2.「動き出す運命」
●【2.「動き出す運命」】
「少し予定が遅れてるな……。もう、何日かかかるかもしれない」
アデラードは困ったように言った。
「ひびが入ったときには翌日には割れると思ってたんだが……これは思ったよりも時間がかかりそうだ」
ひびが入った翌日には孵るとアデラードは予想していたのだが、思い通りにはいかなかったようだ。
結晶にひびが入ってから二日。
予定が遅れているとはいえ、僅かなひびははっきりした亀裂に変わっていた。
「毎日少しづつ割れていくんだな……」
ピリポは不思議そうにピピとポポの結晶を見る。
亀裂は大きくなっているものの、結晶の中に入っているクー・ククルと思しき森の子たちの様子は殆ど変わらない。
フィンは穏やかな顔で眠るばかり。
ピリポは眠るフィンの世話をよくした。髪をとかしてやったり、顔を拭いてやったり、寝具を整えたりした。
「ヴィエネールさん」
「なんだい?」
あるとき、ピリポはふと思い立って、読書中のアデラードに訊ねた。
「クー・ククルが目覚めて、フィンに大きな魔力が宿ったら……その……」
ピリポは口篭もる。
「なに?」
「……ソーナの……」
ピリポは一旦そこで言葉を切る。
「ん?」
「……ソーナの王になるんですか?フィンは」
ピリポは少し言いにくそうな素振りを見せる。
「そうだなあ……彼は紫紺の後継者だから、充分その資格があるな。ましてやクー・ククルから魔力を得れば、確実だろうね」
「そうですか……」
「フィンが王になるのは嫌かい?」
「……いや、べつにそうではないんだけど……」
アデラードが俯きがちなピリポの顔を覗き込もうとすると、ピリポはふいとそっぽを向き、ことさらぶっきらぼうな声で言う。
「いや……こんな頼りなくて、いざという時に倒れちゃうような王ならソーナも不安だなって思っただけ」
「ふうん」
アデラードは穏やかな笑みでくすっと小さく笑い、ピリポは一層不機嫌そうな顔をした。
「残念ながら君が思っているほどソーナ王になるのは簡単じゃないんだ」
アデラードは読みかけていた本を閉じると、ピリポに向かってそう言った。
「紫紺の後継者は一人じゃない。何人も居るんだ……そして、その中から王になるには、魔道術士団幹部の三分の二以上の推薦を得て、最後に現在の王と魔力勝負をして勝利しなければ次代の王は即位できない……」
「そうなんだ?……知らなかった」
ピリポは赤く澄んだ瞳を驚いたように見開く。
「ソーナの王は世襲じゃない。魔力のある国民の最上位に立つには、その魔力も強大でなければならないんだよ」
「厳しいんだね」
「そうだよ。現在の王、ラドリアス・ドルーア・エルフォスがコノール・ホリンに勝利し、新王として即位するまでには百三十年かかった。ラドリアス・ドルーア・エルフォスという紫紺の後継者が出現するまでに、何人もの紫紺の後継者がコノール王に挑んだが、誰も勝てなかったんだ。在位百三十年はソーナ王では最長記録だよ」
「すごい……」
「それにね、紫紺の後継者だからといって、必ず王になるとは限らない。大きな魔力を持っていても、王になる意思が無い者は王に魔力勝負を挑むことを拒否することもできる。だから、フィン君が大きな魔力を持ったとしても、彼自身が王になることを望まなければ彼はソーナ王にはならないよ」
「……あなたも……ですか?ヴィエネールさん」
ピリポはアデラードの顔をしげしげと見つめる。
「あなたはフィンと同じ群青色の髪と、紫に近い青い瞳……あなたも紫紺の後継者なんでしょう?」
するとアデラードはにこっと笑って頷いた。
「君はなかなか鋭いね……そうだよ。俺もその一人だった。だけど、王になる気はなかったからね。魔力もたいしたことはなかったし」
「そうかな……私にはそうは思えないけど」
アデラードは心の中でぎくりとした。
