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苦手な方はご注意ください。

風が吹くとき

作者: ぱるこμ

「風が吹くとき」は「友達は宇宙人」の前日譚となる作品です。違う宇宙人達がもがくストーリーとなっております。

よかったら読んでくださると嬉しいです。

友達は宇宙人。プロローグ~風が吹き、花が咲く~


「あの胞子は植物かしら。それとも何かの死体から発生する微生物の束かしら」

眼鏡をかけた女が、誰に訊くでもなく口にした。

辺り一面に広がる砂漠の中に、ぽつんとある死骸とも、枯れた幹ともとれる物体からは白い胞子が風に乗り飛んでいる。

「あれはこの国に棲む花異物と呼ばれる生物の死骸です。準備が出来ました。こちらへ」

「ありがとうございます」

女は迎えに来た部下に連れられ、室内へ入っていく。


清潔感溢れる白い部屋、明るいライトに照らされた室内。

そこに、一人の少年が座っていた。正気を失っているようにも見えるし、何かに怯えているようにも見える。挙動不審に、震えては指先で唇を触る。

そこに入室してきたのはさっきの眼鏡をかけた女だ。女は無害な笑みを貼り付けて、少年の前に座るとテーブルの上に記録レコーダーを置く。

「こんにちは。これから、君にインタビューをさせていただきますね。覚えている限りでいいので、正直に答えてくれたら嬉しいです」

優しい声に、少年は女の顔を凝視する。疑いの眼差しではあったが、返答はしてくれた。

「ゎ…わかった」

「ありがとうございます。では、まず君のお名前を教えてください」

「実験体五十四番…。でも、ゴジって呼ばれてた。ゴジ=ウィンター」

「ふむ。では、私も敬意を表してゴジ君と呼ばせていただきますね。では、ゴジ君は我々に保護されたわけですが…保護されるまで、何が起こったか覚えていますか?」

「覚えてないです。気が付いたら、瓦礫の外にいて。立ち尽くしていたら、アナタ達が助けてくれました」

少年…ゴジの身体は包帯だらけだった。保護されたとき、痛々しい程の傷や痣があったのだ。

「他にお友達はいましたか?」

「友達…は、殺されました。皆。あ、でも。一人脱走した子がいました。その子がゴジって名前をくれました」

「その子のお名前は?」

「自分でヒナって言ってました。ヒナ=デージー。実験体七十九番」

「ヒナさん、ですね。その子は何故脱走したのですか?」

「わかりません。でも、いつも文句言ってました。研究所はクソだって。だから、隙を見て脱走したんじゃないかな…よく脱走できたなって、思うけど」

ゴジは不安そうに親指を噛む。噛み癖が酷いのか、爪はボロボロだ。

女はふむ…、と相槌を打つと、クリップで留められたボロボロの紙束を捲っていた。


『実験体五十四番。成功、宗主国へ移送手配。………実験体七十九番。失敗、危険対象・処分決定』


「あの…アナタが宗主国の人ですか?宗主国の人は、みんな髪の毛の色が水色なんですか?」

「いいえ。私はこの惑星の宗主国のヒトではありません」

「惑星…?」

「ここは、発展途上惑星にも分類されていない僻地惑星でしたね。君は宇宙人を知っていますか?」

女の言葉に、ゴジはきょとんとする。

「宇宙人…って、なんですか」

「この空の上には、たくさんの星や惑星があります。この惑星以外にも、たくさんの種族のヒトが宇宙にはいるんですよ。この世界は、この国だけの話ではありません。宇宙全部を指すのです」

女が高らかに説明するが、ゴジには着いて行けない。

「よくわからないです。ごめんなさい…でも、アナタがこの惑星?の人じゃないってことは解りました。だから、アナタは僕から見て宇宙人…なんですよね」

「そうです!賢いですよ、ゴジ君!でも君は今独りぼっちです。良かったら、我々と一緒に来ませんか?たくさんの事を知る機会だと思いますよ」

女の提案に、ゴジは項垂れた。

「でも、僕だけ生き残って…」

「大丈夫。死にたくなったら、自ら命を絶てばいいのです。自殺するのは、個人の自由ですから」

「死は、個人の、自由…?殺されるのを待つだけじゃなくて、僕が、決めてもいいの?」

黒かった眼差しに光が僅かに灯ったのを女は見逃さなかった。

「そうですよ。自殺は唯一自分で決められる死に方ですからね。自死、安楽死…。ところで、お話が変わるのですが…君はこの街が何故壊滅したか、知りたくはないですか?」

「知りたい、です。施設の中にずっといたけど、この街は嫌いだったから。最期のお別れの時くらい、ザマァって腹の底から思いたい」

「ふふ。意外と血気盛んなんですね。では、信徒が記録した映像を一緒に見ましょうか」

女はタブレットを操作すると、壁に映像が流れ始めた。そこには、ゴジにとって夢のような世界が広がっていた…。


・・・


ナギサ少年は砂漠の中にポツント立つ廃墟と化した集合団地の一室で母と二人で暮らしていた。この団地には夫を亡くし働く宛ての無い家族、浮浪者や売春婦、孤児などが住み着いていた。兎に角、貧しくて食べ物も衣服も無い人間が、やっとの思いで辿り着いた住居がここだった。窓は無いし、ドアも無い。打ちっぱなしのコンクリート塀。たちまち砂嵐になれば蹲り、ぼろっちいシャツで頭を覆うことしか逃げ道は無い。

母は身体を売って生計を立てようとしたが、十三にもなる子供がいると知ると、男は暴言と暴力を吐いて去って行く。だから、ナギサは母と一緒に砂漠に出て、花異物の死骸を食べて飢えを凌いでいた。

花異物の味?別に悪くはない。

花異物とは植物が進化した姿である。大昔、遺伝子が突然変異し、植物は自我を確立し、手足を得て動き回り、水が枯渇し始めていたため生き残る為に人間を食し血液を吸収するようになった。そして残った肉片や骨を糞として排出する。そりゃもう、悲惨な末路を辿ったミイラが砂漠にボトボトと落ちている。

今日も、ナギサと母は砂漠を歩いていた。

「お母さん、あっちに花異物の死骸があるよ!」

ナギサは走り出した。すると、エンジン音が聞こえ、猛スピードでナギサの前に軽トラックが停車する。中から男が現れ、ナギサを抱き上げ後ろの荷台に担ぎ込む。

「母さん!助けて!」

「返して!私の息子よ!」

「ッチ、孤児じゃねぇのかよ」

男は不機嫌になると後ろへ下がった。母は急いでナギサを抱き上げ、地面に下ろす。

すると、運転席に座っていた男が降り、母に交渉を持ち掛けた。

「お母さん。我々はまぁ、人攫いっちゃ人攫いだ。だが、欲しいのは孤児だ。その子は孤児じゃない。アンタがいる。俺達は働き手も探してんだ」

「働き手?」母が、疑心暗鬼に訊く。

「そうさ。俺達の住む街は一風変わっていてな。ここ一帯じゃあ潤っているほうだぜ。それに、宗主国に献上する菓子を生産している。そこには働き手が必要なんだ。だから、アンタ等親子がよければ、このまま俺達が住む街まで連れて行ってやる。どうだ?衣食住、それが保障されるんだぜ。それに、子供に勉強だって教える学校がある」

「学校…」

母は悩んだと思う。こんな上手い話があっていいのかと。だが、明日の食べ物も、飲み水も、命の安全も保障が無い今の環境よりも、衣食住が確保されたほうが何億倍もいいだろう。

「ナギサ、その街に行ってみない…?」

「うん。行く」

こうしてナギサと母は、荷台に乗り込み、その街へ向かう。途中、孤児や同じような環境で暮らしている親子を見つけては、男達は荷台に乗せていく。

気が付いたら、夜が更けていた。

「いつ着くんだろう」

「きっともうすぐよ。大丈夫?寒くない?」

「うん」

ナギサと母は身体を寄せ合った。夜までの間に、荷台はギュウギュウになっていた。母子と、孤児と、独り身の男性と。それぞれ事情を抱えた人間達が乗っていた。

順調に進んでいると安心していたら、急に砂が盛り上がり、車が横転する。

「うわあああ!」

「何だ?!」

「イヤァア!花異物よ!」

「死にたくない!」

ナギサと母は車の下敷きになり、砂と荷台の隙間に閉じ込められ逃げられずにいた。

「お願い、助けて!ここに閉じ込められているの!」

誰か!母が必死に助けを求めるが、皆自分のことで精一杯で花異物から逃げ回る。

キィイイイイイイイイイイ

劈く鳴き声が夜空に響く。

花異物は触手を伸ばし、人々を捕まえては針を出し、人間に突き刺し血液を飲んでいく。

あ、あ、あ…

血を吸われた人間が鳴く。そして、ある程度飲み終わると、肉体を口の中に放り込み咀嚼する。あの人は、かろうじて生きていた。

ゴリゴリと骨を噛み砕く音が聞こえる。ナギサは怖くて耳を塞いだ。その間にも、逃げ回る人を捕まえては食べるを繰り返す花異物の独壇場だった。

花異物から咲く花が、嗅覚の役割を果たしており、生きたナギサ達の方へ誘う。花異物がドシドシと歩き車を退かす。

母はナギサを抱きしめ、死を覚悟したその時だった。

白く輝く、複雑な模様をした円形の光が宙に浮かび、高速に回転すると花異物の首を刎ねる。花異物からは半透明の緑の体液がドロリと溢れる。

「だれ…」

先にいたのは、独りの少年だった。ナギサより年上くらいの。

月夜に照らされる彼の目付きは鋭く、きっと、この世界にまだ動物が生存していた過去。狼がいたらきっと、彼のようだったのかもしれない…。

ナギサは現実離れした目の前の光景に、どこかフワフワとしていた。


結局、生き残ったのはナギサと母。そして浮浪者の男と孤児だけだった。

どこに歩いて行けばいいのか解らず立往生していると、陽が昇る前に火を燈した群れが近づいてきた。

「お前達、大丈夫か?!」

「君達だろう、これから俺達の街に来る予定だったのは」

「菓子工場があるって街だろ!そうだ!早く安全な場所に連れて行ってくれよ!」

浮浪者が助けに来た男達に縋る。

「もうこの先にある。行くぞ」

一時間程歩いた所に。ナギサの背丈も無い半壊したコンクリートの壁を心もとないバリケードにし、その中には確かに街が存在していた。

平屋が何件もギュウギュウ詰めに建てられていて、集合団地が二棟ある。そして真ん中には学校。街の奥に見える巨大な工場が菓子工場。

「さ、町長がお待ちだ。町役場へ行くぞ」

案内され町役場へ着くと、浮浪者の男と孤児は違う部屋へ通されていく。ナギサと母は、町長自らが出迎えてくれた。

「いやぁ、わざわざ遠い所からありがとうございます。お疲れでしょう」

「いえ、こちらこそ有り難いご縁に恵まれまして…私はサナギといいます。この子は息子のナギサです」

ナギサはぺこりと頭を下げる。

「サナギさんはこれから菓子工場での就労をお願いします。ナギサくんの年齢は?」

「十三です」

「でしたら学校へ通いましょう。住居もちゃんと用意しますよ。では、今後のことについて説明しますね」

初めてフカフカの椅子…ソファに座った。町長と母の会話がなんだか長く感じた。

やっと話し合いが終わり、役所職員が集合団地へと案内する。この前までいた団地とは全然違って、窓も有り、雨戸も付いていて、玄関もちゃんとあった。壁も壊れていない。

「街の皆から着られなくなった服をいくつか貰ってきました。サナギさんの作業着は工場で用意しますので、明後日からよろしくお願いします。これはナギサくんの制服です」

渡された制服は、白いワイシャツと黒いズボンだった。

「ありがとうございます」

「学校も明後日から通う手続きで進めています。明日は生活に必要な家具を持ってきますので。あと、これをどうぞ」

渡されたのは、ナギサ達にとって超が付くほどの貴重品である石鹸だった。

「母さん、石鹸だ!」

「これで身体を洗ってください。ここは水もお湯もでますから、お風呂にも入れますよ」

では。と職員は帰って行った。


長年こびりついた砂や埃、垢は簡単には落ちなかった。だが、母は根気よく髪を濡らし、ふやかし、ナギサに付着していた汚れを落とした。終わった頃には石鹸の匂いが強く、嗅ぎ慣れない匂いにナギサはちょっと酔いそうだった。

そして、ナギサの初登校日がやって来た。


校門をくぐるや否や、周りからの視線は冷たかった。ヒソヒソ声も聞こえる。

みすぼらしい子がいる。髪もボサボサ。汚い。他所から来たのよ。どうせ貧困街だろう。本当に学校に通うに値するの?近づいたら臭いぞきっと。

ナギサはそれでも気にしなった。あのオンボロ団地にいた時は、周りはもっと殺伐していたから。悪口ならいい方だ。最悪な場合、殴りこまれたり、折角稼いだお金を盗まれたりされた。変な団体に売られそうになったこともある。

(大丈夫。ここに居れば安全だ)

ナギサは自分に言い聞かせると、校舎の中へと入って行った。

職員室で挨拶をし、担任に連れられ教室へ。

自己紹介が終わり、授業を受けるが、まず直面したのは字が書けない、読めない事だった。先生が説明している言葉の意味も解らない。同じ言語を喋っているとは思えなかった。それを見た同級生からはクスクスと笑われる。

「お前、字も書けないのに学校に来たのかよ!」

「汚い奴は学校から消えろ!」

ナギサは言い返せず、助けを求めるように教師を見た。

「あー…次回までに予習してきてね」

よしゅう…?

