母親が昔はアイドルだったなんて信じられない
半歩逃げたソルタは、ミリシャの追撃を食らった。
「あら、どうしました?」
言いながら伸ばしたミリシャの左手が、ソルタの右手に重ねられる。
初めて触れた女の子の手はとても柔らかく、不思議な感覚だった。
思わず握り返したいほどだったが、8人いる若い騎士からの敵意が急激に上がっていく。
ソルタは悟る、親父はこうやって評判を下げたのかと。
しかも妹まで不潔なものを見る目で睨んでくる。
「待った、ちょっと待って! 先に魔獣を片付けるから!」
さらに大きく一歩下がり、誰に言うでもなく手を振って、馬車の屋根に映った自分の影をノックする。
黒猫がぴょんと飛び出してきた。
「はいニャ! ご主人さま」
「ニャはやめろって、まあいい。道の左右の森にいる魔獣だ、分かるな? 倒さなくて良い、脅して追い払え」
「おまかせニャア!」
命じるや、黒猫は屋根から飛び降りて駆け出して行く。
魔獣は、現生の動物や植物が魔力で強大化したもの。
元が賢い動物なら、強い相手がくれば素直に引き下がる。
爬虫類や昆虫類だと、動くものは全てエサといった種類も居るが、それなら問答無用で襲いかかってきてるはずだ。
「きゃあ、かわいい! ねえねえお兄様、なにあれ?」
「母さんが付けてくれた……護衛だよ」
使い魔というのは通用するか分からないので避けた。
「へぇー、喋る猫なんて初めて見たわ。猫耳が付いた人なら見たことあるけど。あの仔の名前は?」
「あー、そういや聞いてないな。いやまだ無いのかな、だったら付けてあげた方が良いのかな……」
ソルタはとても大事なことに気が付いた。
「その前にだ。妹よ、お前の名前は?」
「えっ、知らないの? そうね、そうよね、国元とは違うんだし。私はアキュリィよ、アキュリィ・イリエス・エオステラ=ハルス。姓はお母様のしか受け継いでないわ」
「アキュリィ、アキュリィか。いい名前だ」
正直なところ、ソルタに名前の良し悪しなど分からない。
けれども、聞いた瞬間に胸の奥がぎゅっとするくらい懐かしい響きだった。
あと少し、ほんの少しで何かを思い出せそうだった。
「ねえ、お兄様。あのね、お父様は、近くに居るの? とても大事な用事があるの。それでここまで来たのよ」
アキュリィが、不安まじりの思いつめた声で聞いた。
ソルタにはとても答えにくい質問だが、答えねばならない。
「実はな、親父は2年ほど前から行方不明だ。何処に居るのかも知らない」
アキュリィは大きく息を飲んで、絶望といった顔をする。
さらに、しばらく静かにしていた騎士ソンスリオが声を荒げる。
「ほら見ろ! 何の証拠もなく、父であるはずの勇者の居場所は知らないときた! こやつは、口先だけで潜り込もうとしておるのだ。姫様の保護者権は、宮中の話題でしたからな。何処の手先か分かったものではない、捕らえて厳しく詮議すべきだ!」
魔物と言ったり手先と言ったりと、ソンスリオも忙しい。
だが今にもソルタに斬り掛かりそうな殺意は非常に困る。
指輪の中の悪魔が、殺意に反応して出てこようとするのだ。
悪魔アルプズまで出てきたら、4人の母親が居ることも含めて、何と説明していいか分からない。
説明するよりも実際に見てもらうしかないだろう、かなり恥ずかしいが仕方がない。
「分かったよ、これを見てくれ。アキュリィ、お前に渡す。『映れ』と念じれば映像が出るよ」
小さな立方体の魔道具を取り出し、両手で持つくらいの板に展開してから渡す。
アキュリィが手にすると、直ぐに映像と音声が流れ始めた。
『せーの、おにいちゃん! 早く帰ってきてね! 毎日ちゃんと朝ごはんを食べるからね!』
下の妹二人だ。
この映像を撮る時には、涙をこらえて精一杯の笑顔を作っていた。
「おい、そこのボタンで早送り出来るから。こっちは消音な。あとこれで立体投影も出来る」
立体映像になったところで、フィーナに移り変わった。
「うわっ、誰これ? すっごい美少女じゃない、王都にも居ないわよ」
「なんだずうずうしい。アキュリィ、お前にそっくりだろ。多分お前の妹だよ、12歳だし」
「えっ? 似てる? ふーん、えへへへ。お兄様もそんな悪い人じゃないのね」
ソルタから見ると、上の二人は似ている。
生意気な目つきといい、口の悪さといい、低い鼻といいそっくりだ。
映像には、アキュリィだけでなく、ベテランと若手の騎士達も釘づけだ。
これも魔王城に転がっていた便利なアイテムの一つ。
母さん達が「寂しくなったら見るのよ」と持たせてくれたが、絶対に見るつもりなどなかった物が役に立った。
「おおおおおっ!」
騎士達から歓声が上がる、映像が母親達に変わったのだ。
「聖女様じゃな! 記憶の通りに、いやますますお美しい!」
「エルフのフォルミリア様じゃ! こちらも更に美人になられた!」
「この楚々とした美女は、始祖の一族カミィラ様ではないか? 余り人前に出られなかったが、わしはお見かけしたことがある」
「うおぃ! 大魔族のエリュシアナ様もおるぞ、いかん老骨には刺激が強すぎる」
複雑だ。
母親が褒められるのは、嬉しくないと言えば嘘になるが、母親の容姿を褒められるのは強烈に恥ずかしい。
ベテランの騎士達は大騒ぎで、流石に騒ぎ過ぎではないかと思うが、表情を読んだのかアキュリィが教えてくれる。
「あのね、お兄様。この世代にとって、この方々はただ英雄ってだけではないの。今も吟遊詩人や物語や劇にも謳われる、永遠の偶像なの。お父様には、わたしのお母様も含めて5人の女性の仲間がいたのは有名よ」
息子には理解不能だ、昔の母親が大人気だったなど想像も付かない。
「そろそろ返してくれる?」
これまで冷静だった筆頭格の老騎士が、大きな声で言った。
「もうちょっと、もうちょっとだけ見せてくれ!」
どうやら受け入れてもらえそうだったが、ソルタは父親が嫌われている理由を心の底から理解した。