狙う者、狙われる者
ソンスリオが意味不明なことを叫んだせいで、アキュリィが足を止めた。
侍女のミリシャが前に出ようとしたが、黒い一角馬が大きな体でアキュリィ達を隠す。
『妹たちを守れ』とのソルタの言いつけをしっかり守っているようだった、プニルは基本的に少女や幼女には優しい。
一連の行動を自分の声が届いたとでも思ったのか、ソンスリオが気合で体を起こし、小さな瓶を取り出して中身を自分に振りかけた。
これはソルタでも知っている、治療薬だ。
ただしだ、聖女の息子として言わせてもらうなら、骨折しまくって骨格まで歪んだ状態で治療薬はよろしくない。
骨がそのままの形でくっついてしまう。
レアー母さんなら”再生”を使うし、ソルタでも”整形”と複合で回復させる。
注意してやる義理も義務もないので放っておくが。
「くっ、ひゅだん、いや、ゆ断ひた」
この通り、顔が半分潰れたままで上手く喋れなくなってしまう。
それでもソンスリオは立ち上がって喋り続ける。
「姫ひゃま、こちらへ! ひょいつは危険でひゅ! 悪魔のようなものまでつかってまひゅ!」
叫ぶソンスリオをちらりと見たアキュリィが、とことこと真っ直ぐにソルタの所にやってくる。
わたし怒ってるんですけどって顔をして、胸には黒猫を抱えている。
「ねえお兄様、なんで一人で危ないことするの? お兄様に何かあったら、私は妹達や他のお母様たちになんて言えば良いの?」
「あーっとね、うん別にそんな危なくなかったぞ? 多分大丈夫だと思ったし」
ソルタは努めて明るく流そうとしたが、妹はますます怒る。
こういう時は、素直に謝ったほうが得だ。
「悪かった悪かった。ごめんよ、心配かけるつもりはなかったんだ。もうしないから」
「むー、凄く嘘っぽいし、心もこもってない……」
「本当だ、お兄ちゃん嘘つかない」
「もうそれが嘘でなくて?」
少しだけ妹の表情が緩んだ。
ソルタの視界の端では、ソンスリオががくりと膝から崩れ落ちてつぶやいた。
「姫ひゃま、どうひて……」
老騎士のラーセンが采配する。
「こやつらをひっ捕らえよ。ウンゴールの間者だ、きつく縛り上げろ」
――――
ミリシャ・クラドコールは17歳。
殿下の尊称を持つアキュリィ・エオステラ=ハルスの侍女だ。
生家のクラドコール家は、ハルス伯に仕える騎士だったが、魔王との戦いで主家と共に全滅した。
生き残ったのはミリシャただ一人。
ミリシャの運命が動いたのは7歳の時。
テティシア王女が王都に凱旋した、右腕に幼子を抱え、魔王を倒したとの朗報を持って。
アキュリィ様は、世にも稀な王女の私生児だったが、テティシア様と父親であるガンタルド様の功績は古今無比なもの。
アキュリィ様には王女の地位と、テティシア様には王国東部に広大な領地が預けられた。
テティシア様は、母親の生家であるハルス伯の旧臣を集め始め、その中にミリシャも入ることになった。
4歳だったアキュリィ様の友人兼付き人として。
大抜擢である。
役目は重大だが、幼心にも敬愛する王女の家臣となったのだ。
姫様がどんな人物でも忠義を尽くして仕える自信があった。
それに女の身では継げぬ騎士クラドコールの家を、婿を取って再興出来る可能性すら出てきた。
アキュリィ姫様は、わがままではあるが許容範囲だった。
王族の一人娘、さらに忙しい母親には余り会えずなので、小爆発はしょっちゅうあるが大爆発は余り起こさない。
小さい頃には誰かを探すが見つからず、寂しくて泣くという事が何度もあった。
ミリシャはその度に姫様と同じベッドで沿い寝した。
その理由を、ミリシャは今日初めて知った。
