愛と青春の旅だち
オークの一団は魔王城の前に揃うと、朝の挨拶をした。
「おはようございます、若様。それにお嬢様がた」
「おはようー!」
見慣れた村人の挨拶に妹3人が揃って返す。
「みんな、おはよう。早いけど何かあったの? あと若様とお嬢様はやめてよ……」
ソルタも挨拶を返してから、少し困った風に眉を動かす。
ソルタの父は村長なのだが、若様お嬢様と呼ばれるほどではない。
幼い妹達はすぐ調子に乗ってしまうのに。
オークの中から、ひときわ大きな一人が一歩前に出る。
ダク・ラクという名で、オークの中でも一番大きくリーダー格の大人だ。
「若様、おはようございます。ちょっと果樹園や畑の見回りを。それにまあ、これにもそろそろ慣れていただきませんとね」
2年前に父親が行方不明になってから、大人達はことさらソルタに丁重な態度を取るようになった。
どうやら村長の後継者だと思っているようだ、小さな村のリーダーなど血統で繋ぐものではないのに。
「いや、だから、俺は村長でも何でもないって……」
「またまた。若様はもう少し押しが強いほうがよろしいですな、英雄に謙遜は似合いませぬぞ」
オークの男たちは豪快に笑う。
この男たちが初めて村にやってきたのは10年近く前で、魔王が倒れて数ヶ月の頃。
元魔王城の前庭で、父に遊んで貰っていたソルタの前に、ボロボロで痩せて目だけは爛々と光っているオークの男が数人現れたのだ。
オーク達は父に尋ねた。
「ここは……魔王の居城のはずだが?」
「魔王なら俺たちが倒した」
「まさか! あれを!?」
「そうだ。魔王軍の圧力がなくなっただろ、だからお前たちは様子を見に来たのではないのか。それにしてもよく生き延びたな、歓迎しよう。中に入れ、茶でも飯でも出すぞ」
「……ま、待て、あんたは人間か? いや、何の種族でも良いが、我々にはまだ仲間がいるのだが……」
「ほう、それは凄い。ソルタ、お母さんを、えっとなレアー母さんを呼んで来てくれないか?」
レアーはソルタの産みの母で、あらゆる治癒と治療の魔法を使いこなす。
父と母は、二人で生き残りのオーク族を迎えに行き、オークは村で二番目の住人となった。
オーク達は最初からソルタの一家に絶対服従だった。
むしろ最初は怖れている感じがあったが、定住から1年後、オークに最初の子供が生まれて変わった。
「村長様、若様! 見て下さい、子供です! 我々の子供です、これでオークは滅びずにすみます!」
難産を取り上げたのはレアー母さんで、強力な魔法の補助もあり母子ともに無事だったのだが、オーク族の喜びはそれ以上。
男も女も皆がボロボロと泣いていた。
それも無理はない、先の魔王はアンデッドの魔王で、脅威となる文明を持つ種族は根絶やしにしようとした。
魔王が出現しての20年余りで、三百万人はいたオーク族は魔王軍に戦いを挑み二割以下に減った。
もっと数が多く逃げ回ったゴブリン族は一千五百万人が半数以下になった。
最も数が多く、戦争上手で支配的な種族であった人類でさえ、七千万から八千万いた人口から少なくとも一千五百万人が死んだ。
知恵と知識があり言語などで意思疎通出来る種族、つまり文明を持つ種族は数十種もいたが、どれもこれもが壊滅的な被害を受けた。
たった一体の魔王と配下のアンデッド軍によってだ。
もう十年以上も新しい子供が生まれない、生まれても育てられずに死ぬという状況だったオーク族にとって喜びはいかほどだったか。
それからは戦後のベビーブーム、村に住み着いた色んな種族、オークゴブリンドワーフに獣人竜人魚人翼人と、親子で命を繋ぐあらゆる種族の子が村では生まれた。
そして魔王殺しの父が守るこの村では、外敵に子供の命が奪われたことは一度もない。
余りに幼い命は、病にかかると母の魔法でも救えないことがあったが……。
魔王時代を生きた大人達はよく言う。
「敵に怯えることも寒さに震えることも飢えることもなく、子を産み育てることができる。この世で最も貴重なものが、この村にはあります」と。
なのでソルタにも村の大人達が、父や母たちに感謝してるのはわかる。
しかも、時に母親たちは息子の自慢をする。
「この子も魔王との戦いに居たのよ、まあ背負われてぐっすり寝てたけどね。大物になるわ、きっと」などと。
ソルタは数少ない魔王戦中の生まれ。
いやそもそも、魔王討伐を目指す旅の最中に子作りとはどういうことだと両親を問い詰めたい。
さらに妹のフィーナまで戦時中に生まれている。
余裕だったのか、それとも我慢出来なかったのか、15歳になったソルタはそろそろ親父に聞いてみたい。
母にはとても聞けないが。
魔王のことなど、ソルタは全く覚えていない。
ただ幼い頃は旅をして、洞窟の中で焚き火にあたっていたこともあるくらいは覚えているが、その程度で魔王を倒した英雄扱いは流石に困る。
困った顔のソルタを「まあまあ若様」とオーク達がなだめる。
