いたのだ。小学生のパパさんは必死に犬を引っ張って、離そうとしたが、なかなか離れなかった。女の子は小さな犬が死んでしまうと思い、その場で泣きじゃくった。ちょうど登下校時刻で、道は色々な人や自転車が行き交っていた。パパさんは困ってしまって、どうしようとパニックになってしまったらしい。騒ぎを聞きつけた、パパさんのお母さんが家から出てきてその場を収拾し、夜に女の子の家に誤りに行って、事なきを得たのだが、パパさんにはそのことが忘れられない事だったようだ。僕には分からない昭和の出来事だ。

 日本原産の純血種に話を戻そう。秋田犬は昔からマタギ犬として飼育されてきた犬だ。話題になった〝わさお〟や忠犬ハチ公が有名である。ロシアのプーチン大統領の愛犬も秋田犬であり、平昌ピョンチャンオリンピックのフィギアスケートで金メダルを獲得したザキトワに送られたことでも話題になった。この犬は体重が三十㎏~六十㎏になる大型犬だ。足が長く腰高で、がっしりとした骨格と肉付きのいい体格が特徴だ。まれに〝むく毛〟と呼ばれる長毛タイプの個体が産まれることがあるが、スタンダードとしては認められていない。秋田犬は関節や目が弱い傾向にあるので注意が必要だ。性格は穏やかで落ち着いていて、飼い主に対する愛情が深く従順で、家族を守ろうとする意識の強い犬だ。ただ、家族以外には警戒心が強く、上下関係に敏感で、自分より順位が下と思うと威圧することがあるので、子供は気を付けた方が良い。

 北海道犬(アイヌ犬)は、携帯のCMに、お父さん役として出演し話題になった。もともとはアイヌの人と共に暮らし、獣猟犬として飼われていた。体重は二十㎏~三十㎏の中型犬で、寒さに負けない強い体を持ち、持久力に富んだ筋肉質な犬だ。冬の雪にも耐える忍耐強さを持っており、勇猛果敢な性格だ。その分、飼い主以外の動物には、人を含めて攻撃的になることもあるのだ。

 甲斐犬は山梨の山で鹿や猪の狩りを行うほど狩りに長けた犬だ。他の日本犬に比べても、猟犬としての特色が色濃く受け継がれている。体重は一五㎏~二十㎏の中型犬で、耳はピンと立って、しっかりとした四肢と体格を持ち、虎柄の被毛が生えているのが特徴だ。外では警戒心が強く、敏感に状況判断をするが、内では別犬のように飼い主に甘えるメリハリのある犬だ。飼い主はそのギャップにキュンとくるようだ。甲斐犬は、四肢がスッキリした鹿型とずんぐりした猪型の二つのタイプがいる。

 紀州犬は、紀州の山でうさぎやタヌキ、時には鹿や猪を狩る猟犬として飼われていた。体重は十五㎏~二十五㎏の中型犬で、ずんぐりむっくりした体格だが、運動能力が高いのが特徴だ。忍耐強く落ち着いた性格で、真面目な気質の犬が多く、好奇心も旺盛だ。活動的なので、犬のストレスをためない様にするには、毎日の散歩は最低条件だろう。

 四国犬は、高知の山で暮らしていた。昔、山犬やまいぬと呼ばれて、恐れられていた野犬だ。体重は十五㎏~二十五㎏の中型犬で、狼の特徴が強い犬だ。野性味あふれる犬で、もともと野で暮らしていて、人間に対する警戒心も強く、ペットとして飼育しにくいのが特徴だ。骨太で筋肉質、首は太く、小さめの耳は直立して、尻尾は緩いカーブを描いて背中に傾いている。ただ猟犬としての能力は高く、群れやテリトリーを守る傾向がかなり強い。判断能力にすぐれ、冷静沈着な性格だ。さらに、スタミナ豊富で力が強く、瞬発力や咬合力こうごうりょく(物を噛む力)が強いので、飼い主のコントロール能力が問われる。しつけが難しく、この犬を飼える人は、かなりの上級者だ。

 犬の咬合力(噛む力)は中型犬が百㎏~百六十㎏で、大型犬は百六十㎏以上ある。これは犬に咬筋こうきんと呼ばれる上顎骨(じょうがくこつ)下顎骨かがくこつを繋ぐ筋肉があるからだ。咬筋は筋肉は小さいが、非常に収縮力が強く、犬の身体の中で、最も強靭な筋肉とされている。咬合力強い犬の順番は、一位カンガール=ドッグ・二位カネ=コルソ・三位イングリッシュ=マスティフ・四位狼犬・五位ロットワイラー・六位アメリカンブルドッグ・七位ドーベルマン・八位ジャーマン=シェパード・九位アメリカン=ピットブル=テリア・十位ダッチ=シェパードとなっている。

 因みに、噛む力の強い動物は、一位イリエワニ・二位ナイルワニ・三位アメリカンアリゲーターだ。咬合力は2トンぐらいで、ワニが最も強いことが分かる。四位カバが1tぐらいとされており、五位 ジャガー・六位 ホオジロザメ・七位 ゴリラ・八位 ホッキョクグマ・九位 グリズリー・十位 ブチハイエナ で以下、ベンガルトラ・ハイイログマ・ライオンの順で、ライオンの咬合力が約三百㎏と言われている。人間は成人男性平均が六十㎏なので全く勝負にならない。僕は、小型犬なので人間並みの咬合力しかない。それでも本気で噛んだら血が出るぐらいは、噛む力がある。


パパさんが家に帰って来て、ママさんに

「今日飲みに行くよ」

と言っていた。ママさんが

「どうやって行くの」

と聞くと、

「家まで迎えに来てくれる」

という事だった。パパさんはすぐにお風呂に入り、着替えをして、リビングで迎えを待っていた。ママさんは久しぶりに、僕と家の前でボール遊びをしていた。家の前は私道になっており、住民以外の車の出入りはない。うちの家から奥に二軒しかなく、こんな時間にはあまり帰ってこないので、安全な時間帯なのだ。ママさんは、力加減が馬鹿なのか、ボールを遠くに投げすぎる。僕はあまり遠くに投げられても認識できなくなる。前にも言ったが視力は0.3しかないので見えない。大体耳でどこに行ったか認識するのだが、一つ向こうの道路には、車が引っ切り無しに行き来しているので、その音がうるさくてボールの小さな音は途中でかき消されてしまう。とりあえずあの辺で走り始め、動いているものを見つけるとそこに近寄るが、すでにボールが止まっていると、もう分からない。辺りをキョロキョロ見回し、緑の物が見えると近づいてみる。それで大体当りを引くのだが、遠くに投げすぎると、ボールに辿り着く前に、いろいろな物が僕の感覚を刺激するので、ボールへの興味が薄れてしまう。ママさんが「れおんボール」と言うと再び思い出すぐらい、他の事が気になってしまう。本能で危険をキャッチすることを優先しているので仕方がない。だから外でのボール遊びは、なかなか上手くいかない。フリスビーに至っては、どこに投げているのか、僕は感じることすらできない。音も無ければ、全く見えないのだ。テレビで飛んでいるフリスビーをキャッチしている同胞がいるが、神業に思えてならない。ディスクドッグは僕にはかなり難しい芸で、あれが出来るのは限られた種類の同胞だけだろう。

 ママさんとボール遊びをしていると、パパさんが家から出て来た。お迎えがすぐそこまで来たみたいだ。暫くすると、一台の車が、僕の目の前に現れた。ママさんが中腰のまま僕を抱きかかえてくれた。車は方向を転換して家の前に停まった。パパさんが

「行ってきます」

と言って車に乗り込んだ。僕はなぜかパパさんが連れていかれる気がして、放っておけなかった。ママさんは中腰のまま

「いってらっしゃい」

と声を掛けた。僕は無性に寂しくなってきた。車が走り出すと、僕はママさんの腿の上から飛び降り、車を追いかけ始めた。ママさんは目が飛び出るほどびっくりして、僕を追いかけ始めた。目を大きく見開き、口は丸く大きく開けて、何か叫びながら走っている。僕から見ると、ママさんのダッシュは、ビデオのコマ送りと同じに思えるぐらい遅い。当然僕に追いつくはずもなく、どんどん距離が開いて行く。ママさんは鬼の形相になってきた。大通りに近づいてきて、僕は角を曲がったところで急に止まった。大通りは僕も怖いのだ。ママさんは息を切らしながら、全力で角を曲がって来た。そこに僕が止まっていたものだから、ママさんは急に止まれず、僕を踏みそうになりながら、通り過ぎて行った。僕はママさんに「そんなに慌ててどこいくの?」とお座りをして声を掛けた。ママさんは、振り向いて

「もう!れおん!」

と言って、何とも言えない表情で僕を見た。ママさんからすると僕が大通りに飛び出して轢かれないか心配だったようだ。「いやいやママさん。僕もわきまえていますよ」と僕は心の中で思った。そのままママさんは、僕を抱きかかえて、家の中に入って行った。家に入るといつものように、マズルと足をライオンのスピーディーフレッシュで拭いてくれた。僕は、さわやかな気持ちになるので、この商品を気に入っている。ただ値段が高いのが玉にきずだ。

 数日後のある日、パパさんが会社から帰ってこなかった。前日に出張に行くとは聞いていなかったので、僕はどうしたのだろうと思っていた。ママさんが会社から帰って来るとバタバタと用意を始めた。どうも何かあったようだと胸騒ぎがした。僕はパパさんが出勤の時に、できるだけ見送りするようにしているが、昨日はなぜか寝床から離れることが出来ず、見送りをしなかった。僕はパパさんの顔を、昨日寝る前から見ていないことになる。ママさんが慌てて出かけようとするので、僕も付いて行こうと思い、玄関まで出て来た。するとパパさんの両親も、一緒に玄関に出て来た。基本的にママさんは、仕事の時以外は僕と一緒に行動する。どこに行くにも僕を連れて行ってくれる。パパさんの両親も出てきているので、一緒に行くのだろうと思って、僕は玄関で待っていた。しかし今回だけは、僕を連れて行ってはくれなかった。僕はいよいよ心配になってきた。状況が分からないので、混乱するばかりだ。誰もいない家で、僕は寂しい思いをしながら、何時間も待った。窓の側でずっと道路を見て待っていた。数時間立ってやっとママさんの車が、駐車場に入って来た。「いよいよパパさんのお帰りか」と僕は嬉しくなってきた。しかし、玄関を入って来たのは、出て行った三人だけだった。パパさんが戻ってこない。僕はママさんに

「クゥーン・キュゥーン。(パパさんどこ行ったの?)」

と聞いたが、ママさんは答えてくれなかった。僕は気になり、カーテンをくぐって窓の外を眺めた。前の通りに車が通る度に、「パパさんかな」と思って吠えるが、全然こっちに入って来ない。ママさんが食事の用意をしてくれたが、あまり喉を通らず、食べる気にならない。食いしん坊の僕がご飯を残すなんて、ママさんからすれば、天地がひっくり返るほどの衝撃だろう。僕はまた窓越しに、パパさんの帰りを待った。暗い夜道に車のヘッドライトだけが揺れていた。

ママさんが

「もう寝るよ。れおん、おいで」

と言ったが、僕はまだここで待っていようと思った。しかし、ママさんが近づいてきて、僕を抱きかかえ、上階に連れて行くので、仕方なしに僕は寝室にやって来た。それでも気になるので、寝室の窓の近くで丸くなり、外の音に聞き耳を立てていた。暫くすると、ママさんは寝室の電気を消して寝てしまった。僕も、いつの間にか寝ていた。朝になり、ママさんがいつものように会社に行った。僕は「今日にはパパさんが帰って来るだろう」と思って待っていた。ママさんが仕事から帰って来て、僕はママさんに飛びついて行った。ママさんの前足をカリカリしながら、嬉しさを前面にアピールした。心底寂しかったのだ。そして、パパさんの帰りを窓のそばで待ち続けた。キッチンでママさんは、一人分の食事を作った。僕は、食卓にパパさんの食事が無いことに気づいて、とても寂しくなってきた。今日もパパさんがいないリビングで、ママさんと二人の夜を過ごした。僕は窓辺から離れられなくなったが、今日もママさんが抱きかかえて寝室に連れて行く。翌日もその翌日もパパさんは帰ってこなかった。どうしてパパさんは帰ってこないのだろう。「ママさんと喧嘩でもして、家に帰ってこないのだろうか」と心配になった。しかし、最近の二人の行動をみていると喧嘩をしているような場面はなかった。ますます僕は不安になってきた。「パパさん早く帰って来てよ」と僕は家の中から、大声で吠えた。

「うるさい。れおん」

とママさんが怒って来た。僕は寂しさを紛らわすのに、泣かずには居られなかった。この日もママさんは一人分の食事を作り、僕と一緒に食べた。一週間が過ぎてもパパさんが帰ってこない。僕は居ても立っても居られなくなって、誰もいない部屋の中を走り回った。力いっぱい走り回って、絨毯じゅうたんを前足でカリカリし、力尽きて横になった。喉が渇いてきて、水をペロペロすると、少し体力が回復したので、また絨毯を前足で削り続けた。僕はもう何がしたいのか分からないが、体を動かしていないと落ち着かない。「どこに行ったのだよ。パパさん」僕は叫ばずには居られなかった。もうパパさんは永遠に帰ってこないのかも知れないと僕は悲嘆した。パパさんが居なくなって十日が過ぎた。僕は窓から外を見るのが日課になった。今日もママさんが一人で家の中を駆けずり回っている。気が付くとママさんがどこかに行こうとしていた。僕は一目散に玄関に先回りをし、「一人だけ置いてきぼりにされてたまるものか」とママさんに食い下がった。「今回ばかりは僕も引き下がらないぞ」という決心だったが、今回もママさんは僕を連れて行ってはくれなかった。僕は窓から、ママさんの車が出て行くところを寂しく見送った。僕は

「キューン・キューン(寂しい)」

と訴えたが、車が止まることは無かった。そのまま誰も帰ってくること無く、数時間が経った。僕は掃き出し窓の(そば)で、いつの間にかウトウトしていた。突然目の前に車が走りこんできて、車のバックランプが赤く灯った。寝ぼけまなこが、はっきりと焦点を結んだ。車からパパさんが降りてきている。僕は歓喜して、飛び起き、玄関に走って行った。扉が開くとパパさんが

「ただいま」

と言って入って来た。僕は嬉しくなって、パパさんに飛びついた。パパさんが、すぐに抱きかかえてくれたので、僕は顔じゅうを舐めて、喜びをパパさんに伝えた。あまりに嬉しすぎて、僕はおしっこがしたくなってきた。パパさんにおろしてもらうと、僕はケージにダッシュして行った。いつも以上に大量におしっこが出た。パパさんがいつもの椅子に腰かけると、僕は間髪(かんはつ)を入れずにパパさんの膝の上に飛び乗り、また顔中を嘗め回した。後から入ってきたママさんが、僕のトイレシートを替えてくれた。僕はパパさんの膝の上に腰を下ろし、パパさんの腕に頭をのせてくつろいだ。その日から僕は、パパさんが帰って来ると、玄関までダッシュして迎えるようになり、隙を見ては、パパさんの膝の上に乗って寛ぐようになった。久しぶりにパパさんとママさんと僕の三人で食事をした。僕は安心したのか、いつも以上に早くご飯を食べ終えた。お腹がいっぱいになると、習慣的に大便に行く。トイレで大を済ませて、ベッドで丸くなり、パパさんとママさんの会話に耳を傾けた。話を聞いていると、どうもパパさんは、仕事中にお腹が痛くなって、病院に駆け込んだようだ。右の下腹、右足の上の辺が突然痛みはじめ、ズボンのベルトを締めておくことができなくなるぐらいの傷みだった。この辺りが傷む場合は、盲腸では無いかと、パパさんは思ったようだが、診察の結果、憩室炎けいしつえんと診断された。これは、誰しも起こりうる病気らしいのだ。大腸に穴があいて、そこにバイ菌がまり炎症を引き起こす病気だ。この病気は、便秘やお酒の飲み過ぎ、強いストレスに腸が敏感に反応し、腸内環境が悪化することで起こる。過剰摂取が原因で、腸の中で弱っている部分への細菌攻撃を、身体の免疫細胞が抑えきれなくなって、腸壁に穴が開く。当然、穴が大きくなる前に、身体はすぐに反応し修復するので、大事に至るほどの穴になることは少ない。大腸の内視鏡を行うと、ストレス・酒・便秘という外からの刺激が多い人は、腸管内のいたるところに穴が開いて修復された跡があるようだ。特に日本人には多い。また厄介なことに、自覚症状が無い為、腸に穴が出来ていることを知らない人が多いのも特徴だ。お腹が痛くなって初めて気づくのがほとんどだ。パパさんの場合は、腸の内視鏡検査を二度行ったことがある。その時の検診結果では、腸に異常は見られなかった。修復の後も見られなかった。ただ医師に、お酒の飲みすぎはさまざまな病気になる可能性があると、指摘を受けていたみたいだが、あまり気にしていなかったようだ。パパさんの飲酒量は、毎日ビール二缶に二十五度の焼酎をお湯で半分に割って二杯飲んでいた。いささか飲み過ぎであることは否めない。

 しかし、パパさんが病気の原因を分析するには、二回目の直腸検査によって、病気が引き起こされたと思っている。パパさんは、お腹の違和感で、近所の個人病院に行った。その病院は、若い医者と建てたばかりの病院だった。S状結腸に痛みがあったパパさんは、ネットで病院を探して、試しに行ってみた。通常の診察では、痛みの原因が分からないので、カメラを使った検査をすることになった。この検査は、当日すぐに行えるものではない。事前の予約と前日からの下剤による腸内の洗浄が必要だ。有名な病院では、検査に三か月待ちは普通だ。ここは、日の浅い個人病院なので、直近の希望通りの日を取ることが出来た。パパさんの失敗は、検査の日の問診で、腫瘍しゅようがあったら摘出しますかの質問に、「はい」と答えてしまったことだと言っていた。これが憩室炎の原因だとパパさんは断言している。検査の日には、腫瘍なんて良いも悪いも取り除いた方がいいと思っていたようだが、これが間違えだった。人間の身体は自己修復能力が高く、大抵の事は身体が何とかしてくれる。一回目の腸内検診時でも、腸の中は綺麗だと褒めてもらっていた。毎日多量のお酒を飲んでいたが、しっかり腸は仕事をしてくれていたのだ。しかし、この日小さくても、メスを入れた部分には当然傷が残る。その部分の完全な修復は難しい。この状況で、いつも通りの酒量をこなしていくと、弱っている部分への影響は計り知れない。憩室炎になったのは、腸の検査から結構な日数もあったので、直接それが影響したともいえないが、炎症を起こしている部分と腫瘍と思われるものを摘出した場所が一致しているので、そうでないとも言えない。

