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The Legend of Dadegea 第2部 亡国の雪  作者: 鷹見咲実
第1章 魔道の都の少年
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4.「カムラ・カユル」

 ●【4.「カムラ・カユル」】


「ピリカ姉さん!」


 雲が晴れ、月が顔を出した。

 明るい満月の光に照らされ、その惨状はさらにくっきりとピリポの目に映る。


 ピリカはすでにぐったりしている。

 左肩から大量の血が流れている。

 竜に近いネッカラ族の娘たちの血は竜と同じ青い色。

 あたりはピリカの流した血で真っ青に染まっていた。


 眷属はギラギラ光る紅い目でじっとピリポを凝視している。


「……こいつめ……姉さんを放せ!」


 ピリポはそう叫ぶより早く自分の体の二倍以上ある眷属に向かって斬りかかった。

 眷属はピリポの剣をさっと避け、飛びのく。

 そして、咥えていたピリカを投げ捨てると、不気味な唸り声を発して牙を剥きながらピリポにじりじり近づいてきた。


「このっ!」


 ピリポは真正面から眷属に斬りかかった。。

 弱点の眉間を狙うためだ。

 眷属の動きは素早く、ピリポの攻撃は外されてばかりだ。

 しかし、眷属の前脚を斬りつける事には成功した。

 物凄い速さで眷属はピリポに飛びかかる。ピリポは咄嗟に避けるが、そのはずみに転んでしまった。


「しまった!」


 ピリポは転がりながら直撃を避ける。

 しかし、一瞬遅かった。

 ピリポの体は眷属に組み伏せられる。

 鋭い爪が押さえつけられた両肩に食い込み、ピリポは苦痛の悲鳴を上げる。

 眷属は大きな口をあけ、ピリポに噛み付こうとするが、体を激しく動かして、ピリポは眷属の牙を避けた。


 血まみれの眷属の牙が喉を狙っている。

 眷属の口から吐き出される、熱く湿った血生臭い匂い。

 白い毛皮は鮮血に染まり、鋭い牙は血に濡れている。


 この血は姉の血だ……。


 愛する婚約者に早く会いたくて、幸せそうに微笑んでいた姉。

 その姉は少し離れた所で、おびただしい血の海の中、ぐったりとしている。


 許せない。

 こいつがどうしても許せない!


 そう思ったとき、ピリポは腹の底から、今までに感じたことのない程激しい怒りがこみあげてくるのを自覚した。


「離せ!」


 ピリポは渾身の力を込め、手にしていた剣で眷属の腹を下からぐさりと刺した。


「ギャァァァ!」


 悲鳴を上げて、眷属は飛びのく。

 ピリポは肩の痛みをこらえつつ起き上がると、態勢を立て直し、剣を構える。

 眷属は苦しみ、のた打ち回っている。

 あきらかに弱っている。絶好の機会だった。


「はあっ!」


 ピリポは素早く眷属の背中に乗りかかり、頭部を押さえ込んだ。

 激しく暴れ狂う眷属にしがみつきながら、頭上から眉間を狙う。


 残っている力を振り絞り、ぐいと眷属の頭を地に押さえつける。

 一撃で仕留めなければならない。失敗したら終わり。

 肩の痛みは激痛に変わっている。

 ピリポは苦痛をこらえつつ、腕に力を込める。

 失敗はできない。もう反撃する力など残っていない。


 ありったけの力を込めて眷属の眉間に剣を突き立てる。


「グゥォォォーッ!」


 眷属は激しく暴れ、ピリポは跳ね飛ばされる。

 ピリポの剣を眉間に刺したまま、眷属はもんどりうって倒れた。

 そして、すぐ動かなくなった。


 ピリポが眷属の角を切り取ると、眷属は頭からじわじわと雪に溶け始めた。


「姉さん!」


 ピリポは倒れているピリカの元へ駆け寄った。

 まだ、息はあった。

 何度か声をかけると、ピリカはうっすらと目を開いた。


「……ピリポ……?」

「姉さん!気が付いた……よかった!」


 ピリポはしっかりとピリカの体を抱き上げ、膝の上にピリカの頭をもたせかけた。


「今、血を止めてあげるね」


 ピリポは自分の服の袖を少し破くと、ピリカの肩に押し当てた。


「……うかつだったわ……後ろから近づいてる眷属の気配に気づかなかったなんて」


 ピリカは苦痛に顔をゆがめる。

 その声は弱く、今にも途切れそうだ。


「ピリカ姉さん……眷属は私が仕留めたよ」


 ピリカは弱々しく微笑む。


「……よかったわ……ああ……ピリポも酷い怪我……痛くない?」


 ピリカはピリポの両肩が血に濡れているのに気づく。


「私のことはいいから……でも、どうやって姉さんをつれて帰ろう……夜があけるまではまだ時間があるし……」


 自らも傷を負ったピリポはピリカを連れて麓へ帰るだけの力が今は残っていない。

 できることは応急手当をして、体を休めること。そして、ピリカの体を温めることだ。


「このあたりに木の虚か、洞穴でもあればいいんだけど……ううん……せめて雪を避けられる場所……」


 ピリポは必死になってこのあたりの地理を思い出そうとする。


「……もういいわピリポ……私、もうだめみたい……」


 ピリカの声は先ほどより弱くなってきていた。


 ピリカの血は止まらなかった。

 ピリポの服の袖はもう鮮血が滴るほどだ。


「何言ってるのよ。姉さん!がんばらなきゃ。それに、きっともうすぐレナウが探しにきてくれる……」

「へまをやった私がいけないのよ……眷属に気づかないなんて……戦乙女として失格よ……」

「姉さん……そんなこといわないで!」


 ピリカの呼びかけも虚しく、ピリポの声はだんだんと弱くなっていき、暖かかった体はどんどん冷え始めていた。


「……ああ……奉納祭……もう一度、歌いたかった……レナウのタウに合わせて……私は歌うの……ピリポは踊るの……ああ……レナウ……レナウに逢いたい……でも……もう私……」


