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第三十二話 父と娘



「本当に……教授が、これを……わたしに?」


 震える手と声。


 サリはその言葉を言ったのは自分ではない誰か他の人の様な気がしていた。


 それでも、受け取った花束の重みと柑橘独特の爽やかな甘い香りが、サリの腕の中にあるブーケが間違いなく実在している本物であることを伝えてくる。


 足元もふわふわとしてまるで夢の中の出来事のようだ。



「私が思っているより、あの男は、サリのことをきちんと考えているのかもしれんな」


 ガッカリしているのか、喜んでいるのか。

 判断が付きかねるような事を呟く父が面白くて、サリは母と顔を見合わせて、泣き笑いで頷きあった。





 先に大聖堂へと向かう母と弟が、ヴォーン家の馬車の窓から手を振るのに応え手を振り返し見送る。


 花嫁と父は一番最後に聖堂へ入り、参列者すべてに見守られる中を新郎のところまで、花嫁を送り届けるのが習わしだ。

 招待客や親族がきちんと着席する前に、到着してしまう訳にはいかない。

 教会へ到着する迄の時間が、父と娘に許された特別な時間となる。


 ふたり残された居間で、花婿シーラン伯爵家が用意してくれる馬車の到着を待つ。


「本当はな、お前が辛うじてだろうが貴族位であるというだけで、准男爵家の令嬢だから身代わりとして望まれたというならば、王家に爵位を返上しようとしていたんだ」


「お父様?!」


 突然の父の告白に、サリは声を張り上げた。

 ダルはそれを動く右手で軽く抑える。左腕は革製の補助具で支えられている。

 母の懸命なリハビリ介助により多少は動くようになったようだが、肘関節を正常な位置に保持する力に欠けた左肘が、人や物との衝突など予期せぬ方向に動いてしまわぬように肩から吊っている。

 特注の式服の下に隠れてはいるが、その分、元々たるの様なダルの身体は福福して見えた。


 ユーモラスにすら見えるようになった自身を誇るように、ダルはサリに向かって茶目っ気たっぷりにウインクした。


「かあさんには内緒にしてくれ。勝手な事を、と怒られそうだ。だが、私の命を救う為に、お前が不幸な婚姻を、ただぎりぎり貴族位を持つ令嬢だからという理由だけで選ばれるような結婚をして欲しくなかったんだ」


 その顔には後悔と苦悩が刻み込まれていた。

 自分が判断にミスしたその結果を娘に押し付け未来を奪ってしまったという後悔がありありと浮かんでいる。勿論、使用人を庇ったその行為自体を悔やんではいない。だがそれ以前に、夜の豪雨を強行軍で突破しようとした判断を、死ぬほど悔やんでいた。


「だが……王家から許可が出なかった。済まない。怒りのあまり馬鹿正直に『娘をあの男と結婚させたくないからだ』などと告げてしまうんじゃなかった。内面は最低だが、あれでも王太子の側近だ。それとの縁を嫌がってなんて理由では受けて貰える筈がなかったのに」


 頭に血が上り過ぎた、とダルは頭を撫で挙げた。


「あいつはサリが寝込んでいても見舞いに来ず、成人する特別な誕生日も無視した。もう、今日が婚姻直前だろうが関係ない。王家が爵位返上を認めなかろうが、この国を捨てて皆で逃げ出してやろうかと考えていた。商会のこともあるしあまり無責任なことはできない。代々続けてきた家業だ。だが、だからといってお前の幸せを犠牲にしていいのかと。悩んでいる内に、今日になってしまった」


 商談であるならば、どんなチャンスも逃すことなく決断できる自信があった。

 だがそれが、娘の未来と、商会そしてそこで働くすべての者の未来を秤にかけるような決断は簡単にはできなかったのだ。


「そうしたら、陽も昇らない時間に使者が来て、これを置いていったんだそうだ。サリに直接渡したいといったらしいが寝ていると答えると預けてそのまま帰っていったと。それを聞いて、私は、この時期に、サリの為にオレンジのブーケを探してくるくらいには心にお前がいるならば、もしかして、あの男は、ただ不器用なだけの男なのかもしれんと、思ってな」