 僕は、大好きなパパさんの飲み過ぎに、ドクターストップをかけた形になったので、内心良かったと思っている。パパさんは日ごろから、腸が弱いだけに、気を使っている。高校生の時から、ほぼ毎日ヨーグルトを食べているみたいだ。だから、腸の調子が超いいのか、良くオナラをする。炭酸飲料を飲んだ時は特に激しい。炭酸ゲップ・屁・炭酸ゲップ・屁の下品二重奏だ。鼻のいい僕は、このコラボにいつも悩まされている。パパさんは、おならを我慢すると、左の横隔膜の下あたりが痛くなるらしい。ヒトは横行結腸から下行結腸に移る部分の、カーブの所にガスが溜まる。普通はガスが溜まる前に、体内に吸収されるのだが、パパさんの場合は、腸内の善か悪かの菌が、暴走族並みに血気盛んに暴れまわり、吸収するより早くガスを製造しているようだ。ガスで満たされると、お腹が張って痛くなる。トイレに行ってすればいいようなものだが、便が溜まっているわけでは無いので、おなら以外何も出ない。トイレから出たと思ったら、またすぐにトイレに駆け込み座るのだが、当然長い屁のみで、水と紙の無駄遣いだ。逆に、便秘気味の時は、ガスの生産が少なくなる。腸管内が便で満たされているので、ガスが溜まる空間がないのだろう。そんな時ほど活躍して、早く排出の指示を出してほしいものだ。

 僕が聞いたところによると、パパさんがわずらった憩室炎という病気は、はかなりたちが悪いようだ。腸に開いた穴は減ることは無く、増える一方のようだ。また、完治することは無く、いつでも再発の可能性がある。その上、症状が悪化し、腸から出血を始めると、命の危険があるようだ。還暦の酒好きの知り合いが、この病気を患っていた。日本酒をこよなく愛する男性は、一パックが晩酌でなくなるぐらい毎日飲んでいた。そしてある日、晩酌後トイレで用を足していると、便器が真っ赤に染まったらしい。本人はたいしたことはないだろうと思っていたが、布団に血が付くのが嫌だったので、一応病院に行ってみることにしたようだ。それが結果よかった。救急の待合で待っている最中に、意識が朦朧として、倒れたのだ。先生が慌てて検査を行い、緊急輸血を行ったので、九死に一生を得たのだが、その時の血圧は、上が70だったようだ。人間の血液は、体重の約十三分の一なので、六十㎏ぐらいの男性だったから、約4.6㎏=4.6ℓの血液量だ。短時間に全血液量の20%を失うと出血性ショックになり、30%を失うと生命の危険がある状態になり、50%で心停止する。男性の場合1ℓは、すでに体外に排出されていたようだ。緊急の輸血の後、出血している根本を止めるべく、肛門から内視鏡を挿入して、出血していると思われる場所を、ホッチキスのようなもので腸壁ごと止めていったらしい。腸内は血の海の為、どこから出血しているか調べるのはかなり困難だっただろうが、なんとか応急処置で事なきを得た。この病気の面倒な所は、自覚症状がほとんどなく、出血が始まると、簡単に穴を塞ぐことができない所でもある。若者感覚で寝れば治ると、そのまま寝ていた場合、この男性はもう起き上がることはなかっただろう。それぐらい憩室炎は進行すれば危険な病気のようだ。

 僕は一先ひとまずパパさんが家に戻って来てくれただけで良かった。もう寂しい思いはしたくない。パパさんが飲み過ぎない様に、僕がしっかり監視しておく必要があるようだ。


 ママさんが休みの時に、ママさんの同僚のふみちゃんと文ちゃんのSP斗真とうまと一緒に大きなお店に行くことになった。新しくペットが遊べるスペースが数日前にオープンしたようだ。久しぶりに友達と合流すると、斗真の横に〝檸檬れもんちゃん〟と呼ばれているメスのチワワが、家族の仲間になっていた。僕は初めましてであったが、なぜか檸檬に惹かれて、お尻の匂いを嗅ぎに行った。斗真が僕のお尻の匂いを嗅ぐので、奇妙な一列が形作られた。檸檬はメスの一歳で保護犬だった。年下で小さい為、僕は可愛くて仕方がなかった。僕たちは店の中に入り、かなり広めのドッグランのスペースで遊んでいた。僕のママさんは、ペット用品販売エリアで、僕の携帯用ウォーターボトルを買っていた。飲む為の小さなお皿がボトルと一体化しているタイプのものだ。ママさんが給水器を買うのも、これで五個目ぐらいだ。以前ケージにつけていたペット用給水機は、意外と壊れやすく、すぐに使い物にならなくなった。過去に二度購入したが、どちらも短い期間で、折れたり漏れたりした。以前使っていた携帯用のボトルは、どこかに無くしたみたいだ。今では陶器の器に水を入れて、床に置いてある。実はこれが、一番安定感があって飲みやすい。無駄に金をかけて最新器具を購入しても意味がない。原始的な方法が結局一番良かったりする。僕は文ちゃんに見守られながら、フリースペースで斗真と檸檬と遊んでいた。今日は平日という事もあり、他のお客様はあまり来ていない。僕たちがじゃれ合っていた時に、小さなカメラを抱えた人と、かわいい女性の人が近づいて来た。明らかに雰囲気の違う二人が、文ちゃんに話しかけてきた。SPの斗真はすぐにママさんの所に駆け付け、臨戦態勢に入った。僕はれもんを追いかけまわしていたので、すぐには気づかなかった。

 世界ではコロナと言う恐怖の大王が降っている最中だ。ノストラダムスが予言した恐怖の大王は、世界中を巻き込んだコロナウイルスなのかもしれない。彼の予言は1999年の週末予言だったが、正確な西暦で計算すると2002年のことを差していたとする説もあった。コロナは2020年だったので、数字の羅列を見るとなかなかゾッとする気もする。

 カメラを持った人と、マイクを持った女性が文ちゃんに近づいてきた。文ちゃんは何事かと思って見ていると、そのままカメラとマイクを向けられて、インタビューが始まった。

「コロナ禍でペットの需要が増え、価格が高騰しているようですが、どう思われますか?」

「数年前までは十八万ぐらいだった価格が、最近は三十万ぐらいに跳ね上がっていますね。」

「コロナでペットの需要が増えていますが、どう思われますか?」

「一時の感情でペットを飼うのではなく、ちゃんと十数年一緒に居られるかを考えて飼うべきですね。」 

女性アナウンサーと文ちゃんのやり取りは、五分ぐらい続いた。その内容を全部は覚えていないが、ペットを飼うのは、しっかりと計画を持って行うべきだという発言に、「まさしくその通りだ」と僕は思った。文ちゃんの番が終わったので、次はママさんがインタビューされるのかなと期待していたが、文ちゃんがしゃべっている間に、ママさんは現場から距離を取ったので、何かを聞かれることは無かった。

 文ちゃんのインタビューが終わると、女性アナウンサーとカメラマンの二人は、別の場所にいってしまった。ママさんは、文ちゃんと少しお話をして、またお買い物を始めた。犬のグッズは最近増える一方だ。パパさんが、僕の服を良く買うママさんに、苦言を呈したことがあった。しかし、ママさんに一蹴いっしゅうされて、パパさんはおとなしくなった。僕も着せ替え人形みたいに服を着せられてもいい迷惑だと思っている。男なのに女性用を着せることもある。家には夏服が二十ぐらいと、冬服が二十ぐらいあるが、写真を撮っただけというものも多く、実用性のあるものは十に満たない。確かに冬は、シングルコートの僕たちにとって寒い。特にトリミング後は、真冬に裸同然である。服を着せてくれるのはありがたいのだが・・・。これ以上言うとママさんの機嫌を損ねかねないので、口を紡ぐことにする。実際、今日も少し寒いので、フワフワの服を着せてくれたことには感謝している。僕はママさん達がおしゃべりしている間に、僕も檸檬れもんと少しおしゃべりをすることが出来た。

「れおん君とこは、いつも何を食べているの?」

「ウチは自然派食品のドッグフードだよ」

「普通の物と何が違うの?」

「よく分からない。薄味なので、僕は前のフードの方が好きなんだ。だけど、僕はアレルギーがあって、身体を心配しているママさんが、同じものしか買ってくれないんだ。」

「フーン」

檸檬が返事をすると、斗真が割って入って来た

「れおん知っているか?同胞には糞食ふんしょくと言って、自分の糞を食べる奴もいるみたいだぞ。」

「エッ、そうなの。なんでそんな物食べるの?」

「糞にフードの匂いが強く残っていたら、食べ物が落ちていると思うらしいんだけど、俺には信じられねー。」

「糞もドッグフードも分からないのかな?」

「俺たちあまり目は良くないから、あまり長い間、排便した物を放置されると、こっちも忘れちまう。小腹が空いた時、俺もフードの匂いが残っていた自分の糞に近づいて行ったことはあるけど、食べようとはしなかったな。」

「私はまだそんな経験はないけど、れおん君はどう?」

「僕の家では、ウンチをすると直ぐ片付けられるから、そんな場面はないよ。」

「ならいいけど、糞食する同胞をもつ飼い主は大変だろうな」

物怖じしない斗真は、行く場所でお友達と話をするので、同胞の知識が豊富なのだ。

 ママさんたちの買物はまだ終わらない。買物なのか見ているだけなのか、話の方が長いのか。いつまでたっても戻ってこない。お店での犬用品の品揃えは、基本大型犬・中型犬・小型犬で分けてある。「僕たちはもっと細かい違いがあるのに、大きさだけで分けてもらっても僕に合うものが無いよ」と僕は品揃えの基準に不満を持っている。

 僕たちイヌは、それぞれの歴史と得意分野により、七種類に分類される。十のグループに分ける所もあるようだが、僕は仕事内容を重視して、七つのグループで説明したい。

①ハウンドグループ(獣猟犬)

②スポーティンググループ(鳥獣犬)

③テリアグループ(穴居害獣けっきょがいじゅう猟犬りょうけん

④ハーディンググループ(牧羊犬ぼくようけん・牧畜犬)

⑤ワーキンググループ(作業犬)

⑥ノンスポーティンググループ(家庭犬)(ユーティリティグループ)

⑦トイグループ(愛玩犬)だ。 

 ①獣猟犬じゅうりょうけん。このグループはサイトハウンド(視覚獣猟犬)目で見て獲物を探す犬と、セントハウンド(嗅覚獣猟犬)臭いを頼りに獲物を探す犬に分けられ、同胞自ら狩りを行うこともある一番勇敢なグループだ。キツネやウサギなどの小型獣から、鹿や猪などの大型獣まで、主にけものが狩の対象だ。普通は主人と連携して、獲物を逃がさないように囲むことや、標的を追い立てて罠に誘い込み、主人に手柄を立てさせることが主な任務だ。ただ場合によっては、同胞自ら戦うこともある。イタリアン=グレーハウンド・アフガン=ハウンド・アイリッシュ=ウルフハウンドなどが視覚ハウンドに属する。

アメリカン=フォックスハウンド・ダルメシアン・ビーグルなどが、嗅覚ハウンドに属する。

 ②鳥獣犬ちょうじゅうけんは、主人の狩りの手助けをすることが主な任務だ。主に鳥を標的としている。同胞自らが獲物を捕らえることはあまりない。このグループは数頭でチームを組んで仕事をすることが多い。ポインター(指示犬)が標的を見つける役目だ。草むらに隠れているキジや鴨などの標的を見つけると、前足を片方あげたまま動作を止め、主人に獲物がいることを知らせる。また、獲物を探知すると、その場に静かに地面に伏せて顔を獲物に向け、主人に獲物の位置を教えることもある。そして、主人が見事に獲物を打ち落とすと、レトリーバー(回収犬)が、深い茂みや水の中に落ちた獲物を回収するのだ。

 スパニエル(狩出犬)は、鳥を追い立てて空に飛ばすのが主な仕事で、空に飛んでいる鳥を主人が銃で仕留めるのだ。スパニエルは主人が撃ち落とした獲物の回収も得意だ。

アイリッシュ=セター・イタリアン=ポインティング=ドッグ・ジャーマン=ショートヘアード=ポインターが指示犬に属する。

チェサピーク=ベイ=レトリーバー・フラットコーテッド=レトリーバー・ラブラドール=レトリーバーが回収犬に属する。

アイリッシュ=ウォーター=スパニエル・アメリカン=コッカー=スパニエル・イングリッシュ=スプリンガー=スパニエルなどが狩出犬に属する。

 獣猟犬と鳥獣犬の仕事をする上で重要な事は、銃の音に慣れることだ。昔は音のない武器を使用していたが、銃が発明されると、猟師は轟音をたてる銃を使用するようになった。この音に犬たちは驚く。だから、すぐに仕事が出来るわけではない。獲物を見つけた時の隠密行動、銃の音に反応しないなど特殊な訓練が必要になる。この二つのグループは、狩ることを目的として獲物を探すので、非常に攻撃的な同胞と言える。

 ③穴居害獣けっきょがいじゅう猟犬は穴の中に住む、ねずみやうさぎ・キツネなど小型獣用の猟犬だ。家や畑を守ることが主な仕事だ。テリア種は、来たものを追い払う為の猟犬だ。しかし、ダックス(=アナグマ)フンド(=ハウンド=獣猟犬)と呼ばれる同胞も同じような、小型獣用の猟犬であるが、獰猛なアナグマを捕まえる為に飼われることが多い。アナグマは穴を掘って、家ごと倒壊させる危険がある。イタチ科に属するアナグマは、穴の中で生活しているので、捕まえる為には、穴に入って行く必要がある。この同胞は足が短く胴長で、前足で土を掘るのが得意だ。さらに度胸がいいので、何がいるか分からない穴に入って行く勇気がある。アナグマを捕まえるのに適した同胞なので、そのままダックスフンドと呼ばれる。この同胞は守りだけでなく、敵の巣にまで入って行くので、テリアグループと別枠で言われることもあるが、仕事内容が似ているので、ここでは同じ扱いとしている。

ウエスト=ハイランド=ホワイト=テリア・ウェルシュ=テリア・ヨークシャー=テリアなどがここに属する。

 ④牧羊・牧畜犬は、家畜の群れを誘導したり、狼などの外的から警護したりするのが、主な仕事だ。広大な牧場を管理するのに、ヒトだけでは大変だ。イヌの力を借りるのはとても効率的だ。

クロアチアン=シープドッグ・ジャーマン=シェパード=ドッグ・シェットランド=シープドッグなどがここに属する。

 穴居害獣猟犬と牧羊・牧畜犬は、主人の大切な物を守るという傾向があるので、守備型の同胞と言える。

 ⑤作業犬は、使役犬と呼ばれ、ソリを引いたり、救助をしたり、番犬として警護をしたりするのが、主な仕事だ。南極物語で有名な樺太犬などがここに属する。過酷な状況下で仕事をする同胞なので非常に忍耐強い。

グレート=デーン・シベリアン=ハスキー・セントバーナードなどがここに属する。

 ⑥家庭犬は、他のグループに属さない同胞たちの集まりで、系統にまとまりはない。他のグループは仕事内容がそのまま犬の種類の名前になっていたが、このグループは犬の名前と仕事に関係がない同胞も多い。スピッツ犬(耳が三角にとがっている犬)は、主に日本原産の柴犬や甲斐犬がこのグループに属している。ただすべてのスピッツ犬がここに属しているわけでは無いので注意が必要だ。このグルーブは、家の主人の手伝いをよくやるので、オールマイティーに何でもこなすことができる。だから、家庭犬と呼ばれている。例えば、スピッツ犬である秋田犬は、マタギ(熊などの大型獣を捕獲する狩人集団かりゅうどしゅうだん)の手伝いを行う。またスタンダード=プードルは主人と共に狩りに行き、水に落ちた獲物を回収していた。訓練して専門的な仕事をしていた犬のようなことはできないが、人間よりは運動能力が高いので、あるじの仕事の手伝いには重宝される。スピッツ犬以外では、ダルメシアン・チャウ=チャウ・ブルドッグなどがここに属する。

作業犬と家庭犬は、ヒトとイヌで連携することで、互いの欠点を補い、長所を生かして、目的を達するグループだ。害獣と戦うというよりは、ヒトの手助けをすることが主な同胞と言える。

 ⑦愛玩犬が僕が属しているグループだ。主にセラピー犬として、人間の気持ちを落ち着けたり、寂しさを紛らわしたりするのが主な仕事だ。人間は犬と見つめあうと、オキシトシンが出る。オキシトシンは、幸せな気分になったり、脳や心が癒されストレスが緩和したり、不安や恐怖が減少する効果がある。オキシトシンはきずな効果があるとされ、社交的になり、人と関わりたいという好奇心が強まる。さらに親密な人間関係を結ぼうという気持ちになる。だから僕は居るだけで、ポジティブな気持ちさせてあげることができる。

「エッヘン!」

チワワ・シーズー・パピヨン・マルチーズ・そして僕達トイ=プードルなどが、このグループに属している。

 僕たちは一括りにイヌと言っても個性が強いし、大きさや容姿が違うので、それぞれに合ったものを用意して欲しい。特に食べ物やおやつはすべてのイヌに同じものを作るのでなく、個々の犬種に合うものを作って欲しい。罹りやすい病気がイヌによって違うからだ。また、ママさんも少しぐらい自分で服を作るか、既成の商品を僕のサイズに合わせて、手直しして欲しい。きつい服もあるが、お構いなしに僕に着させようとするのは、ほんと勘弁だ。

 僕たちは、少し休憩した後、三匹でドッグランを行ったり来たりして、ママさんたちのガールズトークが終わるのを待っていた。同胞が近くにいると、時間の経つのは意外と早い。警戒を怠れないからだろう。気が付くと二人のママさんが近くまで来ていた。

「そろそろ帰るよ。おいで」

と二人のママさんがいうので、僕たちは尻尾を振りながら、それぞれのママさん目指してダッシュした。

 その日の夕方のローカルニュースで、しっかり文ちゃんのインタビューが放送されていた。内容はコロナでペットの価格が上昇していることについてだった。2012年に動物愛護管理法が改正されて、ペットの販売や飼育環境の規制が厳しくなったと報道された。今後は、ネットのみのペット販売が禁止され、実店舗が必要なこと。犬のサイズに合わせたケージの大きさや、飼育面積の確保。繁殖犬は一人十五匹まで、販売犬は一人二十匹までで犬を管理すること。一日三時間以上の運動を義務付けることが紹介された。そうなると業者はコスト高になり、やめる業者が増えるので、飼育業者の数が減り、さらに販売価格が上昇すると、女性アナウンサーは解説していた。正直僕から言わせると、命をお金で売買する方がおかしいと思っている。最近パパさんもいろいろなメディアの影響で知識を身に付け、考え方が変わったようだ。最初はママさんに押し切られる形で、お金を出してペットを買ったが、最近はその事に違和感を覚えている。日本中に保護されている犬がいっぱいいるのなら、その子を譲り受けるべきではないかと思い始めたようだ。ただそうすると、僕との出会いはなかったので、僕も複雑な心境だ。今のパパさんとママさんが大好きだから、出会えなかったかも知れないと思うと少しさみしい。


 犬派か猫派かで議論されるようになった。コロナが蔓延し、ペットを飼う人が増えて、議論が再燃して来ている。以前は犬を飼う人が圧倒的に多く、猫がペットの二番手で少数派だった。しかし近年、犬ほど手のかからない猫の需要が急増し、頭数は犬を逆転して、日本ではペットとして猫の方が多くなった。では、僕たちと猫では何が違うのだろうか。

 もともと猫も僕たちも五千万年前は、イタチに似た〝ミアキス〟と言う同じ動物だった。進化を遡ると、たどり着く祖先は同じになる。ではなぜ今は違う動物になったのだろうか。五千万年前、何が起こったのか?

