08 帰りたくない
今日は野営でなくて、街道沿いの宿屋で宿泊することになった。
勇者と聖女のご一行の予定の日時は先んじて周知されているから、私たちは割と大所帯なんだけどいつも御用達の宿屋があり、部屋が取れないということは絶対にない。
私は慣れない営業スマイルを浮かべつつ、集まっている人たちに手を振った。そうしたら、拍手と大きな歓声が聞こえて聖女様コールまで……アイドルじゃないよ!
……うん。魔物を倒すための救世の旅については、百回以上事故もなく無事だからと皆慣れ過ぎなんだと思うんだよね。
聖女だけど、芸能人が来た訳じゃないんだから……この世界では、似たようなものなのかもしれないけど。
今回の聖女である私は、宿屋の中でも最高級の部屋を用意されることになる。馬鹿王子エセルバードだとしても、そこには異論がないようで慣例に従ってはいる。
けど、王族の彼はそれに準じる程度の部屋を用意して貰えるので、お互いに距離を取っているテントでは離れることが出来るけど、宿屋の部屋では階数も同じで近い部屋になってしまう。
「何か目に見えて役に立つような能力があれば、他国へ行く際に伴う愛人にしてやっても良かったのに……本当に、何をどうしても際立つところのない普通の女だな。残念だ」
部屋の扉を開こうとした私を下から舐めるように見たエセルバードは、残念だと言わんばかりにため息をつきつつ言った。
強い怒りが心の中にわき上がったものの、魔法の言葉「あれは、三歳児」を心の中で何度も唱えた。
若い頃に城中で司祭様を斬ってしまったというジュリアスも、今の私と似たような殺意を感じたんだろうと思う。
「そうですか。物凄く……残念ですね」
あんたの、その頭の中がね!
ふるふると震えて引きつる口元を手で押さえつつ私は無理ににっこり笑ったら、向こうは変な表情になって部屋の中に入って行った。
エセルバードにはお付きの人も一応は居るんだけど、その人たちは控え室のような部屋へ入ったようだ。大変そう。ご苦労が忍ばれる。
やれやれと肩を竦めた私が部屋に入ろうとしたところで、後ろから声がしたので振り向いた。
「聖女様。荷物をお持ちしたんですが……今、大丈夫ですか?」
「あ。ジュリアス。ありがとう!」
私の荷物を手に部屋まで来てくれたのは薄暗い室内でも、彼の周囲の空気がきらめくような錯覚が起こるイケメン騎士ジュリアス。
さっきとは私のテンションが天と地ほども違うのは、私の中の好感度がそのくらい違うだけの話です!
「……殿下に、何か言われましたか?」
前の姿であればジュリアスは私に暴言を吐く度にエセルバードに説教してくれていたんだけど、今は何の役職もない騎士ということになっているから口は出せない。
だから、ジュリアスは私が不快な思いをしていないか、いつも気にしてくれている。
「いつものことです。エセルバードって、私のこと嫌いなんですかね?」
扉を開けた私は身振りで部屋に入って貰えるように彼を促して、ジュリアスは手に持っていた荷物を部屋の机の上に置いていた。
「逆だと思いますよ……エセルバード殿下は、今回の聖女と結婚したいと思っていたようですから」
「えっ?! けど……」
ジュリアスは苦笑してそう話し、私はまさかの事実が発覚して驚いた。
「そうですね。エセルバード殿下も、他国へ婿入りさせられる彼なりには理由をわかっているようでして……異世界からやって来た聖女と結婚出来れば、王に喜ばれこの国に留まれますから」
「え。聖女と結婚出来れば……? どういうことですか?」
「通常……異世界から喚んだ聖女は、元の世界に戻ることを望みます。我らの国では、それを引き留めることは禁じられています。どんなに素晴らしい祝福の能力をその聖女が持たれていてもです」
「あ……そういう」
確かに手をかざせばたちどころに怪我が治ってしまうような素晴らしい治癒能力なら、こちらの世界に残って、それを役立てて欲しいと思ってしまうだろう。
「ええ。そうです。ですが、聖女本人がこちらの世界に残りたいと思うなら、別です。誰かと結婚して子どもを設ければ、祝福の能力は受け継がれることもある……結婚相手は、感謝されるでしょう」
ジュリアスは何気なく壁にもたれて、腕を組んで私へ微笑んだ。
「……だとすると、なんでジュリアスは私が結婚したいと言ったのに、受け入れてくれないんですか?」
私は大きなベッドの上に、ぽふんと音をさせて座った。異世界の聖女の価値の高さを知った上で、彼の行動が良くわからなくなった。
