【番外編その2】蜜月期間はもう終わり?
TwitterランドRT企画でSSを書く事になりまして。
一番リクエストの多かった、サリちゃんとサーのお話を書きました。
ご笑納いただけると幸いです。
プルメリア、薔薇、夏椿、ブーゲンビリア、芙蓉、ランタナ、百合、ルリマツリ。
夏を彩る花々はそれこそ星の数ほどもある。
色や香りも様々で、どれもこれも綺麗だ、と思う。
「だが、サリに一番似合う花はと思うと、どれにしたらいいのかわからないんだ」
「仕事しろ、この馬鹿」
すぱんと派手めの音の音を立て、フリッツの頭が雇い主の手により叩かれる。
ただし音ばかりだったようで大して痛がることもなく、フリッツは乱れた髪をその手で無造作に撫でつけた。
「失礼な。これは自慢だが、僕の頭脳はこの国でも有数の有能だと自負している」
「あぁ、そうだな。だからこそ、私が自分の側近として召し抱えたのだからな! ならば仕事中くらいはきちんと仕事をしろ」
澄ました顔をしてぬけぬけと言い放つ側近に、アンドリューは血管がはち切れそうな気分であった。
目の前でぬけぬけと驕った……けれども事実である言葉を言い切ったフリッツ・アーベル=シーランは、王太子であるアンドリュー直々に迎え入れた克ての学友だ。
学生の頃からその頭脳の明晰さと思い切りのよい剣の使い手として一目置いていた。また、王太子であるアンドリューを前にしても物怖じしない発言が気に入って傍に置いていた。
ある年の冬の狩り大会に参加した際に、冬眠に入り損ねた通称穴持たず熊と遭遇、人家への被害を食い止めると宣言したものの敢え無く返り討ちに合い、死に掛けたアンドリューを救ってくれたのが、このフリッツだった。熊を倒し、熊に引き裂かれたアンドリューの左腕を整復してくれたのもまたこのフリッツという男であった。
その功績が認められ授爵したのだが、どうも医術に関する知識を貪ることばかりが念頭にあり、周囲に勧められるまま婚約を交わして、そのまま五年放置していた。
だがさすがに元婚約者からクレームが出たのか、突然婚姻式の準備を急ぎ始めたと思った矢先、その婚約をあっさりと破棄し、即ずっと年下の当時学生であったサリ・ヴォーン嬢と新たに婚約を交わしてそのまま結婚してしまったのだ。
それがつい二カ月前のことである。
どたばたと婚姻を結んだ歳の差夫婦は、存外仲睦まじい様子であったし、アンドリューとしては元の婚約者の様な見目だけの悪女を本妻にもつ側近の取り扱いに関して思うところがあったので、万事なるようになるものだと感慨深く思ったものだ。
そうして蜜月期間と呼ばれる長い結婚休暇を終え、ようやく王太子であるアンドリューの側近として登城してきた側近は、しかしそれまでとはまるで別人になっていたのだ。
いや、仕事自体は問題ない。
休暇中に用意してきたのか朝イチで提出してきた今回の事業草案も、これからの国の為に必要なことである事に間違いはない。
多分に私事が感じられるが、それに関しては目を瞑ることにする。
しかし──
「……サリが傍にいないからと思うのだが。仕事がまったく手に付かないんだ」
ばさりと手にしていた書類が机の上に撒かれた、その惨状に眉間へ眉が寄る。
いいや。アンドリューが書類だとばかり思っていた紙には、フリッツの手で書き出されたのであろう、新妻へ贈りたいプレゼントの品々が溢れんばかりに書き記されているメモ紙であったのだ。
「……支障だらけだった」
それを呟いたのはアンドリューではない。同じ部屋にいる誰かのものだろう。多分。
同じ気持ちを分かち合う仲間がいることに勇気を持ったという訳ではないが、アンドリューは勢いに任せて怒りを口にした。
「はぁ? この仕事はお前が増やした仕事なんだぞ、フリッツ・アーベル=シーラン。最近増えだした野盗対策として街道の整備事業の草案。確かにこれが実現できれば、この国の安全は格段に上がるし、経済の発展は約束されるだろう。その実現の為に検討すべき細やかな部分までもが挙げられており、大変素晴らしい出来だ。休暇中にこれを用意するのは大変だっただろうと思う。よく新妻が許してくれたものだと感心もする。その尽力は評価しよう」
ぱらぱらと、今朝登城してくるなりアンドリューの書類だらけの机へと差し出されたぶ厚い草案書を捲りながら褒め讃える。
その称賛の言葉を自慢げに頷いて聞いているフリッツに、アンドリューは何故か腹が立って仕方がなかった。
「だが! ただ道を整備するだけではなく要所要所に避難所および病院を兼ねた宿屋を配し警備兵も置くなど、どれだけの予算が必要になると思っているのだ」
「うむ。莫大だな」
実際にはただ金が掛かるだけではない。
公共事業としての整備費用、資材の確保、作業を行なう工員の確保、そしてなにより、そこに配する人材の確保および育成が必要になる。