 僕たちの祖先のミアキスがいた世界に、地球の気候変動が忍び寄って来た。突然の寒冷化で、森の中の資源が少なくなり、このまま森に留まるか別の場所に移るかを選択しないと、種が絶滅する危険があった。そこで、外に出て行くことの好きな冒険心が旺盛な仲間が、新天地に移動し、草原で暮らすようになった。この草原に移った集団が狼を経て、犬へと進化していく。そして、森に残った種が、猫へと進化していったのだ。草原で暮らすには、隠れるところも少なく、敵も多かった。右も左も分からないが、獲物を取らないと生きていけないので、狩りの為に走り回った。草原には僕らよりも大きく強い肉食獣が沢山いて、狩るより狩られる方が多く、仲間が次々とやられてしまった。そこで僕たちは生きのびる為に、リーダーとなる仲間を決め、集団で行動するようになる。だが、体が小さく戦闘能力が劣る集団なので、なかなか獲物を取ることができない。まして、自分達より大きな獣をどうしても倒すことができない。だから僕たちは、大きな声で吠えながら、代わる代わる順番に、複数で攻撃した。なるべく大きな声で吠え、長く走り、敵を疲れさせるのだ。自分達よりも大きな敵を弱らせてから、みんなで襲い掛かるという狩りの方法に切り替えた。それでも資源が少なく、今までみたいに肉だけでは足りなくなり、何でも食べる雑食に変わった。それに対し、森に残った種は相変わらず単独で狩りを行い、小動物を待ち伏せして捕獲する猟を行っていた。こちらは一瞬の勝負の為、持久力はないが、ジャンプ力と瞬発力に優れ、高い所から落ちても怪我をしない柔軟性が身に付いた。お互いがお互いの環境で進化を続け、子孫を残し、何とか生き残って来たので、現代でもイヌ・ネコと名付けられ現存している。僕たちイヌは長く走るために、赤色筋線維(遅筋)が発達し、いつでも素早く行動するために、爪がしっかり出ている。対する猫たちは、瞬間的な力を求められるので、白色筋線維(速筋)が発達している。また狩りは、静かに行動することが求められるため、爪が隠れるようになっている。僕たちは口で獲物を捕らえるが、猫たちは前足で器用に獲物を捕らえる。だから、僕たちに無い鎖骨が猫にはあるのだ。この鎖骨のあるなしで、前足の稼働範囲が変わる。僕たちは前後にしか前足が動かないが、猫は投げた物をキャッチできるように、足を器用に動かすことができる。猫たちは、エクリン汗腺というものが足の裏にあり、そこから汗を出すので、熱を逃がしにくいが、体臭はほぼない。猫は鼻と肉球でのみ発汗するので、体内に熱が籠りやすい。呼吸も鼻で行い、口では呼吸しないので、僕たちみたいに口で体温を下げることもできないのだ。僕たちよりも熱中症にかかりやすいのが猫だ。野良の場合は、好きな所に行くので、自分の居心地のいいところに移動できるが、飼いネコの場合は特に注意が必要だ。

 僕たちイヌの体温調節は、〝パンティング〟と呼ばれる、舌を出してハアハア呼吸することで、舌の表面から水分を蒸発させる方法を使って、体温を下げている。また、全身にアポクリン汗腺があり、微量ながら汗がでるので、その汗で体温を下げているのだ。しかし、その汗を微生物が分解することで、僕たちは体臭がするようになる。ここでママさんに言いたいことがある。ママさんは僕に服を着せると、一週間も二週間も同じ服を着せ続ける。それもずっと着せっぱなしなのだ。「御津の主に何を聞いていたのか」と僕はいら立ちを隠せない。主は「毎日ブラッシングをしてあげてください。」と言っていた。ブラッシングは毛の手入れと、僕たちの身体のマッサージと、雑菌の除去につながるのだ。最低三日に一回はブラッシングをして欲しいものだ。また、服をずっと着せ続けるのは、体が痒くなる原因だ。ブラッシングの度に新しい服に交換してほしい。僕たちは全身で微量ながら汗をかく。汗を掻けば当然雑菌がそこに集まり、皮膚に付着する。同じ服を着続けるので、雑菌もずっと僕の身体に付いたままなのだ。だから僕はいつも体が痒い。しかし、ママさんはパパさんにずれたことを要求していた。「空気が悪いから、れおんがアレルギーになる。アレルギーでかゆがるのだから、空気清浄機を買って欲しい。」と言っていた。また「なぜ掃除を毎日しているのに、れおんのアレルギーは治らないのだろう」とか言っている。僕のベッドも長いこと洗ってくれたことは無い。寒いときに身体にかけるブランケットも、二週間以上はそのまま使用している。僕はアレルギー検査でハウスダストにアレルギーがある。だから家の掃除も大切だけど、僕のいつも着る服や寝る場所の埃やダニから綺麗にしてくれと思っている。

 話が逸れたので元に戻そう。森で暮らしていた猫は、自分より小さい動物を捉えて捕食するので、一回の狩りでは、体を維持する量は補えない。だから、一日に何度も狩りをして、何度も食事をする習慣が身についているので、現代でも少しずつ数回に分けて食事をする。逆に僕たちイヌは、集団で獲物を狩り、ある分だけを早い者勝ちで食べる。ある時に食べないと、次の食事がいつになるか分からない。余ると穴を掘って、餌を地中に隠し、後で食べるように取っておく。野生では、単独で狩りが成功することはない。つまり、自力で肉にありつけない。だから食事はあるだけ全部食べようとするし、現場に食料を残すという事はしない。

 犬は一日に体重1㎏に付き4.8gのタンパク質が必要で、僕の場合は4キロなので、19.2gが目安の量になる。猫の場合は体重1㎏に付き7gのタンパク質が必要なので、僕が猫の場合は、28g必要になる。猫は犬よりも動物性たんぱく質の要求量が多いのだ。僕たちイヌは、タウリンやアラキドン酸を体内で合成できるが、猫は出来ないので、食事で補う必要がある。リン酸やカルボン酸などを積極的に取ろうとするが、酸味は毒物でもある場合が多い。その為猫は苦味と酸味に敏感になった。一方僕たちイヌは、酸味は毒の可能性があるので分かるが、積極的に摂取するわけでは無い為、避ける程度に感じられればよい。僕たちが好物なのは甘味だ。生きる為のエネルギー源が糖なので、積極的に摂取したい。

 人間も実は同じだ。昼のカップラーメンと夜食のカップラーメンでは、夜食の方が美味しく感じる。これは、活動を始めた時、つまり起きた時より、活動を終了する寝る前の方が、オレキシンという物質が沢山出ている。このオレキシンが、上手いと感じる物質なのだ。起きている間に、この物質はどんどん増えて行く。睡眠をすると下がる。この物質が、朝と夜で実に五倍違う。これは、食料事情が悪かった時代に、いかに脂肪を摂取するかを突き詰めた人間の進化による本能的なものだ。寝る前に食事をするとよりおいしいと感じさせ、食事を促し、より多くの脂肪を蓄えるように体ができている。つまり、睡眠前に食欲を増進させて、より太らそうとしているのだ。僕たちイヌには、活動に朝も晩もない。襲われたら夜でも戦うので、人間のように寝る前に食べるとよりおいしく感じて、脂肪を増やすというような特別な能力はない。

 塩味については、肉を食べると自然と塩分が入っているので、僕たちも猫もあまり敏感ではない。塩の取り過ぎもよくないので、ヤギのように断崖絶壁を登って、塩を摂取するようなことはしない。僕たちイヌと猫では、水の飲み方が違うとされていた。犬は舌を上に曲げ、猫は舌を下に曲げて、水を飲んでいるように見える。しかし、実際は犬も猫も同じ飲み方をしている。違うように見えるのは、僕たちイヌが水を飲むのが下手なだけなのだ。水を飲む時はどちらも、舌先を曲げ、水に触れる面積を増やし、水に舌の裏を付けて、表面張力の力で水を持ち上げる。その水が落ちる前に口を閉じて口に含むことで水を飲んでいる。決して水を舌ですくって、舌の上に乗せて飲んでいるわけでは無い。猫は舌を水の表面だけに付けているので、舌の裏にだけ水の柱ができ、舌の裏の水を口に含むようにして口を閉じる。しかし、僕たちイヌは、水の奥にまで舌を入れるので、舌の裏の水柱を飲むと共に、舌の上の水も飲もうと欲張る。上と下の両方の水を持ち上げて、両方が口に入るように口を閉じるので、水がバシャバシャと散り、周りを水浸しにするわりには、猫よりも一回に口に含む水分量は少ないのだ。どちらかに狙いを定める方が実は効率がいいのだが、僕たちは常に競争して多く摂取しようとする習性がついているので、食事に上品さが足りず、結果、口に入る量は損をしていることに気がつかないのだ。犬も猫もお互いに一秒間に三~四回舌を上下させているが、猫の飲んだ水分量と同等の水を摂取するには、猫より長い時間水飲みを行わなければならない。

 僕たちイヌは、味覚が鈍いので、同じ食べ物でも文句を言わない反面、糞なども間違えて食べてしまうこともある。僕たちイヌは、人間より味蕾みらい(食べ物の味を感じる小さな器官)の数が少なく、僕たちイヌが千七百、猫が五百、ヒトが六千と食に関してグルメではない。生きる為に摂取しているだけで、食事を楽しんでいるわけでは無い。だから、人間みたいに無駄に作ることや、残して捨てるようなことはしない。仮に残したとしても、地中に大事に保管する。野生では、すぐに誰かが食べてしまうので、殆ど残ることはない。また、僕たちは雑食で、肉食の猫よりは、便の匂いはいくらか少ない。

 僕たちはリーダーと共に生きているので、飼い主であるリーダーを忘れることは無い。しかし、猫はマイペースで上下関係がないので、飼い主を忘れることもある。ただ、出不精でぶしょうで、自分にメリットがある限り、家から出て行こうともしない。逆にイヌは積極的に外に出て行こうとする。五千万年前、草原か森かで分かれた時に、積極的に新しい大地に出て行った血が、少なからずあるのかも知れない。「犬は人に付き、猫は家に付く」という言葉があるが、その通りだろう。そんな性格の犬と猫なので、飼い主も性格が分かれるようだ。僕が飼い主の性格診断をしてあげよう。犬派は、みなで食事する時には、同じものを食し、自分の意見を無理に通したりはしない。しかし猫派は、自分で食べたいものを単独で頼む。皆で頼んだものが余るぐらいあったとしても、自分の欲しい別の物を頼むのだ。少し、協調性が薄い。また、犬派は現実主義で映画やドラマもリアリティーがあるものを好むが、猫派は冒険物やSFのようなファンタジー物を好む傾向にある。猫派は想像力が豊なのだ。これはペットを飼い始めると、人間の意識の方が、変わっていくこともあるようなので不思議だ。犬を飼うにせよ、猫を飼うにせよ、飼う以上は、天国に旅立つ日までは、大切にして欲しいと僕は思う。


 僕は久しぶりに、パパさんとママさんと一緒にお出かけをする。その前日、僕はパパさんと引っ張りっこする為に、パパさんの足に前足でタッチした。この遊んでのサインは〝パピーリフト〟と呼ばれているらしい。パパさんが僕と遊ぶために床に座ったので、僕は犬用玩具のロープをパパさんの所に咥えて持って行った。パパさんは僕の頭を撫でて、ロープの端を持ってくれた。僕は

「ウー・ウー」

と言いながら、パパさんとロープの引っ張りっこをした。これをしていると、僕の運動不足とストレスが解消されるのだ。僕は力いっぱい引っ張った。すると、パパさんの手からロープが離れて、僕がロープを確保することになった。僕はパパさんの力は、こんなものかと思った。ママさんが、

「引っ張りっこは、勝って終わらないとダメよ」

とパパさんに言うので、パパさんは僕に再戦を望んできた。僕は、何度でも打ち負かしてやると思っていたが、今度はパパさんも譲らなかった。僕は先程みたいに、力いっぱい引っ張ったが、今度は取り上げることが出来ず、僕が疲れた所をパパさんに持っていかれた。僕はもう一度やろうと思ったが、パパさんがとったロープを投げて、僕に取りに行かせようとするので、僕は興ざめして、ロープで遊ぶのは止めにした。ママさんが、

「ロープは取りに行かす玩具ではないので、投げないで。」

とパパさんに言っていた。確かに音のしない転がらない物は、僕は苦手だ。僕はもう少し遊びたかったので、パパさんに前足を伸ばして頭を低くし、お尻をあげるポーズをして見せた。このポーズは〝プレイバウ〟と呼ばれる、遊んでのサインなのだ。するとパパさんは、

「ボール持っておいで」

と僕に言ってくる。お決まりのフレーズだ。僕はボールをいつも置いてある所に取りに行き、パパさんに渡した。パパさんはボールを投げてくれたので、僕はすかさずダッシュして取りに行った。それを四・五回繰り返すと、僕は喉が渇いて来た。しかし、ボール遊びが続けたいので、ハアハア言いながらもパパさんの所にボールを持って行った。パパさんはそんな僕を見て、

「れおん。水飲んでおいで」

と言って来た。僕は「もう遊んでくれないのではないか」と思い拒否していた。すると、パパさんは僕を抱きかかえ、水がある所まで連れて行ってくれた。僕は水が飲みたかったし、目の前にあるので我慢することを止めて、水を飲んだ。一息ついてパパさんを見ると、まだボール遊びをしてくれそうな雰囲気だった。しかし、僕の方の気持ちがえてしまい、パパさんの近くに行って腰を下ろし、丸くなった。パパさんは

「もうやめるのか?」

と言って来たが、僕はどうでもよくなった。するとママさんが、

「遊びをれおんのタイミングでやめるのは良くない」

と言っていた。パパさんはどうすることも出来ないことを言われて、落ち込んでいた。少し可哀そうだったが、僕は疲れたので、もう一度ボール遊びをする気分ではなかった。

 次の日、僕は「鬼の城」と呼ばれている場所に行くことになった。あまり怖い所には行きたくないなと思いながら、車に乗り込んだ。家から北西に四十分走った所にあるのだが、ナビあるあるの遠回りで目的地に向かい、肝心の目的地周辺でナビが終わってしまった。行き先を見据えてここだろうと思い曲がると、別の道だった。パパさんの読みははずれ、曲がる道を間違えた。目的地と思われる場所に二十分遅れで到着した。

 鬼の城は「キノジョウ」と読み、総社の標高三百九十七mの山頂に築かれた神籠石こうごいし系山城で、約二十九㏊(=二十九万㎡)のお城だ。この城は、城門が四カ所、水門が六カ所作られており、山の地形を巧みに利用した朝鮮式の山城だ。この城の城壁は突出部が作られており、城壁の石積みの作り方も、城の各箇所で違う。重箱しゅうばこ積み・布積み・神籠こうご石状列石いしじょうれっせき牛蒡ごぼう積み・階段積みと、同じ城の城壁に、いろいろな作り方を見て取ることができる。これは、吉備の中で力を持っていた氏族うじぞくが、それぞれ独自のやり方で、城壁を作ったことが伺える。つまり、吉備の人々が総出で、一つの城づくりをおこなった証だ。

 この城は、山を丸ごと使って作っている。その為城門にたどり着くまでに、数㎞山を登らなければならない。城に入っても、現在は山の中と同じようなもので、城の中でもヒト一人がやっと歩ける山道が至る所にある。貯蔵施設のあとがあり、武器や食料を保管できる建物が七棟作られていたようだ。山の斜面を少し切り開いたような所に、煮炊きできる場所がある。住居が作られていたかどうかは分からないが、硯などここで業務を行っていたのではないかという痕跡はいくらか残っている。この城は軍事施設として建設されたもので、有事以外にここに寄りつく人は少なかったと思っている。僕の鼻は、当時の人々の生活感を感じとらない。つまり、城を建設してもほとんど使用されたことがなさそうだ。建築当時のヒトには、重要な避難場所だったかもしれないが、脅威が去ると誰も寄り付かない。外から見ると立派な城に誰もいないと、魔物の棲み処ぐらいに思われても不思議ではない。

 鬼のきのじょうは日本百名城にも選ばれているものだ。このお城は、七世紀の朝鮮半島で行われた白村江の戦いの少し前から建設され始めた。百済は当時、日本との繋がりが深く、お互い行き来している仲だった。この百済の知恵を借り作られたのがこの城だ。

 この白村江の戦いは、唐と新羅しらぎの連合軍と百済くだらと日本の連合軍の戦いであった。結果はご存じの通り、文明の進んでいた唐の海軍に手も足も出ず惨敗して、百済は滅亡することになった。そして何とか難を逃れた百済のヒトたちは、日本に亡命する。日本では唐と新羅の連合軍が、日本本土にも攻めて来るかも知れないと気が気ではなかった。その為、大宰府から近畿まで、瀬戸内海沿岸の主要な地点に、防衛施設を急いで作った。鬼の城は、その中の一つとして瀬戸内の海を守っていた。ここは日本の中枢の喉元にあたり、最重要拠点の一つだっただろう。

