第二十三話 サムシングフォー
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「式に関してなにかイメージのようなものはありますか。花が沢山使われている方がいいとか、有名な歌手を呼んでお祝いに歌を歌って欲しいとか」
「シンプルなものがいい。ただし金に糸目はつけないで欲しい」
「かしこまりました。シンプルかつ上質を目指します。式の後のお食事は、ご友人や遠戚の方々には立食、ご家族や賓客の方々にはフルコースを饗するのが一般的ですが」
「ではそれで。だが招待客はそれほど多くないぞ」
「しかし、大聖堂での挙式で招待客の規模が小さいというのは聞いたことがございません。家族のみというのは許されるのですか?」
「……最低規模を確認して連絡して欲しい」
「かしこまりました。では、最低規模を確認した上で、招待客のリストを練ることに致しましょう。両家で半々の人数ということで宜しいでしょうか」
「あぁ」
「かしこまりました。では次に、新郎様のご衣裳についてですが、アーベル=シーラン家の執事に確認したところ、普段から当ヴォーン商会の工房をご利用戴いているそうですね。ありがとうございます」
サリが深々と頭を下げると、フリッツは怪訝な顔をしてそれを否定した。
「いや、僕はいつもフレデリカの工房を使っている」
「はい。フレデリカドレス工房へは当ヴォーン商会が出資しております。取り扱っている布やレースなども全て当商会からの納入です」
「……そうなのか。ならいい。続けてくれ給え」
教授が手元にある書類へと目線を戻した。
大きな身体を再び椅子へと預けた瞬間、ぎしっと鈍い音がした。
仕立てのいいスーツ、ピカピカの革靴。
足を組んで書類を読むなんて、行儀悪く見えてもいい筈なのに。サリの目の前にいる教授は、そんな傲慢な態度であっても、背筋が伸びているせいだろうか、つい目が惹かれてしまう。
サリは強引に自分の視線を教授から剥がすと、手にしたチェックシートを読み上げた。
時間も無いのでどうにかして学園で教授を捕まえて放課後にでも時間を貰おうと思っていたのだけれど、教授の方から誘って貰えて助かった。
「はい。つきましてはお色や型のご希望を承った上でデザイン画を作成し、OKが出た時点で工房でお預かりしている新郎様の採寸データを基に仮縫いまで済ませてしまおうと思っております。よろしいでしょうか」
「新郎の服なんか、新婦のドレスに合わせる物じゃないのか」
「はい。今からでは時間が足りないので、新郎の衣装に合いそうな既製品に加工を施そうかと考えております」
「既製品……そういえば、マリアンヌもウェディングドレスを仕立てるには時間が必要だと言っていたな」
マリアンヌ、という名前をフリッツがなにげなく呟いた。
その一瞬だけ、それまで完全にビジネス対応であったサリの眉がきゅっと中央へ寄った。
しかし書類から目を離す事すらしないフリッツがそれに気付くことは無かった。
「既製品がお気に召さないようであれば、親族の中で誰かウェディングドレスを貸してくれる者を探してみます。残念ながら、母のドレスは私には大きすぎて無理なのです」
サリの母親はサリより頭一つ分背が高かった。父であるヴォーン准男爵より高いのだ。ほっそりとした体つきと小作りな顔立ち、なにより青い瞳は母親そっくりだったが、背の低さだけは父方の家系が出たようだ。
それだけ身長差があると、スカートの裾を解いてのお直し程度ではどうにもならない。一度綺麗に解いてひとつひとつのパーツを洗い直してから新たな布との差を無くし、新しく縫い直す必要が出てくる。新たに仕立てるよりもずっと時間が掛かってしまうのだ。
「借りる? ……一生に一度のドレスを、レンタルで済まそうというのか」
フリッツは借りたもので済ますことにも拒否感があるようだった。
今からでも新しいドレスを仕立てることはできるかもしれないが、作るにしても余程シンプルなデザインのものになるだろう。
生地も扱いの難しい練り絹やチュールレースなどを使うことが出来なくなる。細やかな刺繍など以ての外だ。
サリは、荘厳な大聖堂に敷かれた赤い絨毯の上を、練習作の様な生成りの木綿でできたドレスを着て歩く自分を思い描いて慌てて頭を振った。
フレデリカがデザインしたならば、たとえ使う生地がただの生成りの木綿であったとしても、サリの想像したような野暮ったいドレスはあり得ないだろう。
それでも。一生に一度の結婚式に、やっつけ仕事のように仕立てられたドレスを着て挑まなければならないことが酷く苦かった。
「レンタルとは違いますね。サムシングフォーはご存じありませんか? 幸せな結婚になる為の古くから伝わるオマジナイです」
サリは、相談内容を纏めたチェックシートをテーブルに置いた。
ランチはすでに食べ終わっていて、サリの焼いてきた苺のパウンドケーキと今は珈琲がそこに置かれている。
最初は食べながら確認を進めようと思っていたのだが、さすがに食べている最中にメモを残すのは不作法すぎるとふたりで食べることに専念したのだった。
ランチを取る教授の所作は綺麗で、サリはこっそりとそれを盗み見るだけで胸がいっぱいでなかなか食事が捗らなかった。
勿論、苺のクリームケーキを見つめる時のように、あの灰色の瞳が優しく色を変える訳ではなかった。
それでも、ふたりきりで食事を取ったのはある意味初めての事で、サリは十分浮かれてしまったのだ。
まさか、食べ終わった途端、フリッツが書類から視線を外しもせずに「確認事項があるなら聞いてくれ給え。何でも答えよう」などと突き放されるとは思いもしなかったが。
サリはちいさく息を吐くと、「明るい接客。よし」と小さな声で気合を入れ直し、説明を始めた。
「『何か古い物』子々孫々血を繋いでいる証そして未来へと引き継いでいくものを表します。貴族家の方々ですと代々伝わるヴェールやネックレスなどの宝飾品が多いようですね。『何か新しい物』これから始まる新しい暮らしの象徴です。白い長手袋が一般的だとされていますが決まっている訳ではありません。ただし色は白いものを用意します。『何か青い物』青は純潔を表わすとされています。新婦の衣装は白と決まっていますから、ドレスの内側に小さな青いリボンや宝石などを縫い付けるんです。そして『何か借りたもの』これは幸せな結婚生活を送っている友人や隣人から、何か借りて身に着けます。ハンカチやリボン。ちいさなアクセサリーが多いです」
そこまで一気に説明をする。
“6月の花嫁は幸せになれる”
“ブーケは新郎から贈られるオレンジの花”
“サムシングフォー”
多分これ等は全てこの国の女の子なら誰でも知っているお話だ。
けれどもサリは、その内のひとつも叶えられないに違いなかった。




