第二十話 教授からの招待
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「おはよう。サリ・ヴォーン。朝から元気だな」
「……お、はようございます、教授」
周囲の視線が自身と目の前に立つ偉丈夫へと集まっていることをサリはこれでもかと感じて居心地悪く落ち着かない気持ちになるが、目の前に立つその人はなんら感じていないらしい。
普段通り、傍若無人な様子で立っている。
サリはそれが憎たらしくもあり、誇らしくもあり、愛しくもあった。
つい、見惚れる。
「本当は、家へ招待して話を詰めるべきだとは思うがなかなか時間が取れなくてね。今日の昼休みに私のところへ来てくれるだろうか」
「学園の教務員室で宜しいですか?」
「いいや、私の研究室で頼む。読んでおきたい論文があるんだ」
「了承致しました。昼食を早めに済ませてからお伺いいたします。ただ、医科大学のある学部棟へは足を踏み入れたことがないので、少し遅れるかもしれません」
「昼食は研究室で一緒に取ろう。食事をしながらでも打ち合わせはできるだろう」
「わかりました。授業が終わりましたらすぐに移動致します」
「ああ」
熱を感じさせない事務的な会話。しかしその内容は、学園の教授と生徒間で交わされるには少々私的なものすぎた。更に言えばサリが父の惨劇により学園を休みだす前のあの険悪さを知っているものからすれば、あまりにも距離の近い親密なものだった。
なのに、サリは了承を令嬢らしく腰を落として伝えると教授はそれに満足した様子で軽く頷いただけで去っていってしまった。
距離が近いのか遠いのか。周囲にはまったく判断が付きかねた。
そうして勿論、その疑問に遠慮なくスパッと切り込んだのは、エブリンだ。
「サリったら。いやだ、いつの間に教授から一緒にランチをなんて誘われるような仲になったのよ」
エブリンが、きゃあっと黄色い声を上げながらサリの腕を取る。
サリはそれに苦笑で答えた。
「父の手術をして下さったのは、教授なの。偉大なる魔法使い様が、風前の灯火だった父の命を救って下さったのよ」
わっと周囲から歓声が上がった。
学園に通う者として、教授の偉業に喜ぶ。
ヴォーン商会長を襲った悲劇のあの日からしばらくの間、サリだけではなくフリッツ・アーベル=シーラン教授も学園を休んでいた。
意識不明の重体であるとか実は即死であったのを隠しているのだと情報が入り乱れていたヴォーン商会長の生存が、娘であるサリの名前でヴォーン商会全体へと通達され人々の知る所になると、あの日教授が突然学園を休んでいた事実と重ねて『またしても彼がその奇跡の御業で商会長の命を救ったのではないか』という噂が囁かれるようになった。
しかしそれまでの両家、特にフリッツとサリの関係があまりに拗れて険悪になっていた事を知っていた人間や学園の生徒たちは、その噂に頷くことができなかった。
魔法使いという異名を持つ教授は勿論のこと、有名なヴォーン商会の一人娘でありながら奢るところがなく成績優秀でいつも笑顔で心が広いサリ。
ふたりはある意味学園内の有名人であり、まったく支持層は違うが人気者同士である。
そのふたりが和解した事にホッとした生徒は多かった。
勿論素直に受け止めただけではない生徒もいる。
その一人が、サリに詰め寄った。
「ね~え~? ホントにそれだけなの? なーんか。距離が近かったんじゃなぁいー?」
ウリウリとエブリンがサリの脇腹を肘で突いた。
にやにやしたその笑顔に、サリは苦笑した。
「エブリンのその声を聞くと、『あぁ、学園に帰ってきたんだなー』って実感するわ」
「どういう意味よ、それ!」
周囲と一緒に笑い合っている内に、予鈴が鳴った。
「ごめんなさい。私、教務員室へ顔を出してこなくっちゃ。また後で、教室でね」
そう言っておきながら、サリはなかなか教室へと戻ってこなかった。
ようやくクラスへと合流できたのは午前中最後の授業の途中からであった。
「すみません。遅れました」
「ひさしぶりですね、サリ・ヴォーン。学園に復帰できてなによりです。遅れた分の授業については後日改めて話し合いましょう。さぁ、席に着きなさい」
授業は、王宮などで採用されている白地図の折り畳み方の実習中だった。
書類と同じ大きさに綺麗に揃うように、かつ紐で閉じた際に邪魔にならないように畳むのはなかなか技術が必要だ。
添付する地図の大きさが大きくなればなるほど畳み方は複雑になる。
最終学年であるサリたちのクラスでは、各個人に割り当てられた机二つ分の大きさの紙を畳む練習中であった。
卒業試験では時間内にコレと同じ大きさの紙を実際に折り、その場で採点されるという。
実際の試験と同じとあって誰もが真剣な表情だ。
サリは、この授業が好きだった。幼い頃、商会でそれを折る本職の方々の迷いのない手付きに見惚れた。
大きな紙が魔法に掛けられたように畳まれて他の書類と同じサイズになるのも、黒紐で綴じられて、頁を繰る事が出来るのも、綴じられたまま元の大きな地図に広がるのも、そうして再び書類と一緒のサイズに戻せるのも。
そのすべての過程が魔法のようで、いつまでだって見ていられた。
自分なりに本職の方の動きを覚えて真似をして、紙をぐしゃぐしゃにして涙で枕をぐしゃぐしゃにしたことも数知れず。けれど、初めて自分なりに綺麗に折れた時の感動は今も憶えている。
教師から実習用の紙を受け取り、クラスメイト達が悪戦苦闘している中を自分の机に向かう。
途中でクラスメイトから小さく手を振られるのに応える度に、自分が学園に戻ってこれたのだと実感が募り、サリの胸は温かくなった。