 僕が聞いた話で気になることがあった。百済には、日本独自の墓である前方後円墳があった。近年になり、韓国はその施設が公開されると不味まずかったのか、調査もせずに痕跡が残らないように破壊した。韓国はなぜ、その墓を破壊しなければならなかったのか?破壊しなければならない何かがあったからだ。僕は、白村江の戦いも、なぜ日本が参戦したのかと疑問に思っている。朝鮮半島のごたごたに、わざわざ出向いて行って戦う理由が良く分からない。

 パパさんの車は、目的地と思われる公園に辿り着いた。山のふもとにある、公園と駐車場が一緒になっている所だ。ママさんはここに駐車して、歩いて上を目指そうと考えていた。僕も車を降りるつもりでいた。ガラガラの駐車場に車を停め、ママさんが僕を抱きかかえて車を降りた。しかし、パパさんは嫌な予感がしたのか、「もう少し車で行ける所まで行ってみよう」と言い出した。ママさんは「あら、そう」と言って、とても素直にもう一度車に乗り込んだ。僕は「今日はママさんの機嫌がいいぞ」と一人で拍手した。車は坂道を上り始めた。僕はママさんの膝の上で、先ほどの疑問を思考し始めた。

 なぜ白村江の戦いに参戦したのかと韓国にある前方後円墳を破壊したのかである。僕が思うに、「百済は日本人が協力して作った国家。若しくは、日本人に非常に近い人が作った国家なのではないか。」と言うことだ。日本が運営に携わっていた国家であれば、波が高く、渡るのも大変な日本海に大軍を送り出し、戦争に参加した理由も頷ける。また、墓を破壊したのも、その証拠となる歴史的な物品や資料が出てきてもらっては困るからだ。

 パパさんの車が山道を走り始めて数分が経った。行けども、行けども頂上に辿り着かない。やっと駐車場らしき場所に辿り着いた。実に3㎞も山を登ってきた。車ではどうということも無い距離であるが、これを登ろうと思ったことを考えると僕は「ゾッ」としてきた。前述のように僕は散歩が嫌いだ。身体のサイズに見合った体力になっているので、すぐに歩けなくなる。車を降り、僕はパパさんに連れられて、城の案内図を見てみた。城の中は散策コースが三種類ぐらいあり、何と一番長い距離は6.5㎞のコースがある。もし下から歩いていた場合は、クロスカントリーぐらいハードなトレーニングになりそうだった。とてもではないが、僕には無理だと思って横を見ると、ママさんも苦い顔をしていた。ママさんも動くことは嫌いな方なので、当然の反応だ。僕たちは、取り敢えず鬼の城と言えば「ここ」と言う門を目指すことにした。

 時代は少し遡り四世紀ごろ、吉備は大和と二分するぐらい強大な力をもっていた。その当時から、百済と日本は、お互いに行き来をする間柄で、百済の王子の〝温羅おんら〟が吉備にやってくるまでだった。政治的な交わりといってもいいだろう。吉備にやってきた温羅は、当時進んでいた大陸の知識を持っていた。温羅を中心に日本に渡ってきた人々は、いろいろな知識と共に、たたら製鉄の技術を吉備に伝えた。大陸文化を取り入れた吉備は、日本でも非常に文化レベルが高くなる。吉備が発展するにつれ、大和は吉備を脅威に感じ始めるようになってきた。

 製鉄には大量の熱が必要で、服は極力着ずに作業を行っていただろう。火が服に燃え移る可能性が高いからだ。その為、製造者は長年の作業で、肌が赤く焼けてくる。高温での作業のため、事故が起こると、火傷やけどにより、醜く怖い形相になる人もいただろう。鉄を作るには、かなりの力も必要で、筋肉の発達は、一般人よりも遥かに上だ。

 笠岡市の津雲つぐも貝塚から発見された骨を調べると、この時期の吉備の平均身長は、男子158㎝で、女子147㎝と非常に小柄であった。中国の三国志(西暦220年ぐらい)で有名な関羽雲長かんううんちょうは、少なくとも180㎝以上はあった。中国の歴史書は大げさに書くことが多いが、関羽が使用した青龍せいりゅう偃月刀えんげつとうを見ると、体が小さい人にはとても扱えないような武器なので、大陸の人々が日本人よりはるかに大きかったのは確かだろう。

 僕は慣れない山道を頑張って歩いた。パパさんはすいすい歩いていくが、ママさんはすぐに遅れてくる。ママさんをいつも置き去りにして歩くため、ママさんはすぐに機嫌が悪くなる。しかし、パパさんがママさんを先に歩かせ、ママさんのペースに合わせると、目的地に着く前に日が暮れるのではないかと思うぐらい、進まない。自分が意思を持ってコース取りを行うことに慣れていないからなのだろうか。目に見えている場所に行くにも、ときどき立ち止まっては、目的地を確認する。その繰り返しがなかなか前に進まない原因だ。日常使っている道であるならば、そんなことはないが、初めての所となると、特にその傾向が強い。歩いて止まって、歩いて止まって、を繰り返す。ナビの無い車でも同じような傾向にある。スマホはながらで操作するのに、道順をそうしないのはなぜかを僕は理解できない。よく考えると僕は、道順などということを意識して歩かないので関係ないか(笑)。

 吉備が力を増してくると、脅威に感じた大和はあらぬ疑いをかけ始める。温羅率いる大陸出身者が、日本を侵略しにきているのではないかと。どこまでが本音で、どこまでが政治なのかは分からない。吉備を潰すための口実か、本当に侵略されると信じているのか疑問だ。大和は、まだ渡来人という言葉が無かった時代に、百済からきた中心人物の名前を使って、大陸から来た人々すべてを、温羅うらと呼ぶようになる。大和は「温羅による日本侵略説」を考えるようになった。

 しかし、吉備からしたら、もし温羅が侵略の為に来ているのであれば、吉備の人と文化交流を行うはずもない。力をつけて困るのは自分たちなのだ。吉備の人々と温羅とは、非常に友好的であり、お互いを尊重していた。

 大和は吉備と吉備の後ろにある力を恐れるようになってきた。しかし、大和には吉備を侵略する大儀名分がない。また、日本を二分する力を持つ大和と吉備なので、政治的にも軍事的にも、片方が潰れてしまっては困る。つまり、自分の政権下にある国の一つに吉備を治めることが、非常に重要なのだ。そこで、大和は一計を案じ、鬼が出てくる物語を創作した。「西の方角になにやら鬼が出るようだ。人々を守るために、軍を派遣して確かめようぞ」と言い出した。

 「鬼」はもともと目に見えない力があり、災いの元とされていた。また、人の魂を扱い、死者の魂を西に向かわせ、地獄で人間に罰を与えるのが、鬼の仕事と考えられていた。人の世では、他国人や海賊、反政府思想の人を「鬼」と呼ぶことがあり、鬼と同様な差別をされていた。

 西にある言うことを聞かない国。他国人と共生している国。見た目も、日本人より大きく、肌が焼け、鉄の棒を扱う、強靭な肉体を持った人々の国。つまりこの「鬼」の像と吉備国はぴったり条件が一致するのだ。いやいや少し待って。反対かも知れない。僕はこの吉備国の人々を鬼のモデルにして、物語が出来たと考えるほうが自然な気がしてきた。 

 1180年の”梁塵秘抄りょうじんひしょう”という歌集の中で、吉備津宮きびつぐうを歌ったものがあり、”うしとら御前みさきは恐ろしや”と書かれている。1583年には、備中吉備津宮びっちゅうきびつぐう勧進帳かんじんちょうに鬼退治の話が載っている。

 僕も鬼と聞くと怖いイメージを持っている。「鬼は退治しないといけないもの」という固定観念が、小さいながらにすでに付いている。鬼は悪者。やっつけなければならない者。「その鬼をやっつける為に軍を起こすことは正義の戦い」という権力者に都合の良い言い訳、解釈を行い、民衆を納得させる。今で言う所のプロパガンダだ。大和はついに、四将軍の一人の吉備津彦乃命きびつひこのみことに命じて、軍をおこし、吉備の国を蹂躙した。温羅たちを四国に追いやり、吉備を政権下に加えることに成功する。現代の歴史書にはしっかり大和政権と記載されていて、「勝てば官軍」の要素が見え隠れする。

 鬼を悪者にする為に作られた鬼退治の物語は、雑に作られていて、現実離れした話が多い。

 伝承されている物語は、紀元前三世紀に四将軍の一人である吉備津彦乃命(いさせり彦)を派遣して、大陸からやってきて悪さをする吉備津火車(=温羅うら)をやっつけるというものだ。朝鮮から空を飛んでやってきたり、いざ戦闘となると実際には届くはずの無い距離で弓矢を射かけたり、負けそうになるときじとなって逃げ、たかとなって追いかけたり、鯉となって、逃げ鵜となって捕まえたり、首だけになっても唸り声をあげるなど、話が突拍子過ぎる。

 岡山県には、物語の舞台となった名前や史跡が存在する。しかしここは、おとぎ話を正当化する為に、後から関連施設を拵えたり、行事を執り行ったりして、辻褄を合わせようとしたのではないかと僕は推測している。

 吉備津神社には釜鳴神事と呼ばれる行事が存在する。桃太郎の題材となった吉備津彦命が、鬼の題材となった温羅を打ち取った後、温羅を首だけにしても骨だけにしても、大声をあげ十三年間唸り止むことがなかった。吉備津彦命が寝ていると、夢で温羅が出てきた。温羅は、最愛の妻である阿曽女あぞめに釜をたかせてくれるなら、静かにしようと提案した。目覚めた吉備津彦命はすぐさまそれを実行し、人々は静かに暮らせるようになった。つまり、最愛の妻が側にいるから安心して眠りにつくことができたということだ。それなら僕にも普通に考えられる筋だ。鬼にも安寧の地を作ってあげたと思えれば理解できる。

 しかし、ここでもなぜか話がおかしな方向にれている。夢に出て「妻に釜を炊かせなさい。」と言うところまでは僕もわかる。しかし、そこからなぜか、「幸あればゆたかに釜を鳴らし、わざわいあれば荒々しく釜を鳴らそう。」というのだ。なぜだ?イヌの僕には意味が分からない。成敗された鬼側であれば、人の世を恨むことがあっても、人間界の吉凶を占う意味がどこにあるのだ。願いをかなえてくれたから占うのか?願いを叶えてくれたから静かにしたのだろう。正直疑問しか湧いてこない。

それでも、1568年ごろの興福寺「多聞院日記たもんいんにっき」に、「備中の吉備津に鳴釜あり」と書かれているので、古くからの伝統行事のようだ。ただ、この時に書かれているのは、「釜が高くなるほど志が叶う」となっており、吉凶を占うのとは少し違う。神事と言えど曖昧だ。

 「桃太郎の話」で疑問に思う最大の理由は、時代がどこなのかはっきりとしない点だ。神社の建立は飛鳥時代(五九二年)五世紀以降から本格的に始まった。もともとは山や木や石など、神が舞い降りる場所を人々はあがめ、拝んでいた。その後、神が舞い降りるのに迷わないように、小さなやしろを建てた。それが巨大化していき、神社となったのだ。だから神社は神聖な場所とされる所に建てられている。

 仏教も五世紀初め(五四〇年頃)に伝来され、お寺の建設も同時期に始まった。お寺は、大仏や仏像などの偶像化した仏様を拝む教えだ。だから建てる場所にあまりこだわりはない。後年は、お寺が役所の働きも持つようになり、地域住民の税の調達や戸籍の管理などの役割も担うようになるので、全国どこにでもあり、一定の間隔でお寺が存在する。仏と神が仲良く共存する国は、同時期に教えが広まった日本ぐらいだ。話は逸れたが、桃太郎の話の舞台となった四世紀ごろに、神社はなかったはずである。神社が無いのに、鬼が退治されたとされる時代に、吉備津の神事はできないはずだ。

 二つ目は、鬼退治の話には、陰陽五行説いんようごぎょうせつの考え方が随所にみられることだ。陰陽五行説は、大陸から六世紀に伝えられたとされている。この時期の権力者たちは、陰陽五行の考え方を拠り所としていた。飛鳥時代の役小角えんのおづぬに始まり、後に有名になる安倍晴明は平安時代の陰陽師だ。この陰陽五行の考え方は、明治時代に至るまで重視され、政治に利用されていた。陰陽五行説は、今でも我々の文化習慣の中で生き続けている。例えば、土用の丑・占い・相撲・節句・神事に至る様々な所に、この思想が反映されている。

 桃太郎の物語で、なぜ鬼はつのが生えて、虎柄のパンツを穿いているのか?桃太郎のお供は猿・鳥・犬なのか?などはすべて陰陽五行にのっとれば、すべて説明が可能なのだ。陰陽五行の思想では、方角はを北として、時計回りに十二支がそれぞれの方向に配置されている。そして、災いの多くは北東の丑寅うしとらの方角からやってくると昔の人は考えていた。僕が言うのもなんだが、地軸の傾きと自転している方向と公転している方向を考えると、地球は常に北東に向かって進んでいるようなものだ。何かが起こる方角が北東であるというのは、分からないではない。前から来るものに敏感に反応するのが動物だ。災いがやって来る方角を鬼門と呼び、権力者はその方角を避けるように行動をはじめた。災いがやって来る方角である鬼門が、丑寅という方向(昔の方角の言い方)であり、丑から『牛』を寅から『虎』を連想して鬼のイメージが作り出された。「北東」=「丑寅」=「鬼門」=「オニ」なので、牛の角と虎柄のパンツが鬼の姿になった。

 また、陰陽五行の思想では、「丑寅」と相性の悪いとされるのが、裏鬼門の「さるとりいぬ」なのだ。だから猿と鳥と犬が主人公のお供にうって付けだったわけだ。さらに桃は古代中国では悪邪気を祓う霊力を持つものとされていた。桃太郎の物語に出てくるものすべてが、陰陽五行の考え方に沿っていることが伺えるだろう。つまりこの物語は、この思想を反映しているのであるが、四世紀に陰陽五行説はまだ日本に伝わっていなかった。

 僕はパパさんとママさんに連れられて、岡山の”うらじゃ祭り”に行ったことがある。”温羅うら””じゃ(岡山弁)”祭りは、鬼の祭り。他にも、倉敷の茶屋町に「鬼祭り」と呼ばれる祭りがある。うらじゃ祭りは、”鬼の化粧”で”五穀豊穣”を祝うものだ。”共生と融和”がテーマだ。生きとし生けるものすべてが分け隔てなく繋がり、様々な文化を取り入れ、一緒になって栄えようというものだ。太古の吉備の国と同じ精神だろう。大和からすればウラ=オニ=敵なのだろうが、吉備からするとウラ=渡来人=仲間なのだ。鬼を悪者のイメージに仕立て上げたのは、権力側の人間に他ならない。

 吉備の国は、飛鳥奈良時代の西暦7百年前後に、備中・備前・備後・美作の四つに分割された。完全に大和の支配下に置かれたことが分かるだろう。備中と備前の境は、吉備津神社南の山で、吉備中山のふもと茶臼山古墳で分かれている。中山茶臼山古墳は、第七代孝霊天皇の皇子の”大吉備津彦おおきびつひこのみこと”が安置されているとされているが、国が管理しており発掘もしていないので、真実は分からない。百舌鳥古墳群の大仙陵古墳と同じで、発掘されると都合が悪いのかも知れない。この古墳は古墳時代でも、初期に作られたもので、紀元一世紀ごろのものだ。茶臼山古墳はきっちり南北を向いている。当時の技術力の高さがうかがえる。岡山にはこうした古墳が多く、県内には1万基以上あり、全国三位の数を誇る。古代に吉備が力を持っていた証だ。因みに岡山は山が多い県だなと思っている人がいるかもしれない。確かに岡山の北部に山は多いが、岡山南部にある小高い山は、良く調べると古墳と言う所が非常に多い。「近くにお墓がある所に家を建てたくないな」と言っている人の自宅がある所は、実は古墳の上と言うことも多いのだ。一万基以上ある古墳がどこにあるのか知らないだけで、実は非常に身近に古墳は存在している。

 この茶臼山古墳の中央を備前と備中の国境としたのだ。なんと古墳の真ん中が国境だったのだ。

鬼を倒したとされている吉備津彦命は、この「吉備中山」と呼ばれる山の北東の麓に吉備津彦神社がありそこに祀られている。この神社は「備前国」に属する。同じ「吉備中山」の麓にあり、温羅とつながりの深い吉備津神社は「備中国」となる。当時は他国であったので、徒歩で二十分ぐらいの距離にある二つの神社が、共に一宮(国の中で位の一番高い)神社となった。国境を古墳の真ん中にした結果、一の宮が非常に近い距離になった。結果、「吉備中山」という山の麓には、「茶臼山古墳」・「吉備津彦神社」・「吉備津神社」という三つの重要な施設が存在する場所になった。今では岡山の中で一番のパワースポットだ。僕も一度、パパさんとママさんと一緒に吉備津に行ったことがあるが、車の外に出るだけで空気が変わるのを感じた。とてもおごそかで繊細なパワーが山を中心にみなぎっている。僕たちの本能に直接語り掛けるような、誰かに見られているような気がして、そわそわしていたのを覚えている。

