プロローグ
「ね、眠い……そしてだるい……」
教室の隅っこで春の陽気に屈しかけているのは世森灰里高校二年生。
特徴がない……わけではなく、普通……でもないかもしれないそんな十七歳だ。
「だからここはこうなるのね? わかった~?」
甘ったるく、そして間延びした声が教室に響く。
学校でも一番人気の教師、三垂楓の授業はひどくテンポがゆっくりなせいで毎回抗いがたい眠気に襲われる。
クラスの男子のほとんどは楓の授業中だけは元気いっぱいだが、女子はほぼ全員が眠気と戦っていたりする。
楓に興味の無い灰里も眠気と戦う側だった。
「灰里く~んここ読んでもらえる~?」
「あー……はい」
運良く、いや、運悪く指されてしまった灰里だが、おかげで眠気は少しましになった。
教科書を手早く読み席に座る。
「はい。灰里くんありがとうね~!」
楓先生にウィンクされるとクラスの男子連中から嫉妬の目で見られた。
う、うざい……。
楓先生のことがむしろ苦手な部類のに灰里とってはウィンクされても全く嬉しくはないのでそんな目で見られても困る。
ちょうど授業終わりのチャイムが鳴り楓先生が出ていくと灰里はため息を吐いた。
「あぶねえ……寝るとこだった……」
なんとか今日の授業を無事寝ないで過ごすことができた。
部活をやっていない灰里は授業が終われば後は帰るだけだ。
「帰るか……」
欠伸と共に教室を出ると教室の外に女子がいた。
ぐるぐる眼鏡をかけた見るからに大人しそうな、図書委員でもやっていそうな女子だ。
「あの! 世森君!」
「ん? ……あー、そういや約束してたっけ。忘れてたわ」
「ひどい!」
授業の終わりに女子が会いに来たこの状況……全く嬉しくない。
面倒事の気配しかしないからだ。
経験上、知り合いとすら呼べないレベルの女子からの接触がまともな用事であった試しがない。
正直無視して帰りたいところではあったが、相手も一応昼休みに一度会いに来て約束を取り付けるという礼を尽くしてきているので邪険に扱うわけにもいかない。
名前はたしか真本とか言っていたはずだ。
「はあ……それで? 俺に何をして欲しいわけ?」
「ええと……ここではその……言いづらいです……」
色々とあきらめてため息をつきながら聞くと、女子改め真本が照れたようにつぶやく。
うーん……これだけ聞くと何か勘違いしそうだな……。
ちらっと教室を振り返ってみると案の定女子共がきゃーきゃー言い、男子全員の邪念の籠った眼が向けられていた。
やっぱり変な勘違いを生んでいた。
「それじゃ場所移すぞ」
「あっ、それなら良い場所を知ってますよ! こっちです!」
真本に制服の裾を掴まれ連行された先は人目のない校舎裏。
真本は灰里の制服の裾を離すと背を向けたまま数歩距離を取った。
「それで? 何の用なんだ?」
「何の用? 何の用って? 決まっているでしょう!」
口調がいきなり変わった真本が振り返ると、先ほどまでのいかにも図書委員といった感じの雰囲気はすっかり消え去った強キャラ感漂う赤い瞳の女になっていた。
髪の毛の色も黒から銀髪に変わっていく。
銀の長髪に若干ウェーブがかかり、風で流れる様は上質な絹のように滑らかで白く輝いて見える。
ぐるぐる眼鏡が外れた顔は少女の可愛らしさを残しながら海外セレブを彷彿とさせる整った顔立ちが目を引く美少女。
さっきまでの大人しい感じが嘘のように派手な女子に変身を遂げていた。
「あなたの命をいただきに来たのよ!」
言うなり真本が両手を上に上げた。
「死になさい! ラエプス!」
真本が謎の呪文を唱えた瞬間、頭上から出てきた銀色の槍が灰里の方に飛んできた。
「あぶねっ!」
頭の部分に飛んできた槍をひょいっと屈んで避けると槍は背後の地面に深々と突き刺さった。
躱していなければ相当グロテスクな光景が出来上がっていたことだろう。
「うまく躱したみたいね! でもこれで終わりよ! ドゥナスオート ラエプス!」
真本が再び両手を頭上に上げたが……何も起こらなかった。
「で、出ない? それならこれよ! デルドナ ラエプス!」
「しかし何も起こらなかった」
灰里の言葉通り結局最初のように槍が飛び出すようなことはなく真本は膝をついた。
「なぜ! なんで魔法が撃てないのよ!」
何かショックを受けているらしい真本の肩を灰里はぽんぽんと優しく叩いてやった。
「どんまい」
「なぜ私が元気づけられているの! というかあなたどういう神経してるの! 私はあなたの命を狙っていたのよ!」
「いやまあ殺されてないし……」
「それはまあそうだけど……」
「それに最近はよくあるからな。それじゃあもう用事も終わったみたいだし帰るわ。じゃあなー」
適当にひらひらと手を振って行こうとすると真本にズボンの裾を力強く掴まれた。
ベルトをしていなければ脱げているレベルの力強さに灰里はズボンが下がらないように必死で抑える。
「こ、こら! 離せ変態! 俺のズボンをどうする気だ!」
ぐいぐいとズボンを引っ張ってくる真本の手をべしべしと叩く。
「な、何をいかがわしい想像をしているのよ! 単にあなたが勝手に行かないように足止めをしているだけよ! 勘違いしないで!」
「勘違いと言うならさっさと手を放せ!」
「逃げたら許さないからね!」
ようやく真本から解放され、灰里はまたズボンを掴まれないように少し距離を取ってから向かい合った。
「それで? まだ何か用なのか変態女」
「ちょっと! その変態女と言う不名誉な名前はやめなさい! 真本というのは仮の名前、仮の姿、本当の私は異世界の魔王『レベ:ファーゼ』よ! 恐れおののきなさい!」
見開きにバーンという効果音がつきそうなポーズを取った真本改めファーゼを灰里は冷ややかな目を向けた。
「そっすか、それじゃあ俺は帰るんで。さようなら異世界の魔王のレべなんとかさん」
軽く手を上げて別れの挨拶を済ませると灰里はくるりと後ろを向いていこうとした。
「しかし魔王様からは逃げられないわ」
回り込まれてしまったわけではないにもかかわらず妙に自信満々で放たれたファーゼの言葉に灰里の足は自然と止まっていた。
最低でも週に一回は更新……したいなあ。