第二話 サー・クリームケーキ
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昼時の食堂はいつものように混み合っていた。
前の授業に関する質問をしていて出遅れたサリは、安いセットが残っていることを祈りつつ、走らない範囲で廊下を急ぎなんとか最後の一つであったCセットを確保することに成功した。
「ふふ。良かったねぇ、サリちゃん。あとはスペシャリティしか残ってなかったよ」
鍋底を攫う様にしてお皿へ盛り付けてくれた陽気な調理人が、恐ろしい事をいう。
サリはわざとらしく震えてみせながら「やだ。そんなことになったら週が始まったばかりだっていうのに、明日からお昼は水だけになっちゃうところだったわ」とお道化て応えてみせた。
腹をゆすって笑う調理人から、「はっはっは。ヴォーン商会のご令嬢ともあろう御方がねぇ。まぁ、旦那は儲けより人情第一主義だからねぇ。ホラ、これ内緒だよ」そう言われて形の崩れた小さなケーキを差し出され、サリは笑顔で礼を伝えて、Cセットのパスタとサラダ、そしてオマケのケーキが載せられたお盆を受け取ったのだった。
周りを見渡して、先に食堂へ来ている筈の友人の顔を探す。
その時、混雑した食堂内に、ぽっかりと空間が開いていることに気が付いた。
その空間の真中に座っているその人は、まっすぐな姿勢で、ゆっくりと、ひと口ひと口を味わう様にして小さなフォークを口元へと運んでいた。
「あの人……」
記憶の中の、皮肉気な表情をした冷たい男性。
その人が、静かに淡々と口元へ運んでいるのは、サリのお盆の上に載せられている小さな白いクリームのケーキと同じ物の筈だ。
ただし、勿論サリの皿の上では崩れて倒れてしまっているが、視線の先にある教授の前の皿の上にあるそれは、真っ赤な苺が綺麗に真ん中に載っていた。
澱みなく動かされる小さなケーキが、頼りなくも小さなケーキを削り取っては、教授の大きな口へと運んで行く。
しかし、どこまでいっても小さくなっていくケーキは倒れることなく、大きな教授の前に鎮座しているままであった。
これ以上削り取られたら苺がのる面積が無くなる。
そう思った時、教授はすっと魔法のように、小さなフォークで苺をクリームごと掬い取り、大きな口へと運んで行った。
なんということだ。サリならば、間違いなく一度は苺を皿から滑り落とす事だろう。
クリームと赤い苺を頬張っているとは思えないほど、その人は上品に、けれども間違いなく、先ほどまでだって十分すぎるほど幸せそうだったにも拘らず、よりずっとずっと、ずーっと幸せそうな顔で、その特別なひと口を味わっていた。
昨日のあの感じの悪い人と同じ人だと思えない。
そんな失礼な事を考えていたところで、サリは横から名前を呼ばれた。
「サリ! どうしたのよ。席を取ってあるのはあっちよ。行きましょう」
同じ一代爵、ただし誉れある王国騎士を父親に持ち初等科から学園に所属しているクラスメイト、エブリンにポンと肩を叩かれて、サリは不用意に声を上げてしまった。
慌てて首を竦めるも、ばっちりと教授と視線が合わさった。
この学園は貴族のみが通うことが許されている。ただし義務ではなく自宅で家庭教師を雇う家も多い。
実際に初等部から入学を果たすのは下位貴族の子女ばかりだ。下位にあってもある程度以上裕福ならば家庭教師をつけて家で教育を施す。それがままならない家の為に国が用意した教育機関が国立学園の始まりだった。
初等部は10歳から14歳まで何歳からでも入る事が出来る。どちらかといえばマナー教育と子供の保護が主題となる。
この初等部を卒業すると次に入れるのが中等部。こちらでは共通言語やダンス、そして貴族として知っておくべき基本的な知識を履修することになる。家の意向でここで家に戻る令嬢たちは多い。