ジュリアスは私と結婚したら、皆から感謝されるんでしょう? どうして彼は、即答で良いと言わないのかどうしてもわからない。
少しでも利を考える人なら、すぐに頷くはずだもの。
「……聖女様は、ご両親やご友人と会えなくなっても良いんですか。この異世界に留まるということは、彼らと会えなくなるということですよ」
見るからに情に厚そうなジュリアスは、異世界に残ることになる私の身内は良いのかということを聞きたいらしい。
「両親は……本当に、ここ一年でも数えるほどしか会話しなくて。二人とも仕事で精一杯で……私が居なくなると大学のたっかい学費払わなくて済むし、ほっとするかもしれません。友人と呼べる人は、いっぱい居ます。けど、単にいいねし合うだけの仲で、そんなに深い話もしないから、私の方も別に未練とかないです」
「……いいねし合うだけ? どういうことですか?」
SNSのない世界の住人、ジュリアスは私当然を聞いても訳がわからない様子。まあ、それも当たり前だよね。
あまりにこの世界とは、常識が違い過ぎるもの。
「なんていうか……私が可愛いねって言ったら、可愛いねって返してくれるみたいな。予定調和ですかね。自分たちが本当に思って居るとか、それには関係ないんです。お互いに心地良くて傷つけない関係であることが一番に大事なことだから。あと、深い話もしないのは、スクショされて熱く語るきもい奴って周知されたら、絶対嫌だから。だから、ひろーっくあさーっく、たくさん名前だけ知っていたり、顔見知りだったりは居ます。けど……会えないなら寂しい人なんて、私には誰も居ないんです」
今の時代を生きる私たちは、絶対周囲から浮きたくないし、目立ちたくない。大人から告げられる自分を持て個性を持てなんて、ただの罠で綺麗事だ。
それをして、しんどそうな人はたくさん見てきた。
だから、私たちは同じような考えをして、同じような会話をしていることが最善の処世術。それが楽しいとかは、別に大事なことでもない。
楽しそうな振り、皆と同じ考えの振り。
だって、集団の中に居る異分子だと思われたら、爪弾きにされるじゃん。絶対そんなの嫌だよ。
良くないなって思うことでも、無関係で見ない振り。だって、それを指摘したら次は自分がどんな目に遭わされるか。
一番大事なのは周囲の皆と同じ画一的な存在であり、強い主張なんて持たずに適当にへらへらしてて、心からの胸の内なんて誰にも見せる訳ない。
本音を偽り合う関係性が、一番安心出来るから。
「ああ……聖女様は本音を言い合える相手が居なくて、寂しかったんですか」
「そんなことはっ……」
ないと言いかけて、片目からぽろっとこぼれ落ちた涙に自分が一番驚いた。
友達? たくさん居るよ。
けど、表面的なことしか言えない。
家に帰っても誰もいない家庭が寂しくてしんどいとか、そんなことを言い出したら空気が盛り下がる駄目な奴に成り下がっちゃう。嫌だよ。ノリ良くて良い感じにするから、一人になんてなりたくない。
明るい振り楽しい振り、なんでもない振り。
そうだよ。今だって十何年もやって来れたことなんだから……これから一生続けるなんて、訳ないよ。
ずっと、私はそう思ってて……つらくて。
「……すみません」
思ったより近くに来て居たジュリアスは、私の顎を持ち上げて背をかがめると自然な動きでキスをした。
今までは単なる事故だったり、そっと触れるだけだったりしたけど……これは普通のキスだった。
慰めるためにキスをしたことを、今謝られたの……?
わからない。けど、角度を何度か変えたキスに夢中になっていたのは、他でもない私の方だった。
「……ジュリアス」
「泣き止みましたね」
ジュリアスには思った通りになったのか、にっこりと微笑んだ。まんまと思うがままになった私は……彼のことが本当に好きなんだと思った。
「ジュリアス。好き……」
いつも真面目で優しくあの馬鹿王子だってちゃんと叱って目の前の人を大事にしてくれる彼のことが、本当に好き……元の世界の私と、正反対のような存在。
「……聖女様。それが元の世界から逃げたいだけの理由であれば、僕はお受け出来ません」
ベッドに座ったままだった私は背の高い彼のはっきりとした言葉に、はっと上を向いた。
ジュリアスの目は真剣だったし、私は彼の言葉をすぐに否定も出来ない。
元の世界に帰りたくないと思ったのは確かだし、普通に生きていれば出会える訳もない素敵な騎士ジュリアスを好きになったのも……確か。
けど、私を見つめるジュリアスの目は真剣で生半可な理由では、ここは切り抜けられなさそうだった。