兄の結婚式の日に・古い洋館で・琥珀糖を・見るなり胸が高鳴りました。
葬式ならいざ知らず、結婚式に寂れた島を選ぶことなどはないだろうと思ったが、慣例だと言われてしまったのでそれ以上に反論の言葉を喉から絞ることはなかった。だがどうしようもなさが腹の辺りで渦巻くので、近くの小石をけっ飛ばしてそれ以上は会話を紡がなかった。
さる一族には不可思議な習慣があった。管理人以外は住んでいない離島に親族が集まり、そこで結婚式を挙げるというものである。まだ思春期の手前の少女がそこに参列していた。ニキビが目立った所に出来たから不機嫌で、潮風が舞う中で慎ましやかに行われるこの結婚式が気にくわなかったようだ。兄とその結婚相手は、幸せを振りまくという世間一般の結婚式ではなく、粛々と儀式を執り行っている。そう思えた。自分が結婚するのなら、世間一般のように明るいところでにこにこと愛想を振りまく結婚式が良い。彼女は相手もいないうちから、クラスで一番のハンサムとの結婚式を夢想したりなどした。兄は跡継ぎだから、一族代々の結婚式を執り行わねばならない。まだ十八歳なのに可哀想だと兄に同情したが、嫁いできてくれた年上の女性は、厳かさな式の中にもほほえみを絶やさない。それがこの一族に相応しいと年寄り衆らが納得しているのが、少女にはよけいに気にくわなかった。彼女だって女性なら、この珍妙な儀式を嫌がっても良いはずなのに、まだまだ子供の兄と結婚するなんて重荷を背負うには彼女は年を食っていた。とはいえ二六だと聞いたのだが、それが大人の魅力とでも言うのだろうか。その年上の妙な色香にも、思春期手前の少女は気にくわない。この場でこの結婚式を祝福していないのが、まるで自分だけのような気がしてしまう。世界で只一人、不幸な人間が私だけのような気がする。父も母も神妙な顔をして兄に付きっきりなので、少女はよけいにそれが気にくわない。おしゃべりをする場面ではないが、年が近い従兄弟などもいないので、ますます少女は孤立していた。
ここに同級生の一人でもいれば良かったが、父母は同級生の友人関係にまで口を出してくるから、よく考えたらそんなに好きじゃない。だがこの場で甘えられる相手というのは、いなかった。横にいるのは、粛々さを身にまとい、手を合わせて喜んでいる祖母だけだ。彼女に愚痴を言ったところで、窘められるだけである。どうせならこの場で急に寝ころんでやろうかしら、と少女は思った。子供としてまだ許される年齢である。だがこの妙な空気が、彼女の奇行をすべて置いてけぼりにしてしまいそうで、それも出来なかった。結局、灰色の雲が空を覆う中で結婚式は終了し、ようやくゲストハウスとして管理人が手入れをしている洋館に戻ることが出来た。はあ、と少女は大きなため息を吐く。
「お利口さんだったねえ」
祖母がそう言って頭をなでたが、それも気にくわなかった。せっかくセッティングした髪型を崩される気がしたからだ。だが文句は飲み込み、ふんとそっぽを向く。
「あら」
「こら、しっかりせんか。もうすぐ中学生だろうが」
祖母が大げさに声を上げたのに、すぐに祖父が窘めてくる。祖父は祖母を愛しているのがよく伝わるのだが、この甘やかすようなやりとりが少女は苦手だったので、むっつりと黙ってしまった。
「この子はおてんばさんだからねえ」
祖母が祖父にそう告げ口するように言った。このやりとりも苦手で、少女はますますむっつりとして顔をしかめる。このままじっとしていたら父母が迎えに来るのかと思ったが、いっこうにその気配はない。結局結婚式は終わっても。、父母と兄はなんだかんだと仕事が残っているらしく、親族を接待したりと大忙しだったようだ。そのことに気付いたのは、祖父と祖母に挨拶にきた兄と兄嫁を見たときだった。若夫婦の後ろに付いて、見慣れた父母が頭を下げて回っている。汗も拭かないでかなり多忙であるようで、母の化粧は崩れ始めていた。こんな旧体制の一族も、少女は気にくわないらしい。すると、兄嫁がすっと少女の前にやって来た。
「ようちゃん。もし退屈なら、私の控え室に行きなさいな。この洋館の二階の端っこ、右ね」
いたずらっぽく兄嫁は笑う。年齢の割に若々しい肌をしていて、年下の兄に魅力で負けない気がした。兄はようとだけ声を掛け、忙しいんだからなおとなしくしてろよ、とだけ耳打ちする。そんなことは言われなくても分かっていると、生来のかんしゃくを出そうと顔を真っ赤にしたとき、兄嫁が咄嗟に手を握ってくれた。その手がぎゅっと指を抑えた感覚があると、かんしゃくは一気に収まってしまった。その様子を見て、兄はばつが悪そうにしながら親族への挨拶回りに戻り、兄嫁はにっこりとしてそのまま場を立ち去っていく。少女は、目の前に用意された盆の中身、これもまた儀式めいていて少量の煮干しを煮たもの。煮た栗。煮豆をを食べてしまうと勢いよく席を立った。先ほどの兄嫁の言葉を思い出したのだ。祖父母は何もいわずその食事を口にしており、皆気付いているのに少女に声を掛ける気もなく無視をしているようで、それもまたイライラとして少女は兄嫁の控え室にすっ飛んでいった。道中は管理人夫婦や親族でも若い女性達が忙しそうにしていたものの、やはり誰も引き留めてもらえない。子供でありながらもうすぐ大人だという微妙な年齢である。役に立たなければ放っておく、というのが日本らしい無視の仕方なのだ。控え室に入ると、誰もいなかった。
兄嫁は身寄りがないらしく、だが着物や一張羅は自分で買い揃えたという。白無垢を掛けていただろう場所には、大衣桁が両手いっぱいに広げて立っていた。だがそれだけだ。人気はない。兄嫁に言われたから来てみたが、何も面白そうなものはない。控え室には着物を掛けるものと、小さなテーブルと飲みかけのお茶がマグカップに注がれていた。きっと着物を着る前に飲んだのだろう。そのマグカップの前に、箱がある。包装紙が無く、何が中身か分からないが、高級そうな紙の箱だ。その蓋を取ってみると、中からはきらきらと色とりどりに輝く金玉羹がお行儀よく整列していた。兄嫁が言っていたのはこれか、と思わずそのうちの緑のお菓子に手を伸ばす。曇りではきらきらと陽光に透かすことは出来なかったが、それでも十分に綺麗だ。少女はそれを咀嚼する。
「まずい」
そんなに美味しいものではなかった。だが少女には行くところがない。兄嫁が戻ってくるまで待っていようと、もう一個の金玉羹を口に放り込む。ここに甘い甘いお菓子も一つ置けないなんて!
きっとこの一族の習慣は、少女は死ぬまで好きになれないだろうと思った。