そうして、貴族として独り立ちする為の職を求める子女向けに、少しだけ専門的な知識や技能を教えるのがサリ達の通っているこの高等部だ。専門的な知識や技能を教わる。
そこで優秀な成績を修め、更なる研鑽に勉める者たちが進めるのが、大学校部である。医師や法律家といった高度な勉学を修める為の専門機関でもある。あの教授は、このこの国の最高学府で教鞭をとっているエリート中のエリートということだ。
ニヤリと笑われ、慌ててサリはエブリンからすら顔を背けるように、教授が座っていた場所と丁度反対になる方向へ歩き出した。
「ちょっと。何をぼんやりしてるのよ。いい男でもいた? 席が取ってあるのはあっちよ、サリ」
「ふっ」
視線の先にいた人が馬鹿にしたように鼻で笑った事がはっきりとサリにはわかった。大して大きくもなかったそれは確かに耳へ届き、サリの顔をいっそう赤く色付かせるのだった。
「なるほどねぇ。もしかしてサリは、“サー・クリームケーキ”に食堂で会ったのは初めてなのね?」
「“サー・クリームケーキ”? なにそれ」
既にほぼ食べ終えていた友人は、サリの皿の上に載せられた崩れたクリームケーキに目が釘付けになったまま話し始めた。
「食べてもいいけれど、ちゃんと私の分も残しておいて。あと、苺は駄目。私のだから!」
許可を出せば、興味なさげにしていた席の隣に座っていたクラスメイトまでがサリの盆の上の小さな皿に手を伸ばしてくる。
諦め気味にその様子を見ながら、サリはあまり熱心にならないようにCセットのトマトと海老のクリームパスタをフォークで突いた。
食べながら話をするのはみっともないと一応は教えられているが、淑女科に通う本物のご令嬢方とは違うのだ。許して欲しい。ここにいるのは皆一代爵の准男爵家や騎士爵の令嬢や没落寸前貧乏男爵家の令嬢ばかり。令嬢として学園に入学する資格がある内に、手に職を付けようと集まってきたガッツ溢れる人材ばかりだ。
自分で買えない甘味を味わえるチャンスを逃す者はひとりとしていないのである。
未知の単語“サー・クリームケーキ”が指すものがなんなのか。サリ自身に推測はついているものの、その詳細について知りたいという欲求を言い当てられるのは何故か腹立たしい。だから誤魔化すついでに差し出したのだけれど、さすがに赤い苺が奪われそうになるのだけは見逃せなかった。
「もうっ。私の分と苺だけは残してって言ったのに!」
「ごめーん。齧っちゃった。返した方がいいかしら?」
令嬢ともあろう存在が、そんなにがめつくていいのかと夢も希望もないなと思いつつ「もう。この貸しは高いからね!」とサリは恨めしく思いつつも無遠慮な友人の振る舞いを許した。
そう。まだクリームケーキ自体は皿に残されている。ほんのひと口分だけだが。
「ありがとう。だからサリが好きよ。とっておきの情報も何でも提供するわ。何でも聞いて?」
「”サー・クリームケーキ”について?」
「“サー・クリームケーキ”についででも、他の事でも何でもよ!」
安請け合いするなぁと少し呆れて、サリは上機嫌で赤い苺を口へ運ぶ友人の顔を見遣った。
果汁たっぷりのそれを齧った口元から、赤い汁が垂れてくる。
「やだもう。栄えある王国騎士様を父に持たれるご令嬢が、なんということなの!」
笑いながら、ナプキンを差し出す。
さっきの教授は苺を取り落とすことも、汁を口元から垂らすこともなかったな、とぼんやりと思い出して、サリは慌ててその姿勢のいい姿を頭から追い出した。
「あはは。ごめんごめん。でもさ、実家では超質素倹約だから! 正直、大商会をご実家に持たれる准男爵家のご令嬢と違って、苺なんて贅沢なものを口にするのは、この学園に入学が決まったお祝いの席が最後なのよぅ」