意味が解らず呆気に取られていると、クラスメイトから突き飛ばされ、廊下に追い出された。

「待ってよ!中に戻してよ!」

教室に入ろうとしたら、ドアを閉められて、鍵を掛けられてしまった。クラスメイトは笑いながらナギサを馬鹿にしている。女子が「可哀想~」と言っているが、明らかに楽しんでいる声色だった。

教師も教師で、ナギサがいた事なんて忘れてさっさと授業を再開していた。

「…最低だ」

ナギサは諦めると、トボトボと裏庭に向かって歩き始めた。

迷路のような校舎。

フラフラ歩いていたところで、誰かから呼び止められることは無い。

辿り着いたのは裏庭だった。ここにいれば誰にも邪魔されないと思った。静かだし、人気も無い。

「…なんだろ、あの小さい家」

ナギサが言ったのは、祠だ。木材で作られ、かなり歴史が詰まっているというか、使い古されているようだった。

ずっと俯いていたから気づかなかったが、空には、街を囲うように大きな光る円が輝いていた。あの夜の白とは違い、今は青い光だ。

「…助けてくれた人かな」

あの模様は一体なんなのだろう。ナギサは祠にある階段に座ると、空を眺める。温かい気温にうっつらとしてきて、船を漕ぎ、いつの間にか眠ってしまっていた。


次にナギサが起きたのは、誰かに背中を軽く蹴られ、階段から転んだ時だった。

「ごめんあさい!すぐ外に出るから殴らないで!」

ナギサは腕で顔を覆い、蹲る。

「…俺はそこまで酷いことはしないぞ」

ナギサを見下ろすのは、淡黄蘗の髪、瞳の青い少年だった。

「…とっぽい」

「あ?とっぽい?」苛立った声。

いらんことを言ってしまい、ナギサは口を隠した。

「あ、いえ…。はへ…?どこ、ここ」

「ここは学校の裏庭だ。俺が祈祷する祠がある場所だ!ガキンチョが気安く入って来ていい場所じゃないんだよ」

「はぁ…きとう?」

「お前、迷子だろ」

「迷子…」

少年はしゃがむと、ナギサを見た。

「髪はボサボサ。服もぶかぶか。他所から来て、寺子屋の帰りに迷子にでもなったんだろ」

「僕は学校に通ってます。今日からです」

「学校って…お前、どうみても十…十二くらいに見えるぞ」

「十三です」

「そうかよ。じゃあ、さっさと帰りな」

ぶっきら棒に少年が言うと、少年は人差し指をすっと縦に空を切ると、空に浮かんでいた円が消える。それを見たナギサは驚きを見せる。

「あの!あなたがこの前、花異物から助けてくれた人ですか?!」

「は?」

「僕、この街に来るとき花異物に襲われたんです!その時、さっきの円で花異物を倒してくれたでしょ!」

ナギサは命の恩人に会えて嬉しかった。

「だから、ありがとうございました」

「…その円の色は、何色だった」

「え…白でした」

「…そうか。さっさと帰れ。早くしないと街灯が消えるぞ」

それだけ注意されると、少年はさっさと帰っていってしまった。ナギサも立ち上がり、ズボンに着いた土埃を払う。

「早く帰らなきゃ」


次の日も、その次の日もナギサはイジメにあっていた。机はどっかに移動させられていた。上履きも無くなった。ついには教室に入ろうとすると笑いながらドアを閉められ、入れさせてもらえない。

だんだん学校が嫌になった。だけど、毎朝いってきますと言い出ていかないと、学校で勉強して学んでいると信じている母に申し訳なかった。

「…どっか行っちゃおうかな」

ナギサは学校を出て、まだ道も覚えていない街を歩き回る。

その様子を校舎から、祠で出会った少年が眺めていた。

ナギサは懐かしい風景を目指して歩いていた。工場に背を向け、壁沿いを歩き続けると人気の無い場所に辿り着く。ここに建つ家はどれも半壊していた。物乞いする老人。赤ん坊を背負っている幼女。昼間から男を誘惑する娼婦。

(なんだ。この街にも貧困地区はあるじゃん)

ナギサは気にせず、更に進む。すると、煉瓦で出来た建造物があった。窓硝子は割れており、外壁は傷があるものの壊れてはいない。ドアもしっかりとしている。変なマークが扉の上に雑に貼り付けられている。

「なんだ、あれ」

ぼんやりと見ていたら、背後から声を掛けられた。

「君もお話し聞きに来たの?」

「え?」

後ろに、自分よりも年下の女の子がいた。身体に合わないぶかぶかの白い服を着て、灰色の髪をくしゃくしゃに纏めてポニーテールにし、ゴーグルをかけている。左目の瞳は躑躅色、右目は白目の部分が黒くなっており、瞳は紫色だった。

「入って入って」

「う、うん」

ナギサは少女に言われるがまま建造物の中へ入った。

室内は、厳かというか、外の賑わいの音が半減され静かだった。割れた窓から日差しが差し込み、太陽光に頼っているせいで薄暗く、どこか涼しい。

「ヒナ。今日も来たのですね」

質の良い生地で、白いドレスを着た、燃えるように真っ赤な髪と、深緑の森の色をした瞳の少女が最奥に立っていた。

「はい、きました。深紅さま」

「その子は?」

「は、初めまして。ナギサっていいます」

深紅と呼ばれた少女は慈悲深き笑みを見せるとナギサに近付いた。

「ようこそ、聖ウェルダー教へ。ここは、現世に見切りをつけた人達が心のよりどこにする場所です。絶望の瞬間、最高の瞬間、幸福な瞬間、残酷な瞬間、苦痛の瞬間…人間、どんな瞬間も常に死が脳裏を過る時があります。願う時があります。その時こそ自ら命を絶つのです。自殺するのです。そう、それは我々人類が唯一自分の意志で死ぬ時を決められる権利なのですから!」

深紅の演説に、ヒナがパチパチと拍手を送る。

「自殺、ですか。前住んでいた団地に、自殺した人は結構いました」

「それは素晴らしいです。この劣悪で過酷な環境に見切りをつける勇気!その魂は女神の膝元へ導かれます。我々はそれを称えましょう」

「称えられる行為なんだ」

確かに、花異物に殺されるのは怖いと思った。その誰もが恐れる死を自ら望み進み決行するのは、確かに凄いことなのかもしれない。

納得しかけた時だった。

「何が称えられる行為だ、馬鹿野郎!!!!」

バンと扉が乱暴に開かれた。逆光で見えないが、声で解った。祠で出会った少年だ。

するとさっきまで微笑んでいた深紅が、急に不機嫌な顔をもろ出しにする。

「これは、これは。弱虫龍海くんじゃない。こんな貧困民が巣食らう場所になんのご用事?お坊ちゃんには縁のない場所だろうに」

演説に飽きたのか、教壇の上に座り指の爪を弄り始める。

「お前に用があって来たんじゃない。うちの生徒を連れ戻しに来ただけだ。大体、テメェいつの間に戻って来たんだよ。こんな胡散臭い宗教ごっこなんかしやがって!」

「いつだっていいでしょう。それにこれは布教活動。毎日頑張って大人の顔色見て生きている龍海くんには関係の無いお話だよ。邪魔だから、今日は諦めるわ。その子のこと連れてさっさと帰りな」

深紅は教壇から降りると、ナギサの頭を撫でる。

「いつでも来ていいからね」

「はい、ありがとうございます」

「礼なんか言ってんじゃねえよ!行くぞ!」

龍海に腕を掴まれ、強引に引き摺られるように連れていかれる。深紅とヒナが手を振っていたので、ナギサも振りかえした。

龍海の歩く速度が速くてナギサは小走りになる。それに何故龍海が怒っているのかも理解できない。とりあえず思ったのは、深紅と龍海の喧嘩事に巻き込まれるのはごめんだということだ。

「あの、なんで怒っているんですか」

「怒ってない!あそこは離脱した奴や、親を亡くした孤児が住む場所だ。治安も悪い。もう近寄るな、いいな」

「でも深紅さんのお話し面白かったです」

「あれは!」

やっと龍海がナギサを見た。罪悪感を一切抱いていないナギサの表情に、龍海は一瞬イラッとしたが、なんかどうでもよくなった。

「…お前、宗教って知ってるか」

「知らないです」

「神様って信じるか」

「カミサマって何ですか。カミナリと同じ感じですか?」

「……お前、ちゃんと勉強しろ」

「勉強したくても教室に入れてくれません。もう学校に行くのは諦めます。深紅さんなら物知りそうなので深紅さんに教わろうと思います」

「待て待て、教室に入れないってなんだよ」

龍海は頭を抱えると、壊れた壁に腰かける。ナギサは龍海の前に座る。体育座りで、地面に。

「…こっちに座ればいいだろ」隣をペシペシと叩く。

「はい」

ナギサは龍海の隣に座った。ちょっとごつごつしていて座り心地は悪いほう。

「…で、教室に入れないってどういう事」

「僕が他所から来たから嫌みたいです」

「あー…そういうこと」

龍海は膝に肘をつき頬杖をつく。本来なら龍海が移住者の面倒なんかみる必要なんてない。だが、このチビが深紅の元に通うのは見過ごせなかった。気に入らなかった。深紅が昔のような普通の少女だったら話は別だったけど…。

「俺が勉強を教えたら、もう深紅がいた場所には行かないか?」

「へ、教えてくれるの…?文字とか」

「そこからか…。教える。だからもう行くな、近寄るな、立ち入るな。約束しろ」

「わ、わかりました。だから勉強教えてください」

これからちゃんと勉強が出来る。ナギサは一安心した。読み書きができることは人生に必要なことだ。それくらい解っている。もう深紅とヒナと会えないのは寂しさを覚えたが、まぁそこは時間が流れれば、いつか会いに行っても怒られないだろう。

その時、龍海がナギサの髪をおもむろに触ってきた。

「なに?」

「お前、髪の毛バッサバサだな。ひど」


連れてこられたのは龍海の家だった。他と違い頑丈そうな住宅だった。

そのまま風呂場まで連行され、お湯をぶっかけられ石鹸で洗われて、バスタオルで拭き取られた後、謎のオイルを髪の毛に塗りたくられていく。

「あの、なんですかこれ。甘い匂い」

「花異物から取れたオイルだ」

「…」花異物の肉を食って生きてきたが、なんかちょっと嫌だった。

「花異物は危険だけど、亡骸は意外と生活物資になるんだぞ」

「そうなんだ」

保湿して、肌にもクリームを塗られた。なんだか自分の匂いがしなくて不思議な気分だった。

髪も乾かし終わると、今度は散髪が始まった。

「おら、どうだ!」

鏡を見せられると、髪も整えられてツヤツヤで、肌艶もいい自分がいた。ナギサはおぉ、と感心し鏡を覗き込む。

「終わったら勉強始めるぞ」

「あ、はい」

ナギサは龍海からひらがなとカタカナの表を貰った。まずは名前を読め、書けるようにと始まった。な、ぎ、さ。を覚えた。あと、た、つ、み、も覚えさせられた。龍海の教えはスパルタだった。少しでもぼんやりすると人差し指でテーブルを叩かれ集中しろと急かされる。

ちょっと後悔し始めていた。

「今日は俺ん家だけど、明日からは学校の図書室でやるぞ。図書室は教室から離れているから、来られるだろう?」

「たぶん…」

「…大丈夫、俺がいれば学校の奴等は口出ししてこないから。もう夕方だな。家まで送っていくよ」

ナギサは頷くと、貰ったひらがな表を腕に抱いた。鞄が無いのに気づいた龍海がお下がりにリュックサックをくれた。そこに表を入れると、筆記用具とノートまでくれた。

街灯に明かりが灯る。人々が店の戸締りを始めている。母の勤める工場も終業する時間だ。

特に会話も無く歩いていると、見慣れた道に出た。

「あの、ここまで来たらもう道解ります。送ってくれてありがとうございました」

「おう、そうか」

なんかちょっと別れるのに胸が苦しくなった気がした。寂しいって、事なのかもしれない。スパルタだったけど…。

「あの、また明日…」

さよならの挨拶をしたのに龍海は空を険しい表情で見上げていた。

ナギサも見上げると、黒い物体が不気味にうねり空を旋回している。

「なんだろう、あれ」

「すぐ家まで走れ!」

突き飛ばされると、ナギサは別けも解らず団地に向けて走り始めた。

空からギュイイイイイ、ギュイイイイイと花異物特有の鳴き声が響き渡る。その声に住民が焦り始め、パニックになる。

そして街全体にけたたましい警報音が鳴る。

ウーーーーーーーーーーーーーーーー

「花異物だ!」

「龍海様をすぐに!」

「もう来ていらっしゃる!」

「龍海様!」

住民は龍海に助けを乞い縋り、急いで家の中へ逃げ込んでいく。

あともう少しで団地の入り口だ。最後の力を振り絞って更に加速した時だった。

「ううぇ?!」

視界がガクンと大きく揺れる。肩に爪が食い込み痛い。かなりの力で握られているせいかじんわりと血が服に滲む。

「うそ…」

下に広がるのは街。上を恐る恐る見ると、鳥型の花異物に攫われたようだ。

ナギサは知っている。鳥型に捕まった人間は生きたまま啄まれ、血を食われるのを。

「う、うわぁあああ!たすけてぇ!」

貰ったリュックのショルダーを握りしめ半泣きで叫ぶがここまで助けに来てくれる人はいない。だって飛んでいるんだもの。

「ふぇ…ここで死ぬの?それならもっと深紅さんの話聞いとけばよかった…」

「だから!」

イラついた声が真下から聞こえる。青い円が花異物の足を切断すると、ナギサは落下する。が、下で円に乗り宙に浮き、待ち構えていた龍海が受け止めた。

「あ…たつみ」

「アイツの話を聞くな!耳を傾けるな!鵜呑みにするな!死ぬことじゃなくて、生き延びる方法を考えろ!」

「そ、そこまで怒らなくてもぉ!本当に死ぬっておもったんだよ!」

「だぁ煩い!今地上に下ろしてやるからすぐ逃げろ。いいな」

「うそ、ひとりにしないでよ!さっき捕まったばかりなんだよ!降りたらまた捕まるかも!」

「お前、意外と図々しいな…いいか、俺はこの街を守る仕事があるから、お前は避難しろ」

「じゃあ手伝うからそばに居させて」

泣きっ面と鼻水を垂らしたナギサがあんまりにも情けなく見える。掴まれたワイシャツを放してもらえそうにない。

「…俺の言う事を聞かず勝手な真似をしたら牢獄にぶち込むからな」

「わかった」

龍海はそのまま飛行すると菓子工場の屋上に降り立った。

「ここにサーチライトがあるから、それで空を照らせ。鳥型が集まってくるはずだ」

「わかった!」

ナギサはサーチライトをグググと力を込めて、空に向ける。そしてライトをつけると、予想通り鳥型が光りの周りを旋回し始める。

龍海は青の円を大量に発生させると、鳥型に向けて攻撃を始める。鳥型は、あの不思議な円にぶつかると奇声を上げて死んでいく。また、円に斬られても死んでいく。

その不思議な力に、ナギサは圧倒され魅入っていた。

「ねぇ、キリないよ」

「知ってる」

「あのさ、こう、丸いボールみたいにして、鳥型を包むってこと、できないの?」

「そんなことした事…丸くないボールってあるのか?」

「コンクリートブロックの欠片をボールだって嘘吐かれて投げつけられたことあったから」

「わかった。本物の球体を見せてやる」


・・・

龍海の家系は、この街に古くから伝わる『花族』という、不思議な力を持った家系だった。花族には円形花撃という円を模した紋様で花異物と対抗できる力が備えた赤子が生まれる。その力を持つものは『花守』という神様として祭り上げられていた。龍海も母から力を伝承し、花守として生きてきた。だが、母は幼い頃に花異物に殺された。父は婿でただの人間のくせに権力を振りかざし好き放題している。

そのせいで。力を持っていない、ただ権力しか持っていない大人達のせいで。二人の大切な親友を無くした。自分が弱虫なせいで、大人に従うしかないと思い込んでいたせいで。

二人の親友を一度に無くした。

・・・


(伝記にも円の形を変えるなんて記載されていなかったぞ…出来んのか?いや、想像しろ。俺の思った通りの軌道を描くんだ。形だって、変えられる)

誰も自分を助けてくれる人はいない。導いてくれる人も。なら、自分だけで新しい道を開いていくしかない。

龍海はイメージを具現化するように、手で円を緩やかな弧を描くようにしていく。

(もっと早く、一匹も取り逃がすな!)

