11.「竜王の居城」
●【11.「竜王の居城」】
ピリポは憔悴しきっていた。
信じていたものを根底から打ち砕かれたのだから無理もない。
誇り高きネッカラの乙女の一人であることがピリポの矜持だった。
竜王にお仕えし、その領地を守ることに誇りを持って生きてきた。
なのに現実はどうだ。
彼女が盲目的に信じ、愛してやまなかった竜王と女神の思惑により、人の運命が変えられる。
なんという身勝手か。
竜王にとっての領民とはいったい何なのだろう。
ピリポにはわからなかった。
「ピリポ……」
先ほどからクー・ククルにもたれかかってうつろな目をしているピリポに、フィンはおずおずと声をかけるが、ピリポは返事をしない。
竜巫女の館を出ると、吹雪はおさまり小雪になっていた。
とにかくユズリの元へゆき、真実を聞くようにとサネに宥められ、一行は竜巫女の館を出たのだった。
館を出てからのピリポは全く口をきかず、フィンは重苦しい気持ちを抱えたまま、自らも無言でいるしか術がなかった。
クー・ククルは何も言わずに二人を乗せて飛び続ける。
翼を動かす音だけがやけに大きく響く。
重苦しい灰色の空、眼下の険しい山肌。どれもが今のフィンとピリポの心の中を現しているようだった。
『そろそろ神域にはいる。しっかりつかまっていろ』
灰色の分厚い雲の中にクー・ククルは飛び込んでゆく。
視界が真っ白になり、殆ど何も見えない。
フィンは自分の前に乗っているピリポごと抱きしめるようにクー・ククルの被毛をしっかりと掴んだ。
ピリポの体は少し震えているような気がした。
フィンはこんな弱々しいピリポを見るのは初めてだった。
男勝り……いや、男よりも強く勇ましい彼女は、憂いることなど、ましてや弱々しい姿を人前で晒すことなど、絶対にないだろうとフィンは思っていた。
でも、今の彼女はいつもの彼女とは違う。
背中が震えている。
しゃくりあげるような音が少し聞こえる。
泣いているのだ。
気付かれないように、ごく僅かな声すら押し殺して泣いているのだ。
自分よりも大きく見えていた彼女が小さく見える。
ピリポを守ってやりたい……フィンの心の中にそんな感情が湧いた。
こんなとき、どうすればいいのだろう?
ぎゅっと抱きしめて優しい言葉でもかければいいのだろうか?
フィンは戸惑う。
泣かなくてもいい。
震えなくてもいい。
守ってあげる。
僕は鞘だから。
強く、でも傷つきやすい抜き身の剣のような君を守る強い鞘だから。
だけど、フィンにはできなかった。
彼女はたぶん、望んではいない。
守られることを彼女は受け入れないだろう。
受け入れたら、きっと彼女は最後の矜持すら手放してしまう。
少し強引なぐらいの優しさを差し出せば、今の彼女なら、きっとその優しさに縋ってしまうだろう。
だけど、それは彼女を一時的に慰めることはできても、きっとあとでその心を深く傷つける。
強く、誰にも負けないネッカラの戦乙女。
誰にも膝を屈しない、苦痛にすら負けない、死にすら素直に降参しない、そんな誇りを持つ彼女の心を汚すことはできない。
ネッカラの戦乙女としてのその誇りを……最後の拠り所さえも打ち砕くことは、フィンにはできなかった。
だから、フィンはだまって俯くばかり。
自分の非力さを心の奥で少し恥じながら。
雪が止んだ。
永遠に降り続くといわれるホロヌカヤの雪が止んだ。
いや、正確に言えばここはホロヌカヤではないのかもしれなかった。
雲に覆われていた視界が晴れると、そこは抜けるような青空だったのだ。
一面の白銀の世界が広がり、眼下には白亜の城が見えてきた。
あれがホロヌカヤの頂上。
竜王ユズリの居る本当の聖地。
冷涼で澄み切った空気。
微細な氷の粒が金剛石の粉のように、光を受けて輝きながら目の前に降り注ぐ。
『あれがユズリ様の居城だ』