 僕は、周囲の安全を確かめて、先頭をあるくことにした。ママさんに任せておくと、なかなか進まない。パパさんを先頭にするとママさんがふくれる。だから僕が先頭を歩くと上手く収まる気がした。僕は二人を従えて、門まで歩くことにした。道幅は狭い所もあり、急な斜面も多く、少し歩きづらかったが、僕は地面をしっかり踏みしめて歩いた。山の上なので空気が綺麗で気持ちは良かった。門までたどり着くと、意外と大きな建物であることが分かった。日本の建物には見えないので、やはり大陸の文化なのだろう。この時期の建造物にしては、りっぱで機能的に作られていた。僕たちは門から散策を始めた。人が少ないし、山の奥なので昼間であっても少し気味が悪い。木々が生い茂る細い道を辿って行くと、駐車場に戻る道と先に進む道の分岐点が出て来た。ママさんは疲れたのか、何かを感じたのか、「先に戻っとくね」と言って、途中で引き返していった。僕とパパさんは、さらに奥に向かって散歩を続けた。先ほどと打って変わって、パパさんが先を歩くようになった。僕は疲れてきたが、パパさんはどんどん奥に付き進んで行く。僕はさすがにお座りをして、もう歩けないアピールをした。パパさんは、すこし立ち止まり、僕を抱っこして先に進むか、そのまま戻るか考えているようだった。少しして頭を掻きながら、仕様がなさそうにUターンして、駐車場に向かいだした。放っておいたら、どこまで行かされたか分からない。研究者からしたら重要な施設かも知れないが、僕は伊勢神宮ほど神秘的には思えなかった。古い建物というだけで、人の思念が少しも感じられなかったからだ。長い年月が経っている所為かも知れないが、魅力的には思えない。ただの山道だ。僕は来た道をやっとの思いで歩き、そのまま車に乗り込んだ。ママさんが車の中で待っていたので、僕はママさんの膝の上に飛び乗り一息ついた。パパさんが車に乗り込んできて、エンジンをスタートさせた。鬼の城は、古代のロマンを頭の中で感じられる人にはよい所かも知れないが、現地を散策して楽しむには、苦労の割に達成感は少ない。歴史研究と思って現地に行くといろいろ発見があるかもしれないが、観光地と思っていくとガッカリしてしまう所だ。

 最後にとっておきの内緒話をご紹介しよう。福沢諭吉は「桃太郎」を盗人で悪人と評しており、鬼が島にいったのは、宝を取りに行くためだったと云っている。芥川龍之介も、桃太郎は畑仕事が嫌で、突然鬼の征伐を思い立ち、悪さをしていない鬼を懲らしめ、宝を持ち帰ったと云っている。桃太郎の話は明治以前には、突然桃太郎が鬼退治に行くと言って、鬼が島に行き、宝物を分捕って帰ってきたと記されている物が多い。すべての話で共通しているのは、桃太郎が「鬼が島」から宝物を持って帰ってきたことだ。実は桃太郎の歌の四番と五番にそのことが伺える歌詞がある。

一、桃太郎さん 桃太郎さん、お腰に付けた 黍団子きびだんご、一つ わたしに くださいな。

四、そりゃ進め、そりゃ進め、一度に攻めて 攻め破り つぶしてしまえ 鬼が島

五、おもしろい おもしろい、のこらず鬼を 攻め伏せて、分捕物ぶんどものを えんやらや

となっている。「(侵略が)おもしろい」「分捕ぶんどる」と完全な盗人の言だ。

2007年産まれ、2019年出版の本、12歳「よつばさん」の豆知識だ。

明治以降は、戦争に突入する時代で、侵略を正当化する必要があった為、物語を作り替えた可能性もあるようだ。鬼を退治する話を大和が作り上げ、吉備は桃太郎が悪さをする話を口伝していった。明治になり国の都合に合わせた物語に書き換えられたのではないか。僕は、鬼退治の話と桃太郎の話は、別の話を一緒にしたのではないかと思っている。


 ママさんの成長は著しい。トリミングは一ヶ月に一回だが、僕は二週間に一回お風呂に入っているのだ。つまり、ママさんが、一ヶ月ごとに自宅のお風呂に入れてくれるのだ。僕は温かいお湯に触れているときは、気持ちがいいので大好きなのだが、その後のドライヤーがどえらい嫌なのだ。ママさんはいつもお風呂に入る前に、ブラッシングを行い、毛のもつれをとる。その後風呂場に行き、僕の肛門腺を握るのだ。二週間分なのでそんなに量はないが、白い液体がピューとでてくる。僕の個人情報の塊だ。初めの頃のママさんは、肛門絞りが下手で、この液体を顔で浴びて、臭さに卒倒しかけた。「ママさん。ごめんなさい。」ママさんはお風呂の蛇口をひねってお湯を出し、三十八℃のぬるま湯になるまで調整したら、体を流してくれる。この時はまだ体が慣れていないので、ビクッとしてしまう。その後、ラファンシーズのシャンプーをスポンジにつけて泡立ててから、背中から洗ってくれる。この時が一番心地良くずっとやっていてほしい。次に手足とお腹をスポンジで洗うと、最後に顔の周りを手で丁寧に洗ってくれる。マズルの周りが「くちゃい」とママさんは嬉しそうに言っている。僕には理解不能だ。シャワーで綺麗に泡を落とすと、次にリンスをする。リンスは全身の毛に泡を馴染ませると、すぐに洗い流す。この間大体十五分ぐらいだ。シャワーをとめると、手で体の水分を絞り、バスタオルにくるんでトリミング台に連れて行くのだ。トリミング台は、かつさんの手作りでちょうどいい高さに調節されている。ここからが、僕にとっては苦痛の時間だ。ドライヤーの熱が熱すぎて嫌いだし、音がうるさくて嫌いなのだ。また、ママさんが僕の気をそらす為かおやつを近くに用意しているので、僕はそれが気になって仕様がない。トリプルで僕はソワソワしてしまい、まったく落ち着きがなくなる。ママさんの手を何度本気で噛んだが分からない。このドライヤーの時間が二十分ぐらいかかるから、僕のストレスは相当なものだ。早く終わって欲しいといつもバタバタしている。その行動が逆に時間がかかる原因であることを僕は知る由もなかった。

 僕たちは触れられると気持ちのいい所がある。みんなもご存じの顎の下だ。耳の後ろも気持ちがいいのだが、ここは自分でも届くので大丈夫だ。眉間も気持ちがいいポイントだ。ただ突然触れられると警戒するので、事前にアピールしてから触れてほしいのだ。お腹は急所なのだが、触られると気持ちがいい。尻尾の付け根も疲れがたまりやすいので、モミモミしてくれると疲れがとれる。そしてみんな誤解しているかも知れないが、背中を撫でてくれるのも気持ちがいいのだ。ブラッシングを毎日してくれている同胞は気づかないかも知れないが、僕たちは背中に自分で触れることができないので、撫でてくれただけでも血行がよくなり気持ちがいいのだ。

 僕が好きなのは、スリングの中に入ってママさんと一緒に行動する時だ。ママさんは気分がいいと僕をこの袋に入れて、掃除をしたり、洗濯物を干したり、いろいろな家事を行う。この中は僕にとってすごく居心地が良く、落ち着ける上にママさんとずっと一緒にいられるので大好きだ。ただママさんがときどき僕のことを忘れて、家の家具や机をぎりぎりで通過しようとするときには、ドキッとする。僕の顔が当りそうになり、ママさんに『オイ』と言いたくなる。


 僕はママさんにいろいろ教えてもらったが、覚えが悪いのでいまだに上手くできない。伏せと言ったり、ダウンと言ったりして、良く分からない時がある。ママさんは気分で言い方を変えるので分かり難い。お回りとお座りの違いも今一つ僕には分かり難い。僕自身がワンワン言って、自分で聞き取りにくくしている場合もあるので、ママさんの所為(せい)ばかりではない。ただ僕は待つことが大嫌いだ。特にご飯が目の前にあるのに、「マテ」と言われても待てるわけがない。特にお腹が空いている若いときはなおさらだ。僕がママさんの言葉を聞き分けられるのは、「お座り」ぐらいだ。「お手」と言われても、焦ってしまって伏せをしてしまう。ママさんが、「それは伏せよ」と言っても僕は頭が緩いのでよくわからない。ママさんが「お座り」と言って再度お座りをさせる。そして、続けて「お手」と言ったので、今度は前足をママさんの手にのっけてみた。するとママさんが「おりこう」と言って頭を撫でたので、これがお手かとその時は理解するが、次の時にはまた忘れて、伏せをしてしまう。ママさんが、「おすわり」の後に「伏せ」と言った時は伏せが出来るのだが、いきなり伏せを言われても、お座りをしてしまうことがある。しつけ教室で、僕はママさんと伏せの練習をした。ママさんが、床に体操座りのように座って、足の下を僕が通るように仕向けた。おやつで釣って、ママさんの足の下を僕が潜るように持っていき、足の下で床に伏せた時に、「伏せ」と言って止まる。そのまま僕は動かなかったら、ママさんが頭を撫でておやつをくれた。僕はママさんの足のトンネルを抜けると、今度は反対の手でおやつを足の下から差し出して来た。僕はまた、ママさんの足のトンネルに入って行った。途中で床にお腹が付いた状態になった時、ママさんが「伏せ」と言ったので、同じように待っていると、頭を撫でておやつをくれた。僕は、このママさんの足を潜って、足の下で止まることが伏せなのかと思った。教室はここまでだった。家に帰ってママさんは、習った通り足を使って僕に「伏せ」と言うので、僕は覚えた通り伏せをした。すると、ママさんは「れおんは覚えがいいよ」とパパさんに伝えていた。パパさんは「それは良かった」と言っていた。ただ僕は伏せを習得しているわけでは無かったのだ。ママさんは「お座り」は毎日言うが、それ以外の言葉は自分の気が向いた時にしか言わない。だから覚えの悪い僕は、そのほかの言葉がどんな動作だったのか、忘れてしまうことが良くある。さらに、僕が良く覚えていないのに、今度は「ターン」や「タッチ」と言い出す。僕は混乱の極みだ。「ターン」は手に持ったおやつを追いかけているだけなのだが、ママさんは一回転したと思われるぐらい歩くと、「おりこう」と言っておやつをくれる。手に持ったおやつを追いかけることが、ターンなのかと僕は思った。だから、ママさんが手でターンと言いながら僕の頭上で円を描いていても、僕は首を動かし見守るだけだ。結局ターンが何かも実は理解していない。また、「タッチ」と言って、手を肩のあたりに持っていくことがある。これは手のひらを前足で触れるとおやつをくれるので、ママさんに手のひらを触れるといいのだと理解したが、「お手」と「タッチ」の違いが分からない。「おかわり」と言ってくることもあり、どうするのが正解なのか混乱する。最近は、ママさんが何かを言うと、取りあえず習ったことを一通りやる。ママさんが動作の途中で「おりこう」と言ってくれるので、食べ物をくれればそれでいいかと思っている。だから、ママさんが何かを言うと、お座り以外は、全部やってみることにしている。「どれか当たるだろう」の感覚だ。ママさんからしたら不本意だろうが仕方がない。習得する前に次に進むし、正解を理解するほど練習もしない。また毎日するのであればもう少し覚えるかも知れないが、毎日するのは「お座り」のみで、後はほとんど言ってこない。習慣化されていないので、すべてが曖昧だ。伏せの練習も教室に行ったその日と、次の日ぐらいは行うが、後はめったに言ってこないので、当然僕は忘れる。ママさんも忙しく、僕の事ばかりもして居られないので仕様がないのかも知れない。

 僕が言うのも何なのだが、しつけのポイントは六つだ。一つ目は、分かりやすい言葉で指示を出し、良い場合は積極的に誉めて、駄目な場合はどこが駄目なのかをはっきりすることだ。飼い主の気分、特に八つ当たりで犬を叱ってはいけない。僕たちはなぜ起こっているのか分からないので、どの行動が駄目だったのか分からず混乱する。また叩いたり蹴ったりして従わすことは、躾と言わない。この場合は怖いから従っているだけで、主人がいないときには何をするか分からないし、自分より順位が下と思った人には、同じように噛んだり吠えたりして力で従わせるようにもなる。散歩中に子供に怪我をさせる大型犬は、虐待されている可能性もある。さらに、ルールや言葉がコロコロ変わるのも良くない。人間が同じ内容と思っていることでも、僕たちには言葉が変わると理解できないし、違う何かと思うので、正しい行動が分からなくなる。

 二つ目は、しつけに過剰になりすぎないことだ。かまって欲しいサインを過剰に無視することや、嬉しい時のおしっこを粗相そそうと思って怒ることも良くない。あまり距離をおくことは、僕たちにとっては不安でしかない。パパさんやママさんに気にいられるように、僕たちも大なり小なり頑張っているのだ。なんでもかんでも叱られるとやっていられない。

 三つめは、”誉める””叱る”のタイミングをずらさないことだ。悪いことをしたら、三秒以内に叱らないと僕たちには、どの行動が悪かったのか分からなくなる。後でネチネチ言われても、僕たちが覚えている訳もなく、「なぜこの人は怒っているのだろう。」と一つ目と同じ状態に僕たちは陥ってしまう。逆に誉める時も三秒以内に行わないと、こちらも効果が得られない。何に対して褒められているのかが分らない。躾には三秒ルールが大切だ。

 四つ目は、駄目な行動をかばうような事をしてはいけない。うるさいからついつい抱っこしたり、ご飯やおやつをあげたりすると、犬は吠えると食べ物を貰え、構ってもらえると勘違いしてしまう。また、室内を荒らした時に犬に甘い言葉を掛けると、飼い主に褒められたと誤解して何度でもやるようになる。この場合は、犬を無視して無言で片付け、何事もなかったようにふるまうことが重要だ。室内を荒らすなどのかまってアピールはストレス行動なので、行動が過剰な場合は別の対処を考えるべきだ。

 五つ目は、犬が優先の生活や行動を行うことは絶対に避けるべきだ。ご飯をヒトより先にイヌにやることや、時間を決めて散歩をするなど、犬の欲求を先に叶えるような行動は、上下関係がおかしくなるので、躾ける上では絶対にやってはいけない行動だ。あくまで人間の行動にイヌが従うようにしなければならない。

 そして最後六つ目は、長い時間をかけて、繰り返しブレないしつけを行わなければならない。しつけはすぐにできるわけではないので、長期間にわたり同じことを繰り返し行わなければ定着しない。またすぐにすべてが出来るようになるわけでは無いので、一つずつできることを増やしていくようにしないと、僕たちも混乱する。毎日行うことが難しいと言って、適当にしつけをごまかしていると犬もあいまいなままで、いつまでたっても出来るようにならないのだ。僕の場合パパさんが、一つ目と四つ目に甘い時があり、六つ目に至っては、皆無だ。根気よくしつけをされた覚えもないので、僕はついつい甘えてしまう。結果、僕は問題児のレッテルを貼られることになってしまうのだ。人間でも同じだが、上手く躾られる人は、誉め上手である。イヌもほめて伸ばすことが可能なので、叱るばかりでなく誉めてしつけることにもチャレンジして欲しいものだ。

 基本的なしつけのポイントをおさえたら次は、実際にしつけを行っていくことになる。社会性トレーニング・トイレトレーニング・ボディータッチトレーニングの三つのトレーニングがしつけのステップだ。トイレトレーニングは各家庭どこでも最初に取り組むはずだ。どこの家庭でも家中に糞尿が散乱するのは嫌なので、ここだけは必ず最初に行う。一つだけ注意点があり、トイレトレーニングの時に、粗相をした犬を叱るのはNGだ。おしっこをしたこと自体を怒られていると勘違いして、無駄に我慢したり、家でしなくなったり、隠れてしたり、汚物を隠そうとして食べたりするようになるので、トイレの失敗を叱ることは避けるべきだ。トイレトレーニングは、上手くできたら「ほめる」の繰り返しで上手にできるようになる。最初は上手くできないが、できなかったときは無言で片付け、トイレ以外の場所に臭いを残さない様に消臭スプレーで綺麗にふき取り、何事もなかったように振舞うとよい。そして、うまくできた時は、しっかり褒めると短期間でトイレを覚える。ただ、前足はトレーに入っているが、後ろ足はトレーからはみ出して、枠外にはみ出ることはあるが、そこはあるあるで我慢してほめてあげよう。何度も言うがトイレトレーニングで失敗を叱るのだけは駄目だ。このトレーニングは出来たら褒めるの一点張りだ。

 次のボディタッチのトレーニングは人間の方に勇気がいる。歯磨きやブラッシングなどは、神経が多い所を触ることになる。その場合でも大人しくしていられるように訓練するのだが、なかなかこれが上手くいかない。神経が敏感なマズル・尻尾・足先に触れる場合は、小型犬でもあちこち噛まれて傷だらけになるので、大型犬の場合は特に注意が必要だ。狂犬病の注射だけは必ずしておかないと、人間の命にかかわることにもなりかねない。ボディタッチは本当に犬が慣れるしかないので、何度も触れて回数をこなすしか解決方法がない。

 そして、一番難しいのが社会性のトレーニングだ。これにはみんなてこずることになる。室内トレーニングと屋外トレーニングの二パターンのしつけになる。室内の場合は、チャイムの音・郵便配達員・歩いている人・テレビの音・近所の同胞への威嚇や無駄吠え防止の訓練。家の中の布製品・人間の食べ物・家具やコンセントへの噛み付き防止の訓練。一人の時の過ごし方(お留守番)の訓練だ。この訓練は、犬により興味あるものが違うし、家の中の状況が異なるので、各々イヌに合ったしつけを行っていかないといけない。例えば噛み癖があるイヌの場合は、噛んでも良いものを事前に与えておくことや、噛んではいけない物にカバーをしたり、イヌの嫌いな匂いを噛んではいけない場所に付けたりして、各家庭にあった対策が必要になる。

 屋外の場合は、散歩の仕方・他の犬との接し方・拾い喰い・玩具の遊び方・車の乗り方・サロンや病院など施設の使用の仕方の訓練になる。ほとんど「お座り」と「待て」が出来ればなんとかなるが、外の場合は、なかなか周りの環境が犬を興奮させるので、上手くいかないことが多い。僕の場合は、トイレとボディタッチはほぼ問題はないが、家の中にいる時は王様の気分になり、外を歩いている人には常に吠えている。郵便配達員はもちろんのこと、家の中にいる家族にも吠えまくっている。吠え癖というよりは、もう病気かもしれないと思うほどだ。しかし、外に出ると僕は急にチキンハートになり、散歩では歩かない。ドッグランでは走らない。レモン以外の犬との交流はしない。トリミングや病院もパパさんやママさんがいないと、一人では怖いので大人しくしている。ただ車に乗った時だけは強くなった気になり、隣のダンプや道を歩いている人に吠えまくる。僕のしつけは失敗だと思うが、僕にはどうすることもできない。パパとママがいるとなぜか吠えてしまうのだ。ママさんも僕のしつけには困っている。もともと甘いママさんなので、しつけが緩むのだ。継続性もないのですぐ忘れる。最近は「ハウス」と言って、僕を叱るのが主流だ。ワンワン言っているとママさんが「ハウスするよ」と言ってくるが、僕は気にせず吠えまくる。車に乗っているときは、車の座席の足の部分に僕を押し込めて、哭き止むのを待つ。僕もその時は大人しくしているが、膝の上にのるとまた吠える。「なぜだろう?」僕にもよくわからない。ここは専門家の意見を聞きたいところだ。ほとほとママさんは僕のしつけに頭を痛めている。ママさんの為に犬のお巡りさんの替え歌を一曲。

