【閑話】健気な婚約者
【閑話】
「あら、駄目よ。だってヴォーン商会で宝飾品を買ったら宝石は小さくなるし、ドレスだって地味になってしまうわ」
侯爵家の三男であった頃は見向きもされなかった自分が、王太子殿下のご厚情により伯爵位を賜った途端、見合いの話でいっぱいになった。
それまで冷たかった令嬢たちが突然しなを作って話し掛けられるてのひら返しにうんざりしたが、放置していてはより長引いて面倒臭いというアドバイスには大いに納得できたので、親の勧めるまま縁戚であるピアリー侯爵家の長女マリアンヌと婚約を結んで五年という月日が経っていた。
婚約する前は積極的にかかわってきたマリアンヌだったが、婚約が調い、その地位が確約された途端、「急いで結婚しなくても大丈夫よ。まだまだ勉学を究めたいのでしょう?」と理解を示してくれるようになった。
それに対して感謝の念を忘れたことは無かったが、誰にも結婚を急かされずに済む生活を享受している内に令嬢として最も貴重な月日を無為に費やさせてしまった事には、我ながら呆れた。
マリアンヌから「そろそろ、いいんじゃないかしら」と言われるまで、それに気が付きもしなかった事にも。
いい加減潮時かと、正式な婚姻を結ぶべく準備を始めることにした。
「なによりも先にドレスとそれに合わせた宝飾品を。花嫁衣裳のお仕立ては普通のドレスとは違うのよ。とっても時間が掛かるわ」
そう、マリアンヌに言われたのでまずは商会の予約することにした。
執事に相談して王都で一番だと評判のヴォーン商会へ予約を入れたと、そう伝えた途端5年もの長き間、黙って自分を待っていてくれた健気な婚約者から返ってきた言葉に、フリッツの動きが止まった。
「あら、駄目よ。だってヴォーン商会で宝飾品を買ったら宝石は小さくなるし、ドレスだって地味になってしまうわ」
「どういうことだい?」
「あー。あの商会は、見栄っ張りの貴族の為のお店なのよ。お店の利益ばかりが高くて。同じ予算でも買える商品のレベルが……ねぇ?」
これ以上は言わなくても分るでしょうと明言を避けられたが、どうやら婚約者が言いたいことは、同じドレスや宝飾品でも貴族相手には値段を吹っ掛けて悪儲けをしているということらしい。
「あのね、私の友人が出資している新しい商会があるの。そこで取り扱っているドレスはとても斬新なデザインで素晴らしいのよ。宝飾品は隣国から直接仕入れている石を使って自分で仕上げているんですって。ドレスを合せたらきっと素敵だと思うわ」
「そうか。君が着るドレスだ。君が気に入った店で買うのが一番だろう」
「ありがとう、フリッツ。それと、お願い。私、式は大聖堂で挙げたいわ。ずっと夢だったの」
大聖堂での挙式は、ただ金を払えばできるというものではない。
信心深く、喜捨を積み上げ、誰もが納得する功績を上げた者だけが、教会から許可を得られる。
アーベル侯爵家は代々信者として教会への寄付を行い奉仕活動へも参加してきたこともあり、フリッツも伯爵位を賜った時に定期的に寄付を行ってきてはいたが、
大聖堂での挙式が許可されるかどうかはギリギリのところだ。
だが、健気な婚約者の長年の夢だというならば、叶えるべく動くのは必要だろう。
「王太子殿下に相談してみよう」
「フリッツ! 大聖堂のパイプオルガンって素敵よね。ステンドグラスから差し込む光の中を、あの音をバックに歩けるなんて最高の気分だわ」
婚約して五年。
婚約する前までは、あれほど懸命なアプローチをしてきたマリアンヌだったが、婚約後は煩わしい事を何も要求せず、執事が手配してくれる宝飾品を定期的に贈ることしかしてこなかったフリッツを健気に待っていてくれた彼女だが、これまでもきっとヴォーン商会の標の入った贈り物を受け取る度に、「騙されている」と思っていたのかもしれない。
それでも黙って受け取ってくれていたのだと思うと、その優しい心根に報いたいと心の底から思えた。
そうして、世間一般の表向きの評判だけで店選びをしていた執事と、その言葉を鵜呑みにしてきた自分に、猛烈に腹が立った。
*********
「いやぁ、それにしてもサリ・ヴォーンの文章は美しいなぁ」
「内容も満点ですしねぇ。簡潔で分かり易い文章ほど美しいものはありませんね」
「難解に書けば高尚に見えると勘違いする人間も多い中、商取引に関する契約書の内容を分かり易く書き起こせることは美徳という外ない」
「あれなー。多分、自分が書き記した契約書の内容を後になって読んでも、図で書き起こしたり何度も読み返さねばわからんだろうよ」
「でしょうなぁ」
「まったく同感です」
わはははと呑気な声が教務員室の一角から上がっている。
楽し気に歓談しているようだが、その内容は高等部の進級に於けるクラス分け選別会議だ。
その話題に上った名前が、つい先日の不快な話題の主と重なったことでフリッツの興味を引いた。
思わず聞き耳を立ててしまい立ち止まってしまったからであろうか。
親交のある高等部の教師から声を掛けられた。
「おや、英雄魔法使いも、ヴォーン君に興味があったか」
「おぉ。彼女は背は低いがなかなかの器量よしでもある。来年秘書課を卒業したら魔法使い殿の秘書として勤めて貰うのもありかもしれんな」
「それはいい」
勝手に盛り上がる同僚たちへ、冷たい視線を送る。
馬鹿らしい。ここにも騙されている者がいるというのか。
栄えある国立学園の教師陣ともあろう者たちが、私腹を肥やそうという悪徳商人を見抜けないとは情けない。
「私は、その生徒を知りません。知らない生徒を雇い入れるほど、物好きでも愚かでもありませんね。失礼します」
フリッツには、くだらない会話に耳を傾けるような時間はなかった。
フリッツは婚約者の正当なる要求を受け入れ婚姻式を行う事にはした。
打ち合わせや顔合わせなど、これから先は時間を割かねばならなくなる事が多々出てくるだろう。
だが日々の研究を怠るつもりはない。
図書室から頼んでいた医術書が入ったと連絡が来て取りに行く途中だったのだ。早く受け取ればそれだけ早く内容を知ることができる。
フリッツは、残念そうな声を上げる同僚たちの声を背にして、教務員室から図書室へと向かった。
そこで、ちいさな悲鳴をあげる高等部の生徒を助けることになる。
その生徒が、これから先ずっとフリッツの心を乱す存在になることに、その時はまだ気が付いていなかった。
この後、向かった図書室で、フリッツ君はサリちゃんを雪崩の危機から救うのであった。