クー・ククルはそう言って、どんどん高度を下げてゆく。
城が近づくにつれて、その荘厳さ、大きさが二人の目の中に否応なく飛び込んで来た。
溶けぬ氷で作られ、白く輝く白銀の城。
ユズリカムサにあるホロ国王の城も白銀に輝く美しい城だが、雪花石膏で作られたホロ国王の城とは違い、こちらは全て本物の氷で作られている。
光を反射してまばゆく光るその輝きは格段に違う。
城壁の周りには、城を守る槍のように鋭い切っ先を持つ氷塊が取り囲み、獰猛な雪狼たちが門番のように巡回している。
空を守るは純白の翼を持つホロヌカヤシュマ。
ホロヌカヤの麓にしか住まない獰猛な猛禽だ。
雪狼も、ホロヌカヤシュマも山の麓にしか住まない生き物だが、ここにいるということは、やはり竜王に仕えている特別な生き物たちなのだろう。
『そろそろ降りるぞ』
クー・ククルはそう言うと、門のほうに進路を向ける。
雪狼たちが後ろを追ってきたが、門の前にクー・ククルが優雅に降り立ち、一声の咆哮を上げると、雪狼たちはその場に一斉に伏せ、頭を垂れて大人しくなった。
クー・ククルの咆哮に呼応するかのように門が開くと、そこには一人の少女が立っていた。
「ユズリ様がお待ちです。こちらへ……」
その少女はピリポとよく似ていた。体に色彩がないのだ。
ネッカラ族の特徴を持っている。
ただ、その瞳はピリポのように赤くはなく、金色だった。
「……原始の乙女……はじめて見た……」
ピリポは驚いたようにそう呟いた。
「原始の乙女って?」
「ユズリ様に生み出された初代のネッカラの娘のことだ。私たちネッカラ族は、ユズリ様の爪の鱗から生み出され、ユズリ様の傍でお世話をしていたけど、領地へ降りるときにこの赤い瞳を貰ったという。だけど、選ばれたほんの数人だけは、領地へは行かず、ユズリ様のお傍に留まったんだよ」
少女は何も言わずににこりと笑うと、先に立って歩き始めた。
一行はその後に続いた。
鏡のようによく磨き上げられた長い廊下をしばらく歩く。
雪狼たちがまるで警備兵のように城内をうろうろ歩き、階段の手すりにはホロヌカヤシュマが止まって羽根を休めている。
城の中は静かで、フィンとピリポの靴音、そしてクー・ククルの爪が氷の床をカチカチと踏む音だけが響く。
「静かなんですね……」
フィンがそう言うと、原始の乙女は振り返らずに言った。
「ユズリ様は静寂を愛しておられますから」
「そうですか……」
話は続かなかった。
なんだか、気まずい感じがして、フィンはまた黙って歩いた。
廊下の突き当りには大きな扉があった。
竜を象った精巧な彫り物が施された立派な扉だった。
もちろんこれも氷で出来ていた。
「こちらです。どうぞ、お入りください」
重厚な扉を、少女はなれた手つきで軽々と開ける。
扉の向こうには広い空間があった。
この城の主が氷の玉座に座り、その金色の瞳でこちらをじっと見つめていた。
「竜王……ユズリ」
フィンの口から小さな呟きが漏れた。
純白の長い髪。
雪と同じ白さを持つ肌。
そして、心の奥まで見透かすような黄金の瞳。その瞳孔はフィンと同じで縦に長い。
純白の雪狼の毛皮のついたケープを纏い、冷たい瞳でこちらを見つめていた。
なんという威圧感。
身動きすら取れないほどの強い気。
これが竜王。
デーデジアの五竜王の一人。
ホロの本当の主。
『わたくしに用があるのでしょう?』
凛とした声。
高くも低くもない、厳かで穏やかな声だ。
クー・ククルがユズリの前に進み出て、その足元にうずくまった。
ユズリは、その細く白い手でクー・ククルの頭を撫でる。
『カイ・ホロケウ。わかっているわ……剣と鞘……そして、哀れなあの記録者の末裔をわたくしにどうにかしてほしいのでしょう?』
クー・ククルは無言で頷いた。
『いらっしゃい。子供たち……お前たちの話を聞きましょう』