龍海は一気に球体を創り上げ、鳥型を閉じ込める。そして一気に球体を縮小化させバチンと抹消させる。するとボタボタと鳥型の死骸と不透明で濁った液体が落ちていく。

「…やったの?」

隣でゼーハーと酷い息切れを起こしている龍海に容赦なく訊く。

「はぁ、はぁ…たぶん。はー…」

龍海はサーチライトで周りを警戒するが、一羽も飛んではいなかった。

「…はぁ、はは!すごいや、たつみ!花異物やっつけた人、これで二人目だ!」

ナギサは龍海に嬉しさのあまり抱き付いた。龍海は力を使った疲労からか怠そうだったが、はしゃぐナギサの頭をポフポフと軽くたたく。

「はいはい。無茶ぶり言いやがって…。それよりお前、肩怪我してんじゃねぇか。丁度工場だし、救急箱でも借りるか」

屋上と室内を隔てる扉を叩くと、工場長が慌てて出てきた。ナギサの母も帰宅せず大人しく工場で身を顰めていたため無事だった。龍海は、サナギから沢山のお礼を言われた。

ナギサを助けてくれてありがとう、守ってくれてありがとう。それは、神様としての住民からのお礼とは違い、一人の人間としてのお礼だった。


* * *


翌朝。ナギサは母が直してくれたワイシャツを着て登校した。古びた布生地をつぎはぎにしたので白いシャツには似合わず悪目立ちする。だけど、周りがクスクスと嘲笑うけど、龍海から貰ったリュックが隠してくれている(あんまり隠しきれてはいないが)。だからナギサはちっとも気にならなかった。

言われた通り、図書室に入ると、そこには態度のデカイ龍海が椅子に座り仰け反っていた。

「おはよう」

「おはよう。本来なら先輩には‘おはようございます’と言うのが礼儀だが俺とお前の仲だ。許してやろう」

「はぁ」

ナギサが対面に座ろうとするが、隣に座れと親指で指図される。

隣に座ると、龍海がすぅっと一枚の紙を寄越した。

「なに、これ」

「お前の漢字だよ。俺が考えてやったんだから必死こいて覚えろよ」

「漢字…何て読むの?」

「そこからだったな…。まぁ、おう。まず『凪』。これがナギ。『砂』。これがサ。これで『凪砂(なぎさ)』。OK?」

ナギサは眼をキラキラと輝かせ、名前の書かれた紙を穴が開きそうなほど見つめている。

「ありがとう、たつみ。凪砂…凪砂!これが、僕の漢字!」

「もう一度その紙を貸せ。俺の名前も書いといてやる。これで『(たつ)』、これが『()』。いいな」

「はーい」

「はい、眺めるのはここまで。読み書き、国語、算数は最低でもできるようにしないとな。金騙し取られるぞ」

こうして龍海のスパルタ教育が始まった。暖かい日差しで凪砂が船を漕いでも叩き起こし、飽きても教科書で頭をポコンと叩く。

文句をぶーたれる凪砂に反して、龍海はどこか楽しそうだった。



貧困層が集う場所に、一人の少女が娼婦で生計を立てている。オンボロ小屋で罅割れた鏡を見て身だしなみを整えていた。

「スミレ~、入るよ」

「あら深紅。今日は布教活動いいの?」

「いいのいいの。どうせ人なんて来ないし。来てもヒナだけだしね。あの子は今頃どっかほっつき歩いているだろうし」

スミレと言う娼婦の隣に深紅が座る。そして、巾着袋から口紅、頬紅をスミレに渡す。

「あんた…いつもどこからこんな高級品持ってくるのよ。この眼鏡だって、深紅がくれた貴重品なんだよ?」

「私は信徒だよ。調達しようと思えば手に入る。本当は、ヒナもスミレも入信してくれればもっと楽な生活を送らせてあげられるのに」

「ありがとう。でも私、自殺志願者じゃないからさ」

スミレは笑う。その笑顔を見て、深紅はフラれたみたいにガックリして見せる。深紅はスミレの肩にもたれかかった。

「この前、龍海に会っちゃった」

「…花守様の?」

「うん。本当は会うはずなかったのに。アイツ、無能な父親から貧困地区には行くなって口酸っぱく言われていたのに、たった一人の生徒を連れ戻すためにここまで来たんだよ。嘘みたいだよね。私達の時は追いかけてきてくれなかったのに、って。八つ当たりしちゃった…」

スミレは鏡と、貰った化粧品を巾着袋にしまう。そして少し困ったように返答する。

「ごめん。私は龍海様のこと全然知らないから。噂だけなら知ってる。誇り高い神様だって」

「誇り高いって言えば聞こえはいいけど。要は偉そうな態度なんだよ。昔は気が弱くて、いつも私達の後を追って来ていたの…。あんな風に変えちゃったのは、私達の責任でもあるんだよね」

「…深紅、あのね。私文字も読めないし、教養もないバカだけどさ。ずっと深紅の味方でいたい。深紅が選んだ選択は間違いじゃないって、肯定する。だから、深紅は自分の思った行動をすればいいよ」

スミレの言葉に真紅の瞳が揺れる。そしてどこか切なげな表情をし、スミレの膝にずれ落ちていく。

「ここに戻ってきたとき、スミレに出会えてよかった…。スミレは傍にいて、ずっと。離れないで…」

「うん。約束する」

安心したかのように、深紅は瞼を閉じた。そんな深紅の頭を、スミレは優しく撫でる。

「ここの街の奴等って本当勝手だよね、卑怯だよね。浮浪者や娼婦を汚らわしいと言うくせに、夜になるとコソコソと女を買いに来るの。花守様のことだってそう。崇めている割には消費物として扱う。本当、自分勝手な人達」


・・・

スミレは思い出す。五年前だったと思う。花守が三人いた。だが、一気に二人が街から去った。一人は花守としての力を失い使い物にならなくなった少年。もう一人は家族を殺され、大人達に利用される事に反発した少女だった。少女は移民だった。家系と辿ると一度街から出ていった花族をルーツに持っていた。だから少女は花守としての力を覚醒させていた。だが、兄は普通の子供だった。両親も、花守としての力は無かった。だから、権力を愛している大人達に目を着けられた。使えない家族を殺し、花守の少女を手の内に入れてしまえば、都合よく扱えると考えたから。だが、そう簡単にはいかなかった。家族を殺害された少女は激昂し、権力者の数人を円形花撃で殺して街から姿を消した。

そんな噂が貧困地区に流れてきて、スミレは花守の少年少女に同情した。良い暮らしが出来て羨ましいと思っていたが、実は違う。子供だから都合よく扱おうとする大人に反吐が出た。

独りになった龍海にも同情した。大人に振り回される、操り人形みたいで。

そして年月を経て、つい数か月前。深紅が突如貧困地区に現れたのだ。謎の宗教勧誘を適当にしているが、スミレは同い年の深紅に好感を抱いていた。

まさか、深紅が五年前に殺人を起こした花守だったことに凄く驚いたけど。

でも、そんな深紅がかっこよかった。自分の意志があり、強くて、優しい。娼婦の自分に偏見を持たず接してくれる。花異物からも守ってくれる。

だから、自分もどんな形であれ、深紅を守れるようになりたいと願う。

胡散臭い宗教に関しては眼を瞑るが。


* * *


昼食を終えると、龍海は花守の祈祷があるということで、返された。午前中のみの勉強会だったが、とても長く感じた凪砂がもうヘトヘトだった。

「勉強って、こんなに頭使うンダ…頭が疲れるの、はじめてかも」

団地へ歩いていると、足元に小石が転がってくる。それも一つじゃなく、何個も、何個も。気づけと言わんばかりに。石が飛んでくる方を見ると、ヒナが建物の隙間に隠れてこっちを見ていた。

「ナギサ、こっち来て」ヒソヒソ声で凪砂を呼ぶ。

凪砂は周りを見回し、誰も見ていないことを確認すると、ヒナに誘われるまま着いて行く。人目を避けるように家の隙間や路地をとっとこ走る。

ヒナに連れてこられた場所は街の端っこ。貧困地区の本当端っこだった。

「ねぇ、あれ見える?」

「んぅ?」

凪砂は、今日龍海から貰った双眼鏡をリュックから取り出し覗き見る。そこには、花異物の幼体がいた。姿から昆虫型の幼体。たぶん。

「…龍海呼ぶ?」

「深紅も倒せるよ」

「そっか」

「昨日の夜からずっとあそこにいるの。襲っても来ない」

「うーん?」

「幼体でも襲ってこないの不気味」

ヒナの発言に同意する。花異物は幼体でも人を食う。人間みたいに母親からのお乳ではない。

凪砂はもう一度覗き、幼体を見る。更によく見えるようにレンズを調節すると、どうやら主軸になる前足の一本を欠損し動けないでいるようだった。

「怪我してる」

この時、凪砂の脳内は、弱っているなら息の根を止めて食料として食えばいいやと考えていた。

「ちょっと様子見てくる」

「あ、私も!」

二人は壁を乗り越えると、砂漠を走る。足を取られ、ずっこけたりもしたが、なんとか幼体の元へ辿り着く。

キュイィ…と幼体は力無く鳴く。

幼体の大きな眼を覗き込むと、凪砂とヒナが移り込む。複眼で宝石のように光っている。

「綺麗な眼…」

幼体は凪砂とヒナが怖いのか逃げようとするが上手く歩けず、砂を無駄に蹴っているだけだった。

「親、いないのかな」ヒナが凪砂に問う。

「わかんないよ…。随分弱ってる」

凪砂が安心させようと、そっと幼体の胴体を撫でてやる。自分に危害を与えないと解ったのか、幼体は大人しくなる。

「殺す?」

「殺そうと、思ったけど…」

弱々しく鳴く幼体。怪我をして困っている。安易な考えで手をだした自分達を信じて大人しくなり、安心しているように見える、幼体。これが花異物で、人間を襲い、殺し、食す。

本来なら殺す能力がある龍海をすぐに呼びに行くべきなのだろう。だが、どうしても凪砂の中に、この幼体に対する淡いが愛情が芽を息吹く。

「…血をあげれば、いいのかな」凪砂が袖を巻くり腕を見せる。

「え!それはちょっと、危ないよ」

「じゃあ、水とか?」

凪砂はリュックから水筒を取り出し、キャップを全て外し、容器を差し出す。

「ここに口入れて、飲める?」

幼体は理解していないようだった。凪砂が水筒に口を付け飲んで見せる。

すると幼体は、凪砂の真似をしようと、口から口吻をクルクルと出す。そして水筒の中の水を吸い始める。中にある水がどんどん減っていく。

「飲んでる?」ヒナが頭で凪砂を押し退け中身を見ようとする。

「飲んでるよ」素直に退いてやり、中身を見せてやる。

「あ、見て」

ヒナが幼体の前足を指すと、怪我をしていた前足が細い枝を無数生やし、みるみるうちに元の足に治癒していく。

「すごい!花異物だって水があれば大丈夫なんだ!ねぇ、龍海に頼んで水を上げるようにしようよ。そうしたら花異物が人を襲うことも無くなるかも!」

「それって、すごい発見!」

二人が喜ぶと、幼体も嬉しいのか、口から二本の触手を出し、凪砂とヒナの頬を撫でる。

「キュイイイイイイイ」

「はは、よく見ると可愛いかも」

「ねぇ、名前付けてあげようよ」ヒナがウキウキしながら提案する。

「名前…?そうだなぁ」

その時だった。

「おい、お前等!!!」

龍海の怒号が耳を劈く。相当怒っている。

「今すぐそいつを処分する!退け!」

「嫌だ!」

凪砂が幼体の前に立ちふさがり、邪魔をする。

「お前な!花異物だぞ!今は幼体でも成虫になってみろ!殺されるのは人間、俺達なんだぞ!」

龍海は凪砂の胸倉を掴む。反動でぐらつくが、凪砂も負けない。龍海の手を掴みワザと爪を立ててやった。

「でもこの子は、水飲めば平気だった!」

聞き分けの良くない凪砂に、龍海の額に青筋が立つ。

すると、今まで黙りビビっていたヒナが突然幼体の後ろに回る。息を切る音、砂を蹴る足音、動物型狼種の花異物が現れ、幼体めがけて襲撃しようとする。

「ヒナ!」

「こんな時に!」

龍海は自分の後ろに凪砂を突き飛ばすと、幼体を庇い両手を広げるヒナの前に円形花撃を出現させる。すると狼型は止まり、その周辺をウロウロとし始める。

すると、ピー、と指笛が響き渡る。

「イーセン、待て」

その声は違っていても。声変わりを終えていても、口調で解った。この狼種を手なずけている相手を…。

「野分…?」

脈拍が早くなる。

龍海は脱力する。五年前に力を無くし追放された幼馴染。親友だった野分がいるのだから。

野分と呼ばれた少年は、龍海を見たが、声を掛ける訳ではなかった。

野分はイーセンと名付けた狼種の花異物を撫でると、イーセンはグルルと喉を鳴らし野分に甘える。

「そこの小さいの。この幼体のこと、守りたかったのか?」

小さいの、と呼ばれた凪砂は戸惑うも「うん」と急いで答えた。

「なら俺が預かる。しばらくはここの近くにいる。この近場を通ったら指笛を鳴らすから、聞き逃さずに来い。そうしたらコイツに会える」

「本当か、信じていいのか」

ヒナが野分に喧嘩を売る。

野分はヒナにチョップをかます。

「イテッ」

「信じていいよ」

イーセンは幼体に何か花異物特有の鳴き声で会話をしているようだった。すると幼体は大人しく野分の傍に寄っていく。

「すごい…」凪砂は目を丸くする。

「小さいの。コイツの名前は?」

「え、えっと。キューイーで…」

「わかった。行くぞ、キューイー」

野分はイーセンに跨ると、キューイーを連れて歩き出す。

「待て、野分!」

龍海が声を掛ける。野分は止まり振り返る。

「俺…、その。…先日だと思うけど。凪砂のこと、助けてくれてありがとう」

「龍海。俺はお前のこと、憎んでいないよ。これだけはずっと伝えたかった。今度はちゃんと守りたい人のこと、守れよ」

「待って!」

龍海の制止も虚しく、野分と二匹の花異物は去って行った。

残された三人は、ただ後姿を眺めていた。

「…龍海」

「なんだ」

「爪。食い込ませてごめんなさい」

「…謝るところそこかよ。おら、帰るぞ。心配かけやがって」

龍海は凪砂とヒナの首根っこを掴むと、街に向けて歩き出した。


・・・

野分の花族の産まれだ。そして六十年待ち続けられた、待望の花守の力を持った子供だった。一家の期待を一身に受け、プレッシャーにも負けず訓練を毎日続けた。同じ花守同士の龍海とは一つ違いの歳の差ということもあってすぐに打ち解け合った。二人で街を守っていくうちに、移民の深紅も花守であり、三人で街を守るようになった。だが、野分の身体に異変が現れてから歯車が狂い始めた。

野分が、成長に着いて行けず花守の力が一時的に消失したのだ。だが、一時的なものだと知らない一家は野分に見切りをつけ、追い出し絶縁した。同じころ、深紅を傀儡にするために上流家庭の人間達が浮浪者を雇い、邪魔だった深紅の両親、兄を殺害した。