♪僕の飼い主さん困ってしまってワンワンワワン・ワンワンワワン♪。

なんちゃって。

 僕は甘噛みを小さい頃良くした。ママさんの手もさんざん噛んだ記憶がある。最近はあまりしなくなったが、僕の機嫌が悪いときに手を出してくると、本噛みすることがある。特に前足をペロペロしているときに触れられると、僕は本気で噛みついてしまう。一番触れられたくない時間なのだ。僕には分からないが、足を舐めているときは、体が他者を受け入れられない状態なのだ。

 噛み癖を直すには子犬期に直しておかないと、噛み癖が治らないようだ。噛み癖を直すには、子犬期の甘噛みをした時に、きちんと対応することが必要なようだ。それは、三秒以内に表情を硬くして、低い声で「ノウ」か「ダメ」を言い、後は一定時間(犬が落ち着くまで)無視することがいいようだ。一定時間の確保が難しい場合は、別の部屋に移動したり、クレートに入れておいたりして、距離をとると良いらしい。噛み癖を直す為には、やってはいけない五か条がある。「噛まれた時に頭を撫でる」「噛まれた時に笑って許す」「噛まれた原因の要求を呑む」「大きなリアクションをする」「暴力や仕返しをする」の五項目だ。ただ、犬のストレスが原因で噛むこともあるので、日々運動不足にさせないことも必要だ。噛み癖に限らず、僕たちは、何か行動した直後の飼い主の発言や行動を覚えている。だから、行動を行った後に頭を撫でられると、褒められていると思う。それが飼い主にとっては直したい行動であったとしても、僕たちは逆の認識をするのだ。また、言葉の通じない主人に、僕たちの要求を呑んでもらう為には、どうすればいいかをいつも考えているので、僕たちの要求が通る行動を行おうとする。噛んで要求に応じてくれれば僕は噛むし、吠えて要求に応じてくれるのであれば僕は吠える。お座りをすればいいのであれば、僕はお座りをするのだ。僕たちは、自分が主人に対して行動した後の、飼い主のリアクションをよく見るようにしている。リアクションが大きいと「通じた、かまってもらえた」と思い、要求が認められたと誤解する。我々の行動に対して、仕返しや暴力で返されると、僕たちも黙ってはいない。興奮してしまい、戦闘モードにはいってしまうので、従うどころか、喧嘩になり逆効果だ。

「僕自身は、噛み癖はない」と思っているのだが、ママさんがどう思っているのかは分からない。興奮すると辺り構わず吠え、その状態の時に触れられると「アゥ・アゥ」と言いながら、右左を噛みまくるのだ。その時は僕も自分の行動をよく覚えていない。粗相があったら今誤っておこうと思う。

「ごめんなさい。ゆるしてね。」

 僕は三歳の頃に、左後ろ足が突然上がったまま下がらなくなったことがある。小型犬には多い、膝蓋骨しつがいこつ脱臼だっきゅう(パテラ)だ。何をしたわけでもなく、力を入れると突然外れた。パパさんとママさんは突然僕が、三本足で歩いているので驚いた。あたふたしてパパさんは

「どうした?どうなった?すぐに病院連れていけ」

とママさんに言っていた。

「今日は休みでやっていない」

とママさんが冷静に言うと、

「なら明日必ず連れていってよ」

と心配そうに言っていた。ママさんは僕がどうなったのかを、落ち着いてネットで検索したみたいだ。ママさんが僕を抱きかかえて足を触ると、足がブランブランしており、力が全く入っていない。少し触ると僕が痛がるので、そのままにして様子を見ることにした。パパさんはお風呂に、ママさんはご飯を作り始めた。僕は暫く家の中を歩いていると、クッションの上で突然足が入り、元の状態に戻った。パパさんもママさんも気が付かない間に、足が元の位置に戻り、何事もなかったかのように時間が過ぎて行った。パパさんが風呂上りに僕を見ると

「あれ、戻っているよ」

とママさんに報告していた。ママさんも

「あら、ホント。まあ、よかったじゃない」

と言っていた。

僕たちトイプードルがかかりやすい病気は、外耳炎・膝蓋骨脱臼パテラ

大腿骨頭壊死病だいたいこつとうえしびょう(レッグペルテス)=太ももの骨の股関節と接続部で血流が減少し壊死してしまう疾患

水頭症すいとうしょう脳脊髄液のうせきずいえきの循環障害で頭蓋骨内に液が溜まり脳を圧迫して脳障害を引き起こす病態

気管虚脱きかんきょだつ=気管が押しつぶされて呼吸がしづらくなる病気

停留精巣ていりゅうせいそう=若い時に精巣の下降が不完全で陰嚢(睾丸が入っている袋)の中に精巣が入っていない状態。シニアになると関節リウマチが起こりやすいくなる。

流涙症りゅうるいしょう=過剰な涙が目から流れ出る症状で、目から鼻にかけて涙やけになる病気

 僕がなった膝蓋骨脱臼パテラは、病気のグレードが①から④まである。

まず①普段は無症状だが、時々症状がでる。②時々足を浮かせて歩いているが、曲げ伸ばしをすると簡単に整復される。③常に脱臼している状態だが、整復することが可能。足を引きずっていたり、しゃがんだ姿勢で歩いたりする症状が出る。④常に脱臼していて、整復することも出来ない。骨の形が変形し、膝を曲げた状態で歩くか、全く歩けない状態になる。

 この四段階あるみたいだ。僕は①の状態で、脱臼の癖がたまにでる。もし手術となると二十数万かかる。脱臼の予防は、滑るフローリングにカーペットを敷くことや、体重管理をキチンと行うことのようだ。僕は若いときには、家の階段を下から一気に二十一段上がって、寝室まで自力で行っていた。下る時は怖かったが、やってやれないことはなかった。しかし、何度か僕は階段で滑って、転げ落ちた。一度目は何ともなかったが、二度目に落ちた時はかなりヤバいと思った。天地がひっくり返り、頭から星が出た。僕はそれ以来、自分で階段を上り下りすることを止めた。一緒に行きたいときは、常にパパさんかママさんに連れて行ってもらっている。ママさんは足をカリカリすると、一緒に連れて上がってくれる。しかし、パパさんは僕を一緒に連れて上がってくれないので、いつも階段下で吠えている。パパさんはバイバイのジェスチャーをして一人で階段を上がって行くのが日課だ。パパさんが階段を上がっているのが見えている間中吠え続けるが、パパさんは降りてきて、僕を抱きかかえたりはしてくれない。パパさんが階段を上り、見えなくなると寂しい気持ちになり、吠えるのをやめる。

 僕はほとんどの病気を経験している。外耳炎も気管虚脱も流涙症も膝蓋骨脱臼もすべて経験済みだ。いや今も経験中だ。アレルギーといい、病気といい、なかなか経験豊富だ。こんな僕だから、パパさんもママさんも大変だろうけど、愛情をもって接してくれるのでありがたい。


 ここで世界の珍記録と有名な同胞を僕がご紹介しよう。世界で最も身長の高い犬は、2011年計測された、肩までの高さが111.8㎝のアメリカのグレートデーンのズースだ。僕の伸長が28㎝なので、約四倍の大きさだ。最も長生きした犬は、オーストラリアン=キャトル=ドッグのブルーイで、二十九年五ヶ月生きた。マックスやベラも非公式ながら長生きしたとされているが、ギネスに載っているのは、ブルーイだ。僕も長生きはしたいが、動けない状態で長生きも嫌だ。健康寿命が長いならいいけどね。2021年、世界の健康寿命トップは日本で七十四.歳だ。ただ、平均寿命が男八十一歳、女八十七歳なので、まともに一人で暮らせなくなってからも男性が七年、女性が十三年生きることを考えると、超高齢化社会の闇が、後ろから音を立てて近づいてきている気がしてならない。もっとも耳の長い犬は、2004年確認されたブラッドハウンドのティガーで、右耳34.9㎝、左耳34.2㎝だった。耳の毛を伸ばして測定しているわけでは無く、肉の部分での計測なのだ。ママさんのお腹周りなら、ティガーの耳で隠せるぐらい長いのだ。因みに僕の耳は7㎝だ。カットで長く見せる場合もあるが、最近は短めにしている。最も舌の長い犬は、2002年アメリカのボクサー犬のブランディで㎝だった。30㎝の物差しでは測れないのだ。もう僕からしたら舌の化け物だ。最も多く子犬を産んだ犬は、イギリスのナポリタン=マスティフのティアで、一度に24匹産んだ。一匹は死産であり、三匹は生後すぐに亡くなった。僕は男なので良く分からないが、普通は小型犬で三匹から四匹。大型犬で七匹ぐらいが一度に産める数なのだ。僕たちトイプードルは小さいので、二匹ぐらいが限界だ。一番大きな鳴き声は0213年に行われたコンテストで、113.1デシベルを出した、オーストラリアのゴールデン=レトリバーのチャーリーだ。そんな声で吠えられたら、声の迫力で僕は卒倒しただろう。犬が咥えたテニスボールの最多数は、2020年アメリカで飼われていたゴールデン=レトリバーのフィンリーで六個だった。これはギネスに載せるべきではないような気がする。無茶なことをする飼い主があらわれたら大変だ。僕たち小型犬は一個のボールを咥えるのでもギリギリだ。ギネスで有名なダイキリとジェニファーのコンビは、犬が人の足の間をウィーブ(縫うようにして進む)しながら30m歩いた最速時間〝13秒55〟の記録を持っている。他にも、30秒で人の足の間をウィーブする最多回数、37回。30mリコール(呼びだす)最速タイム17秒54。犬の足を人の足に乗せて30m歩いた最速時間42秒03。一分間で集められたおもちゃの最多数”15個”。一分間で貯金箱に入れられたコインの最多数18個のギネス記録をもっている。いろいろ考える物だと感心する。あまり誰も挑戦しないので、いつまでもタイトル保持者だ。ギネスの関係者も呆れそうだ。なんでも競技になるのならギネス記録は無限だ。インスタの最多フォロワー数は、2021年時点でポメラニアンのジフが1028万9624を記録している。

 宇宙犬〝ライカ〟は、1957年にソ連の人口衛星〝スプートニク二号〟に一匹だけ乗せられ地球を周回した。ライカの脈拍、呼吸、体温などはリアルタイムで地球管制塔に送られて、宇宙空間で哺乳類がどうなるのかを観察した。残念なことは、ライカは帰ることができなかったということ。まだ地球に帰還する技術がなかったのだ。ライカは一週間の飛行実験後に、薬物で生を終えるはずであったが、実際にはストレスと酸素不足の為、軌道に乗って七時間後には死亡していた。その後研究を重ね、スプートニク五号には”ベルカ”と”ストレルカ”という犬を乗せて再び宇宙に飛び立った。この時は地球を17周して、地上に帰還できた。この成功の後、ロシアは世界に先駆けて、有人宇宙飛行を成功させた。僕も機会があったら宇宙に行ってみたいものだ。ただ一方通行だけはお断りだ。

 名犬ラッシーの初代俳優犬は、ラフコリーの”パル”。イギリスのエリック・モーブリ・ナイトの児童文学の作品で、フィクションにも関わらず世界中で親しまれた。この作品を現実に映像化した時の同胞がパルなのだ。パパさんの小さい頃にアニメで放送されていたらしいが、僕は見たことが無い。因みにラッシーはスコットランド語で〝お嬢さん〟を意味する愛称的な言葉らしい。

 アメリカ合衆国の大統領がホワイトハウスで飼っている愛犬は、”ファーストドッグ”と呼ばれる。第四十一代ジョージ・H・W・ブッシュの愛犬スプリンガー・スパニエルのミリーは、ミリーズブックという本でベストセラーとなった。この収益は全額寄付されたみたいだが、どのような本だったか気になる所だ。

 アラスカの町を伝染病から救った同胞は、シベリアン・ハスキーの”バルト”だ。1920年アラスカでジフテリアが発生した。一刻を争う事態の為、町に血清を運ぶ必要があった。しかし、天候が悪く雪の為、陸路も空路も使用することができない。仕方なく人々は、イヌゾリチームを作り、リレー方式で輸送することにした。最後のチームが出発するころには、天候は最悪で、まともに前を向くことすらできない。バルト率いる犬橇いぬぞりチームは悪天候の中を激走した。ホワイトアウトで方角も分からないような道をひたすら走り続けた。自分たちに何のメリットもない過酷な旅だ。しかし、バルト率いるイヌ橇チームの活躍で、何とか血清を町に届けることに成功し、町を救ったのだ。僕は雪どころか冬の寒さでさえ動けなくなるぐらい寒がりなので、とてもじゃないが吹雪の中を方角もよくわからない状態で走ることなどできない。世界にはすごい同胞もいるものだ。

 元祖セラピー犬は、精神科医のジークムント・フロイトの愛犬ジョフィ(チャウチャウ)だ。フロイトはかなりの愛犬家であり、患者の診察時にも常に愛犬を連れていた。研究家でもあるので、犬が治療に役立つかの詳細も記録していたようだ。愛玩犬の僕としては、よくぞ犬の可能性を見つけてくれたと感謝したい。僕がこうして、この家でゆっくり暮らしていられるのも、居るだけで役に立つと認められたからだ。

 カナダの医師フレデリック・パンティングは、人工的に糖尿病のイヌを作り、それに効く物質を膵臓から探しだした。その物質を注射して、血糖値が下がる効果があったイヌを〝マージョリー〟と名付けた。その物質とはインスリンだ。今では普通に聞く名前だが、当時は衝撃的なニュースだったようだ。当然インスリンを見つけ出した医師は、ノーベル賞を受賞した。

 日本で一番有名なイヌは渋谷で銅像になっている秋田犬ハチだ。東京帝大の上野英三郎博士の飼い犬で、大学で突然死した主人を十年間駅で待った話は有名だ。ハチの最後は、渋谷に掛かる稲荷橋で冷たくなっていたのだ。解剖の結果、心臓と肺に(がん)があったようだ。それでも欠かさず主人の為に駅に向かう姿に脱帽せざるを得ない。日本の教科書にハチの話が載ってからは、日本でもアメリカでも映画化されるぐらい伝説の犬だ。ハチがずっと待ち続けるのもかわいそうなので、東京大学の構内には、上野博士とハチが出会えた銅像が、植田努さんの手により作られた。天国では一緒に仲良く暮らしていることだろう。

 世界には様々なイヌがいて、それなりに有名な同胞もたくさんいるようだ。庶民の僕にはちょっと想像できないことをやってのけるので驚きだ。


 2015年動物愛護管理条例では、犬の係留義務が定められ、違反すると三十万円以下の罰金刑になる。すなわち、散歩中にリードを外して歩かせることや、自宅で放し飼いにしていた犬が逃げ出した場合も飼い主に責任が及び、逮捕や書類送検をされることがある。過去に自宅から逃げ出した大型犬が、駐車場にいた女性に噛みつき、二千百五十万円の支払いを命じる判決がだされたケースもあり注意が必要だ。僕の場合は所構わず吠えるが、向かって行く勇気はあまりない。人間の方が僕より大きいので勝てる気がしないからだ。

 十月はよくみんなで出かける時期だ。この間も、僕はいつもの六人で笠岡にコスモスを見に行った。その時、今まで出会ったことのない同胞にであった。まったく吠えず、どこに行くにも人の左側にいて、どちらかと言えば人を引っ張っているように見えた。身体は白い胴輪をしていて、黄色の蛍光色が胸のあたりに見える。そしてコの字型の持ち手があるハーネスをしているのだ。横断歩道に近づくと同胞のラブラドール=レトリバーの方が先にとまったように見えた。僕は優秀な同胞がいるなと感心して見ていた。少し歩くと今度は、左に動いて同胞が先に止まった。今度は確実に同胞の方が先に止まるのがわかった。何の変哲もない左曲がりの角なのに、左に向いて足を止めたのだ。ヒトの方もそれに習って一度止まり、左に曲がった。僕は違和感を覚えた。どうも人の方が後から付いて行っているし、人の方は周りを把握していないように見えた。パパさんにアイコンタクトで聞いてみると、パパさんはママさんに話すようにしながら、僕の質問に答えてくれた。

「あの盲導犬賢いな」

ママさんは

「れおんもあれぐらい大人しかったらいいのにね」

とボヤいていた。ママさんのボヤキは無視して、パパさんの言葉に集中した。あの同胞は盲導犬と言う特殊な訓練を受けたイヌみたいだ。今度は階段の手前で一段目に足を掛けて止まった。ハーネスに自分の身体を動かして、前に何があるか伝えているようだ。基本的に盲導犬は、角と段差と障害物の三つをパートナーに教えるように訓練されている。逆に言うと、それ以外の事をしないのだからすごい。周りの人や物など、興味のあるものに一切目もくれず、それだけを教える為にパートナーと一緒に行動できる彼らは神がかっている。僕にはとてもできそうにない芸当だ。

 盲導犬の訓練で使用する言葉はまず「グッド」。この言葉は褒められている。そして楽しいことだと教えるようだ。そして、「シット」(座れ)「ダウン」(伏せ)「カム」(来い)「ヒール」(左につけ)「ウエイト」(待て)と言った指示を出して、その通りにできると「グッド」と褒めて教えるのだ。それを何度も時間をかけて教え、何度かのテストをクリアして、選ばれるスペシャリストらしい。盲導犬はラブラドール=レトリバーかゴールデン=レトリバーが多いようだ。実は見た目も盲導犬には重要みたいだ。昔はジャーマン=シェパードが多かったみたいだが、少し怖い印象を与えることがあり、最近はたれ耳で温厚そうな犬種が選ばれているようだ。盲導犬は地図が分かるわけでは無いので、人が必ず行きたい場所を指示する必要がある。人の方も頭の中に精密な地図を入れておかなければ、目的地に辿り着くのは難しい。例えば自宅から郵便局に行く場合は、自宅を出て右に行き、角を四つ過ぎた交差点を左折して、十五メートル行ったところに目的地があると頭に入れて出て行かなければならない。近くに誰かがいれば、聞くことも可能だが、そうでない場合は大変だ。イヌもヒトも大変な思いをして目的地に向かっている。違法駐輪などは是非とも止めてもらいたいと僕は思った。