その顔にかつての恐怖はもうない。
村の長男への心の底からの信頼と、溢れんばかりの期待を感じる。
だが、ギガガイガ・ソルタ・アールイ・エーテルは、ギガガイガは父の氏族名でエーテルは母の氏族名、この小さな村とその周りしか知らない。
魔王城と父の蔵書で知識だけはつけているが、戦後育ちでもあるし、苦労した経験が全くないのだ。
「期待が重いなあ……」とこぼしもする。
「またまた、若様なら大丈夫ですよ」
大人達は意外と無責任である。
ソルタの目下最大の悩みは、経験不足に加えて同世代の友達が居ないこと、そして女友達の一人も出来る気配がないことだ。
それもそのはず、この村には若くても30歳の母親と、9歳以下の子供しか居ないのだから。
「空から女の子が降ってくれば良いのに」と願わずにはいられない。
若い悩みは尽きぬが、太陽は構わず登る。
村の家々からは三々五々と子供達が出てきては、元魔王城の前に集まり始めた。
村の子供たちは、ソルタに会うと心底から嬉しそうに挨拶をする。
一人ひとりの頭に手をやり、きちんと挨拶を返して異常はないか確かめる。
子供の中でソルタの立場は絶対的リーダーである。
雰囲気が良く皆が仲良く出来るかも、対立やいじめが起きるかも、全てソルタとフィーナの振る舞いにかかっている。
誰かを優遇、例え実の妹でも皆が集まる時に一人だけ抱っこしたり、また誰かを除け者にしたりも絶対にしないと心がけている。
今日も村の平和な一日が始まるはずだが、ソルタはどうしても気になってオークのダク・ラクに聞いた。
朝早くから大人たちが見回りすることは、なくはないが非常に珍しい、もし異常があるなら家出を中断するのも仕方がない。
「外の様子はどうだった? 森や山に何か異変はなかった?」
「実はですな……」
オークのダク・ラクは子供らに聞こえない位置までソルタを誘った。
長女のフィーナがめざとく、ソルタの足にまとわり付いていた妹を引き剥がしてくれる。
ダク・ラクは声をひそめて続ける。
「実はですな、昨夜半、見張り櫓の者が西の方、死の道で炎の明かりを見たと。かなり遠いので詳細は分かりませんが、一応村への侵入を警戒しておりまして」
「西に? それは珍しいね」
魔王城はオールトの大森林の西端に近いところにある。
森には多くの種族が住んでいるが主に南と東で、西に行くとやがて森が途切れ、そこから先は人類の文明圏だ。
「はい、おっしゃる通りで。生き残った避難民は主に東から来ます。それで……」
「ああ、母ちゃんは何も言ってなかったよ」
ヴァンパイアの母は夜の支配者だ。
日が落ちれば、数種の眷属を使って村の周りを見張っている。
「それはようございました。であれば、西から来て火を使うとなると」
「人類かもね。俺も母ちゃんと父ちゃん以外に会ったことないけど、ねえダク・ラク、実はさ……」
ソルタは、これから家を出る予定だと話した。
もしも西に見えた火が人類のものならば、恐らく探検者や冒険者になるだろうから、出向いて話を聞いてみたいとも。
今も数千万が暮らす人類の国々に一度は行ってみたいと思っていた。
「い、いや、急ですな。ですが、いや、そういう日が、いつかは。ちょっと皆にも話してよろしいですか?」
大きなオークの男が、目を白黒、口をぱくぱくさせていた。
ソルタが頷くと、ダク・ラクはオークの男たちと語らい、今度は皆で戻ってきた。
「え、どうしたの、みんな」
ソルタでも引く光景があった。
オークの男は兜を常用するので成人になると頭髪が減るかなくなる、その代わりに髭が濃いのだが、むさ苦しいと言ってよい男たちが目に大粒の涙を浮かべている。
「若様ぁ! 遂にこの時がっ!」
「めでたい出発でございますが、若様の成長をもう見守れぬなど……」
「分かって、分かってはおりましたが、いざその時になると!」
「泣くな、いずれくる事だ。ううぅぅ……」
「良き嫁君を見つけてお戻りになるのを待っておりますぞ!」
「おおおおう、うぐぅ、おおおおおお!」
突然のオークの男達の慟哭に、何事かと周囲の子供や村人達の視線が釘付けになる。
そういえば、オークは成人になると生まれ育った部族を離れて他所に嫁を探しに行く風習があったなと、ソルタは静かに思い出した。
「いやー待って、そんな大げさな……」
「みな、聞くのだ! 若様が旅立ちになられるぞ! 急な出発ではあるが、盛大にお見送りするだ、それ!」
ダク・ラクの大声に、一瞬時が止まった村が直ぐに騒がしくなる。
誰もが走り回って口々に「旅立ちだ! 出発だ!」と告げて回る。
ソルタの家出は、青春の旅立ちに格上げされた。
読んでいただきありがとうございます
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書く方では最初の区切りになるとこまで目処が付きました