女神の剣を内包する少女。
この妙な勘の鋭さは彼女の持つ高潔な魂の資質からきているものだ。
「どう見える?」
「私には魔力がないからわからないけど……あの時……フィンが私を助けてくれた時に発していた物凄い強い気に近いものをヴィエネールさんから感じる……」
「気のせいだよ」
アデラードは軽くやりすごした。
「酷い荒れようだ……」
李 星牙は思わず息を飲んでいた。
「お恥ずかしい限りです……」
アヴィエール神殿の神官長ルーク・バロールは申し訳なさそうな顔をした。
鏡湖のほとりにある、竜王神殿の寂れようは酷いものだった。
神殿内は清潔に保たれてはいるものの、建物や竜王像の彫刻は長年の風雨に晒されることで劣化が進み、誰の目にもみすぼらしくなっていた。
風雨による劣化はどこの神殿でも見られる。もちろん、それは定期的に修復され、神殿は常に美しく、荘厳な姿を保っている。
もちろん、修復のための費用は神殿を有する国の王室が資金を出し、聖地の面目を壊さぬよう各国それぞれに力を入れている。
しかし、ここはそうではない。荒れるがまま、朽ちるがままになっているのだ。
また、この神殿には神官の数も少なかった。
神官長以下、僅かな数の神官たちが居るだけだ。
「猊下。どうしてこのようなことに?アヴィエールの神殿といえば、五つの竜王神殿の中でもその美しさは随一と言われていた筈なのに」
「ええ……」
バロール神官長は悲しそうな顔をして言った。
「いつの頃からか竜王を敬うものが減り始めたのです……竜王教はこの地ではもう、殆ど信仰するものはおりません」
「どうしてですか?アヴィエールの聖地、鏡湖を有するこのソーナで、なぜそんなことがおこるのです?」
「ソーナの民は魔道至上主義だからです」
「馬鹿な……」
「以前はそれほどでもなかったんですが……現在の王が即位したころから顕著になってきたような気がします」
神官長はとても申し訳なさそうにに言った。
「国王はなにをしているのです?神殿を保護するのは聖地を擁する国の王の義務だ」
「それが……」
バロール神官長は俯いたまま。その声は震えている。
「……ソーナに竜王教は不要。竜王の保護がなくともソーナは栄える……と現在の王はそう言います」
「そこまで酷いのですか……」
「仕方ないのです……他の国とは違い、我が国は国民が魔道を自由に使えます。魔道の力さえあれば大抵の願いは叶えられ、便利で豊かな生活を送ることが出来ます。当然、精神的にも物質的にも満たされ、信仰の心は薄くなりましょう……」
「猊下はそれでよいと仰るのですか?」
「とんでもない。私は竜王アヴィエールに生涯の忠誠を捧げた身。この事態をよしと思うはずなど欠片もありえません!本来我々ソーナの民は、竜王の魔力の鱗から生まれ、竜王に仕えるために他の鱗から生まれた民とは違う力を与えられた民。そんな我々が竜王を裏切ることなど本来あってはならないこと……私は全身全霊をかけてこの神殿を、竜王の威信を守りたいのです……しかし……」
バロール神官長はそこまで言うと肩を落とした。
「悲しいかな、私にはその力は無い……」
李神官は黙ってバロール神官長の話を聞いていたが、やがておもむろに言った。
「わかりました。もし、神官長に覚悟がおありなら、私が国王を説得してみせましょう」
「……李卿……何を?」
バロール神官長はこの異国からきた神官に只ならぬ覇気を感じ、背筋が寒くなった。
この男はただの神官ではない。直感的にそう感じていた。
「もし、この国の王にまだ竜王を恐れ、敬う心があるなら、きっと私の言葉に耳を傾けてくれるでしょう……しかし、この国の王が本当に慢心の極みにあるなら……」
李神官は静かな、しかし凄みのある声で言った。
━━━━━━━ 「この国はそう遠くないうちに滅びましょう……」