野分と深紅は絶望に立たされた。

龍海はずっと三人でいられると信じていた。

だが、野分と深紅には、龍海は大人達に目隠しをされ、真実を見てもらえずにいるように映っていた。助けてくれない龍海をどう見ればいいか迷いが生まれた。

この時、気の弱かった龍海の発言は全て大人にかき消された。

こうして野分は街から追放された。深紅は良いように使われる前に自ら街を捨てた。

野分は砂漠を歩く中で、最後に龍海と会話を出来なかったことが心残りだった。ちゃんと、離れていても忘れない。恨んでいない。ずっと親友だと伝えたかった。

放浪するうちに、野分は人間と同等の知能を持った花異物と出会った。その花異物は人語が話せた。山のような雌の花異物と、巨人のような雄の花異物。そして三体の幼体の花異物。

花異物は人間と交流するいい機会だと笑い、野分を置いてくれた。そのお蔭で、野分は今日まで生きてこられた。

そして最近、力が戻ったのだ。だから街の近くをイーセンと共にうろついている。街を助ける気はない。寧ろ花異物に皆食われればいいとさえ思う。だが、龍海とその大切な子を守るためなら、また街に足を踏み入れることもやぶさかではない。


* * *


ある日の午後。龍海は祠に籠り、街の建物が老化で崩壊しないように花守の力を使い、祈りを捧げていた。これも花守の仕事の一つ。この祈りをすることで、建物の老化と崩壊を延ばすことができる。

(今日はそろそろ終わりか)

龍海が外に出ると、雨が降っていた。夕立だろうか。

ふと死角に人影が入る。凪砂だ。渡り廊下にぽつんと座り、祠にいる龍海を見ていた。

龍海はパーカーを傘代わりにすると、急いで凪砂の下へ走る。

「なんで帰らなかった」

「傘、パクられてた」

「はぁ」

龍海は凪砂の隣に座る。雨の音が酷く煩い。

「夕立だからすぐ止むだろう。しばらく待とう」

「龍海、傘持っていないの?」

「…持っていないな。傘は面倒だから持たない」

嘘だ。本当は昇降口の傘立てに置いてある。

なんとなく、凪砂と話していたい気分だったから嘘を吐いた。

「キューイー、元気かなぁ…。こんな風に家族じゃない誰かを思うのは初めてかも。龍海は、離れた誰かを想ったこと、ある?」

凪砂の質問に、龍海はしばらく口を閉ざしたままだった。凪砂は雨音で声が聞こえなかったのかと思い、もう一度訊こうとしたとき、龍海が重たそうに口を開いた。

「あるよ。この前会った、野分と深紅をずっと想っていた。野分は追放、深紅は自分の意志で街を捨てた。それも全部、俺が情けなく大人の言いなりになっていたからだ…。逆恨みして二人に捨てられたって思いこんだ日もあった。父親にずっと刷り込まれてきた。花守はお前独りだけでいい。孤高の神であるからこそ力は強くなるってさ。本当は、一人でも何人でも、力は変らないのに」

「何を言っているの?」

え、と思わず声を零れた。

澄んだ瞳に射貫かれ、目が離せなくなる。

「この街に神様なんかいないよ。いるのは人間。僕と龍海。人しかいない。街の人は目に見える物に縋りたくて、特別な力を持っている龍海を神様扱いしているだけだよ」

凪砂は、少し座高の高い龍海を見上げる。

蒼い瞳に急に囚われた龍海は、思わずたじろいだ。

「こういう時って仲直りするんでしょ?昔、行かないで、って言えなくてごめんって伝えたら?」

「二人はまた、俺に会ってくれると思うか…?」

「会えるまで通えばいいよ。僕も一緒に行くから、怖くないよ。龍海が図書室で勉強教えるから学校に来いって言ってくれたみたいに、今度は僕が手伝うから」

「…ありがとう」

「うん…。それより、寒いかも」

寒さを訴えた凪砂に、龍海は自分のパーカーを着させ、引き寄せた。

「凪砂。例え話だけど。俺もこの街を去ると言ったら、一緒に来てくれるか?」

「お母さんがいいよ、って言ったらね」

「…そうか」

二人は雨が止むまで、ずっと渡り廊下に座り、何を話すわけでもなく、ただびしょ濡れの世界を眺めていた。


深紅は教会に居た。

昨日の夕立は後を消すようにすっかり渇き、いつもの光景と砂漠が広がる。

コンコン、ノック音がする。

「どうぞ」

扉が開くと、龍海と凪砂が立っていた。

「…弱虫龍海じゃん。今日はどうしたの。ナギサにもう立ち入るなって散々言い聞かせてたくせに」

「お前が突然帰って来て、おまけに変な宗教勧誘していたからだろ」

ムスッとする龍海に、凪砂が裾を引っ張り制止させる。

「…今日は謝りに来た」

「謝り?」

「五年前、深紅と野分に…行かないで、って。置いて行かないで、って言えなくてごめん。二人が大切だから追い出さないで、って言えなくてごめん。傍にいてって、言えなくてごめん。一緒に連れて行ってっ、て言えなくて…」

最後は教会に吸い込まれるように言葉が消えていった。

静寂に包まれると、深紅は深く溜息を吐く。溜息の音が凄く大きく聞こえる。

深紅は諦めたように椅子から立ち上がった。

「今でもお父さんとお母さん、お兄ちゃんのこと殺されたのは許せないんだよね。指示した奴も、実行犯の浮浪者も。賛同したアンタの父親も。龍海は関係無い、悪くないって解ってるけど心が追いつかないんだよね。私達の時は追いかけてきてくれなかったのに、ナギサがここに来たときは追いかけてきて…だから久しぶりに会ったあの時もかなり喧嘩腰になっちゃった。でも、はは。一緒に連れて行ってほしかったんだね、龍海」

「あぁ。でも、俺は弱虫だから。追う事も、行くなと言う事も言えなかった。でも、」

その時、ドーン!と下から衝撃が襲う。揺れは数秒で収まった。そして段々と悲鳴が上がり始める。

「深紅、花異物だよ!」

ヒナが慌てて教会に逃げ込んでくる。

「行かないと」

龍海が出て行こうとするのを、深紅が手を掴み止める。

「ねぇ…もう人助けとか、花異物討伐するのを止めてさ。野分も誘ってさ。ここにいる皆でこの街が滅んでいくの、眺めていようよ。私達散々利用されてきたじゃん…!花異物を倒している時はおべっか使って、でも使えないって解ると捨てるような人達だよ?!もういいよ、頑張らなくて。終わりにしようよ…」

「魅力的なお誘いだな…。でも、最後に一つだけやる事があるんだ」

「やること?」

「凪砂の母親を助けに行く。そして最後の義務としてこの街を守ってくる。そしたら、またここに戻ってくる。その後は野分も呼んで、この先のことについて話し合おう。…凪砂のこと頼む」

そう言い残すと、龍海は住宅街へ向かい走り出した。

「龍海!」凪砂も追いかけようとするが、深紅に止められる。

「向こうは危険だよ。ここに円の結界を張るからヒナと待っていて。ヒナ、私スミレのこと連れてくるから。ちゃんと待っていてよ」

「待って!いつもとの花異物となんか違うんだよ!一緒にいてよ!なんか怖い!」

「丈夫にするから!」

深紅は結界を張るとすぐにスミレのいるボロ小屋へ向かい走る。

教会に残された凪砂とヒナは不安と怖さに押しつぶされそうになり、教壇の下に入り身を寄せ合う。

「工場、安全かな…」

「龍海が向かったから大丈夫だよ」

「龍海、この花守としての務めを果たしたら、街から出ていくつもりだ…深紅さんと野分さんに会えたから。きっと、もう後悔しないようにするんだ」

大きな存在がいなくなる不安が、凪砂を悲しませ涙を溢れさせる。

ヒナは、凪砂の手をギュッと繋いだ。


龍海が急いで住宅街に戻ると、既に惨劇は進行していた。

人間を食い荒らす物、弄ぶために殺す物、女を強姦する物…。

全ては花異物の仕業だ。しかし、花異物は人間を捕食するために殺す、食肉植物。それが遊びや快楽を覚えたかのような現象に龍海も思考が追いつかない。

今まで見たことも無い、書物や伝記にも書かれていない、人の形をした花異物。

「龍海様、助けて!」

その声に我に返り、円形花撃を無数繰り出し正確に花異物に当て身体を斬り、消滅させていく。

(早く工場に!)

その時だった。

再び街が、砂漠が大きく揺れ始める。次第に立っていられなくなり、龍海はしゃがみこむ。そして信じられない光景が目の前に現れる。

揺れが最大に達したとき、地面から二つの塔が出現した。その塔は天高くなり街に影を落とし、その正体を現す。

「鰐…?」

鰐の花異物は頭部までしか出ていない。その巨体を考えると恐ろしくなる。

「今までの揺れはあの鰐が動いていたからってことかよ…」

過去にない例に焦燥と畏怖が生まれる。こんな巨大な花異物が出現したことなどない。一体、何が起きているのか。

そんな人間の考えなど知らん顔で、鰐の花異物は何かに向かい胴体を動かす。

鰐が何を狙っているのか理解すると、龍海は青ざめ走り出し円をぶつけるが、鰐はビクともしなかった。

「やめろ!!」

叫んだところで花異物に人語が理解できるはずもなく、鰐は無残にも工場を食べ始めた。

女性達の悲鳴が一斉に喚き出す。

工場に結界を張り、円を鰐の口に表し、食べるのを阻止しようとするが、鰐の噛む力に、円形花撃は負け罅が出来呆気なく割れる。

「やめろ…、やめろ」

サナギ。せめてサナギだけでも保護しなければ。龍海が半壊した工場へ行こうとした時、足を取られる。

「っ!」

龍海が下を向くと、そこには両足を捥がれた男が必死の形相で足にしがみ付いていた。

「助けて、花守様…!痛いんだ!足が、足が!」

「私達を助けてよ!」

「龍海様、助けてください!」

「死にたくない!」

「助けてくれないなら、お前も居たって意味ないだろ!」

「そうだ!俺達の金で良い暮らししやがって!」

「命に代えてでも私達住民のこと守りなさいよ!」

周囲の人間の助けを求める声が罵倒に変っていく。この状況を龍海は一番解っている。

周りの声が段々と聞こえなくなっていく。

野分と深紅が去った後に一人では対処できない数を、深夜から明け方にかけてずっと倒し続けていた。街に被害が及ばないように円形花撃で結界を作った。龍海は砂漠に出てずっと花異物を倒し続けた。いつまでも終わらない不安と不満から、住民の一人が声を荒げた。「何してるんだ、神様なら早く仕留めろ」。そこからは罵倒ばかりだった。罵声は尽きない。代わる代わる人々は龍海を罵り続けた。

そして住民が飽きてきた頃、やっと最後の一匹を倒し終わった。フラフラの満身創痍で街に戻ると、皆手のひらを返し、お疲れ様でした。素晴らしかったです。花守様は素晴らしい存在です。とぬけぬけと言う。その気色悪い程の手のひら返しに龍海は吐き気を覚えた。

そこからはもう、住民全員を疑い、恨み、憎悪の対象でしかなかった。だけど逆らえば父親に暴力を振るわれる。それが怖くて言いなりだったけど。逃げる度胸も無く、この街に馴染むことを選んだけれど。

ピー、と暗闇に堕ちた龍海の意識を引き上げる、指笛が鳴る。

すると巨大な蛇型の花異物が砂漠から現れ、工場を貪る鰐に巻き付き動きを止める。

「エァームー!眼を潰せ!核を探して串刺しにしろ!」

街の外に、野分とイーセンがいた。

エァームーと呼ばれた巨大な蛇は、口から舌代わりの枝を鰐の眼まで伸ばすと、枝先から蕾が実り、液体を眼に吹き付ける。液体が入った鰐は激痛に悶える。痛みから逃げるように鰐が全身を外へ出す。暴れる尻尾で街が叩きつけられそうになるのを、紅い円形花撃が出現し防ぎきる。

深紅だ。そして気合の籠った大声で叫び、尻尾を跳ね返す。

「龍海!しっかりしてよ!」

力をかなり消費した深紅がズカズカと龍海に近づいて来る。

「深紅…」

「お願い、協力して。スミレがどこにもいないの。さっき教会に戻ったら、中が荒れていて、ヒナとナギサもいなくなってるの!」

「なっ!」

「それなら心配ない」野分が龍海と深紅に駆け寄ってくる。

「イーセンともう一体の花異物に捜させている。キューイーも勝手に着いてきてイーセンと捜してる」

「花異物って、ちょっと、どういうこと…」

「思い出話と今日までの生い立ちは後で話そう。それより、龍海。行けるか?」

野分に問いかけられ、龍海は鼓動が早くなる。

不思議だった。今、こんな悲惨な状況なのに、ワクワクして楽しくてしかたがない。こんな場面を、ずっと待っていたのかもしれない。

「あぁ、行ける!」

三人は背を預けると、それぞれの円形花撃を出し、花異物退治に乗り出した。


・・・深紅が出て行き、十数分が経った頃。

いくら待っても、スミレを連れて戻ってこない深紅を心配し始めていた。悲鳴も貧困地区にかなり近づいてきている。

「いつも、花異物は人で賑わう住宅地区や商業地区に行くのに。今日はこんな近くまで…」

ヒナの顔が青ざめていく。凪砂は安心させるように、ヒナの背中をさする。

「大丈夫だよ。もう帰ってくるよ。それに結界もあるし。ね?」

「うん」ヒナが力無く頷く。

「…ヒナはさ。もし深紅さんが街から出ていく、って言ったらどうする?」

「私は、着いて行くよ。行く所も無いし、それに…」

ウヘヘヘヒャ!と奇声が教会を取り囲むように騒ぎ立てる。一体ではない。何体もが集まり奇声を上げている。そして石や死骸を結界に当てては破壊しようとしてくる。

「アイツ等…知恵ついてる…!花異物はそこまで出来ないはずなのに!」

「落ち着いて、ヒナ!ここにドアとか逃げられそうな場所はある?」

「えっと、あ。丁度ここの下」

二人が教壇から退くと、石張りの床で、線に紛れて解りにくいが抜け道に通じる隠し扉が仕込まれていた。

奇声を上げる猿型の花異物は、今度は自分達で体当たりをし、壊せないかと試してくる。試すたびに仲間の身体の一部が欠損し、死んでいるというのに襲うことを諦めない。

「でも外に出るんだよ?!そしたら花異物に結局襲われちゃう!」

「ここより外の方が逃げ場も広がるし、生き残る可能性は高いかもしれない…。勘だけどね。どうする?ヒナ」

「…わかった。ナギサのこと信じてる」

二人は教壇を退かし、隠し扉を開ける。そして先にヒナ、次に凪砂が入り扉を閉めた。それから少しした後、花異物が遂に結界を割り教会内に侵攻し、人間の匂いが残るのに居ない現状に腹を立て暴れる。きっと、もう少しすれば隠し扉の存在に気づき、開け方を把握するだろう。

凪砂とヒナは無事に外に辿り着く。凪砂が少し扉を開け、外の様子を見回すが花異物はいないようだった。ただ、近くから奇声はずっと聞こえてくるので、希望が持てる程遠くまでは逃げられなかったようだ。