アキュリィ姫様には、幼い頃を共に過ごした兄上がいらした。
しかも成長途上だが平均以上の背丈で、聖女様似と言われる顔は上の中、姫様をあしらう様子から性格も悪くなさそう。
これまでは、多分年上の騎士か騎士家の男子――騎士は10代後半から20代前半は前線勤務が常なので結婚が遅い――を紹介され、そのまま嫁ぐのだろうとぼんやり考えていたが、年下も悪くない。
このソルタという15歳の少年は、初心な感じはしたが将来性は抜群だ。
テティシア様の家中には、ミリシャと同じように孤児となった少女が百人以上もいた。
半分くらいは結婚相手を見つけたが、まだまだ残っている。
テティシア様の義理の息子、アキュリィ姫様の実の兄など猛獣の群れに肉を投げ込むようなものだ。
ミリシャは自分の容姿にも多少は自信があるが、残ってる中で1番だとは言えない。
一歩先んじた状況を生かさない訳にはいかない。
「人生二度目の好機がこんな形で巡ってくるとは!」
「ど、どうしたのミリシャ?」
「いえ、先手必勝の格言を思い出しただけですよ。さあさあ姫様、さっさと寝てくださいね。私の幸せのためにも」
「なによそれー。ねえミリシャ、少し話さない? 今日色々あったでしょ」
「あら良いですわね。兄上様のお話でもします?」
「えへへ、ミリシャは何でもお見通しね。私が喋りたがってるのが分かった?」
「それは誰でもわかりますよ」
最近はずっと不安そうだった姫様の表情が明るい。
それだけでもミリシャは心の底から嬉しい。
姫様を狙うウンゴール公国と、その君主の評判は非常に悪い。
ウンゴール自体は東西を大国に挟まれているが、その代わりに魔物の襲撃が少なく、魔王戦争でも最も被害が少なかった。
ただ露骨にエオステラのことを魔物からの東の防壁と呼んだりする。
女性の地位が低く、扱いが悪いのでも有名だ。
とても姫様をそんな国にやりたくない、もし嫁ぐ事になればせめて自分だけでも付いていくとミリシャは決めているが。
大きな不安が解消されそうなので、二人の話も弾む。
そこへ、一匹の猫が侵入してきた。
「あら、ソルタ様の黒猫ではないですか。ここは女性の寝所ですよ」
姫様の側には男もオスも寄せ付けないのが、ミリシャの大事な仕事。
黒猫は、口に咥えた立方体を放し、四角に広げてから喋った。
「見るニャ」
そこには暗闇で対峙する男達の姿が映っていた。
『……工作費用もたっぷり貰った』という所で、ミリシャは外に向かって叫ぶ。
「ラーセン卿、エルニドス卿、おられぬか! 急ぎ参られよ、姫様がお呼びです!!」
旧ハルス家の老臣、確実に信用できる二人を呼び、駆け出そうとする姫様にしがみつく。
「駄目です、お一人で行っては絶対に駄目です! このミリシャが許しません!」
だが姫様は、流石は英雄の子であらせられる、身体能力が桁外れ。
侍女の3人や5人なら平気で引きずってしまうくらいなのだ。
「心配するニャ、ご主人さまが負けることは絶対にないニャ。傷一つ付ける事できないニャよ、ご主人さまの装備は魔王とでも戦えるニャ」
猫の助言で、ようやく姫様が止まってくれた。
バタバタと集まったベテラン騎士達に映像を見せ、数と装備を整えミリシャも向かう。
黒猫が来てから10分も経っていなかったが、戦いは終わっていた。
傷一つどころか、汗の一つもかいてない英雄の息子は、敵に回復魔法まで使ってあげていた。
ミリシャは思う。
(これほど差があるの? これはもう……姫様、私が義姉になっても怒らないでくださいね)と。
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