 目の見えにくい方々は、声をかけてもらうのは嬉しいのだが、いくらか分かって欲しいことがあるようだ。盲導犬はパートナーと歩いているときは仕事中という事だ。盲導犬に触れたり、意味もなく犬を可愛がったりするのは止めてもらいたい。同胞の集中力が無くなる上、目的を逸脱する可能性がある。だから声をかける相手は犬ではなく、人に声をかけて欲しいということだ。声のかけ方は、

「盲導犬を連れてらっしゃる方、何かお困りですか?」

と正面から言われるのがいいみたいだ。目が見えないので、周辺で声が聞こえても、自分に声をかけてくれているのかわからない。また、左手でハーネスを握っているので、無暗に左の腕に触れられると犬の細かい指示が分からなくなる。盲導犬を連れているヒト(視覚障碍者)にとって、左の手や腕が命綱だ。介助の場合は、ユーザーの右手を自分の左腕に掴ませるのがいいようだ。さらに目が見えないことを前提として指示を出してもらう方が分かりやすい。「郵便局はあっちです」と言われても、見えないのであっちが分からない。「そのまま直進20mです。」と具体的な表現がいいのだ。

 盲導犬になる為の同胞は、産まれてすぐ特殊な訓練していると思われがちだが、そうではない。産まれてすぐは、沢山の犬と一緒に過ごし、犬の社会性を身に付けたり、基本的な躾を学んだりする。そして、最低限のしつけができると、一年間パピーウォーカーというボランティアの家庭で過ごす。そこで人といると楽しいという事を学ぶのだ。その後協会に戻り、適正審査を経て、訓練が始まる。服従訓練と誘導訓練、そして不服従ふふくじゅう訓練。この服従しない訓練が難しい。ユーザーが行けと指示を出しても、危ないと判断すると犬の判断で進まないという訓練だ。駅のホームや横断歩道など危険があれば、状況に応じて進まない判断をするというのが難しいのだ。「行け」と言っても進まないのは、今そこに何か危険があるとユーザーに知らせることになるのだが、イヌの判断に任せるということのお互いの信頼は、計り知れないものがある。僕は少しやきもちを焼いてしまう。

 盲導犬としての訓練が終わると、ユーザーとの共同訓練に移る。ユーザーにも盲導犬を使用する最低限の訓練や犬の知識を身に付けてもらう必要がある。そして最終試験に合格して初めて盲導犬となれる。ここまでなれる同胞はかなり優秀だ。訓練をしても残念ながら盲導犬になれなかった犬も数多く存在する。人の命を預かるので、出来なければならない最低限のレベルが高いのだ。盲導犬になれなかった同胞は一般家庭に引き取られるか、協会の広報犬としてイベントに参加する。それでも、家庭でしつけをした犬よりははるかに優秀だ。欲の塊の僕なんかは足元にも及ばない。

 笠岡のコスモスは有名で県内外から花に興味がある人々が訪れる。広大な干拓地いっぱいに植えられた花は三千万本で、僕をとても穏やかな気分にさせてくれる。せつさんと寿すわさんのお婆ちゃん二人が、花畑でガールズトークをしている。のりさんとかつさんもブラブラしながら、視覚と嗅覚で楽しんでいる。パパさんとママさんは僕と三人で花畑の中に入って行った。所どころ写真スポットもあるのだが、パパさんたちは別場所から畑の中に入って行った。お花畑をバックに、パパさんの撮影で僕とママさんのツーショット写真を撮った。最近は、撮ったその場で写真の出来が確認できるので良くなった。昔は現像に出して、写真になってからでないと写真の出来が分からなかった。だから、昔の写真にはミスショットも多く、無駄が多かった。ただ昔の写真は、その場で確認できないことで、予期せぬ表情を捉え、面白いこともあるのだが、今は置いておこう。この笠岡で撮った写真が、今までの写真の中で、ママさんの一番のお気に入りなのだ。僕は横を向いているが、比較的男前に撮れているし、ママさんの笑顔が一番かわいいのがこの写真だ。僕もなぜかこの写真が気に入っている。ママさんの笑顔が好きなのだ。「女」が「喜」と書いて「嬉」しいとは、言い得て妙だ。

 僕たちの嗅覚は、人の三千倍から一万倍と言われているが、特定の匂い例えば脂肪酸の臭いは、人の百万倍とも言われている。更に刺激臭は人の一億倍わかるとも言われる。一億倍と言っても想像がつかないかもしれないが、とりあえず人には分からない匂いも、僕たちには嗅ぎ分けることができることだけは確かだ。匂いは鼻の中の嗅上皮きゅうじょうひにある嗅細胞きゅうさいぼうによって感知される。匂いを受け取る面積が広く、細胞数も多い為、人より敏感に嗅ぎ取ることができるのだ。上皮面積は人の鼻が三~四㎠で、僕たちは十八~百五十㎠あり、受容体は人が六百万に対して、僕たちは二億~二十億が神経によって脳と繋がっている。マズルの長さで面積も違うので、長頭種の方が中頭種や短頭種より嗅覚は優れている。小型犬より大型犬の方が臭いを感知する能力は当然高くなる。逆に短頭種であるパグなどの鼻の短い犬種は、嗅覚が弱い傾向にある。僕たちには得意な匂いがあり、人の汗に含まれる酢酸と人の足の裏の臭いの原因である吉草酸きっそうさんには敏感なのだ。人の履き物や靴下をもてあそぶのも、この匂いに反応しているのだ。僕もパパさんの靴下をぶんぶん振り回してよく遊ぶ。また、夜寝る時は、ママさんの掛け布団の下の部分、すなわちママさんの足の部分で寝るのがお気に入りで、一番落ち着くのだ。

 僕たちは人より臭いを強く感じているわけでは無く、百万倍薄い匂いでも嗅ぎ分けられるという事なのだ。つまり上が高いわけでなく、下が限りなくゼロに近い状態でも検知でき、下に広いのだ。さらに嗅ぎ分けられるという事は、横にも広く検知できるのだ。横とはつまり匂いで個々を判断できるという事だ。人に限らず様々な匂いを嗅ぎ分けられる。人の臭いの違いも当然感知でき、それを記憶に留められるのだ。例えば、親戚の家に行き、「この箸誰の?」と言った時に、人には分からないが僕には答えが分かっている。使っている人の匂いが嗅ぎ分けられるからだ。いろいろな匂いを強く感じると僕たちは生きにくい。人の世界にはきつい匂いが沢山ある。また、匂いで攻撃してくる動物に対処できなくなる。そうならない様に僕たちの嗅覚は、横と下に敏感に出来ているみたいだ。また、遠くの匂いを嗅ぎ取るのが得意なわけでは無い。周囲三m範囲の匂いをキャッチしているに過ぎない。逆に言うと足取りをたどる場合、三メートル以上ジャンプされると、追跡がかなり難しくなるということだ。

 僕たちの鼻の中では、匂いを嗅ぐ時に開く弁が、息を吐く時には閉じる。このことで、空気の流れを一度留め、最初に嗅いだ匂いと、次に嗅ぐ匂いが混ざらない様にして区別している。また、地面を耳で引きずり、匂いを舞い上がらせて嗅ぐことができるように、たれ耳になった同胞もいるようだ。僕の好きな匂いは、パパさんとママさんの匂いがするものだ。それは、足の匂いやおならの匂いであってもいい。その次はやはり食べ物の匂いがいい。肉や魚の匂いは特に良い。後、犬用アロマは良く考えられている。芳香剤を使用する場合は、僕たちがリラックスできる匂いの物にして欲しいものだ。逆に嫌いな匂いは、化粧水や香水、マニュキアなどの自然界に存在しない化学物質の匂いだ。また、タバコやアルコール、酢などの刺激がきついものも苦手だ。僕たちは匂いを嗅ぐという行為が、最も得意であり、この行為を行う事自体も楽しいのだ。

 余談だが、人の鼻はたいそう疲れやすいそうな。だから人の鼻は、片方ずつ休ませて使用しているのだ。呼吸で片方が機能していないと思ったり、呼吸量が左右で違うと感じたりすることがあるはずだ。異常を感じないなら、鼻が休憩しているので問題はないのだ。


 この間テレビというもので同胞をみた。ママさんの大好きな警察に密着している番組だ。僕はこの同胞の事を知りたいと思った。パパさんに言わせると警察犬という分類の同胞みたいだ。捜索者の匂いを嗅いで、足取りを辿るようだ。ママさんは、パパさんにふとした疑問を投げかけた。

「いっぱいいろいろな人や物が行き来している道を、イヌはどうやって足取りをたどっているのだろう?」

パパさんは困った顔をしてママさんに言った

「ん?確かに。どうやっているのだろう。わからないな。」

雑学好きのパパさんも、この疑問には答えられなかった。仕方ないので、僕が解説してあげよう。人の足跡からは、土の上に浮遊臭ふゆうしゅうというにおいが浮かんでいるのだ。その臭いは、たとえ靴を履いて歩いたとしても、地面や草地、舗装道路に残っているのだ。ただそれが残っているのは、五~六時間だけの有効期限付きだ。さらに車がその上を通ると、臭いが消えてしまう場合もある。だから住宅街など車が頻繁に行き来する場所で犯人を追跡するのはなかなか難しい。警察犬の同胞はなかなかに難しいことに挑戦している。

 この同胞たちが、イヌ界で最高ランクの訓練を受けている。警察犬の試験に合格するには最低でも一年半の訓練が必要らしい。また、警察犬になれたとしても、毎日欠かさず訓練をして、高い能力を維持する必要がある。そこまでしても警察犬の任期は一年で、活動を続ける場合は、毎年試験に合格する必要があるのだ。警察犬は全国で千五百頭ほど活躍しているが、そのほとんどが指導士や愛犬家が、自分の所で育てて、警察からの要請に応じる嘱託(しょくたく)警察犬だ。警察直轄の同胞は百六十匹に過ぎない。また、直轄の同胞は二十四県にしかいない。半数の都道府県の警察は、嘱託犬に頼っているのだ。

警察犬の仕事は主に五つの仕事がある。

①足跡追及活動(現場に残された遺留品の臭いから、持ち主を追跡する活動)

②臭気選別活動(遺留品の臭いと容疑者の臭いが一致するかを特定する活動)

③捜索活動(麻薬や爆発物を発見したり、行方不明者や遭難者を探したりする活動)

④逮捕活動(犯人逮捕時に逃走を見はったり、凶器を奪い取ったりする活動)

⑤警戒活動(要人を警護することや、重要な施設の見回り警戒する活動)

そして、ルールも厳しい。足跡追及の場合、証拠品を見つけてもその手前で座り、決して触れてはいけない。大切な証拠品に触れるのは絶対NGなのだ。

 警察犬の始まりは十九世紀のドイツ・ヒルデスハイム市警察で導入されたのが最初と言われている。その後、イギリスでも警察犬が導入された。日本では、1912年にイギリスから警視庁にコリーとレトリバーを迎えたのが最初のようだ。

 日本の警察犬として認められている犬種はエアデール=テリア・ボクサー・コリー・ドーベルマン・ゴールデン=レトリバー・ラブラドール=レトリバー・ジャーマン=シェパードの七種類だ。しかし2015年に七種類以外の犬種にも門戸が開かれた。話題になったのは、僕たちの同胞が合格したという事を知った時だ。さすがに僕は驚いた。トイプードルでもコツコツ努力すれば、最高峰の技術を身に付けることができるのだ。今では、七種以外でチワワ・柴犬・ミニチュアダックスフンドなども厳しい試験に合格して活動をしているようだ。冷静になって考えると、こんな小型犬が本当に役に立つのかという疑問も出てきそうだ。「いざという時、小型犬では犯人に対抗できない」と思ってしまう。確かにその通りなのだ。犯人と対峙すると、とても小型犬では戦闘能力において人間に太刀打ちできない。だから、今までは七種類の犬種だけだった。しかし、追跡だけを主な業務とする場合は、いかにも警察犬と思われる犬が近くを通った場合は、犯人に気づかれる可能性が高くなる。潜伏している場合、当然犯人は地域の情報を集めている。近所の大型犬の情報は入手している可能性が高い。そのような時に活躍するのが、小型犬だ。小型犬は犯人も警戒していない。小型犬なら怖くないというのがその大部分だろう。さらに、小型犬は室内犬が多く、幅広い人々が飼っている。どこで飼われているか、誰が飼っているかをいちいち把握できない。また、大型犬みたいに狭い所がストレスになり、いつも散歩しないといけないわけでは無いので、特定の散歩時間やコースがあるわけでもない。だから、全てを把握するのは不可能なのだ。小型犬の散歩をいちいちチェックできないので、足跡追及の時は重宝する。周りの住民にも大型犬だと嫌がられることがあるが、小型犬だと一般の人も警戒しないので、仕事がやりやすい。メリットとデメリットを良く把握して投入されている。

 警察犬を育てるには、指導者も一流というか、根気強くないと駄目だ。そしてそれを専門に行う時間が無いと、とても片手間でできることではない。ほぼ毎日の訓練が欠かせないからだ。僕のパパさんとママさんでは、能力的にも時間的にも無理な気がする。もし一流の訓練士に預けられたとしても、僕はもうできる自信がない。今のゆるい生活で満足だ。パパさんの腕の中で転寝うたたねし、ママさんの足元で熟睡できれば、僕は幸せでいう事はない。


 パパさんは昔、高知県で犬同士の珍しい戦いを見学したようだ。現在その施設は、2017年に資金難で閉鎖されて以降、再開はされていない。県の条例で動物同士を戦わせることを禁止している所もあるので、闘犬や闘牛、闘鶏といった文化はすたれていっている。パパさんが行った時には、まだチケットが販売されており、週末のみではあるが、定期的に試合が行われていた。一日に三回ぐらいだったとパパさんは記憶をたどって話した。パパさんはチケットを買って闘犬が行われる会場に入ったらしい。独特の血なまぐさい会場で、匂いに慣れるのも大変で、中に入るだけでもなかなか勇気がいる。中央に八角形の闘技場が作られ、犬同士が戦う土俵なのだ。土俵の周りに通路があり、その周りが階段状に高くなっていて、客席になっていた。そこに座って観戦するのだ。日本の相撲と同じで、横綱を最上位にして格付けが決められていた。ただ相撲と違う所は、横綱が結構いると言う所だ。闘犬の始まりは古く、鎌倉時代から”犬くい”や”犬あわせ”と呼ばれ、犬同士を戦わせていた記録がある。その後土佐藩では、藩士の士気を高める為や娯楽の一つとして推奨されていたようだ。残念なことは、飼い主が勝つために純日本犬(四国犬)と西洋犬を掛け合わせて、より強く大きい犬を求めたことで、日本犬以外の血が混じってしまう結果になったことだ。

 闘犬といえば土佐犬で高知県のイメージがあるかもしれないが、秋田犬も闘犬では多く、秋田でもよく行われていたようだ。意外な所では青森県が、闘犬が盛んな所だという事だ。闘犬と言うと、イヌ同士の殺し合いのイメージがあるかも知れないが、実は細かいルールが沢山あり、重傷を負わせたり、死に至らしめたりすることはほとんどない。ただ実際に現場に行くと独特の雰囲気があり、その迫力に押されて人間が可哀そうと思ってしまうことがあるようだが、嫌なら見なければいいのではないかと思わざるを得ない。格闘技や相撲は良くて、闘犬は駄目な理由が良く分からない。イヌも戦うことが嫌なら、早々に負けを宣言すし、土俵にあがることもしない。戦い中に負けを認めるとすぐに引き離されるので、人間が思うほどイヌは痛い思いをしているわけでは無い。また闘犬をしているイヌは、皮がダルダルで噛まれても肉まで辿り着きにくい犬種も多い。

闘犬の勝敗は、十二項目で判定される。

”セリ声”苦痛を表す声。攻撃をする時・攻撃を受ける時に発する声。セリ声を発した場合は負けとなる。両犬がセリ声を発している場合は猶予時間があり、時間を過ぎて早くセリ声を出した犬の負けとなる。

「ウー」「ウォッ」はセリ声と判定。「ワン」「ウォッン」という響声や高く区切られた声は吠声と判定する。

”吠声”恐怖を表す声。貫禄負けや相手を怖がる。また闘争心が尽きた時などに発する声でこの声がでても負けとなる。

”泣き声”痛さを表す声。攻撃を受けた時に発する声でこれも負けとなる。何かしらの声が出ると審判に判定される。だから、番付が上位の犬は、土俵に上がると一言も声を発することは無い。

”走り”三歩走って、もう一頭が一歩追った時に負けの判定がなされる。闘争心が尽きた時と体制を立て直した時に起こる。審判は体制を立て直しただけなのか、闘争意欲が無いのかを判定して、続行か終了かを判断する。

”吠えまわり”相手に噛まれた状態で土俵を一周するか、横断するかした場合は負けとなる。噛まれて逃げていると判断される。

”当て込み”片方の犬が三回、肩口に突っ込んで、噛まれた犬が反応を見せない場合は負けとなる。噛まれた犬の闘争意欲が無くなったと判断される。

”柵割り”土俵から出ようと柵から頭を出した場合は負けとなる。自ら顔を出したか攻撃の反動で柵から顔が出たかは、審判が判定する。

”柵掛け”柵の上にいる主人に甘えようと、柵に前足を掛けたら負けとなる。戦いから逃れて主人に助けを求めたと判断される。

”威嚇”牙を剝き出し、嫌悪の表情を見せて威嚇したら負けとなる。体調不良などでこの行為を行うことが多い。

”変態”犬が土俵で排泄や嘔吐した場合は負けとなる。また、犬主が土俵に落とし物をした場合や、犬主が無断で土俵を降りた場合、犬主の携帯が鳴った場合もこれに該当する。ヒトが原因で負けになる場合だ。

”巴廻り”土俵の端と端から、お互いに睨み合いながら、両犬とも横に三歩動くと引き分けになる。お互い戦う意思なしと判断される。

”追い声引き分け”一方が”走り”の状態でもう一方が追いながら声を発した場合は引き分けとなる。全体的に土俵で声を出すと、声を出した犬が優勢に試合をしていた場合でも、判定で不利になることが多い。

”物言い”相撲でも行われるが、勝負判定後速やかに片手を挙げ、審判長に「協議願います」と上申する。物言いの協議中、犬の待機場所などの細かい規定もあり、判定が出るまでは全て闘技中となるので、傷の手当もできない。そのまま闘技続行となる場合もある為だ。