息を顰め外に出る。二人は足音を立てないように、近くのボロ小屋へ隠れる。

ここもばれるのも時間の問題だ。次に逃げる手段を考えないといけない。

「ナギサ、これ。スミレのだ」

ヒナが物凄く小さな声で凪砂の耳元に近寄って、知らせる。

「スミレって、深紅さんが迎えにいった人?」

「そう。スミレ、出かけるとき、貴重品は絶対に持ち歩いてた。避難するときも。でも、ここに置いてある。何かあったのかも」

狼狽え、半ベソを掻くヒナを見て、凪砂はヒュッと息を飲んだ。そして、片されていなかった物をスミレのトートバックに入れると、背負ってきたリュックに仕舞う。

「ナギサ?」

「次会ったとき、渡せないと困るでしょ?花異物に大事なものが壊れたら大変だよ」

「あは…そうだね」

「急ごう、ここも危ない」

凪砂はヒナと手を繋ぎ直すと一旦壁の外へ出て、龍海達がいる住宅地区まで走り出す。

するとまた地鳴りがし大きく揺れ、立てなくなる。

「ナギサ、あれ!」

「なに、あれ…」

鰐型の花異物が出現し、一層悲鳴が高まる。

現実に追いつけず戸惑っていると、ウヘヒャ、と声がし、花異物の一匹が異様な脚力で跳び凪砂達に襲い掛かってくる。

「うわあ!」

「っぎぇへや!」

二人は屈み、花異物が真上を跳んでいく。しかし着地した花異物は即座に振り替えると、また襲い掛かる。

「急いで!」

凪砂がヒナの手を引っ張るが、ヒナは動かない。

「ヒナ!」

「なぎさ…わたしのこと、きらいにならないでね」

ヒナはいつも装着していたゴーグルを外すと、頭部から枝が生え、雛菊が咲き誇る。

黒目の部分からも花が咲き、甘い香りと煌めく粉を花が吹く。

その光景は幻想的で。花がどう咲くかなんて知らないけど、とても綺麗なものだと知った。

ふと、凪砂は気分が悪くなり鼻と口を覆う。しかし、同じように花異物も赤い体液を口から吐き出すと、苦しみ出した。

「ウヒャヒャハギャ!ヴァアアア!アアア!アア!」

穴という穴から体液を垂れ流し絶命した。

ヒナはゴーグルをつけ直すと、枝と花は内部に狭そうに収まっている。そして眼も元に戻っていた。

「ヒナも、花守だったの…?」

「ちがう。私ね、実験場から逃げてきたの。でもあんな姿でしょ?大人からは、お前達は、花守と同じ化物だから人間と同じように扱われると思うなって、ずっと言われてきた」

「ヒナだって人間だよ!…待って、花守と同じ化物って、どういうこと?」

「わかんない。でも…、っ!」

花異物が二人を見つけ捕食しようと集団で走ってくる。

凪砂はヒナの手を掴み必死に走るが砂に足を取られて上手く逃げられない。猿型の脚力ではすぐに追いつかれる。

猿型がヒナに手を伸ばそうとした時だった。

「キュイイイイイイ!!」

「キューイー!」

キューイーが尖った触手を猿型に刺す。猿型は核…花異物にとって心臓に値する命の中枢を担っている箇所を直接攻撃されたことで絶命する。

そこに約十メートルの女性のシルエットに似た花異物がキューイーの増援に入る。

その花異物は顎と口の部分は人と同じだが、顔の上の部分と頭部はポピーの花で覆われ、おさげのように花が垂れている。そして肘から手先に当たる部分が丸太のように発達しており、腰から下はスカートのように膨らみ、中は空洞だが、最奥には猛毒を含む実を宿している。

女型は高音を発すると、猿型は嫌がり逃げていく。それを許さず、女型は腕から枝を拘束で生やし次々に猿型を殺していく。

「すごい…どうなってるの」

一通り凪砂達を狙っていた花異物を始末すると、女型は凪砂とヒナにグイッと顔を近づけ、威嚇するように歯を食いしばり歯ぎしりをすると、蔓で凪砂達を背中に乗せた。キューイーもちゃっかりとスカート部分に搭乗する。

二人を確保した女型は腕で移動し、住宅地区へと向かっていった。


「これ終わりあんの?!」

深紅は複数の円を車輪のように走らせ花異物を殺傷していく。

「さっきよりは数が減ってきた!耐えろ!」

龍海は奏でるように腕を振り無数の円形花撃を操り攻撃していく。

野分は天に広がる円から数えきれないほどの矢を放つ。

「そういうやり方もあるのね…」

「まぁな」

「相変わらず口数が少ないのね」

深紅が野分のことをジトーっと見ていると、花異物の女型がやってくる。

深紅は身構えるが、ヒナと凪砂が背にいることに気が付くと、上げていた手を下げた。

「ヒナ!」

「凪砂!」

龍海と深紅が駆け寄り、凪砂とヒナは背中から降りた。

「もう馬鹿!心配してここまで捜しに来ちゃったじゃん!」

「ごめんね、深紅」

「花異物が襲ってきて、逃げたんです…」

「逃げていたならいいじゃないか」

龍海が嗜めると、深紅は溜息を吐き前髪をガシガシと掻き分けた。

「無事ならよかった」

一方、野分は女型の頬を撫でていた。女型は凪砂達との態度とは一変、甘えるような声を上げている。

「ありがとう、サンファ」

女型はサンファというらしい。イーセンも猿型の残骸を加えて戻ってくる。

イヘヒャ!ウヘヤ!と奇声を発しながら猿型は街から逃げていく。そして鰐はエァームーの枝で核を貫かれ息絶えていた。

野分に味方する三体の花異物とキューイーは、戦いが終わるとすぐさま街から立ち去った。賢明な判断だろう。

「た、龍海様、お助け下さりありがとうございます!」

「貴女は深紅様ではありませんか!戻ってきてくださったのですね!」

「野分様…ですよね!お力が戻られたのですね!我々を守りに、戻ってきてくださったのですね!」

住人達が都合の良い解釈をし、花守三人に寄り集り崇める。

凪砂は菓子工場の惨劇を目にし、体中の血液が抜けたような感覚がした。

「おかあさん…?お母さん!」

凪砂は瓦礫の上に立つと、一つ一つ退かし始めていく。

龍海は住人の群れから逃げ出すと、凪砂に駆け寄る。

「凪砂…」

「龍海、お母さん捜すの手伝って!」

その時だった。

顔面半分が潰れ、片目から涙を流し、首から下が欠損しなくなっている遺体を見つける。その顔は、凪砂の母、サナギの顔だった。

それを持ち、黙り続ける凪砂を見てしんどくなり、沈黙が限界になり龍海は言葉をかける。

「凪砂、すまない。守れなくて、ごめん。凪砂…」

「うそ」

凪砂は母の半分になった頭部を抱きしめる。

「うそ…おかあさん、おかあさん!」

ポロポロと涙が止まらない。ついには大声で泣き喚いた。

抱きしめてくれた龍海の腕の中で、どんなに喚いたか。どんなに叫んだか。どんなに八つ当たりしたか覚えていない。龍海を傷つける言葉も言ったかもしれない。

それでも。龍海は抱きしめ続けてくれた。

怒らないで、ずっと、抱きしめてくれていた。


校舎の裏庭で、凪砂と龍海はいた。朝からずっと一斗缶を燃やしている。中にはサナギの遺体が入っている。遺体と言っても、結局頭部しか発見できなかった。見つかっただけ、マシな方だ。

あの猿型の襲撃から三日経つ。住人は暴言や罵倒をしたことなど忘れたかのように龍海を持ち上げてきた。挙句に、深紅と野分にもヘコヘコとする始末だ。

二人は、無視していたけれど。

龍海はロケットペンダントを凪砂に渡した。

「これは…」

「遺骨とは別に、サナギさんの遺髪だ。俺も同じように、母親の遺髪を形見にして身に着けている」

龍海の首には、ロケットペンダントが掛けられていた。

「龍海も、お母さんの?」

「あぁ。もう随分昔に死んだ。花異物に殺された」

「そうなんだ」

凪砂もペンダントを首にかける。

「…ちゃんと飯食ってるか?鍵の施錠も忘れるなよ。最近子供の誘拐が増えてる」

「…たつみは、怖くないの?」

「え?」

「人が死ぬの。僕は初めて怖いって思った。花異物に殺されるなんて日常茶飯事で、病気で死ぬのも当たり前で。寿命まで生きていける人なんて少数でしょう?前住んでいた団地に居た時も、毎日誰かしら死んでた。でも全然怖くなかった。普通にお母さんと会話して過ごしてた。だけど、お母さんが死んだ今は、さっきみたいに日常の会話されるのが嫌だった…。どうしてだろう。心が追いついてこない気がする。寝ようって思っても眠れないんだ。お母さんの顔が忘れられない。僕ね、お父さんがいたけど、ずっと前に死んでるの。大好きだったはずなのに名前も思い出せない…。僕は、」

「凪砂」

龍海が会話を止める。凪砂は光の無い瞳を向ける。

「今は、多分、苦しいと思う。話ならいくらでも聞く。不安なら、お前の家に行くから。嫌かもしれないけど、日常に戻ってこないと余計辛くなるぞ」

それ以上凪砂が喋ることはなく、重い雰囲気だけが流れていく。凪砂はただ一点を見つめ、何か考えていた。その横顔に龍海は引っかかりを覚える。

それからしばらくして、遺灰になったサナギを、骨壺に入れる。骨壺と言っても、半壊した工場から見つけた小さなお菓子缶詰を代用する。蓋が簡単に開かないように、しっかりと紐で結び、白い布で包む。

「骨になると、こんなに小さくなるんですね」

「…安らかな眠りを。ご愁傷さまです」

「ありがとう、ございました」

「凪砂」

「しばらく独りになりたい」

小さく呟くと、凪砂はリュックに骨壺を仕舞い、この場を後にした。

なんとなく不安が払拭できなかった龍海は、ちゃんと自宅に帰るか心配で、ダメだとは解っていたが後を着けることにした。

凪砂は貧困地区に足が進む。壊れた壁にヒナが座っていた。

「ヒナ、深紅さんの所に案内してほしい」

「どうして?」

「…自殺したいんだ」

その言葉に、ヒナは眼を見開くが、悟ったのか凪砂の手を優しく繋いだ。

「深紅は教会にいるよ」

「連れて行ってくれる?」

「いいよ」

二人が歩き出すと、後ろから大声で叫ばれた。

「自殺ってなんだよ!」

龍海だった。龍海は怒り任せに凪砂に掴みかかる。

「たつみ…なんでここにいるの」

「お前が心配になったからだよ!勝手に死ぬとか、自殺とか俺は許さないぞ!」

「でも、自殺は自分で死を決められる方法なんだよ。僕はお母さんのところへ逝きたい。ひとりぼっちなんかで生きていけないんだ、僕は。もう、何も考えたくない…こんな気持ち、ずっと抱えきれない…頭の中が五月蠅いんだ。見てもいないのにお母さんの最期が想像で映るんだ。悲鳴も、全部再現されて!もういやだ…死にたい…」

凪砂の瞳は完全に生気を失っていた。たった三日間でやつれた気もある。

龍海は、腸が煮えくり返った。

「じゃあお前は、俺のことを独りにするのかよ!傍から離れるのかよ!お前から言ったんだぞ!ひとりにしないで、そばに居てって!凪砂が自殺したら、俺はお前の死体を発見して助けられなかったって、一生絶望して生きていくんだぞ!俺は自殺なんかしない、絶対に生きてやる!お前が死んだことを永遠に悲しみ続けながら、救えなかった罪から、解放されずに!それが、お前のSOSに気づいてやれなかった、俺への罰だ!凪砂が居ない世界で、ずっと死ぬまで後悔して孤独に生きるんだよ!」

「そんなこと、言われたって困るよ…!ていうか、救えなかった罪とか、罰とか、考えすぎだよ…自殺は勝手に、僕がするだけなのに」

「そうかもな…でも、残された人間の気持ちを今のお前なら理解できると思ったけど。違うみたいだな。怖いんだよ、お前がいない世界なんて」

「なんでそういうこと言うの?ずるいよ…」

「じゃあ俺から離れるなよ。どっか勝手に行くな、寂しいなら、辛いなら、俺が傍に居るから!家族が必要なら俺がなるから!だから!死にたいなんて考えるな!」

怒鳴り散し、龍海は肩で呼吸する。

凪砂は呆然としたのち、口をヘの字に曲げポロポロと涙を流す。

「わからない…なんでそんなに僕のこと気にしてくれるの。僕が勉強できないから?移住者だから?」

「そんなの、俺も知るか!お前が危なっかしすぎて目が離せなくなったんだろ!こんなに心配させておいて、独りでこの世から逃げるなんて許さないぞ!」

「そ、そんな怒んなくたっていいじゃん…!」

「怒られるようなことしたんだろ」

心当たりが有り過ぎて凪砂は黙る。

龍海は凪砂の頬を両手で潰し、タコチューみたいな顔にさせる。

「んむ」

「はは、ブサイク」

何故か目には涙を溜めているのに嬉しそうに微笑む龍海が、不思議でならなかった。


龍海と凪砂は、ヒナと一緒に教会へ訪れた。中は多少片付いていたが、それは椅子が並べられただけで、硝子などの破片は片されていなかった。

一番前の席に座る深紅が、虚ろな目でこちらを見る。

「どうしたの?」

「凪砂が自殺したいって」ヒナが言う。

「そうなの?」

深紅が凪砂を見る。

「いえ、やめました。龍海が怒るので」

「俺が怒らなきゃするのか…?」

二人のやりとりをみて、深紅が柔らかい笑みを見せる。

「深紅、お前大丈夫か?隈が酷いぞ。ずっとスミレさんのこと捜していたのか?」

「うん…。でもどこにも居ないの。もう、花異物に食われちゃったのかなぁ…」

龍海が深紅の背中を撫で、落ち着かせる。

「…イーセンなら、捜せるかな」

「え?」

「僕、図書室で見たんだ。狼って鼻が良いって。だから、これ」

凪砂はリュックからスミレのトートバックを取り出す。

「これ嗅いでもらって、捜してもらおうよ」

凪砂の提案に、深紅とヒナの中に、希望が芽生え始めた。


砂漠に出た龍海と凪砂は指笛を鳴らし、野分に伝わるよう吹き続けた。龍海は上手く吹けたが、凪砂はブーッと鳴って上手く吹けず、龍海に笑われた。

しばらくすると野分とイーセンが歩いてくる。

「どうした」

「その、この前は助けてくれてありがとう。また、助けてほしいんだ…」

どこか気まずそうな龍海に、凪砂が肘で突く。龍海は凪砂をひと睨みすると、スミレのトートバックを差し出す。

「深紅の大切な友人が行方不明なんだ。死体も、体の一部も見つからないんだ。だから、俺達は生きている可能性に賭けた。だから、イーセンの力を貸してほしい」

「…龍海、緊張してる?」野分は思ったことを率直に口にした。

「そりゃ!そうだろ…なんなら気まずいくらいだ。だってそうだろ。お前は恨んでないって言ってくれたけど、俺は、それでもお前達のことを助けられなかった」

野分はそっとトートバックを受け取った。

「少し、話でもしないか」

ふわりとあたたかい風が吹く。そんな穏やかな風のように、野分の表情も優しいものだった。


野分と龍海は、小山になっている砂漠に座った。凪砂はイーセンとはしゃいでいる。

「アイツ、花異物に対して恐怖心があるのか、ないのか解んないから、ときたまこっちが怖くなる」

龍海は少し優しい眼差しで凪砂達を見つめる。

「イーセン達も人を食わないわけじゃない。俺達だから食わないでいてくれるだけだ」

「そっか」

「だけど、凪砂がキューイーに水を与えたのは正解だと思う。イーセン達も、その親も川の水を飲むことがある。たぶん、この国に水が溢れれば、花異物も人を襲うのを止める気がする。気がするだけだけど」

