5.「望まれる幸せ」
●【5.「望まれる幸せ」】
「フィン!おかえりなさい。無事でよかった」
フィンの母親、フォーラは涙を浮かべながらフィンをぎゅっと強く抱きしめた。
「母さん……痛い」
フィンは少し迷惑そうな、それでも嬉しそうな表情だ。
桜翁の樹を後にして、ゾーラの街に戻った頃には、もうすっかり陽は沈んでいた。
とりあえず、フィンはピリポと共に自宅に戻った。
突然戻ったフィンを両親は驚きを持って迎えた。
フォーラは初めて見るネッカラ族のピリポを初めは物珍しげそうに見ていたが、フィンからおおよその事情を聞くと、まるで我が子にするのと同じようにふいにピリポをその腕に抱き寄せ、優しい声で言った。
「可哀想に……苦労したのね。ここでは何もいらないわ。本当のお母さんのつもりで甘えてね」
「え……あっ……あ……は……はい」
ピリポは突然のことに動転していた。
どもりながら答えるのがやっとだった。
暖かな体温、微かな甘い香り、柔らかい体。
どれもがピリポにとっては馴れないものだった。
遠い昔に亡くした母親の記憶がピリポに蘇る。
もともと人に甘えるのが得意ではないピリポは、両親が健在だった頃も甘えるということをしなかった。
両親も寡黙で、愛情表現を大げさにするような人たちではなかったから、積極的に子供を抱きしめることは滅多になかったが、それでも優しかった彼女の母親はピリポが上手に舞いを舞えた時は彼女の頭を撫でて誉めてくれた。
彼女の中に微かに残る、甘くて優しい記憶だ。
だから彼女はフォーラに不意に抱きしめられて、とても戸惑っていた。
しかし、フォーラの暖かな体温と、微かに香る心を癒されるような甘い香りの快さに、ピリポはだんだん心の落ち着きを取り戻していた。
夕食の席で、フィンはシャーロッテの一家が姿を消したことを知った。
それはフィンにとって更なる追い打ちをかけたようだった。
動揺するフィンを慰めるようにフォーラが言った。
「たぶん、安全なところに身を隠したのよ。フローリアがあんなことになっちゃったでしょう?王宮の過激派がシャーロッテ達を人質にフローリアを改宗させようとすることは充分予想がつくわ」
しかし、フィンはフォーラの言葉に返事を返すことも無く、無言で黙々と食事を食べつづけ、ピリポもまたフィンの心を思うと何も言えなかった。
出された食事はどれも美味しい筈なのに、ピリポは味を殆ど感じなかった。
食事の場の空気はどんよりと重く、まるで砂を噛んでいるような不快さだった。
楽しいはずの夕餉の場は、息が詰まりそうだった。
竜巫女は彼らに近しい存在だった。
だからこそこの話題は、彼らには重過ぎるのだ。
そんな中、フィンがやっと口を開いた。
「母さん。来週、フローリア姉さんの裁判があるって、本当?」
「ええ……王宮の中庭で開かれるそうよ。酷い話よね……。裁判と言うけれど、フローリアは何も悪いことはしていないのに。ラドリアス陛下は何をお考えなのやら……」
「それを見ることはできるの?」
フィンの言葉に、フォーラは残念そうな表情で首を横に振る。
「一般人は入れないのよ。関係者だけよ」
「……そう……」
「気持ちはわかるわ。でも、私たちには祈ることしか出来ない……」
「うん……」
ずっと無言だったフィンの父親の、フィネガスがやっと口を開いた。
「私は一応治療術士団の関係者だから、裁判を見学する権利はある。フローリアのことは私がちゃんと見届けてくるよ」
「父さん。フローリア姉さんを助ける方法は本当にないの?こんな裁判変だって考えている人はもっと多い筈だよね?」
「ああ。でも、世の中にはどうにもならないことも多い。たとえ魔道の力でもできないことも沢山ある……まあ、こんなことを言う私だってたいした魔道力は持っていないけどね……」
ピリポは複雑な思いでフィネガスを見ていた。
この人がフィンの父親。
あの、カムラ・カユルの曾孫。異種族間の結婚では女の子しか産むことができないネッカラの娘から奇跡的に生まれた男の子。
彼の髪は殆ど白に近い、ごく淡い水色。瞳の色も透明度の高い水色だ。
これは、彼の魔道力が非常に薄いことを意味している。
フィンによく似た、どことなく頼りなさげで優しそうな風貌。
フィンよりも少し細めの目は、微笑んでいるように見える。
「あの……失礼なことだと思うんですが……少し聞いてもいいですか?」
ピリポは遠慮がちに口を開いた。
「いいよ。何だい?」
フィネガスはピリポににこりと笑いかける。
「あの……フィンに聞いたんですが……フィンにはその……私たちと同じ……」
「ああ、そのことか」
フィネガスはさらりとそう言った。
「そうだよ。フィンにはまだ話していなかったんだが、もう知っているようだね……確かに私の母はネッカラ族だ。私が生まれてすぐに亡くなったのでどんな人かは知らないけれどね……」
「そうだったんですか……」
「本来、ネッカラ族と他の種族の間の子供は女の子しか生まれないのに、私のようなのはとても珍しいのだそうだ。私の魔力が薄いのはどうやらそのせいらしいが……」
「すみません……」
ピリポはなぜかとても申し訳ない気分になってしまった。
「どうして君があやまるの?」
フィネガスは不思議そうに言う。
「同じネッカラ族としてなんとなく、申し訳ないような気分になったんです……だって……魔力が薄いとこの国では……」
ピリポはそれ以上はどうしても言葉にならなかった。
「君は心の優しい子なんだね」
フィネガスは優しく笑って言った。
「ありがとうピリポ。でもね、それは君が気に病むことではないよ。私の父はそうなることを承知の上で母を娶ったんだよ。私は二人が愛し合い、望まれて生まれた子供。ネッカラの娘との結婚は、女の子しか生まれないからと、家の跡取りだった父はとても反対されたけど、それでも二人はその反対を押し切った。私が男の子として生まれたのは、二人が回りの反対に負けなかったから、幸せな奇跡が起こったのだとよく父が言っていたよ……私もそれを誇りに思っているし、恥じてもいない」
「……よかった……フィンのおばあちゃんは幸せだったんですね……」
ピリポの表情が明るくなった。
「うん。きっと幸せだったと思うよ。そして……」
フィネガスはピリポの目を真っ直ぐに見て言った。
「望まれて生まれた私も幸せだ。たとえ魔力が薄くても、そのせいでこの国で生きていくのが大変でも、私はそんな両親を誇りに思っているんだよ」
「はい」
ピリポもフィネガスに心の底からの笑顔を向けた。




