5.「ふたつのこころ」
●【5.「ふたつのこころ」】
ラドリアスの目の前に初めて晒された彼女の素顔。
淡く光を帯びたその髪は銀灰色。
困惑したようなその瞳も髪と同じ神秘なる銀灰。
彼女は本来、この場にいてはならぬ人物だった。
「……竜巫女……」
ラドリアスは呆然とするだけだった。
「申し訳ございません。陛下」
フローラはその場に跪き、深く頭を下げた。
「わたくしはアヴィエールの竜巫女、フローリア・グランでございます」
フローリアのほうは意外に冷静だった。
「わたくしは、白鳩に姿を変えて館を抜け出し、美しい花を愛でたり、森の獣たちと遊んだりすることが楽しくて、いけないことと知りつつ、何度も禁を犯しておりました……あるとき、この庭園があまりに美しく、ここに舞い降りたところ、陛下にお声をかけていただいたのです……」
彼女が白鳩に姿を変えてここに舞い降りた竜巫女ならば、自分以外が入ることのできないこの花園に入ることは容易い。
しかし、それはたいした問題ではない。
こともあろうに竜巫女の面と向かって竜王教を否定したのだから。
さすがのラドリアスも心穏やかではなく、いささか混乱気味だった。
それでも、何か言わなければならない。
焦ったあげくにやっと出た声は掠れていた。
「りゅ……竜巫女は館より出ないのがしきたりと聞いていたが……」
「はい。わたくしはしきたりを守っておりません」
フローリアはもう、俯いてはいなかった。
まっすぐな目でラドリアスを見ていた。
「お前はなぜ、しきたりを守らない?」
「必要を感じないしきたりを守る必要はないとわたくしは思ったからです」
「なぜ、必要を感じない?」
「確かに竜巫女は竜王に仕えるため、身も心も清廉に保たねばならないとは思います。神域に穢れを持ち込むことを私とて是とは感じません……しかし、そのしきたりに囚われ、安息日以外に館の外へ出ることができないというのは何かが違っていると思うのです」
「外に出なければ人との接触がないから、危険な目に会うこともないからだろう?」
「危険な目ですって?竜巫女に怖いものなどありませんよ……陛下」
フローリアは薄く微笑む。神々しささえ感じる余裕が彼女にはあった。
「竜巫女に穢れた手で触れてはならない、竜巫女に懸想してはならないという戒めは今や全世界に満ち溢れ、竜巫女に乱暴を働く者などおそらくいないでしょう。よしんばいたとしても、竜王の魔力に近い護身の術を与えられたわたくしたち竜巫女が、暴力に屈することはありえません」
「……ほう……」
「むしろこの戒めはわたくしたち竜巫女自身が一番恐れていることに逢わないための戒めです」
フローリアは静かにそう言うと、またフードを深く被り、その美しい髪を隠してしまった。
「竜巫女が恐れているものは何なんだ?」
すると、フローリアはなぜかラドリアスから視線をはずし、そして小さな声で言った。
「……人を想うこと……人に、恋焦がれること……」
「それの何がいけない?」
「竜巫女は竜王に全てを捧げた者。しかし、恋焦がれれば、きっとその想い人のことしか考えられなくなってしまうでしょう。世界の人々の幸福を望むのではなく、ただ、一人の人の幸せだけを考えてしまうでしょう……決して結ばれることのない自らの境遇を呪いながら、孤独のうちに二百年を過ごす恐ろしさを陛下は想像できますか?」
「わからないな……恋をする余裕も、人を思う時間も私にはない」
ラドリアスの言葉に、フローリアははっとしたような顔をした。そして、次にそっと目を伏せた。
「そうですよね……」
「では、フローリア……お前はなぜ、その危険を知りつつあえて禁を犯すのだ?」
「人を想わぬ人生などわたくしには耐えられなかったからです。わたくしがどなたかに恋をしても、それは実ることはありません……しかし、恋することも、誰かを想うことも知らずに祈りだけを捧げる一生を送らなければならないほうが、わたくしにとってはつらかったのです」
「では、お前は人を想うこと、恋焦がれることができたのか?」
その時、フローリアはとても悲しそうな顔をした。
「それは、わたくしの問題です。たとえ陛下といえどお話すべきことではありません」
「そうだな。すまなかった」
ラドリアスは気まずそうな声を出した。
「陛下……先ほどお話になられた竜王教のことですが……」
「ああ……」
「竜巫女のわたくしの意見としては、陛下の発言を許すことはできません。竜王は何らかの罰を陛下に下すかもしれません……しかし、わたくし個人……フローリア・グランとしての考えは……」
フローリアはラドリアスの目をじっと見つめ、軽く微笑んだ。
「……陛下の思うとおりになさいませ……」
彼女の言葉にラドリアスは驚きを隠せなかった。
それは竜巫女にあるまじき発言だからだ。
「どういうことだ……お前は竜巫女ではないか……」
「ええ。わたくしにはふたつの心がありますから」
「ふたつの心?それはどういうことだ」
しかし、フローリアはその問いには答えず笑みを浮かべるばかりだ。
ラドリアスはフローリアの笑顔の意味がわからなかった。
竜巫女としてではなく、個人としてなら竜王教を否定することを認めるというのだろうか?
しかし、その真意を尋ねることはラドリアスにはできなかった。
「陛下……お別れでございます。わたくしはもうここに来ることはないでしょう……次にお会いすることがあるとしたら、それはきっと……」
フローリアはそれ以上続けることはできなかった。
竜王を否定する王と竜巫女があいまみえるとき、それはきっと……。
彼女にはわかっていた。次に出会うときの二人の立場を。
そして、それは良くない結果しか生まない。
選択肢はないのだ。
━━━━━━━ 自分が選べる道はひとつしか用意されていないのだから。
「きっと?」
「いえ……なんでもありません」
フローリアはそう言うと、ラドリアスの側をさっと離れ、一羽の白鳩に姿を変えた。
「陛下とお話するのは楽しかったです……」
「私もだフローリア……お前と話している時、私の心は和んだ。さっきお前に言った言葉は私の本心だ……それはわかってくれ」
「ええ。陛下」
「フローリア……もう、本当に逢えないのか?」
「はい、陛下……残念ですが……」
白鳩はぱっと空に飛び立つ。
天空に舞い上がった彼女に向かって、ラドリアスは叫ぶ。
「私なら、お前をあの忌々しい館から救い出すこともできるのだぞ」
しかし、フローリアは答えなかった。
真っ白な羽を散らし、白鳩は青空の果てへ飛び去っていった。




