第十五話 撤退
「やっぱりだめね。一度退くわよ。このままじゃ絶対に勝てないわ」
「何言ってんだ! すぐそこにいるんだ! それにこれ以上皆を危険な目に合わせるわけには――――――」
そこまで言いかけたところで灰里はファーゼに頬を思いっきりビンタされた。
ぱあんという音が廊下まで響く。
襟首を捕まれぐいっとファーゼに詰め寄られる。
「いい加減にしなさい! このまま戦っても負けるのは目に見えてるわ! 私達が負ければ他の生徒はこいつの思うがままよ! 全員死ぬことになるわ! それでも良いの!」
「……っ!」
たしかにファーゼの言う通りだ。
ここで灰里達がソーレに負けてしまえば学校にいる人間を助ける者は誰もいなくなる。
ずっと騙されていたと怒りで沸騰していた頭がビンタとファーゼの言葉ですっかり冷え、灰里は冷静さを取り戻した。
「……わかった! ここは逃げるぞ! ソーレとか言ったな! すぐに戻ってきてお前をぶっ飛ばすからな! 待ってろよ!」
「あら? 何をもう逃げられた気でいるのかしら?」
びしっと指を突き付けると、ソーレは不敵に笑う。
「ふっ! おいおい。ただの人間の俺が奥の手もなしにこんな場所までくると思うのか? さっきお前に飛びかかったときにちゃんとお前の背後に投げておいたんだよ。気が付かなかったろ?」
何を投げたかは言わず不敵に笑い返すと、ソーレはやれやれと首を横に振った。
「はったりね。わたしがそんな子供騙しに引っかかるわけがっ!?」
自信満々にはったりだと決めつけていたソーレの体を急速に膨れ上がった白い煙が覆った。
「残念だったな! はったりじゃないぜ。それじゃあな!」
「くっ!」
ソーレの悔し気な声が聞こえると共に、魔力の弾丸が飛んでくるが狙いが適当なため当たらずにすんだ。
無事ファーレと共に放送室から脱出した灰里はとりあえず身を隠すために校舎に併設された図書館へと逃げ込む。
「……ふう。とりあえず追っては来てないみたいだな」
「……そうね」
図書館の中を見て回るが図書館に来ていた人は全員眠ってしまっていた。
起こそうと体を揺らして見るが全く起きる気配がない。
「やっぱりだめか。ソーレを倒すしかないのか……」
問題はどうやって倒すかだ。
ソーレを倒す方法を考えて顔を顰める灰里をファーゼがちらちらと見だす。
「なんだよ? どうかしたのか?」
「……いえ、別に? 何でもないわ」
ちっとも何でもないことなさそうな様子のファーゼに灰里は首を傾げるしかない。
「何か気が付いたことでもあるのか?」
「……違うわ。えっと……その……あなたはさっきのことを怒っていないの?」
「さっきのこと? ……なんのことだ?」
「そんなのビンタして説教したことに決まってるじゃない」
どうやらファーゼはビンタして説教までしたことを灰里が怒っているかもと思っていたらしい。
道理で放送室から逃げてここに来るまでの口数が少なかったわけだ。
「怒ってる……わけないだろ。むしろ感謝してるぞ? ファーゼがいなきゃ俺は怒りのまま何も考えずソーレに突撃を繰り返してただろうしな。本当にありがとう」
にっと笑ってやるとファーゼは顔を真っ赤に染めた。
「べ、別にあなたの為にしたことじゃないわ! あのままあなたがソーレとかいう雑魚に殺されたら私が大魔王になれないからよ! 勘違いしないでちょうだい!」
余計なことを言ってファーゼを怒らせてしまったみたいでファーゼは赤い顔で早口でそれだけ告げると顔をそむけてしまった。
「……ところで今のファーゼの言葉で気になるところがあったんだけど」
怒ったままのファーゼに質問するのもどうかと思ったが、疑問点はすぐに解消すべきと思い直し、思い切って質問をすることにするとファーゼは相変わらず赤い顔のままでこちらを睨んだ。
「なによ!」
「今ソーレのことを雑魚って言ったよな?」
「言ったけれど? それがどうかしたの!」
「えーっと、ソーレ本人が上位サキュバスって言ってただろ? 上位ってことは……強いんじゃないのか?」
「あー……なるほど。そこにひっかかってたわけ」
ふうとため息をつくとすっかり元の状態に戻ったファーゼが物覚えの悪い子供に教え諭すような態度で説明し出した。
軽くイラッと来たがここで口を挟むとまた話が逸れるのでぐっと堪える。
「いいこと? まず私の世界では魔族が生態系の頂点に立っているわ」
「魔族? ええと、魔力が使えれば魔族って言うのか?」
灰里の素朴な疑問にファーゼは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……まあ厳密には違うのだけれどとりあえずそう思っておきなさい」
「何か嫌そうだな?」
「当たり前でしょう? そうね……あなたの感覚で言えば『二足歩行できれば人間なの?』って言われているようなものよ?」
「……なるほど」
たしかにそんなことを言われれば苦虫を噛み潰したような微妙な顔にもなるか。
「話を戻すわ」
ファーゼが言うには、ファーゼが魔王として支配している世界では生態系の頂点は魔族がとっているが、魔族でもさらに強い力や権力を持つものは上位魔族と呼ばれているらしい。
上位サキュバスと言ったソーレは分類では上位魔族にあたるらしい。
それならやっぱり強いんじゃないか? と思った灰里だが、ファーゼの説明にはまだ続きがあった。
「そしてここからが重要な所よ。よく聞きなさい。私が元の世界で戦えば例え全上位魔族を敵に回しても勝てるわ」
「……魔王だからか?」
「魔王だからよ」
当然でしょという感じで言うファーゼに嘘をついている様子はない。
たしかにそれならファーゼがソーレを雑魚と呼ぶのも仕方がない。
事実としてファーゼが本来の力を取り戻せばソーレは雑魚中の雑魚に成り下がるわけだ。
「ということは……やっぱりファーゼに力を取り戻してもらうのが手っ取り早いのか?」
「そういうことね」
方針が決まったわけだが、だからといってどうすれば良いのかは相変わらずわからないままだ。