母は強し
領主テティシアの出迎えは、家中勢揃いだ。
馬車が到着する前からピリッとした空気が張り詰めている。
門の左手側には騎士と武官、いずれも第一種正装。
普段はそこまでしないが、一ヶ月半にも渡った長期外遊から戻る主を迎えるために気合が入りまくっている。
上官が怒鳴り散らしながら服装を整えて、直立不動で中空を見つめる。
それに比べれば右手側の文官や女官の列は穏やかだ。
先頭にはラーセンと侍従長、アキュリィの周りは普段は一人分空けるのだが、今日は真後ろにソルタが立つ。
目の前で光る妹のティアラを見ていると、いたずらしたくなる。
留め具を外して慌てさせるとか、引っ張って髪型を崩すとか、怒ることをやりたくなってしまうのだ。
気配に気付いたのか、ぐるりとアキュリィが振り向いた。
「お兄様、いいこと? まず私が無事のお帰りをって挨拶して、その後でお母様が左右に留守中に変わったことがあったか聞くわ。普段は何も無いって答えるけど、今日はわたしが実は……ってお兄様のことを話すの。みんなの前でいきなり怒ったり出ていけなんて言わないと思うわ。お母様は長く王女をやってるから。それと、髪の毛触ったら怒るわよ?」
やはりバレていた。
何もしないよと約束し、後ろに手を回して起立しておく。
「全く、髪の毛を整えるのに1時間はかかるんだからね。ってそうじゃなくて、お母様に気に入られるようにしてね? 私も泣いて頼んであげるけど、お母様のご指示は絶対なのよ」
エオステラ王国の唯一の女当主、しかも東方で200万人を治める大領主にして魔王戦争の英雄。
男なら兄王に代わり満場一致で王位を継いだとも言われる、王国最高の戦闘力を持つ王女が帰還する。
随行の騎兵は門を入ると左に折れて、その数は優に百騎を超える。
続いてアキュリィのものより一回り大きな馬車が六頭の白馬に引かれて入ってきた。
静かに止まった馬車の扉の前に、侍従長が自ら階段を置いて扉を開ける。
侍従長は黙したままで頭を下げた、最初の挨拶は娘のアキュリィと決まっているのだ。
ゆっくりとスカートを持ち上げたアキュリィが膝を折って出迎える。
まるでお姫様みたいだなとソルタは感心した。
軽やかにステップを降りた女性は、アキュリィを一回り大きくして髪色をさらに明るい銀にした感じで思ってたよりも似ている。
目元と口元は厳しそうな印象があったが、娘を見て即座に崩れる。
「アキュリィ! ただいま、ママよ! さあいらっしゃい!」
大きく両手を広げて満面の笑顔で催促していた。
「お母様、お帰りなさいませ。変わらずお元気そうで何よりです。けどね私ももう14歳なの、もう人前で飛びついたりはしないわ」
そう言いながらも、アキュリィは小走りで近づくと母親の胸に飛び込んだ。
「うーんよしよし、また背が伸びたかしらね。あなたが勝手に家を出たって聞いて駆け足で日程を終わらせたのよ。本当は直ぐに飛んで帰って来たかったけど許してね」
「うー苦しいわ、お母様。それでね、あのね、紹介したい人がいるんだけど……」
急にテティシアが顔を上げて、ソルタは重心が後ろになった。
アキュリィの言い方はまるで彼氏でも紹介するかのようで誤解を招く。
実際にテティシアの視線は酷く鋭くソルタに注がれた。
「あっ……えっと……」
何か言おうと、重心を崩したままで口を開いたのが失敗だった。
抱きかかえていた娘を下ろした王女が、一瞬で近寄ってきて次の瞬間には視界を完全に塞がれた。
正確には両手で頭を胸に抱え込まれた。
「ああ、なんてことでしょう。大きくなって、大きくなって、本当に大きくなって……」
前かがみの頭にぽたぽたと温かい水が降ってくる。
「お母さん?」
「ええそうよ、ソルタでしょ。ひと目で分かったわ。お別れしてごめんなさいね、お母さんを許してね」
ますます力がこもって息苦しいが、ソルタにはとても懐かしい匂いと感触だった。
「本当に10年ぶり?」
「そうね、いえ9年と5ヶ月ぶりね。別れてからもう一度会う機会があったの、貴方とフィーナのことを忘れたことは一日もないわ。本当よ、産みの母でなくとも毎日見守ってお乳もあげてたんだから」
ソルタも抱きしめ返そうかと思ったが、恥ずかしいのでやめた。
その代わりに。
「苦しいよ、もう離してよ」
「あらごめんなさい。力加減が難しくて、痛くなかった?」
「それは全然。父さんに似て頑丈だから」
「あらあら、まあまあ! お顔はレアーに似たのね、けどあの人の面影もあるわ……」
しっかり立ってみると、この母の背丈はソルタの鼻のあたりまでだった。
「もうだいぶ前に追い越したのか……」
うんうんと頷いたテティシアが涙顔のまま両手を広げた。
恥ずかしいけど仕方がない、時には母親の望むようにするのも子供役目だ。
そっと抱きしめると、思いの外強い力で返された。
まるで万力だ、逃げ出せる気がしない。
「ちょ、くる、苦しい! ぐえっ」
息を吐くと呼吸が出来ない、母親の好きにさせると死んでしまう、魔王を倒したパーティの姫騎士の力は半端なものではなかった。
「ちょっとお母様、お兄様が真っ青よ! もう離してあげて!」
たまには役に立つ妹が止めてくれた。
妹は少しもらい泣きをしていたが、なんだか心配して損したわって顔をしていた。
「そうなのね、アキュリィのために来てくれたのね。流石はお兄ちゃんね。それにしてもよくお互いに兄妹だと分かったわねぇ」
「こいつは、親父似だから直ぐ分かったよ。あいたっ!」
全力で背中を叩かれた。
「今度、そういう風に言ったら怒るからね! 私は母親似なの!」
「もう怒ってるじゃないか……」
「そりゃ怒るわよ、ねえお母様も何とか言って?」
テティシア母さんはハンカチで涙を拭いながらにこにこと笑っていた。
ソルタもほっとした、それに嬉しかった。
きちんと覚えていてくれたことに。
すっと寄って来た執事長が、邪魔にならない程度の小声で主君に問いかける。
「奥様。ソルタ様のご身分は如何なさいますか?」
「私の息子として扱いなさい。あ、いや息子と同じようにでいいわ」
若干の言葉の違いに込められた意味を、ソルタは感じ取った。
「母ちゃん、遠慮しなくていいよ。母ちゃんに息子がいたらやるべき事は全部やるから。それに遺産を寄越せなんても言わないよ」
「けどねソルタちゃん、ママは、ママって呼んでね、貴方を戦わせたりしたくないのよ」
「母ちゃんを戦わせる方が嫌だよ。俺は男の子なんだから、そこらへんは諦めてくれないと」
嫌だとは言わずに母親は我慢したようだった。
仕方がないことだろう、他に戦ってる男達も誰かの子供なのだから、一番偉い人だけが拒めるわけもない。
「そういう所は父親似ねぇ……分かったわ、手伝ってもらうことにするわね。侍従長、ソルタは私の代理とします。私が不在の時はこの子の指示に従うよう、各方面に伝えなさい」
……そこまでの権限は求めてない。
待ってと言おうとした時に侍従長が返事をした。
「了解しました」と。
さらにソルタの部屋は母屋に移された。
テティシアとアキュリィと同じ階だった。
これには全力で抵抗したが、領主の命令は絶対なのだと思い知ることになった。