「川…?あるのか?」

「ある。川を辿れば海に出ると教えてくれた。だから、近々その海を探しに行こうと思う。だから龍海、あの街を出て一緒に来ないか?」

五年前に言いたかった言葉が、言ってほしかった言葉が、龍海の中にすとんと落ちてくる。大事な何かが戻って来たみたいに、胸の中が熱くなる。

「ずっと言いたかった…一緒にいく。一緒に行きたい。野分達と一緒に…!凪砂も連れて。そのためには、スミレさんを捜さないといけない」

「俺もずっと伝えたかった。一緒に行こう。必ずスミレさんを見つけて、みんなで街を出よう」

切れた糸が、やっと結び直す、糸を見つけたみたいに。今度は切れないように、堅結びするように、繋がり直せた気がした。

実行に移すのは夜。昼間からイーセンが行動に移したら街が大騒ぎになる。ただでさえ、今は花異物に余計に敏感になっている。

待ち合わせは深夜〇時。教会にて。

龍海は、野分と名残惜しそうに別れると、凪砂を連れて街へと戻った。


〇時前。龍海はリュックに必要な物、大切な物を詰めると、父親が就寝しているのを確認し、静かに家を出た。

深紅とヒナ、凪砂と合流。最近、親を亡くした子供が誘拐される噂があるので、凪砂は深紅の元に預かってもらっていた。

今夜を最後に、龍海達は街を去る。そのためにも、安全と保険は十分にかけたつもりだ。

野分は丁度の時刻に現れた。

「イーセンにトートバックの匂いを嗅がせたら、工場の方へ走って行った。俺達も行こう」

「わかった」

五人は静かに移動すると、工場の瓦礫の上にイーセンが乗っており、掘り起こそうとしている。

「イーセン、ありがとう。お前はもう引け」

そう言うと、イーセンはすぐさま立ち去る。

「スミレの遺体が、ここにあるってこと…?」

深紅が意を決したように言葉を発する。

「もしかしたらな」野分の言葉に、深紅も諦めかけた時だった。

「あの…聞いて」

ヒナが喋り出す。

「私、工場の地下から逃げてきたの。もしかしたら、スミレは地下にいるのかも」

「…地下?」

龍海が尋ねると、ヒナは静かに語り出す。


これはヒナの話だ。

ヒナは孤児で、貧困地区で暮らしていた。夜になれば店の廃棄物、家庭ゴミを漁り残飯を食っていた。中には花異物の肉を食っている奴もいたが、それは気色悪くて食べる気にはならなかった。

オンボロ小屋で寝ていると、急に襲われ連れ去られた。気が付くと、白い部屋、白い服。知らない大人達がいた。

「七十九番。今日から君の名前だよ」

ヒナは番号で呼ばれることを嫌った。

それから毎日、実験体の日々が続いた。花異物の成分が詰まった注射。訳の解らない錠剤。また注射…。そのたびに身体は拒否反応を起こすが、死ぬことは出来なかった。周りの子供達は死んでいくのに、自分だけは簡単に死ねなかった。

そしてある日、頭に角が生えてきたのが解った。今思えば、これは芽が生えたのだ。

ヒナがぐったりとしていると、同じ部屋に同い年くらいの少年が連れられてきた。彼も実験体のようで、顔色は良くない。頭から枝が生え始めている。

研究員が扉を閉めると、ヒナは少年に近寄った。

「ねぇ、名前は?」

「え…ご、五十四番」

「え~?そんな番号じゃ嫌じゃない?私がつけてあげる。ゴジ。ゴジ=ウィンターってどう?」

「なんでもいいよ…どうせここから逃げられないし」

ゴジと名付けられた少年は随分内気で消極的だった。

「私はヒナ=デージー。いつかここから脱出するんだ。君もどう?」

「…遠慮する」

ヒナ達は、研究材料にされているのに、研究員からは罵倒ばかり浴びせられる。

「花にも化けられない、ただの雑草。化物め。花守と一緒だ」

「ヴァルハラギグスの書では花守以上の存在が出来るはずなのに…なぜ失敗するんだ」

「操れる花異物、意志の無い花守が出来れば、宗主国に反乱を起こせるのに」

毎日化物、化物と言われ続けた。自分達で創っておいて、それはあんまりだ。

次第にヒナの角は枝になり、雛菊を咲かせるようになった。それは布やゴーグルで押さえつけておけば普段は伸びてこない。押し付ければ、いつの間にか頭部内に納まっていた。

そしてとある日、ヒナはゴジの部屋の前に来た。

「ゴジ、私行くね。一緒に来なくていいの?」

「うん。さようなら」

ゴジは力なく言う。ゴジの部屋には、彼を含め七名が押し込まれていた。ヒナは無理にでも連れて行こうと思ったが、彼等がやる気の無い以上、足手まといになるのは確かだ。

「…さようなら、ゴジ」

そしてヒナは小柄を活かし、見事脱走に成功。その後は孤児に出戻り生活を送っていた。そんな時、深紅が教会にやって来た。深紅はヒナを快く歓迎してくれた。

人生で初めて優しくしてくれた人だった。


「化物…。俺達が」龍海が力無く呟く。

「思い返してみれば返すほど権力者の私達を見る眼が周りと違っていたもの。おべっかの撫で合いかと思っていたけど、なるほどね…」

「まさか、裏で化物扱いされているとはな。結局、俺達は都合の良い操り人形で生きた兵器だったんだ。守らせて、使えなくなったら捨てる。胸糞悪い」

龍海、深紅、野分は傷心する。

「…龍海、言ったでしょ。この街には神様はいない。人間だけ。だから、化物もいないんだよ。いるとしたら、それはきっと簡単に手のひらを返して花守を罵倒したり、崇めたりする住人のほう。自分が崇高だと思い込んでる権力者。芯のある龍海達のほうが、よっぽど人間」

「お前、たまにさらりと凄いこと言うよな」

龍海は凪砂の頭をワシャワシャと撫でる。凪砂は迷惑そうに手を払いのけた。

「深紅、野分、大丈夫か?」

「うん、行ける。スミレのこと捜さなくちゃ」

「あぁ。もう、持って生まれたもんはしょうがない」

三人が少し昂っているように見えた。もう、これが最後の大仕事だからなのか解らないけど。

「私が逃げてきた場所から入れるかも」

ヒナに案内され、半壊した工場に入る。

上から瓦礫や小石が落ちてくるから注意しつつ進むと、社長室があった。

この全体的にダメージが酷い街にしては、高級そうな扉を使っているのが、なんだか気に入らなかった。

開けると、社長室としては無難な部屋だった。

「ここ」

社長の机の下には絨毯。机の裏にはパスワード入力の数字が設置されていた。

「わかるか、こんなもん」

「まって…スミレ、確か随分前に社長を客にしたって言ってたかも。で…『秘密の扉のパスワード教えちゃうぞ♡』って言われて、教えてくれたって。『1992』」

「相変わらず気色ワリィジジィだなぁ」

さっさと入力する龍海と、ジジィの汚い話を聞いて野分は呆れた。凪砂とヒナはそういう気色悪い世界を見てきたのであまり気にせず、真剣に突入する面構えをしていた。

「あ、開いた」

床がサイドに開き、階段が地下へと通じている。

「今度伝える機会があったら教えてやれ。お宅の社長、機密情報漏えいしていますよ、ってな」

「野分の言う通りだな」

五人は警戒しつつ下へ降りていく。着いた場所は、引伸金網に立つ。

「なんだ、これ…」

鉄と錆びで出来た球体の天井。壁も凸凹が激しく垂直に作られていない。修復しているのか、つぎはぎの箇所がいくつもある。パイプやダクトが迷路のように設置されている。

「ここは研究室がいっぱいある。実験体の皆は奥の部屋」

「どう部屋を潰していくか…」

「ねぇ、ここがなんの実験しているか、知るべき権利があるとは思わない?」

深紅の突然の提案に、三人は驚く。

「スミレを探しながら様子を見たいの…。もし、ヒナみたいに実験体にされて苦しめられているなら助けたいじゃない」

「そうだな」

野分が同意した途端、龍海が叫び声を上げそうになったのを見逃さず、野分はすかさず口を塞いだ。

「バカ、大声出そうとすんな」

「凪砂がいない。気づいたら、いなかった」

血相を掻き龍海は混乱している。傍にいると思ったのに、いつの間にか姿を消していた。音もたてず、静かに。

「まさか私達が侵入したの、ばれてる?」

「龍海、お前は凪砂を捜せ。深紅はスミレさんを。ヒナは俺と捕まっている子供を助ける。集合はもうどうでもいい、お互い目的が遂行できたら外へ逃げろ」

龍海と深紅は「わかった」と答えると、すぐさま散って行く。

残った野分は、ヒナに案内を頼む。

「俺を皆の所へ連れて行ってほしい」

「うん、こっち」


凪砂は、階段を下りてすぐ隠し扉に潜んでいた研究員に攫われた。そして今、白く清潔感のある実験室で拘束椅子に座っている。口には猿ぐつわがされ、喋れない。

「んー!」

「町長、彼であっていますか?」

「あぁ、あっている。移住者だ。ナギサくんといったよね。君はここに来る前何を食べて生きていた?花異物かな?」

訳も解らず凪砂は頷く。ただ暴力を振るわれたくない一心で。

「そうか!それは好都合だ!試作品三作として宗主国に寄贈できる」

町長は喜ぶと、壁に取り付けられている放送スイッチを押した。

「聞こえているだろう、花守の皆様。冥途の土産として聞くがいい。信じられないかもしれないがこれから話すことは真実だ」


・・・

三百年前。この世界は平和だった。しかし、一つの国が開発した兵器をきっかけ制裁が開始。次第に紛争となり、世界が二つに別れ、そこら中が戦場と化した。核や禁止兵器が容易に使用され、人類にも、この星に大きなダメージと後遺症を与えることとなった。

そんな時だった。劣勢に立たされていた後の宗主国に、宇宙船が舞い降りたのだ。彼等はオーディポロアと云う惑星から来たという。この星が誕生して以来、初の宇宙人との接触だった。そしてこの星には無い知識を与えた。それを元に宗主国が植物を元に創り出したのが花異物。負傷しても核が破壊されない限り人間の血肉を食せば回復する。それを優勢に立っていたこの国に解き放った。

花異物の脅威に頭を悩ませていたこの国にも、オーディポロアからの使者が来た。宗主国に味方する彼等とは敵対していると説明し、やはり知識を与えた。そして誕生したのが花守だった。花守は核を捉えなくても念力を具現化し、花異物を仕留める力を持った人間だ。

兵士達は撤退していく中、生きた兵器同士が苛烈に戦う。

長期間の戦争、決着が見えない事に嫌気が差した宗主国は、自国で開発を進めていた環境破壊を引き起こす兵器を落とし、この国は短期間で砂漠化となった。

結果、この国は敗北。宗主国の配下となり植民地となった。しかし、砂漠と化しなんの資源も取れず、文化、産業が退廃した国に用は無かった。

オーディポロアの民は、最後にヴァルハラギグスの書を置いて帰っていった。それ以来、宇宙船が飛来した報告は無い。

・・・


「このヴァルハラギグスの書には花異物の創り方、花守の創り方が書かれている。そして我々は実験したよ。何年も、何年も!だけど一向に成功しない…。孤児を誘拐し実験しても変化に耐え切れずすぐに死ぬ。だけどね、最近解ったんだ。花異物の肉を食って育った子供は簡単に花異物になるってね!」

凪砂はガタガタと暴れ、猿ぐつわをモゴモゴさせてずらす。

「じゃ、じゃあこの前の猿型の花異物って?!それも人だったの!」

「五月蠅いな。そうだよ、移住してきた浮浪者や孤児、貧困地区にいる奴等を誘拐してここに監禁した。花異物の肉を食わせたらあの姿になったよ。室内でも暴れて面倒だったから外に放出した。鰐型もそうだ。ここからさらに地下にある施設で長年花異物の血液を飲ませ続けた代物だ。あれも最初は人間だったよ。哀れな姿だ」

町長は硝子製の注射器を用意する。

「…最低。化物はお前の方だ」

「ははは。元気がいいねぇ。でもね、化物になるのは君の方だよ。いや、花異物か」

注射器に緑色の液体と、二本目の注射器にはドロッとした半透明の液体が入っている。

「わ、嘘、何それ、それが花異物になる薬品?嘘、なりたくない、花異物になりたくない!」

凪砂は慌てて椅子を揺らすが逃れることは出来ない。

「花異物を否定するのか?それは花守も否定することになるぞ。対みたいなもんだ。あいつ等も化物。これからお前が成る姿も化物。寧ろ哀れな猿型よりも知能と意識を持ったまま花異物に進化できると思って好意的に運命を受け入れた方がいいぞ」

「……意識がそのままなら、僕はまた龍海と再会する。そしたら、この工場ごと全部、全部壊してやる。今の龍海達も、過去の花守のことも兵器だとしか思っていない奴等にこれ以上悲劇を生ませてたまるか。僕達は、人間だ」