 六月に結婚する花嫁は幸せになれるという――。

 沢山ある花嫁に関するジンクスの内、最も有名なのはこれだろう。


 その由縁には諸説あるが、そのひとつがオレンジの花が咲く季節だからというのがある。


 オレンジの実は一年中でも実っているが、花が咲くのは六月頃だ。


 まだ三月の中旬であるこの時期にオレンジの花のブーケを用意するのは、ヴォーン商会の会長であるダルにとっても簡単な事ではない。


「なぁ、サリ。お前はどうしたい? 契約だからとか商会のことなんかはお前は考えなくていい。それはお前の親である私がどうにかすることだ。お前は、この結婚をどう思っているのか、教えておくれ」


 訥々と、時に額を撫で、頬に手をやり、視線を指へと彷徨わせ、今更だと言われるとでも思っているのかとても口にし難そうにしながらも、ダルがサリに問い掛けた。


 その言葉は、サリに取って、とても特別で、大切なものとなった。


 ――自分は、家族にこんなにも愛されている。


「あの、あのね、お父様。私、わたしは、教授の事が……」


 サリは、はくはくと何度もその言葉を口にしようとして、なかなか想いに付けた名前を、声に出せないでいた。


 まだ本人へも伝えていないのだ。


 その自分の気持ちを世界中の誰より先に、自分の父親へと告げるのは、なかなか難しいことである。


 だが、言葉にされずとも、その娘の表情だけで伝わってくるものがあるのだ、父親として。

  

「あぁ、あぁ。そうだろう。そうだな、分かってたんだ。本当は」


 向かい合わせに座っていたダルが、サリの隣に移動して、その愛しい娘の肩を抱き寄せた。

 頭に触れないよう、そっと頬を寄せる。


「幸せにおなり、可愛い愛しい娘。でもいいかい、忘れないでくれ。やっぱり無理だと思った時には、いつだって帰ってきていいんだ、と」


「お、とうさま」


 サリの青い瞳に、涙の膜が溜っていく。

 今にも零れ落ちそうになるそれを、ダルは慎重にハンカチで吸い取った。


「駄目だよ、サリ。せっかく世界一美しい花嫁にして貰ったんだろう? 彼に見せつけてやるまでは、絶対に涙で汚してはいけないよ」


 父の言葉に、サリは小さく笑って何度も頷いた。


「そうね。ヴォーン商会たるもの、商品は最高の状態でお客様に提供できるよう努めなくてはね」





 一刻後、ついに迎えの馬車が到着すると、父はうやうやしい手つきで愛しい娘をエスコートして乗り込んだ。


 新郎であるアーベル=シーラン伯爵家が手配してくれたのは、花嫁とその父を乗せるに相応しい白樫で作られた豪奢な馬車だった。


 白樫という木材はその高い弾性により、馬車の揺れを抑えてくれる為、とても乗り心地が良いのだ。貴族の間でもとても人気が高い。

 だが虫食いひとつできただけで周辺部が黒ずんで使い物にならなくなってしまうなど太く美しく育てるのが非常に困難な木でもある。よって希少性が高く、他の部材で作られた馬車よりひと桁は高額だ。


 そして、ヴォーン家に迎えに来たキャリッジは、白樫のやわらかな淡い色合いを生かし春の花と美しい女神が彫り刻まれ極限まで磨き上げられており、まるで鉱物のような光沢をしていた。馬車全体が芸術品のようだった。


「なるほど。確かに財だけは有り余っているらしい」


 ついその素晴らしい職人技に見惚れていると、まったく同じような表情で座面に張られた艶々の天鵞絨を撫でていた父ダルがそう呟いた。


 似たもの親子だわ、と、サリは心からの笑顔を父へと向けた。





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[良い点] 父、最高だわ。
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