第三十三話 大聖堂
※前半はちょこっとだけパパ視点。後半はサリ視点に戻ります。
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花嫁を乗せた馬車は、まるで王都の中央をパレードするように走り抜け、ついに大聖堂の前で停まる。
周囲には、大聖堂で行われる豪華な婚姻式にあやかろうと人だかりができていた。
その中を、サリは父に手を取られ、降りていく。
花嫁の動きに合わせてドレスが揺れる度に、その裾に散りばめられたホワイトサファイアが太陽の光を受けて煌めいた。
豪奢なぶ厚い絹の蕩けるような光沢と精緻な刺繍が生み出す陰影が、サリのほっそりとした肢体と清楚に、けれども豪奢に飾り立てた。
「なんて美しい花嫁だ」
「可憐で華奢で。まるで妖精のようじゃあないか」
「見て、オレンジのブーケよ! この季節に花嫁の為に用意するなんて」
集まった人々の口から漏れ出る称賛に、ダルの口角が上がる。
大いに溜飲が下がった。
自分の娘が平凡な顔だと嘲笑の的になっていることを、王宮へ爵位返上の相談に行って初めて知ったダルはそれについても腹立たしく思っていたのだった。
そもそも化粧をしていて当然の生粋の貴族令嬢と違い、サリはつい数年前まで平民であったのだ。手入れとなる基礎化粧こそさせてはいたが、すっぴん素肌の素顔のサリと最新メイクを施した貴族令嬢と比べられてもという気持ちもあった。
だから今こうして、侍女たちが持てる技術をすべて使って造り上げた完璧なサリを披露できたことはダルにとっても喜ばしいことであった。
見上げた先にある大聖堂は、今日も乳白色の輝きに満ちて威風堂々とした佇まいをしていた。
北の国境にある聖なる山から切り出される大理石は、石の持つ神秘の力がミルク色の光として内側から漏れ出し、まるで透き通っているかのようだ。
王族、またはそれに近しい高位貴族にのみあらゆる式を挙げることを許された聖堂にこうして正面から足を踏み入れたのは、王都でもっとも大手といわれる商会の会長であるダルにとっても初めての事だった。
動きの悪い左手にそっと手を絡めている愛娘サリに目をやれば、ガチガチに緊張している姿に、頬が弛む。
こうしていると、幼い頃のままなのに。
さきほど初めて聞き出した娘の胸の内に、あんな男を選びおってと怒りたいような、父親より大切に思う男ができて悲しいような寂しいような切ない気持ちになった。だが、どんなに成長しても自分にとっては可愛い娘でしかないのだと改めて思う。
ゆっくりと。殊更ゆっくりと、もう残り少なくなってしまった、娘をエスコートできる最後の時間を、ダルは噛みしめるようにゆっくりと歩を進めるのだった。
***
大聖堂前の階段を昇りきり、宗教画で彩られた正面ホールを抜ける。
正面に見える大きな扉が、ついに父と娘の視界に入った。
その両隣に立っている修道士たちも、今日は黒一色の法衣ではなく白地に国旗と教会のシンボルである丸に十字の紋が縫い取られた式服を身に着けていた。
本日の主役たる花嫁とその父へ向けて、修道士たちが頭を下げた。
ついに、婚姻式が始まる――
その時、小さな影が、サリに向かって走り込んできた。
「危ない!」
慌てたダルが受け止めたのは、涙で顔を汚したサリの弟ロイドだった。
「どうしたんだ、ロイド。席に着いてなくては駄目じゃないか」
招待客は勿論の事、親族一同が花嫁の入場前に着席していること。
それがこの婚姻が正当で祝福されたものであるという証となる。
幼いとはいえ、新婦の弟が席を立ったままではサリは会場へ足を踏み入れられなくなるということだった。
しかし、父からの叱責に反発するようにロイドは声を荒げて抗った。
「だって! だって悔しいんだ。僕はやっぱり姉さんとあんな奴が結婚するなんて許せない」
サリはこの日を迎える前に、弟にきちんと納得させられなかった自分を反省した。
あの日、父の助命を教授に願い出た引き換えとして、穴を埋める為だけの花嫁となる契約を受けた時、弟は誰よりも悲壮な声を上げていたのに。
その後もサリと顔を合せるだけで涙ぐんで走って行ってしまう弟を、無理矢理にでも引き留めて強引に話し合いをすればよかったのに。
サリ自身に余裕がなかったとはいえ、可哀想な事をしてしまったと悔やむ。
視線の先では、父ダルが、動く右腕でそっと泣きじゃくるロイドを抱き寄せると、ゆっくりとその頭を撫でていた。父の顎の下にすっぽりとロイドの頭が入ってしまっている。
それほど幼い弟に、教授との事を、教授へのサリの想いを、どう話して聞かせればいいのか、サリには今もって分からない。
「……ロイド、よく聞くんだ。あの男は失礼だし、サリの本当の価値というものを分かっていない気がする。正直、ムカつく男だ。だが、それでも、あの男なりに、サリを大切にしようとしてくれている。本当だ」
つい先ほど、自分でもあの男呼ばわりしていたのはダルも一緒である。
だが自宅や馬車の中での会話と同列にすることはできない。ここは公の場であり、これからその男と愛娘が神聖な誓いを交わす場であるからだ。
「でも! それならどうして、これから婚姻式が始まるって時に他の女性と抱き合ったりしてるのさ! おかしいじゃあないか!!」
ぐらり。
サリの視界が歪んだ気がした。
一瞬で世界から色が失われ、突如として大理石で出来た廊下がぐにゃぐにゃして、まっすぐ立つことすら難しくなる。
しかし、父と弟の言い争う会話の続きが耳に届いて、はっと気を引き締めた。
「ロイド! 滅多なことを言うんじゃない」
「本当だもん! トイレに行きたくなっちゃって、でもおかあさんは親族の応対しなくちゃいけないから、だからひとりで行ったんだ。それで戻ろうとしたらなんか聞いたことのある男の人の大きな声と知らない女の人の声がして。それで見に行ったら、アイツがいて。それで……それで、抱き合ってたんだ! “まりあんぬ”って呼んでた。嘘じゃない!!」