涙目で睨む。しかし町長はニタニタと笑うばかりで本気にしない。

注射器が腕に刺さる。

凪砂は胸の中で願う。姿が変っても、僕だと気づいてほしいと。

「進化したいなら、自分に刺せ!」

「ぐわぁ!」

円形花撃が町長に直撃する。町長は床に転倒、刺さっていた注射器も外れ床に転がる。

「龍海!」

龍海はすぐに凪砂の腕をペンダントの紐で強く締め、そばに置かれていたメスで射された箇所を切開する。

「イダイ!」

傷口を口で覆い強く吸うと、ペッと血液を吐く。それを二、三回繰り返す。

「うぇ?!たつみ…?」

「遅くなって悪かった。痛かっただろ、悪いな」

そう言うと、龍海は傷薬を塗り、ガーゼで覆うと、包帯を巻いてくれる。

「…花異物にならないように処置してくれたの?」

「完全にならないって約束は出来ないけどな」

「いいよ。助けてくれたから」

凪砂を拘束していた枷を外しているうちに、町長は床を這いずりモニター画面を操作していた。

「お前達は俺を怒らせた…!これはお前達がしでかしたことへの罰だ!」

町長はボタンを押す。この部屋での変化は無いが、次第に施設内が騒がしくなる。

「一体何をした!」

「拉致してきた奴等に花異物になる薬品を散布したんだ。可哀想にな!お前達が余計なことをしたせいで、花異物になっちまったんだからな!」

腸が煮えくり返った龍海は二本の注射器を町長の太ももに刺し、一気に注入した。

「な、何をする!」慌てて龍海を蹴り飛ばす。

「お前、言ってただろ、これは進化だって。怯えるなよ…俺達はもうこの街から出ていくから、悠々自適に砂漠生活を謳歌できるぜ。進化した姿でな」

言い残すと、龍海は凪砂を連れて部屋から出ていく。

「待て、待ってくれ!嫌だ、花異物になりたくないんだ!せめて殺してくれ!」

研究室で独り、虚しく声が木霊する。


野分とヒナは進み、実験体が閉じ込められている場所へと来ていた。

その間に、町長の演説が放送で流れる。

「…野分」

「気にするな。行くぞ」

「…宇宙船って何だろうね」

「さぁな」

ヒナが目的の部屋に着くと、一目散に駆け寄っていく。

「ゴジ…!」

ヒナはゴジと呼ぶと、部屋を覗き込む。

「友達か?」

「うん。でも…。ねぇ野分、ここ、開けられる?」

疑問に思い、野分も部屋を覗く。そこには、六人が倒れていた。円でドアを破壊し、中へ入るが、異臭すらしなかった。何故なら、死体は木が枯れたようになっていた。皮膚は鱗の様に反り、手を軽く持ち上げただけでパキリと折れた。筋肉は無く、スカスカの状態だった。

「みんな、ゴジの友達だったかも」

「その、ゴジはいないのか?」

「いない。ねぇ、ここ、燃やしたい…。この子達が感じた苦痛も辛さも、全部消せるくらい燃やしたい」

「…解った」

その時だ。うわー!、助けて!、苦しい…苦しい!、ここから出せ!、死にたくない!嫌だ!廊下のサイドにある部屋中から人々の叫び声が聞こえてくる。

「ヒナ、下がってろ!」

野分は円形花撃でドアを次々破壊していく。そこから一斉に捕まっていた大人達が飛び出してくる。皆我先にと地上に出ようと走る。モワモワとした緑色の霧が部屋から漏れ出す。

「あれ吸ったらヤバイかも」

「だろうな。俺達も逃げよう」

野分とヒナは袖で鼻と口を覆う。そして持ってきていたマッチを擦り、六人の遺体の部屋に投げ込む。乾いた木同然だからか、火は勢いよく燃え盛る。

「…安らかな眠りを。ヒナ、行くぞ」

「うん。さようなら、みんな」

この場から離れようとしたとき、ガスマスクをした研究員に目撃されてしまう。

「おい、あれ七十九番じゃないか!」

「殺せ!あんな失敗作を街から出してたまるか!」

野分は円形で壁を作り、その円から二発の矢を飛ばす。その矢はガスマスクを剥ぎ取り落とす。

「嘘だろ、吸うな!ガスが!」

「痛い!この円形花撃叩いたら俺の手が…!」

研究員の右の手先から肘までがぐちゃぐちゃになっている。

「あ…もう終わりだ」

研究員達は断末魔を上げながら血を吐き、奇形に変形し、体が追いつかなかったのか息絶える。

「行くぞ」

野分はヒナを担ぐと、全力で走る。逃げる最中にもヒナを追う研究員達が立ちはだかる。それを遠慮すらせず、野分は円形で攻撃する。本来、人間なら体当たりを食らった程度。今目の前にいる研究員達は痛がり、出血や重傷を負っている。

「ヒナ、さっきの散布された煙は、お前にも投与されていた薬か?」

野分は倒れている研究員をもろともせず踏んでいく。

「そうかもしれない…。でも、さっき言っていたみたいに、あそこに閉じ込められていた人達が花異物の肉を食わされていたら…」

「…ヒナ」

走っていた野分が止まり、担いでいたヒナを下ろす。

「俺はお前の安全を第一にすることに決めた。だから、捕まった人達を見捨てて地上に出る。これは俺の決定だ。恨むなら俺を恨め」

「ま、まってよ…まだゴジが見つかってないよ!せめて、」

「ゴジは俺が殺した。諦めろ」

手を引っ張られ、前へ進む。ヒナは我慢していた涙がポロポロと溢れ流れていく。嗚咽を零し、袖でゴシゴシと拭く。

(恨まない、うらまないよ…恨むならこの街だ。この研究所だ。だから、野分、罪を背負わないでいいよ。もし背負うなら私も背負う)

ここから出たら野分に伝えよう。お礼と、謝罪を。

もうすぐ入って来た隠し扉に通じる階段が見えてきた。龍海と凪砂、深紅とスミレはいない。先に逃げたか、まだいるのか。

「大丈夫か、あいつ等」

階段に着き、先にヒナを登らせようとした時だった。

「エヘヘヘヘヒャ!ウヘヘヘア!」

「キャー!」

「なんで猿型が?!」

野分はヒナを抱きかかえると、円形花撃で猿型を始末する。耳を澄ませると、地上から悲鳴と花異物の鳴き声が混ざり阿鼻叫喚と化していた。

「やっぱりあの散布を吸ったら花異物化するのか…」

野分は怖くなり、自分の手のひらを見つめる。どうする。あと数分、数秒後にこの手に根っこが張り巡り、枝が生え、幹が肉と骨と化し、人を襲い食うかもしれない。

そしたら、真っ先に狙うのはヒナだろう。

「ヒナ、ここに待っていろ。俺は外に行って龍海達がいるか確認してくる。安全が確認できたら呼ぶから、出てくるんだぞ」

「野分」ヒナが野分の手を取り、頬に寄せる。

「大丈夫。野分から花異物や猿型と同じ香りはしない…」

「…解るのか?」

「ずっと見てきたし、嗅いできた。だから解る」

野分は安堵し、思わずヒナを抱きしめた。

「ありがとう」

ヒナが嬉しそうに微笑んだ時、研究所が大きく揺れる。それと同時に、爆発が起こり下の研究所は炎の海と化した。そして、壁を破壊しながら花異物が現れる。高さは十五メートル程。サンファのような女型ではあるが、蔓や蔦で身体が出来ており、胸もしっかりとある。花弁がスカートのようにふわりと舞う。そして花弁の中からは触手が無数に生えている。そして顔も蔓で、眼玉が一つと避けた口。そして頭部にはスミレの花が咲き誇る。荊が髪のように垂れさがり靡いている。

下では深紅が叫んでいた。

「スミレ!こっちだよ!全部壊そう!一緒に壊そう!」

深紅に応えるように花異物は鳴き声を上げる。

「スミレ…なの」ヒナが不安そうに野分にしがみ付く。

困惑するヒナを、ただ抱きしめるしか出来なかった。


深紅がスミレを捜しに入ったエリアは、もう半分以上が花異物になりかけていた。花異物として気性が荒くなっている者。半分が植物化し生きることを諦めた者。そして、成功品と書かれた人と変らない姿をした少年。

そして一番奥にスミレを見つける。

「スミレ!」

ドアの窓越しから手を叩く。力無く寝転がっていたスミレは、深紅を見ると、泣きそうになりながら深紅の手と重なるように窓に手を触れた。

「助けに来たよ!すぐ出してあげるから!」

「ううん、深紅…私のことはもういいよ。それより早く逃げて」

「冗談言わないで、折角ここまで来たのに。この街から皆と一緒に出ていくの。もちろんスミレもね」

深紅の語る未来に、スミレは涙を堪えられなかった。

「あ、あのね、深紅。私、花異物になる薬を打たれたの…。もうすぐ化物になっちゃう…あんな姿なりたくないよ」

その言葉を聞いた深紅は、怒りが込み上げ、泣き喚きながらドアを破壊した。そして、スミレのいる部屋へ入っていく。

「深紅!」

「スミレ!花異物の姿が嫌なら殺すから!でも、私はスミレがどんな姿になってもずっと大好きだよ。私の事忘れても、私が覚えているから、何度でも友達になるから!言葉が通じなくても、凪砂がキューイーにしたように、人と花異物でも友達になれるように、私なんとかするから!」

「う、うぅっ…!あぁああ!深紅、死にたくないよ!怖いよ!私が花異物になっても傍にいて!深紅のこと忘れて、襲いたくなんかないよ!」

スミレは感情が決壊し、思いのたけをぶつける。深紅もスミレを強く抱きしめる。

「大丈夫、絶対私が守るから。傍にいる」

「もし私が私じゃなくなったら…、」

次第にスミレの手は植物へと変貌していく。言葉も忘れ、奇声だけが上がる。そして閉じ込められていた部屋に収納出来ない程の巨大になった。

「フアアアアアアアアアアアアアア!」

花異物なのに美しい音色を轟かせる。スミレが部屋を破壊したことにより、研究所自体が壊されていく。

「スミレ、私が解る?!こっちへ来て!」

深紅の呼びかけに、スミレが従う。その巨大なスカートと触手は左右にあった他の実験体達の部屋も破壊する。中には踏みつぶされた者。生きているが身体が欠損した者。死んだ者。その中をずっと進み続ける。

そして深紅も円形花撃で目に付く物全て破壊する。偶然にもヒナ達がマッチを放った部屋も攻撃してしまい、酸素と可燃素材を得てしまった炎は益々広がっていく。

「スミレ!こっちだよ!」

「深紅!」

龍海と凪砂が合流する。

「あれが…スミレさん?」

「よかった、わかってくれたんだね!スミレだよ、花異物になっちゃったけど、私のこと覚えているの!攻撃だってしてこない!」

発狂寸前の深紅を正気に戻すために龍海はわざと強く肩を叩いて手を乗せた。

「大丈夫、ちゃんと解ったよ。スミレさんだって」

「…そうだよね!龍海なら、皆なら解ってくれるって信じてた!」

嘘だ。深紅がスミレと名を呼んでいなければ始末しようとしていただろう。

それを見ていた凪砂は「よかった…」と小さく呟いた。

龍海!と中二階から野分が叫ぶ。ヒナが嬉しそうに手を振っている。

「アイツ等も無事だったか。ひとまずこの火の海から逃げ、」

その時、凪砂が拘束されていた研究室から押し出されるように人面を持ち、顔の横に手を四本生やした芋虫型の花異物が飛び出てくる。

「何アレ…キモ」

顔の面影を見て龍海と凪砂は焦りを覚えた。町長だ。この短時間でまさかここまでの花異物に変化するとは思いもしなかった。

凪砂に注入されていたと思うと、ゾッとした。

芋虫型が動くたびに研究所が揺れる。ただでさえ露出しているパイプや脆い天井で不安定な場所なのに、芋虫は地上に出ようとし、手で天井を掻き始める。

「うっ!」

「凪砂!」

落下してきた瓦礫が背中に当たる。

龍海は円形花撃を頭上に出し崩落の被害を防ぐ。その上に更にスミレの腕が伸び、枝のドームで覆う。

「凪砂、大丈夫か?」

「大丈夫…」

大丈夫とは答えたが、背中の後ろがかなり痛む。

芋虫型が地上に出ると光が差し込むが、外は一層叫び声が増す。

「あそこからならスミレさんも一緒に脱出できる、行こう」

「スミレ、こっちだよ!」

深紅はスミレを誘導しながら先へ進む。凪砂も後を追おうとするが、痛みが走り歩行が困難になる。

「大丈夫か?ほら」

龍海は凪砂を背負うと、歩き出す。

スミレはヒナの方を振り向くと、手を伸ばしヒナと野分を掴み、そして深紅と龍海、凪砂も蔦で巻くと、足の触手が伸び一気に地上へ出る。

街は、猿型と芋虫型により壊滅寸前にまで追い込まれていた。

「このままトンズラしよう!」

龍海達は地に足を着けると、荷物を置いた場所に走る。

「花守様、助けてください!」

「置いて行かないで!」

「守ってよ!そのための花守でしょ?!」

「今までどこに隠れてたんだよ!ふざけんな!」

住人達の命乞いは冒涜へと変化していく。

「職務放棄など許されないぞ!」

そこに現れたのは、浴衣を乱しながら必死に逃げてきた龍海の父親だった。野分と深紅は途端に白ける。

「龍海、逃げるなど許さんぞ!お前はここに、永遠に住むんだ!そして街を守り続け、それはお前の子供、またその子供にと継がなければならない!義務なんだ!」

「…ただの人間のくせに偉そうに」

「は…?なんて言った。もう一度言え!」

「ただの人間の婿養子のくせにデカイ顔してんじゃねぇよ!家でもデカい面して、生活出来てんのは俺が花守で特別配給があるからだろ!それをあたかも自分の手柄のように好き勝手食い散らかして、次の配給日までまだあるのに全部食いやがって!注意しても逆ギレ、大人の俺が正しい、子供は黙れ。傀儡だ、酒を貰って来いとか。俺はお前の子供だけど、尊敬できない父親なんかいらない!汚い赤ちゃん返りで人の話すら禄に聞けなくて、見ていてこっちが恥ずかしくなる!」

相当鬱憤が溜まっていたのか、龍海の暴言はしばらく止まらなかった。聞いていた父親は、全てを吐き出した龍海に呆気に取られていたが顔を真っ赤にする。

「今まで育ててきてやったのに、逆らうのか!」

「育ててくれたのは母さんだ。お前は家庭では、ただのデカイ漬物石だったよ。座布団に座って、何を漬けていたのかは知らないけどな」

「龍海!許さないぞ!帰ったら折檻部屋だ!覚悟しろ!」

そこに野分が前に立ち、父親を思い切り殴った。反動で、父親は倒れる。

「追放された分際のガキが…!」

ウヒャヒャヒャkぎゃkyが!