 彼女の眼はうつろで、小さな声はだんだん弱くなり、語尾は殆ど聞き取れない。

 ピリカの意識はもう途切れそうだった。


「姉さん!しっかりして!眠っちゃだめ。姉さん」


 しかし、何度呼びかけてもピリカはもうピリポの声にほとんど反応しない。


「その娘はもう助からんよ。眷属の噛み傷は塞がり難い」


 ふいにピリポの背後から声がかかった。


「誰?!」


 そこにはいつの間にか一人の老婆がいた。


 限りなく黒に近い濃い褐色の肌に白い髪と、これも黒に限りなく近い暗い赤の瞳。

 頬と額に真紅の呪術模様の刺青を施し、雪避けのフードを深く被っていた。


「カムラ・カユル……」


 ピリポの表情が険しくなる。


「ほう?あたしのことを知っておるのか?ピリポサヌ・クリカ」


老婆の声はわずかな笑いを含んでいた。ピリポは表情をさらに硬くする。


「その黒い肌、そして呪術の刺青……あなたのことはネッカラの者なら誰でも知ってる。私はあなたに用はない……早く行って!」


 ピリポは忌み嫌うように老婆を見すえる。

 まるで、死神を見るような嫌悪の表情だった。


 カムラ・カユルは呪術師。

 ネッカラ族の掟を破り、禁断の呪術に傾倒した忌むべき者としてネッカラの民から忌み嫌われている。

 白かった肌は濃い褐色に染まり、右目は光を失っている。

 彼女は呪術の失敗によりその右目を失明したと言われている。


 彼女は今、一族の集落から離れた山中に一人で住んでいるときく。


「ここはもともとあたしの生活圏だ。あたしはここに薬草を採りにきただけさ……それより、ピリカはもう、死んどるぞ」


 カムラ・カユルは手にもった杖でピリカを指した。


「えっ?」


 ピリポは慌ててピリカの頬を叩いたり、揺さぶったりしてみたが、ピリカはすでにこときれていた。

 ピリポの腕の中でひっそりと息を引き取っていたのだ。


 ピリポの表情がみるみる歪んでいく。


「姉さんっ!目を開けて……目を開けてよ!」


 ピリポは姉の頭をかき抱いて泣き崩れた。

 しかし、ピリカの体はどんどん冷たくなっていく。


「嫌だ……姉さん……嫌だよぉーっ!」


「お前、何もせずに姉の名前を呼んでるだけで、死んだ姉が生き返るとでも思っているのかい?」


 カムラ・カユルは泣き崩れるピリポの側に近づいてきた。

 そして、彼女の耳元でそっと囁いた。



 ━━━━━━━ 「助けてやろうか?」







 夜が明ける頃、ピリポとピリカは祖母の待つ家に戻ってきた。


「本当に心配したんだよ。お前たち、一体どこへ行っていたの?傷だらけじゃないか……」


イナウコタイは血にまみれ、疲れ切った表情の二人の姿を見てひどく驚いていた。


「途中で眷属に襲われたんだけど、無事に逃げ延びて山頂の洞穴で一晩休んでいたの。ごめんね。おばあちゃん」


 ピリポは取り繕うように言った。


「レナウが心配してずっと探していたんだよ。きっと入れ違いになってしまったんだね。二人が帰ったことをすぐにレナウに知らせにいかないと……」

「うん。私、レナウに知らせてくるよ」


 ピリポはそう言ってまた出て行こうとする。しかし、イナウコタイはそれを止めた。


「何言ってんだい、ピリポ。二人ともひどい怪我じゃないか。レナウにはあたしが知らせに行くから手当てをしたら少しお休み」

「……はい」


 ピリポは素直に返事をしたが、ピリカはうなづいただけだった。


「ピリカ、どうかしたのかい?なんだか様子がいつもと違うみたいだけど」


 イナウコタイは怪訝な表情をする。


「おばあちゃん。姉さんはショックで今記憶が混乱してるの。休めばきっと治るわよ」

「そうかい?」

「うん」

「じゃあ、ふたりとも大人しく寝ておいで。あたしはレナウを探してくるよ」

「うん……わかった」


 返事をするのはピリポばかりでピリカは一言も喋らない。


「姉さん……?」


 返事はない。

 ピリカは無表情のまま天井をぼんやり眺めている。


 そろそろ正気にもどってもいいはずなのだが。そう思った時だった。


「……ピリポ……」


 ピリカの目に光が戻った。


「私……歌えるの?……レナウに……逢える?」


 ぎこちない喋り方。

 でも、それは紛れもなくピリポが一番良くしっている姉の喋り方。


「逢えるよ。歌も歌える。私、姉さんの歌に合わせてちゃんと踊るから」

「……うん」


 心の底に後ろめたさを感じながらも、ピリポは姉に向かって微笑む。

 ピリポは思う。

 ……これでいいんだ。姉さんは幸せにならないといけない。


 たとえ禁断の法を使った偽りの命だとしても。




 良心の針がピリポの心をチクリと刺したが、ピリポは気づかないふりをした。

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