時間と人材、必要となるすべてのものが膨大で、王太子としての裁量だけではGOサインを出す訳にはいかないレベルの事案であった。
「それを、提案したのが、お前だろうが!」
勿論、この草案をフリッツが練り上げたのには理由がある。その理由についても、アンドリューにだって分かっていた。
フリッツの妻となったサリ嬢の父が視察に向かう旅の途中に野盗に襲われ大怪我を負い、命を失うところだったのだ。
その時に助けを求めてやってきたのが、魔術師と呼ばれるほどの腕を持つ医師であった、フリッツの処へだったのである。
その前に、元婚約者のせいで拗れていた二人の仲は急速に接近、正しき良縁へと結実した。
だからこそ、これからもサリ嬢の実家のみならず街道をいくすべての民の安全を守る為に必要だと考えたことは、想像に難くない。
だが、今すぐこれを草案通りに実現できるかといえば、難しいとしかいいようがないのが現実だ。
だからといって今のままでいいと放置する訳にもいかないのだ。
“いつか”ではなく“今”、手に届く範囲だけでも実現できるのはどこまでなのか、どれから手をつけるのが最も効果的なのかを正しく精査し検討していかねばならぬというのに。
「立案者が腑抜けていて、どうするというのだ!」
はぁはぁと粗い息で詰め寄ったアンドリューに対して、フリッツは冷静に応えた。
答えではない、応えた。
「よし。仕事にならない、僕は帰ることにします」
ガタンと勢いよく席を立つ。
自分用に用意されている机の上は溜った書類でいっぱいだったが気にせず朝脱いだばかりのコートを手に持った。
今朝、出掛けにそれを背の高いフリッツに着せかけようと奮闘していたサリの愛しい姿を思い浮かべて口元が弛む。
アンドリューに詰め寄られ、愛妻との婚約に至った当時のことを思い出したフリッツは、当時の自らのやらかし具合に胸が痛くなるものがあったが、それでもふたりが婚約を結ぶことになった大切な思い出でもある。これを自戒として、妻をより一層大切にしていかなくてはとフリッツは心に何度目かの誓いを立てる。
だから、すぐ横で罵倒する上司のブチ切れ具合も気にならなかった。
「おい、フリッツ。お前は二カ月仕事を休んで、今朝復帰してきたばかりなんだぞ?」
コメカミに青筋を立てる美青年、しかもこの国で王と王妃に次いで三番目の権力を持っている王太子アンドリューにまったく臆することなく、むしろ我が意を得たりとばかりに大きく頷いて、フリッツが言葉を返した。
「だからこそです。サリがいつでも傍にいる毎日に、僕はすっり慣れてしまった。そんなにすぐに彼女が傍にいない生活には戻れない。戻れる訳がない。せめてもう少しゆっくりとしたペースで、彼女のいない時間というものにか慣れていかなければいけないとわかったのです」
きっぱり、そしてはっきりとフリッツが宣言する。
けれども、その言葉の意味を理解することができた者は、執務室に詰めていたこの国でも最高峰の頭脳を持つ男たちの中には、誰一人としていなかった。
そんなのは、許された休暇中に調整しておけという、至極当然な叱責すら誰からも出てこない。
「今すぐ帰っても、彼女はもう昼食を摂ってしまった後かもしれない。だがそれでもお茶の時間は一緒に過ごせるし、お茶をする前に傍にいる時間も取れるかもしれない。では、これで失礼します」
さらりと臣下としての礼を取り、呆気にとられて反応することすらできないでいる一同を余所に、執務室の扉へと足を向けるフリッツであったが、丁度扉の前に立って処で、入室を問う入口のベルが軽快な音を立てた。
この入口のベルの鳴らし方には三種類ある。
二回短く鳴らすだけなら、内部の者が書類などを持ってきただけ。食堂から取り寄せる軽食が届いた事もこの音で知らされる。
三回長めに鳴らされたなら、予定にない外部の人間がやってきて面会を申し入れているという合図となる。この場合、王太子であるアンドリューが在席している時は側近が彼を守れる位置に立ったことを確認してからゆっくりと扉を開け、立っている相手を確認できてから迎えいれることとなっている。
ぐるりと廻すようにして切れ目なく長く続くように鳴らされた時は非常事態だ。隠し扉から裏の部屋へとアンドリューを逃がし、安全を確保することになっている。
そうしていま鳴らされたのは、長めに音を出したベルが三回だ。
予定にない面会を求めにやってきた外部の人間だということになる。
非常事態ではないものの、それなりの緊張が王太子の執務室へと奔る。
フリッツも弛み切っていた顔を引き締め、王太子以下同僚たちの顔を見回した。
訓練に基づいた位置へと移動を終えた各人が頷いたことを確認してから、扉の向こうで待つ案内人へと誰何した。
「誰だ」
「アーベル=シーラン家の方がいらっしゃいましたので案内して参りました」
がちゃり。「なんだと?! サリに何かあったのか!」