猿型が父親の上に飛び乗り、背中に跨ると、腕を後ろに無理矢理引っ張る。

「痛い!止めろ、止めてくれ!龍海、助けろ!助ければ、折檻はなしだ!」

しかし、もう花守達は傀儡ではない。神様でもない。ただの人間に降りた。だから、誰でも平等に助けることを、止めた。

「行こう」

ただ平然と、いつもと変わらない声色で皆を引き連れる龍海に、父親は青ざめた。息子は冷酷なんだと。

「た、助けてくれ!今までのことは謝る!だから、だから!」

バキッと音と同時に、血飛沫が飛んだ。


「あのクソ親父に会ったら腹の虫が収まらなくなった。八つ当たりして去ろうかな」

「じゃあ最初会った時みたいに、空飛んで一気に攻撃しちゃえば?」

大人しく背負われていた凪砂の、無茶ぶり発言。

「お前はまた…。フフン、やってみるか」

ニヤリと笑うと、龍海は円形花撃で空中に舞い、街を見据える。

まずは身勝手な実験の末に花異物にされた人達を救済することから始める。

深緑色の動く猿型は何体居るか解らない。だが尻込みなんかしない。ありったけの円を出し、狙いを定め撃つ。

龍海が指を鳴らすと、青い円はスピードを上げ次々に猿型を討伐していく。逃れた猿型に、白い円が追撃する。

「龍海、外した奴等は俺達に任せろ!」

「ありがと!」

その時、龍海に向かい芋虫型が立ち上がり手を伸ばし、捉えようとしてくる。

円を盾に立ち向かうが、力が強いのか、それともまだ人間の細胞が生きているからなのか、円形花撃が完全に効果があるとは言えなかった。

「龍海、下からは私がやる!」

深紅は芋虫型の足を中心に攻撃を開始する。ダメージはあるようだが、まだまだ息の根を止めることは出来ない。

四本の腕を自由に扱い、避けるのでも精一杯だった。

それを下で見ていた深紅が野分に提案する。

「ねぇ、野分がよくやる、円から矢を放つの、三人でやってみない?」

「…やってみるか」

「スミレ、ヒナと凪砂のこと、守ってね」

深紅は屈んでいるスミレの頬に触れると、二人は円に乗り浮上する。見ていた凪砂は、ヒナに提案をする。

「ヒナ、またゴーグル取ってもらってもいい?」

「うん。ナギサの頼みなら、協力する」

龍海が円で攻撃をしても、芋虫型はそう簡単には倒れなかった。

「しぶといなぁ」

「龍海!相談がある」

「野分、深紅」

三人が突発会議を始めると、苦戦する一番の理由の四本腕が急に止まる。

スミレが触手を出し、動きを封じたのだ。

おまけに、急に芋虫型が苦しみ出す。

下を見ると、ヒナの頭部から枝が生え、花が咲き花粉を撒いている。

「ヒナ…あいつ」野分が呟く。

「急ごう、じゃないとスミレさんとヒナの限界か解らない。一発で仕留められるかも怪しい…。いや、一回で仕留められるよう全部の力を出す」

三人は頷くと。各々の円形花撃が重ねる。龍海が弓を引く姿勢を取る。それに合わせるように円形から光の矢が出現するが不安定だ。

震える龍海の腕に野分が手を添える。

「野分?」

「ビビるな、想像しろ、アイツを射抜くことを円形花撃と脳の想像は繋がっている。大丈夫…殺すイメージを具現化しろ」

龍海は芋虫を見ると、目つきを変えた。そして

「今だ!」

矢は勢い良く放たれ、芋虫の口に刺さり、体を貫く。芋虫型はもがき苦しみ、口から赤黒い液体を吐いたのち、動きを止めた。

龍海達は砂漠に降りると、急いで荷物を持ち、街から離れる。

「凪砂、もう終わったからな。これから誰も知らない場所へ行こう!」

「うん、龍海…行こう」

背負われた凪砂は、答えるのも精一杯だった。


当ても無いように歩いているつもりだったが、どうやら違ったらしい。

「今日、教団の人と会う約束の日なの。もしかしたら助言くれるかもしれない」

「え、その人に会いに行く道なの?」

ヒナの質問に、そうだよ、と答える深紅。

「信用できるのか?自殺を広める変な団体だろう」

「個人としては信用してる人だから大丈夫だと思う。スミレにあげていた口紅や頬紅だって彼女から貰ったものだもん」

「そんな高級なもん貰っては貢いでいたのか…」

深紅と龍海の会話。

「じゃあ、その人に会いに行こう。貰える物貰って、新しい場所へ行こう」

「物乞いみたい」

野分の発言に、深紅は肩を竦めた。

後ろからはスミレがノロノロと着いてくる。襲ってこないということは、まだスミレの意識がある。そのことに深紅は安堵していた。

暫く歩くと、薄水色の長い髪の女性と、異様に背の高い人が立っていた。

「…ボーザ?」野分が呟く。

「彼女よ。おーい、シェルピス様!」

シェルピス、と語呂の悪そうな名前の女性が振り向くと、自分達とさほど歳の変わらない少女だった。

「深紅、来てくれたのですね!そちらの方達は?」

「友達です。…あの、私」

深紅が口籠る。するとシェルピスはそっと深紅の手を取った。

「生きることに、したのね」

「…はい」

すると深紅は、眼に着けていたコンタクトをシェルピスに渡す。

「これに、あの街のことが全て映っています」

「寂しくなりますね」

「じゃあ、友達になればいいじゃん」

ヒナの提案に、二人はキョトンとし、同時に吹き出した。

「あはは!そうですね、深紅。よかったら、私と友達になってください。故郷では、私に友達はいませんでしたので、なってくれると嬉しいです」

「もちろんです、シェルピス様」

「もう信徒じゃないんだから、呼び捨てでかまいませんよ」

天使のような微笑みを見せたシェルピスは、深紅と握手をした。

そしてシェルピスと一緒にいるこの大きな女性…と云えばいいだろうか。目を閉じ、頭には沢山の花が咲いている。蔦の髪の毛にも花が咲いている。

「シェルピス、この人は…?」

「この方はボーザさんです。野分さんの育てのお母様だそうです」

皆の視線が野分に集中する。

「野分から、今日旅立つと言われていたので見送りに来た。ところで…おんぶされている子は、大丈夫なのかしら」

低い声質が、女性らしい口調だった。

「疲れているだけで…凪砂、起きてるか?」

龍海は凪砂に呼びかけるが、反応は無い。揺すってみるが、腕が力無く垂れさがるだけだった。

「嘘だろ、なぎさ、凪砂?!」

一旦下ろし、横にして様子を見るが、呼吸が弱くなっている。顔色も悪い。

「そんな、凪砂!」

「ボーザさんから、栄養満点の蜂蜜をいただいたらどうですか?」

シェルピスはボーザから手渡された蜂蜜の入った瓶を差し出す。彼女の胡散臭い笑顔を、龍海は信じなかった。

「蜂蜜とか言って、怪しい薬じゃないだろうな…」

「怪しくなんてありませんよ。ねぇ凪砂くん、生きたいとは思いませんか?」

シェルピスが凪砂の手を繋ぐと、数秒間を空けてから凪砂が握り返した。

「凪砂くんはお望みの様ですよ?」

「…ッチ。凪砂、今食べさせてやるからな」

瓶に詰まった蜂蜜を渡される。初めて見る蜂蜜は、黄金に輝く秘薬のようだった。

木のスプーンに一杯掬い、凪砂の口に運ぶ。大きく開かない口に無理して蜂蜜を垂れ流し、唇に擦り付けた。凪砂は唇に付いた蜂蜜を舐めるように口を僅かに動かした。

「本当に大丈夫なのか?」

「すぐ息を吹き返すさ、安心しなさい」ボーザが言う。

次に、ボーザは指をさす。

「野分。行く宛てはあるの?」

「海が見える場所まで行こうと思います」

「そうか。なら、この先にある無人電車がある。あれは過去の産物だが、人が使わなくなった今でもずっと動いている。それに乗って、終着駅まで行きなさい。お前達にとっての新天地があるはずだから。…そうだ、この花異物の娘は一旦私が預かろう」

ボーザがスミレを指さすと、深紅が声を荒げる。

「待ってください!それなら私も残ります!」

深紅の反応に、スミレも困惑したのか頼りない鳴き声を発する。

「赤髪の娘、この子に会いたくなったら、川を辿って来れば、いつでも会える。だから今は新しい住処を見つけなさい。でないと、この花異物の娘を引き取ることはできないよ?」

「川って…」不服そうな深紅がボーザを睨みつける。

「終着駅に着けば解る」

戸惑っていたスミレは意を決し、自分の頭に咲いた菫の花を一輪、深紅に渡す。深紅は口をへの字にして泣きそうになるのを必死に堪えた。

「必ず迎えにいく」

スミレも同意したかのように、フウウウと鈴の様に声を鳴らす。

枝になった指先から、菫の花を受け取った。

野分が深紅の肩に触れる。深紅は諭されたと察すると、ボーザにお辞儀をする。

「スミレのこと、よろしくお願いします」

「責任を持って預かろう。キューイー達も私達の所にいる。いつでも会える」

「ボーザ、ありがとう」

野分は最後にお礼を言うと、皆は電車がある方向に歩いて行った。

残された二人は、少し会話をする。

「貴女はヴァルハラギグスの書を置いていった奴等と同じ気がする。宇宙人という人種かな?」

「ボーザさんはお見通ししちゃうんですね。流石は長い年月を生きているだけあります」

「ヴァルハラギグスが作った最初の花異物だからな。奴等の気配は今でも覚えている…。今はもう山となり、本体は動かないが…こうやって、精霊になって自由に移動ができるのは大発見だ」

「貴女に会いに行ってよかったです。この星に来て正解でした。新しい発見もたくさんありましたし、友達も出来ました」

シェルピスは小さくなっていく子供達の背中を見守る。

「彼等に幸多からんことを」


電車は、ボロかった。窓は劣化していて割れている。椅子は埃とカビ臭い。

五人は椅子に座るのを諦め、後方の床に身を寄せて座った。

昼になり、夜になり、次の朝を迎える。

寝ている龍海の肩を、叩く小さな手。

龍海が目を覚ますと、元気そうな凪砂が目の前にいた。

「凪砂!大丈夫か?!痛みは?」

「大丈夫、治った」

「そうか…よか…」

凪砂の左腕…注射された箇所から根が張っている。

龍海は震える手で、凪砂の左腕を取った。

「大丈夫。僕は大丈夫」

「…凪砂、ごめん。ごめんな」

処置が甘かったことを酷く後悔し、凪砂を抱きしめた。泣きたいのを我慢して。

すると、嗅いだことの無い香りが漂ってくる。塩っぽい匂い。そして、風にのりリンゴンと鐘の音。

凪砂と龍海が窓の外を見ると、そこは海が広がっていた。

「すごい…!」

「こんな綺麗な景色、初めて見た」

辿り着いた終着駅は、傷んだ街の中に着く。

降りて、街の散策をするが人が住んでいる気配は無い。これから、自分達で一から作り上げなければならないようだ。

「見て!また教会がある!デッカイ鐘もある!あの街の教会とは大違いだね!」

ヒナが興奮気味に捲し立てる。

「誰も居ないってなると、これから大変になるわね」

「わたし、お家がほしい!」

「深紅、あれを見ろ」

野分に言われ、深紅が見ると、川から海に繋がっていた。

「…あれが?」

「ボーザが言っていた意味だよ。川は海に繋がっている。たぶん、あれはボーザに繋がっている川だ」

「じゃあ…スミレとも繋がっているってこと?」

「そうかもな」

「不思議、川と海が繋がっているって、初めて知った」

深紅は身を乗り出すと、川の上流方面を見据える。遠いけれど、薄らと山がそびえ立っているのが見える。きっと、あれがボーザの本体だろう。

「それより、ナギサとタツミは?」

ヒナがキョロキョロと辺りを見渡す。

「さぁ?新しい住居を探しているかもよ?私達も探そう!」

「うん!」

はしゃぐ深紅とヒナを見て、野分は微笑んだ。

風が気持ちいいと思ったのは初めてだ。海がこんなに綺麗だとは思わなかった。


二人は浜辺に来ていた。

「海と砂…波、泡沫…」

波打ち際に立ち、寄せては逃げる波を凪砂はまじまじと見つめていた。

「そうそう、龍海。これ、返すね」

凪砂が渡してきたのは、龍海のロケットペンダントだった。あのバタバタで忘れていたが、ずっと腕に絡まっていた。

ある意味咄嗟の判断だったが、神頼みでもあった。母が凪砂を助けてくれるかもしれないって、薄ら思った。だけど、現実はそう甘くない。

龍海はペンダントを握りしめる。

「凪砂、」

「何?」

「…俺、考えていたんだ。凪砂みたいに、実験台にされている子供がまだいるかもしれない。ここでの基盤が落ち着いたら、そんな子供達を助けたいって」

聞いた凪砂は、満面の笑顔を見せる。

「いいね!大賛成」

「凪砂にも手伝ってほしい。だから…ずっと傍にいてくれ」

「うん、ずっと傍にいる」

凪砂が右手を差し出すと、龍海は微笑み、手を取った。

「少し散策でもするか?」

「散歩が良い。海で拾えるもの探したい」

「いいよ」

二人は、海に足を踏み入れた。波が来るたびに声を上げて喜んだ。砂の気持ち良さに感動した。貝殻を見つけては驚いた。珊瑚の欠片も見つけた。

こうして、凪砂と龍海達の物語はここで一旦、終わりを告げる。


・・・


「これがこの街で起きた事実です。私がこの街に到着した時には、既に大半の人間は死んでいました。そして花異物と呼ばれる種族も、適応出来なかったのか枯れ果てていました」

女性はあっけらかんと説明する。

「…あの、ナギサくんはどうなったの?」

「元気にしているんじゃないでしょうか?定期的に支援物資は送っていますが、会いに行くのは違うと思うので」

「そう、ですか…。ヒナだけでも、生きていてよかった」

ゴジがボソボソと呟く。

「ゴジくん、私達と一緒に来ませんか?そうすれば、少なくとも君の安全は確保できるんです。聖ウェルダー教は自殺志願者には優しい場所ですよ」

「ありがとうございます。でも、僕上下関係とか…知らない人との生活ってよくわかんない」

「上下関係なんて気にしなくて大丈夫ですよ!なら、私と友達になりましょう!私はマ=シェルピス=シリーフィア。シェルピスって呼んでください」

呪文のような名前に、ゴジはチンプンカンプンだ。一回では聞き取れない、奇妙奇天烈な名前。

「シ、スエ…ピスさん。僕はゴジ=ウィンターです」

「ゴジくん。私達は君を歓迎します」

シェルピスが手を差し出す。ゴジもビビりながら手を伸ばすと、握手される。

「ここの観察が終わったら、次は地球に向かいます。そこで勧誘活動をしなければなりません」

「ちきゅう?」

「ここに似た惑星ですよ。まぁ寄り道するかもしれませんがね」

ゴジはぼんやりと考える。このヒトに着いて行けば、辛い思いをしなくて済むのは確かだろう。そして、自分も‘宇宙人’と呼ばれる立場になることも、ぼんやりとだが理解した。

生まれて初めて、良い意味でドキドキする気持ちが芽生えた。

そして、ゴジの新たな人生が始まろうとしていた。

「ヒナ、僕も旅立つよ」


* * *


数年後

龍海達が辿り着いた終着駅の街は、賑わいを見せていた。

やはり各地には実験台にされた子供達がいて、売られそうな人達を助け、保護するうちに活気づいた。

今ではルールを決め、守りながら生活を送っている。衝突もあるが、そこはなんとか話し合いながら解決する。皆、暴力に押さえつけられていたから、なるべくなら武力には出たくない思いで、必死に話し合い、解決策を模索する。

そうやって、やって来た。そのお蔭で、今は基盤が出来て穏やかに過ごせている。

「深紅さーん!お客様です!」

一人の少女が、深紅を呼ぶ。深紅は被服の仕立て作業を止めると、家から出る。

「お客様?」

「風変わりな女性です」

駅の方に向かうと、そこには大人びた女性に成長したシェルピスが待っていた。

「シェルピス!」

「深紅、久しぶりね」

深紅は駆け寄り、彼女の両手を握りしめた。

「会いたかった…!元気でしたか?」

「おかげさまで。ねぇ、来て早々で申し訳ないのだけど…一緒に地球に来てほしいの」

「地球…?」

「私に、協力してほしいの」

シェルピスの頼みに、深紅は笑顔で頷いた。

「私達で良ければ、協力しますよ」

深紅の返答を聞き、シェルピスは嬉しそうに微笑んだ。


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