闘犬を行っている場合に良く起こる”牙縫い”とは、戦いの最中に自分の唇に自分の牙が刺さった状態の事で、審判の判断により犬主が解除する(外してあげる)ことができる。土俵に上がる犬は、体重の規定も細かく、申告体重が三キロ以上増減した場合は失格になるぐらい厳しい。闘技時間もしっかり決まっており、イヌに負担にならない様に設定されているのだ。闘犬は、訓練は過酷かもしれないが、闘技自体は安全に執り行われているので、文化の継承としても残すべきではないだろうか。

 僕は得意なことがある。それは吠えることだ。闘犬の大会にでていたら、すぐに負けになる行動だ。体調不良の時によく吠えるようだが、僕はアレルギーが多い為、常に体のどこかに違和感がある。だから体を触られると嫌な時が多いのだ。それを分かっていない人たちが、僕の体の具合を無視して触るものだから、いつも「アゥ・アゥ」と牙を立てて攻撃するようになる。僕の機嫌の良いときはあまりないが、前足でカリカリしたり、膝に乗ったりするときは大丈夫なのだ。その点パパさんは、機嫌が悪い時を見極め、僕をほっとくので程よい距離感だ。ただあまりにもほっとかれ過ぎるので、僕の方から近寄らないと、いつまでたってもパパさんは僕に触れてくれない。それはそれで少し寂しい気もする。今日もパパさんがテーブルでご飯を食べていたので、足元に行き、パパさんの足を前足でカリカリしてみた。パパさんは

「ご飯中。後で」

と言って、僕の「抱っこして」アピールを拒否してきた。僕はパパさんがご飯を食べている間、三回にわたって前足カリカリを続けた。そうこうしていると、パパさんのご飯が終了するので、パパさんは僕を抱きかかえて、膝に座らせてくれる。膝に辿り着くと僕は膝をよじ登り、パパさんの左胸に耳を当てて横を向き、左腕に頭をのせてリラックスするのだ。するとパパさんは、自分の来ている服か、ブランケットを僕に巻いてくれる。ここが僕には一番落ち着く場所だ。ここで目を閉じるといつまででも寝てしまう。パパさんは出来る限り動かない様にしてくれるが、いつまでもジッとしていることも出来ないので、一定の時間が来ると僕を下ろして、次の行動をする。僕はパパさんの胸ではいつも熟睡してしまうので、突然床に下ろされると、今までどこにいたのか分からなくなる時がある。頭もしっかりしないので、とりあえず周りを確認し状況把握に努める。そしてパパさんが何か始めると仕方なく、いつもの自分のベッドに移って丸くなるのだ。これがいつもの僕のルーティーンだ。


 ここからは少し歴史に触れてみようと思う。

 1685年、江戸時代に五代将軍の綱吉が「生類憐みの令」と呼ばれる「生き物を大切にせよ」というお触れを出した。「生類憐みの令」という名の法律を作ったわけでは無く、二十年以上にわたり、135回にのぼるお触れをまとめて、後の人がお触れの内容を総称した法律名を付けたに過ぎない。だから、いつからいつまでのどんな内容が「生類憐みの令」なのかは正確に決まっていない。綱吉は将軍になる前から、儒学の勉強に熱心だった。四代将軍の家綱は「左様せい様」と陰口を叩かれるぐらい、政治には無関心だった。その上、病弱であったため、政治は側近が行っていたが、家綱が他界すると、綱吉は側近を遠ざけて、儒学の思想(人を思いやり誠実であること)を元に政治を始めるようになる。また徳川家はなぜか次代の将軍(男)に恵まれにくい。御三家や大奥といったものを設けたのも、徳川の存続を維持しようとする試みに他ならない。家庭でも兄弟が少ない(3人以内)場合は分かり難いが、兄弟が多いとなぜか、女性が多い家系と、男性が多い家系にはっきり分かれる。半々で生まれる家庭はあまりない気がする。どういうことか分からないが、遺伝子的に何かあるのかも知れない。今後誰かが調べてみてくれると助かる。話を戻すと、綱吉の子の徳松が五歳で夭逝ようせいすると、僧侶に今後の事を相談する。僧侶「世継ぎが欲しければ、動物を大事にしなさい。将軍は戌年いぬどし産まれなので、特に犬を大切にすること」といわれ、綱吉は犬を特に保護するようになり、犬公方と呼ばれた。しかし、綱吉が行った政策は、犬に限らない。老人や子を捨てることを禁止したり、病気の動物を捨てること禁止したり、病人を保護したりもした。鷹狩りや魚を釣ることも禁止、動物を飼育することも禁止した。ニワトリなど餌をやらないと死んでしまう動物は、飼うことが許されたようだが、食べることはできなかった。動物全てを保護し、密告も奨励して徹底させようとしたので、悪政だと言われるようになった。因みにそこまでやっても世継ぎは産まれなかったようだ。

 綱吉の政策以前は、関ヶ原以降主人をなくした多くの浪人が、町に溢れており、江戸にも大量に行く当てのない、お金もない武士が沢山いた。当時は”辻切り”と呼ばれる、通行人をいきなり刀で切ることが流行しており、日本中治安が非常に悪かった。さらに、死体の処理などもしない為、町中に死体が普通に転がっていたみたいだ。老人でも子供でもいらなければ家族を捨てる。道を歩いている人にいきなり切りかかるなど、人に対してもこのような状態なので、動物に対して敬意を払う人などいない時代だ。とても現代では考えられない世界が普通にあった。悪政だと言われている綱吉の政策だが、お触れを無視し続け、自分たちの行動を直そうとしない日本人には、これぐらい強硬に政策を推し進める必要があったのかも知れないと僕は思う。ドイツ人の医師エンゲルベルト=ケンペルは、「綱吉は偉大で優れた君主。すべての人が対等に生活をしている」と綱吉の治世を評価している。今の日本人の道徳心はこの綱吉の二十年にわたる政策のお陰なのかもしれない。実は綱吉の時代の治安は、世界で一番治安のよい国とされている。今の日本の治安よりよかったらしいのだ。僕たちはその時代の主役だった。綱吉の悪政か仁政か分からない政策で、僕たちの同胞は、中野に三十万坪という広大な敷地を用意され、”お囲い御用屋敷”と呼んで保護された。この中で同胞たちが生活したようだが、犬や猫をつなぐ必要はないというお触れも出ていたので、僕たち犬の世界では、厳しい環境だっただろう。強い犬がすべてを牛耳るのは、動物界では当たり前の話しだ。僕のように小型の犬の場合、競争が激しく、ご飯が食べられないかもしれないと思ってしまう。この施設には最大十万頭の同胞がいたようだ。年間に掛かる費用は、九万八千両と莫大なものであった。一両を現代のお金十三万で計算すると、十二億ほどのお金を”囲町”に毎年つぎ込んでいることになる。同胞達はどんなおもいだったのだろうか?

 綱吉の時代より以前の日本は、貴族と呼ばれる人々と庶民とでは、生活や思想に大幅な隔たりがあった。奈良や平安時代の貴族たちは肉を食べることを禁忌きんきしていた。身分の高い人々は、肉より海産物や木の実などの山の恵みを主に食していた。しかし、庶民はそんな風習や思想はなく、比較的なんでも食べていたようだ。ただ、家畜を食べるという事は嫌われ、野生の動物を取って食べるという変わった文化はあったようだ。特に牛肉に関しては、明治になってから食すようになり、それまでは牛を食べるということはほとんどなかった。猪や鹿が一般的に良く食されていたが、かわうそなどその他の獣も食べなかったわけでは無い。戦国時代に日本にやって来たルイス=フロイスは、日欧文化比較の中で「日本人は野犬や鶴、大猿や猫を好んで食べる」と記載しており、犬も家畜で無ければ食べていたようだ。現代でも、アジアでは犬を食べているところがある。中国が一番多く年間約一千万匹、二番にベトナムが五百万匹、三番の韓国が三百万匹の犬を食している。狗肉は犬の肉で、香肉料理は犬の肉の料理店だ。韓国や中国に行ったときに、良くわからず香肉料理店に入って食事をしたことがあるなら、犬肉を食べたことがあるという事だ。実は日本にも犬を食べさせる料理店があるらしい。日本の法律でも、犬を食べることを禁止しているわけでは無いので、輸入も出来れば食べることもできるのだ。僕からしたら、おぞましい話しだ。ただ何かを禁止にする場合は、食べてはいけない相応の理由がいるだろう。「犬食は禁止」となると、なぜ豚はいいのかという議論が沸き起こる。さらに豚だけでなく、「牛や鳥、猪や魚などはどうなのか」となると、禁止対象が増え、綱吉の頃と同じようになってしまう可能性は否定できない。昔の綱吉の政策を悪法だと思っている人が、また悪法を作るという矛盾が出ないとも限らない。法律で禁止するにも実は難しい問題なのだ。

 中国では玉林ユーリンと言われるところで毎年犬肉祭りが開催されている。会場では、猪を捕獲するような小さな鉄の囲いの中に、十数頭がすし詰めで入れられている。呼吸以外の身動きはとれない。すべて食用にされるイヌだ。ある店の前では、皮をはがされた犬が数十頭机の上に並べられていた。近所の人が、普通にスクーターに乗ってやって来て、檻の中で生きている犬を一頭買って帰るのだ。自宅でさばくのだろう。僕や愛犬家が見ると嘔吐しそうな光景だが、現地の人々からすると、鯖がいっぱい入った箱を売っている市場と一緒の扱いなのだろう。「中国人は椅子以外の四本足のものはすべて食べる。」と言われるぐらい、何でも食べる。また、2020年に世界中に流行した新型コロナも市場で売られていた蝙蝠こうもりを食べたことから、感染が始まったという事が言われている。僕からしたら、蝙蝠が売られていること自体が吃驚びっくりだ。行きたくはないが、他にどんなものが売られているのか気になってしょうがない。この祭りの時は一日で1万匹以上が消費されるらしい。ただイヌを食べる祭りを取材をしようとすると妨害に合うようだ。外の国にこの光景を流すわけにはいかないのだろう。

 イヌを食べることで有名なのは韓国だ。消費量では、中国やベトナムより少ないのになぜかというと、先進国の仲間入りをするような国で、未だにイヌを食べていることと、イヌの飼育環境が非常に劣悪で、とても先進国と思えないような扱いをしているからである。オリンピックなどの世界大会時に関係者が苦言を呈したが、文化が変わることは無い。海外から見たら、日本のイルカ漁やクジラ漁も虫唾むしずが走る光景であるようだ。また、魚を生のまま食べることやタコを食べることも日本人ならではのことで、海外の人からすると気持ちの悪い光景なのだろう。それぞれの国の食文化にどうこう言うことはないが、僕の同胞だけは天寿を全うさせて欲しいものだ。同胞が食べられているという事を聞くと、僕も胸が苦しくなってくる。


 ママさんは朝の用意を終えると、六時前には家を出て行く。冬は僕をケージに入れて、座っていると温かい器具を下に敷いてくれる。そしてケージ全体を覆う布をかけて出ていくのだ。夏はそのまま出て行くので、ママさんを窓際でいつも見送る。そこから僕の二度寝が始まるのだが、この家はこの後パパさんの両親が起きて来る。たまに寿(すわ)さんがやってきて僕を呼ぶ。赤ちゃん言葉で話しかけて、僕を撫でてくれるので、僕も精一杯の愛嬌を振りまいているのだ。二人が起きてきて、部屋に入ったら、ママさんが帰って来るまで、僕は一人でこの部屋でお留守番だ。ほとんど寝て過ごす。毎日十時過ぎに郵便屋さんがくるので、夏の場合はいつも吠えて出迎えている。一通りいつもの業務を終えると、昼前にママさんが帰って来る。いつもの生活パターンだ。

 僕たちは仲間同士でワンワン言っているが、会話をしているわけでは無い。僕たちが声を発する時は、「警戒・興奮・要求・威嚇・寂寞・痛苦・合図」の時なのだ。基本的に言葉よりも、僕たちはボディーランゲージで同胞に自分を知ってもらっている。カーミンングシグナルと呼ばれている非音声言語で、群れで生活していた僕たちが、不要な争いを避ける為に行っている行動なのだ。仲間を失えば狩りをしにくくなるし、外敵に襲われる可能性もある。一人で生きていけない我々の、存続の為の進化なのだ。このシグナル(合図)は、お互いを落ち着かせるためのものだ。この合図は実に多くあり、僕たちが行っている行動はほぼカーミングシグナルと言っても過言ではない。普通に歩いている時と寝ている時以外は、ヒトに対してシグナルを出している。

 イヌ同士の場合は、”お互いのお尻の臭いを嗅ぐ”肛門の下に二つある肛門腺を嗅げば、相手のことがすべて分かるのだ。性別や発情の有無、年齢や食べ物、行動範囲も僕たちにはわかる。”マウンティング”は発情しているメスにオスが馬乗りになる行動で、交尾のサインだ。ただ、お互いの立場を確認する時も行われ、イヌがヒトの子に行う場合は、イヌがその子を下に見ている合図なのですぐにやめさせるべきだ。

 ボケについて少し考えてみた。単調な声で吠えたり、前にのみトボトボ歩いたり、異常な姿勢で寝たり、直角コーナーで方向転換ができないとボケている。他の症状としては、狭い場所に入りたがる。同じ場所で旋回する。夜中起きだして吠える。良く寝てよく食べる。などと言われているが、これは通常時もよくやる行動なので、ボケかどうかを判断しにくいだろう。自分の名前と飼い主が分からなくなると、もうどうにもならない。ほとんどママさんから教えてもらったことが出来なくなる。視覚や聴覚が鈍くなるのでさらにボケが進む。人間と同じだ。人と違うとしたら、外敵から身を守るために、嗅覚だけは機能する。匂いを残さないという点で、排泄はボケてもきちんと行えるし、寝床も汚したくないという本能は残る。こうなってくると僕も死について考え始めるだろう。ただ、大甕おおがめに落ち、這い上がれなくなって、水死する。この行為を「ありがたい」と思うような逝き方だけはしたくないものだ。


 寒さも和らぎ、あらゆる木々の(こずえ)が、それぞれの新芽の色でおぼろに彩られる季節となって来た。女性たちには花粉がつらい季節でもある。僕の産まれた時も、柔らかい風が木々の幼い緑を揺すっていた。梅の花が咲き、桜の花が待ち遠しい。僕は毎年この時期パパさんとママさんと倉敷川の千本桜を見に行くのだ。パパさんとママさんと一緒に歩くので、とても幸せなのだ。河津桜は最近になって自然交配した新株で、ソメイヨシノより少し早く咲く。桜と言えばソメイヨシノを思う浮かべる人も多いだろう。ただ、ソメイヨシノとヤマザクラは似たような桜なので、しっかり選別できている人は少ない。ソメイヨシノは江戸時代の末に、染井村で偶然か必然か、エドヒガン(母)とオオシマザクラ(父)の種間雑種で生まれた特別変異なのだ。見た目で分かり難かったので、遺伝子検査を行った結果、日本のどの桜にも当てはまらなかったので、別の種として登録されたのだ。種間雑種と言う事は、次世代を残す遺伝子はない。しかし、この木の魅力に魅了された人々が何とか増やしたいということで、挿木さしき接木(つぎき)でクローンをたくさん作り、全国に植えて行った。今、日本中にあるソメイヨシノはすべて同じ木が原木だ。という事は、当然寿命を迎える日は同じかも知れない。日本人にはなじみの深い桜が、ある年に突然咲かなくなり寿命を迎えると、天変地異が起こった騒ぎになるだろう。桜の木の寿命はよくわかっていないが、山桜は四百年生きているものもある。特別変異株は、意外と病気に強かったり、寿命が他より長かったりする傾向にある。ソメイヨシノは六十年ぐらいが寿命では無いかと言われて、すでに百五十年近く経つ。今年も無事に綺麗な花を咲かせてくれるだろうか?ぼくの関心はそこにつきる。

 御津で生まれこの家に来てもう十年以上が経った。パパさんにもママさんにも大変お世話になった。アレルギーが多く、体が弱かった僕は、相当な金食い虫だったに違いない。月々の薬代やご飯代、ペットシートのお金も相当なものだっただろう。僕は何にもしてあげられなかったが、この家に来てとてもよかったと思っている。若い頃はワンワン星人と揶揄やゆされ、いつもワンワン言う僕が疎ましかったかもしれない。外の人にも家の人にも見境なく吠えまわるので、パパさんがいつも「ワンワン星人が出た」と言っていた。僕は、パパさんに感心を持ってもらっていることが少しうれしかったのだ。優しく微笑んでくれたママさんと、不愛想だが僕を陰ながら見守ってくれたパパさんが一緒に居てくれたので、楽しい人生だった。お金ばっかりかかる僕に優しくしてくれてありがとう。何の芸も出来なくて、お座り以外の事はほぼできなかった僕を諦めずに世話をしてくれてありがとう。そろそろ僕にお迎えが来るようだ。自分の火が消える事を僕たちには何となくわかる。最後に僕の願いが叶うなら、少しの間でいいのでママさんの腕の中で、ママさんのぬくもりを感じていたい。しかし、あいにくママさんは普段通り寝室の掃除で忙しく、近くにいない。僕はいつもの席に座っているパパさんに近寄り、パパさんの腕の中に潜り込んだ。パパさんの左胸に耳をあて、パパさんの心臓の鼓動を聞いた。今日もゆっくりだがしっかりした鼓動を感じる。僕はパパさんの心臓の音を聞きながら目を閉じた。今までの十数年が一度に頭の中に思い浮かんできた。御津で出会ったこと。旅行に行ったこと。トリミングや病院に行ったこと。実家に泊ったこと。パパさんとママさんと一緒に散歩したこと。いろいろな思い出がよみがえって来た。一人でこの家に来て不安ばかりだったが、優しい二人に出会えて神様感謝します。パパさんママさん僕は先に旅立ちます。いろいろわがままばかりの僕を大事に育ててくれて感謝しています。今後はワンワン言う人が居なくなって、静かな日が訪れることでしょう。ワンワン星人は今を持って卒業します。長い間お世話になりました。僕は目を開け、パパさんを見つめた。いつも通り笑顔でテレビを見ている。パパさんが僕に気づき頭をヨシヨシといつも通り撫でてくれた。僕は人の言葉をしゃべることができないが、最後の力を振り絞って

「クゥーン・キューン」

「あ・り・が・と・う」

と言った。パパさんは僕をみつめて、また頭を撫でた。僕は、再びパパさんの胸で目を閉じ、二度と目を開けることはなかった。

春の匂いを感じる一陣の風が、リビングを吹き抜けていった。




 


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