フリッツがいきなり大きく扉を開けて顔をそこから出してしまった。
「「「「「「!!!!!」」」」」
訓練を重ねてきたそれを完璧に無視したフリッツの行動に、執務室内に緊張が奔った。
何故訓練を無視したのかと声にだせないツッコミがその場にいつすべての者からフリッツの背中へむけて投げつけられたし、頭を持って揺さぶってやりたいと思った者も、後頭部を思い切り叩いてやりたいと思った者もいたが、当然だが今はそれどころではない。
本人にはこれが何事もなく終わった後、反省を促すべくみっちりとお説教しようと呪詛を送るだけにする。
扉の前で、そのまま絶句して動かなくなったフリッツの大きな背中を見つめる。
見つめる先にいたものは、サリ夫人の不調を知らせる使者なのか、それとも悪意をもってやってきた偽物の使者なのか。
固唾を呑んで見守る中、フリッツが、突然大きな声を上げた。
「サリ! キミに会いたいと思っていたら来てくれた。感動だ!」
がばりと大きな身体が俊敏に動き、扉の向こうに立っていた小さな人を抱き上げ、そのままくるくると回る。
──あぁ。これ、前も見たことあるやつだ。
ガクリと肩を落としたのは、それを呟いたアンドリューだけではなかった。
先ほどまでの仏頂面とは裏腹に、満面の笑みを浮かべたフリッツがバリバリと仕事を熟していく。
その横では、ほっそりとした小さな女性が鮮やかな手さばきでフリッツの机の後ろに溜まっていた書類を項目ごとに仕分けていく。
フリッツが担当しているのは、近隣諸国を含めて医療に関する情報収集と、地方医療に関する指導・対処法の確立など。更に学園での講義だ。
机の上だけでなく横や後ろに二か月分山積みになっていた、彼自身が取り寄せた論文や、彼に読んで認めて欲しいという野心に溢れた医学者の書いた論文や、地方からの患者の症例にかんする問い合わせの手紙などが、あっという間に綺麗に分類されファイリングされていく。
それだけではない。どうやら患者の症例に関する問い合わせは、難しい顔をして書類を読んでいたフリッツのタイミングをうまく読んで、緊急性があるのではないかと手紙を差し出している。
その、あまりに有能で何年も専属秘書をしていたかのような息の合ったふたりの仕事の様子に、アンドリュー以下執務室内の面々は目を奪われていた。
アンドリューの視線に気が付いたサリが、少し頬を赤らめて頭を下げた。
「すみません。届け物をするだけのつもりでしたのに。突然押し掛けた挙句にお仕事に手を出してしまって」
本当は、夫が登城して行った後で寂し気にしている新妻に侍女ニーナが『差し入れを持っていきませんか? 旦那様はいつも昼食をお城の食堂で摂られているそうですけど、奥様が手ずから作られたものを届けられたらお喜びになられるでしょう』と声を掛けたのだ。
だからサリが抱えてきたバスケットには、忙しいフリッツが仕事の合間に食べられるようなカスクートにチーズやコールドミートを挟んだものと、結婚してから何度か作っている苺のパウンドケーキなどが詰め込まれていた。
執務室にいる他の職員へも配れるように多めに持ってきたのでバスケットは山盛りであった。
今は城の侍女へ預けてあって、後ほど飲み物と一緒に昼食の時間に合わせて持ってきて貰える事になっている。
「僕が願い出た事だ。キミが来てくれるまで、僕はまったく仕事に手が付かないでいたから殿下たちも喜んでいるさ。ねぇ、そうでしょう?」
アンドリューとしても、フリッツの言葉に異論はなかった。
だが何故だか、素直に頷くことができない。
それでも、ここでサリ夫人を追い返してもいい事はひとつもない事だけは確かだった。
現状として、ようやく登城してきた側近がまた使い物にならなくなるより、遥かにマシなのだから。
「気にすることはない。すべての仕事を手伝って貰うことはできないが、サリ夫人が夫君であるフリッツの仕事を手伝う分には問題ない。もしよろしければこれからは隣に部屋を用意するので毎日でも手伝ってやってくれないか」
「それは……!」
ちらり、とサリは隣の大きな机に向かうフリッツに視線を投げた。
結局、学園を卒業後のサリは仕事に就いていなかった。伯爵夫人としての仕事は思っていたより多いようで、差配についても執事のトーマスの教えの下、覚えていかねばならぬことが沢山あるとわかったからでもあった。しかし、今ここで頷けば、自ら仕事を持って働くという幼い頃からの夢が叶うことになる。
愛妻からの視線を受けて、フリッツは大きく頷いた。
「お断りします。大変魅力的なお誘いではありますが、サリとふたりきりになって、不埒な真似をしないでいる自信が僕には全くない」
「!!!」
思わず集中した視線の先にあったものは、発言をしたフリッツと首まで真っ赤に染めたサリ夫人のどちらが多かったのか。
それは神のみぞ知るところ。
お付き合いありがとうございました♪




