12.「茜色の殺意」
●【12.「茜色の殺意」】
フィンはもうずっと長いあいだ鏡湖をじっと見つめていた。
先ほどの会話からかなりの時間が経っていた。
何かを考えているらしい。殆ど一言も話さず、じっと鏡のような湖面を覗き込んでいるのだ。
二人の真上にあった太陽が、かなり西の方に傾いている。あと数十分もすれば夕暮れが始まるだろう。
ピリポはフィンの好きにさせていた。
思考を邪魔されたくないことは誰にでもある。
ことにフィンはそうだ。
最初はピリポも一緒に鏡湖を眺めていたが、しばらくすると飽きて、近くを一人で散策してみたり、桜翁の樹の下に行ってみたりもした。
桜翁の樹に呼びかけてみたが、桜翁は現れなかった。
フローリアの喪に服しているのか?それともどこかに出かけていないのか、桜はありふれたの葉桜のままだ。
太陽の光が茜色に変わり始めた頃、フィンが突然叫んだ。
「いける!これならきっといける」
突然のフィンの大声に草の上でうたた寝を始めていたピリポは驚いて目を覚ました。
「ど……どうしたのフィン?」
「思いついたんだ。竜王に……アデラードさんに会う方法を」
「えっ?でもフィン……アデラードさんに会ったって……」
最後に会った時のアデラードの悲しげな表情をピリポは思い出す。
あれは決意の表情だった。
竜王はそう遠くないうちにこの国を自ら滅ぼすだろう。あのとき、ピリポはそんな予感を感じていた。
おそらく竜王の元へ行っても会ってはくれないだろう。
「説得するんだ。ラドリアス陛下と一度話し合って欲しいって」
「ソーナ王と?」
「よく考えてみたら二人は一度も話し合った事がない。竜王にとっては自分の領地が、陛下にとっては自分の国が関わる大事な問題なのに、一度も相手と話し合った事がないなんて変だ」
「それはそうだけど……」
「だから、一度お互いが話し合える場を持てばいいんだよ」
フィンはずっとそれを考えていたのだ。
アデラードに会って話をすることできっと何かの解決策は見つかる。ソーナ族がたとえ全員竜王に背を向けても、ここは竜王の領地。ここにいる限り竜王アヴィエールに有利なことには変わりない。
もしも王と竜王を対話させることができれば、お互いが傷つかない円満な解決法だって見つかるはずだ。
「でも、そんなこと簡単に実現しないと思うけど」
「させるんだよ。僕らで」
フィンの声は高ぶっている。
「だめだ。できっこないよそんなの」
ピリポは激しくかぶりを振る。
「でもやるんだよ。ピリポ。それ以外もう方法がない」
「……フィン」
ピリポはフィンの思いの強さに反論をすることをやめた。
「……わかった。話を聞くよフィン。聴かせて。私たちは何をするの?」
フィンの顔がぱっと明るくなった。
「協力してくれるんだね?ピリポ」
「うん……」
ピリポがうなづくと、フィンはピリポの側にやって来て彼女の両手を取った。
「思いついたんだ。鏡湖の水底に行くための方法を」
「本当に?」
「うん」
「どうすればいいの?」
「それはね……」
そこまで言いかけたフィンの言葉が止まった。
「どうしたの?フィン」
「……シャーロッテ……」
ピリポが振り返ると、そこには白いローブを着たフィンと同じくらいの年頃の少女がいた。
晴れ渡った海の色のような深い青色の腰までの巻き毛と、子猫を思わせる丸くて大きな水色の瞳。鼻の上には少しそばかすが目立つ。彼女の白いローブを止めているブローチには黄金の木の葉。
そして、この娘の顔立ちは驚くほどあのフローリアによく似ていたのだ。
夕日が鏡湖周辺を燃え上がるような茜色に染めていた。
暗い赤と、黒い影のコントラストがこの少女をぞっとするほど美しく見せている。
「フィン……会いたかったわ……フィンが戻ってきたってきいて、ずっと探してたの」
「シャーロッテ……」
フィンは言葉に詰まっていた。
フローリアのことがあってから、フィンはシャーロッテには会い辛かった。
幼なじみに会いたくなかったわけではない。しかし、彼女の姉の最期を彼女にどう伝えていいかフィンにはわからなかった。
「……君の行方がわからないって聞いていたから……」
「ええ……フローリア姉さんが連れて行かれてから、身の回りが危険だからって言われて、ある人に匿ってもらっていたの」
「そうだったんだ……でもよかった。シャーロッテが無事で……あの……」
フィンはその後の言葉を繋げられなかった。彼女は姉の死を知っているのだろうか?
しかし、シャーロッテは静かに言った。
「姉さんは死んだわ……皆の目の前で殺された……竜王は姉さんを助けてくれなかった」
「違う……そうじゃないんだ。竜王は……」
フィンはそこまで言ってはっと気づいた。
竜王のことはシャーロッテにまだ話すべきではない。フィンはそこで口をつぐむしかなかった。
「でもいいの……姉さんの仇を取る方法があるって、教えてもらったから……」
「えっ?それって……」
驚いた表情のフィンにシャーロッテは穏やかな表情で微笑みかける。
しかし、二人のやり取りを側で聞いていたピリポはシャーロッテに妙な違和感を覚えた。
何か違う。
フィンから伝え聞いていた彼の幼なじみの少女の印象と今の彼女は微妙に違う。
確信は何も無かったが、彼女の本能が、シャーロッテに対して妙な不快感を感じさせていた。
もちろん、彼女に起こった不幸な出来事のことを考えれば印象が違う理由も説明できよう。
しかし、妙な胸騒ぎがピリポの心をかき乱していた。
彼女からとても危険な匂いと、強い殺気を感じる。
「教えて欲しい?フィン」
「うん……」
フィンは彼女をなにも疑ってはいない。
「じゃあ、教えてあげる。でも、その前に……」
「だめ!フィン、避けて!」
ピリポは彼女がローブの下に何か隠し持っているのを見逃さなかった。
茜色の光を反射してきらめく鋭いナイフの一閃。
ピリポは咄嗟にフィンを突き飛ばしていた。
それと同時に脇腹に感じた衝撃。
鋭い痛みが彼女の声を失わせる。
「……う……」
フィンを庇って凶刃の前に飛び出たピリポの脇腹にはナイフが刺さっていた。
「ピリポ!」
フィンが悲鳴にも似た叫びを上げる。
「……あなた、邪魔よ」
膝を折って崩れ落ちたピリポを冷たい表情で見下ろすシャーロッテ。
その手に握られたナイフはピリポの血で濡れている。
「シャーロッテ……うそだろ?」
「フィンが死ねば姉さんの仇が取れるの……だから死んで」
シャーロッテはフィンが見た事も無いような表情で笑う。
彼女の頬にはピリポの返り血がついている。
純白のローブにはまるで薔薇の模様のようにピリポの流した青い血が飛び散り、それが茜色の夕日に染まってどす黒く見えていた。
「やめて!やめてくれシャーロッテ!」
フィンは足がすくんで動けない。
これは何かの間違いだ。
これは……。
――――――――――――――― これは嘘だ……。




