森の中の馬車
死の道は、幅は10メートルに長さが20キロ以上あり、固い土が覆っているが整備した道ではない。
追い込まれたアンデッドの魔王が放った怒りの一撃で出来たもので、草木すら生えない。
魔法の常識を超えた威力だったが、ソルタの父は空間を曲げてかわしきった。
これだけでも両者ともに無茶苦茶なのが分かる。
ソルタの生母でもある、聖女レアーが、5年ほど前に浄化を終わらせた。
それまではアンデッドが自然発生したり、毒ガスが湧き出たりと文字通りの死の道だった。
父や母達は、魔王の後始末もあって魔王城に住み着いたのだとソルタは理解している。
決して、誰にも咎められない田舎で、ハーレムを作りたかったわけではないはずだと息子としては信じたい。
「プニルは道の南側を。俺は北側を探すから」
今は道になりつつある魔王の一撃に沿って、人の痕跡を探す。
昨夜の野営の跡があるはずだ。
田舎の子であるソルタは目も鼻も良い、妹なら10キロ離れてても見分けがつくし、体臭を嗅ぐだけで健康状態が分かるくらいだ。
鋭い嗅覚が直ぐに炭の臭いを捉えた。
「焚き火が2つに、食事の跡もある。ただ余計な物は何一つ残ってないし、夜番はあっちとこっちかな?」
8人くらいの集団で、足跡は深く、武装していると判断して間違いない。
それに警戒も厳重だ。
「足跡は、西へ戻ってる……? 斥候や先遣ってことがあるのか」
愛馬に跨る前に、ソルタは上空から風の最上位精霊を呼んだ。
エルフのママが護衛に付けてくれたものだが、ここでは偵察に使う。
「上空から様子を探ってくれる?」
「御意」
「えっ、喋れるんだ……」
「当然である。そこらの精霊と同じにされては困る」
「それはごめん、本当にごめんなさい。偵察をお願いね、見つけるだけで良いから」
妹のフィーナが使う風の精霊は、薄衣をまとった女性の姿でとても美しくて、目の保養になるくらいなのに、最上位は細長い卵に髭面が浮かび、鳥の翼を8枚付けた異形だった。
飛び去った風の最上位精霊を見ながら、ソルタはふと気付いた。
急いで右手の黒指輪から悪魔を呼び出し、影の中からヴァンパイアの使い魔も呼び出す。
使い魔は黒猫の姿をしていて、ソルタは両手で持ち上げてから股間を確認する。
「やっぱり……オスだ」
「恥ずかしいですニャ、ご主人さま」
「ごめん、けど語尾に『ニャ』はもうやめて」
今更、黒猫が喋ることに驚いたりはしない。
ソルタが猫を地面に解放すると、黒い礼服らしきものを着た悪魔が喋った。
「新しき主よ、自己紹介をしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。僕の紹介もいる?」
「いえ、ソルタ様のことはよく存じております。奥方様から実の息子と同じなので、心して仕えるようにと仰せつかりました。それがしは悪魔アルプズ、悪魔の位階は執事でございます。代々、奥方様の家に仕えておりましたので、股肱の臣と思いお使いください」
青年にも見えるがもっと上の落ち着いた紳士にも見える、渋い男の悪魔は深々とお辞儀をした。
「ソルタです、よろしくお願いします。アルプズさん」
「アルプズ、と呼び捨て下さい」
旅のお供は全て男だった、プニルも入れれば男5人旅である。
母親達がわざとなのは絶対に間違いない。
ソルタが村の外に行きたいと言えば「外はあなたを騙そうとする悪い魔女でいっぱいよ、ずっとママと一緒にいましょうね」なんて言う母親達だ。
過保護の最後の抵抗と言うやつだろうか。
そもそも魔族の母はサキュバスなのだから、かわいい女悪魔を付けてくれても良さそうなものなのに。
まだ聞きたいことがあったが、卵みたいな風の最上位精霊がもう戻ってきた。
低いバリトンでソルタに告げる。
「少し先で、馬車が馬と人間に囲まれて止まっておったのである」
「きたか! アルプズ、指輪に戻れ。猫はこっち」
ソルタは父から教えられたことがある。
馬車で誰かが襲われていればチャンスだと。
仲良くなるか謝礼を貰えるか後にコネになる、なので積極的に助けておくべきだと教わった。
猫はプニルに乗せて、見つからない距離で待つように伝えて、ソルタは風の精霊に頼む。
「馬車の真上まで連れてって落としてくれる?」
「承知した。ゆっくり乗せることも出来るのであるが」
「いいよ、最初が肝心だから」
精霊はソルタを抱えても悠々と上昇する。
高度を取ってから西へ向かうと、しばらくして人の集団が見えた。
馬車は三台もあるが、中央の一番大きなやつに狙いを定める。
「真ん中の馬車の真上で落として」
「御意」
風の精霊は迷わずに手を離す、ソルタの能力を知っているのか、焦る様子はない。
地表からおよそ800メートル、頭を下にして大地に引かれるがままに加速し、残り50メートルほどで魔法を使う。
「4枚もあれば十分かな」
青い魔法陣を、自分の真下に展開する。
魔法陣を通過する度にソルタの落下速度は半分になる、4枚なら十六分の一だ。
父ガンタルドの固有魔法は重さを操るものだったが、ソルタは速さを操れる。
これまでは飛んでくる妹や、木から落ちる子供たちを受け止めるくらいしか出番がなかった魔法だがようやく役にたった。
たんっ、と軽く足音を立て、ソルタは馬車に降り立った。
「決まった……さて、ん?」
思っていたのと状況が違う。
4頭引きの大きく豪華な馬車で、周囲にいる騎馬は馬車を囲っているが、外側に武器を向けている。
馬車の直ぐ脇で守っていた一騎が振り向いて、ソルタと目があった。
「……」
「あのー何かお手伝い、します?」
「……貴様ぁ! 何処から現れたぁ!?」
迷いのない、刺すつもりの鋭い槍の一突きから、ソルタは馬車の広い屋根を利用して逃げた。
「丸腰か! だが今のを避けるだと!?」
するすると槍を手元に戻した騎兵からさらに殺気が溢れた。
思わずソルタも身構えるほどだったが、次の一撃が来る前に馬車の屋根の一部が開いた。
ひと一人が通れるくらいの天窓から、ぴょこんと小さめな頭が出てきて叫ぶ。
「ちょっと! 頭の上でどたばたとうるさいわよ、いったい何事よ!?」
今度は出てきた頭の持ち主と目があう。
ダークブルーの瞳と、濃いアッシュブロンドで豊かな髪と、整っていると分かる顔立ちで、年の頃はソルタと同じくらい、初めて見る同じ人類の少女だが……。
「なんか違う。チェンジで」
「なっ! なんだかとても失礼なことを言われた気がするんですけど! つーかあんた誰よ!? 誰に断って私の馬車に乗ってるの!」
これは、ハズレだ。




