第三話 英雄魔法使い
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赦してよぅ、と泣き真似をする美しき友人に、周囲から笑いが生まれる。
明るい性格のエブリンは話が巧い。いつの間にか人の心の隙間にするりと入り込み、友人になってしまうのだ。商家に生まれたサリよりずっと情報通だ。
「えーっとね、じゃあ基本情報からねー。“サー・クリームケーキ”本名フリッツ・アーベル=シーラン。この学園の医科大学教授であり上級医師でもあるわ。かの有名な英雄魔法使いでもあるのよ。つまり、この学園で一番有名な御方でもあるわ!」
がちん。サリは思わずお皿にフォークを突き立ててしまった。
それほど吃驚したのも仕方のないことだ。
この国で、魔法使いと呼ばれるのは唯一人。奇跡を起こせると言われるたった一人の医師の事を指す。
サリが10歳になった年の事なのでもう6,7年も前のことだ。王太子殿下が開かれた冬の狩り大会において、冬籠りをし損ねた巨大な熊が暴れたのだ。
空腹で狂ったその熊は、兎やキツネを狩る為の取り回しの良い小さな弓しか持たない貴族を襲い喰い殺すと、そこに居合わせた他の貴族たちへ襲い掛かった。
馬を駆り逃げ惑う貴族たちは、不運にも雪が降ってきたこともあり馬の機動力が落ち、次々とその強大な爪の餌食となっていく。
このまま人の肉の味を覚えた熊を放置しては近隣の村へ大変な被害をもたらす事になると危惧した王太子殿下の指揮の下、殿下の警備に当たっていた近衛や残された数名の貴族たちは体勢を建て直しを図る。死闘の末、なんとかその巨大熊を倒すことに成功した。
しかし、最後の最後で止めを刺した筈の熊の雄たけびに驚いた王太子殿下の乗る馬が体勢を崩して落馬。
道連れを望んだのか、熊の最後の一撃は、王太子殿下の掲げた左腕の盾ごと叩き潰したという。駆け付けたひとりの貴族が揮った剣が熊の眼を貫いて、ようやくその暴挙は止められた、というなんとも凄惨な話である。
そうして、なんとか熊を仕留めた王太子一行であったが、肝心の王太子殿下の左腕は熊の破壊力の前に無残に引き千切られ、切断の憂き目に。大量の出血に、その尊き命までもが危ぶまれた。
しかし、そこに居合わせ、熊への止めを刺したのが、王太子殿下の学友であり、医師でもあったフリッツ・アーベル侯爵令息であった。
アーベル侯爵家の三男であったフリッツは、見事な手腕により切断された腕を縫合。なんと元通りとまではいかなくとも指を動かせるレベルでの再建術に成功したのだった。
この功績により、侯爵家の三男であったフリッツは伯爵位を与えられ、人々からはその奇跡の手腕を讃えて魔法使いと呼ばれるようになったのだ。
「やだ。魔法使い様のお話くらい、幾ら世情に疎い私でも知っているわ。けれど、でも、まさか魔法使いが、“サー・クリームケーキ”なんて呼ばれるなんて」
そう呟いたサリの目に、先ほどの教授が姿勢正しく美しい所作で愛しそうにケーキを一口ずつ味わって食べる様が思い浮かんだ。
意地悪そうだった瞳を弛ませ、一口ごとに幸せを噛みしめるような姿だ。
「だって、魔法使い様なら幾らでも高いケーキを好きなだけ食べることだってできるでしょうに。なのに、学園の食堂で出されるデザートのクリームケーキを、あれだけ美味しそうに食べるのよ? そりゃー、綽名にだってされるわよ」
ケラケラと笑い飛ばしたエブリンが、さりげない仕草でサリに残された分のクリームケーキへと手を伸ばしてくるのを叩き落した。
「失敬失敬あはははは」
バレてしまったそれを誤魔化すように、エブリンは教授の情報を口にし続けた。
一応、この学園で教授としての籍はおいてあるものの、王太子殿下に請われて王族の医師団としても名を連ねている為に、ほとんど学園には姿を現さないこと。
王太子殿下からの褒賞として、王都の一の郭で最も静かな区画に邸を与えられ、そこでひとりで暮らしていること。
「婚約者は、ピアリー侯爵家の長女マリアンヌ様と言われるとてもお美しい御方よ。お二人が並んで立ったところはまるで絵画の様に美しいといわれているわ。一度だけマリアンヌ様をお見かけしたことがあるの! 社交界の華と言われるのも当然の美しさだったわ」
どきっ。突然の話題に、サリは息が詰まった。
だが、なぜ自分がこの話題に動揺せねばならないのか、サリにも理解できず首を捻る。
そういえば、まだ自分の周囲で婚約者を持っている者は誰もいない。
未知の物には不安を抱くものだ。だからだろうと一応の結論が出ると、サリは詰めていた息をほうっと吐いた。
「“サー・クリームケーキ”は凄腕の医師というだけじゃなくて、王太子殿下の剣の腕をもってしても死闘となった大熊を仕留めるほどの腕前を持つ剣士でもあられるし、本当にお似合いだと思うの。あぁん、早く結婚しないかしら!」
「ふうん。エブリンは、有望な独身男性が減ってもいい派なのねぇ」
「あら。だって、見目麗しい男性と、美しい女性の間に生まれたお子様はきっととても麗しい見目をされているわ! 上位貴族の方々が幸せな結婚をされると世間は華やぐじゃあないの。きっと皆、結婚という言葉に惹かれるわ。その時こそ、未来の旦那様を捕まえるチャンスだと思うわ!」
歌うように続けるエブリンと、「きゃー」と囃し立てるクラスメイト達。
はしゃぐ理由はなんでもいい彼女等に、サリは呆れたような視線を投げかけたけれど、楽しそうなエブリンはまったくサリの様子に気が付かなかった。