1.「密談」
●【1.「密談」】
ユズリカムサ王立中央図書館。
古今東西の書物が集められ、その規模は世界一の蔵書量を誇ると言われるソーナ国のゾーラ国立図書館に次ぐ大きさ。
その中でもデーデジアの歴史についての蔵書に関してははゾーラ国立図書館に勝ると言われ、知識を求める人々は一度はこの図書館を訪れるという。
アデラード・ヴィエネールはその一角で一冊の本に目を通していた。
「遅くなりました」
静かな声が彼にそっとかけられた。
アデラードが目を上げると、そこには神官の衣装を纏った一人の男が立っていた。
「お待ちしてました。こんな場所を待ち合わせに指定して申し訳ない」
「いいえ。私も丁度ユズリカムサには用がありましたから」
男は人のよさそうな笑みを浮かべる。
この神官の男は黒い髪と濃灰色の瞳に黄色がかった肌で三十代前半ぐらい。
その衣装は黒を基調とし、銀の刺繍が施されている。彩岩楼皇国の地位の高い神官だ。
「何を読んでおられたので?」
男はテーブルを挟んでアデラードの向かい側に腰を掛けると、アデラードが読みかけていた本を指差した。
「創世の書の写本ですよ」
「ほう……しかし今更、創世の書……ですか?」
「たまには初心に戻るのもいいかと思いましてね」
創世の書。
デーデジアの創世記としてあまりにも有名な本。
創造主による竜王の誕生から興国の大戦までの記録が主に四行詩の形式で書かれている。
いつ、誰によって書かれたものかは不明ということになっているが、これが一般的にはその存在を明かされていない『記録者』によって書かれた書物の一番古いものであることは竜王教の関係者にはよく知られている。
意味深な四行詩で書かれたこの書物は解釈が難しく、この解釈を巡って多くの議論が神学者たちの間で戦わされている。
興国の大戦と呼ばれるデーデジア五大王家の興国のきっかけとなった、大戦以前の記録は殆どといっていいほど残されていない。
竜王ヤパンの乱に端を発し、世界中の人間を巻き込んだ興国の大戦で、神話の時代の書物や遺物はその殆どが失われたからだ。
その中で、興国の大戦以前の記録を知る唯一の手がかりが『記録者』によって書かれたこの『創世の書』だ。
その原本は彩岩楼皇国にある竜王教総本山に厳重に保管されているが、写本は数多く存在し、各国の図書館で閲覧することができる。
「なるほど……原点に還る事はよいことです。ところでヴィエネール司書長、私に頼みとは?」
「ああ、そうですね。失礼しました李卿。わざわざ貴方に彩岩楼皇国からおいでいただいたのは、例の件で我が国の竜王神殿を訪ねて頂きたいのです」
「例の件……か」
「ええ、そうです。あくまでも巡礼の神官として自然に……」
「ふむ……やはり、やらねばならないか」
「はい。『あの方』のご意志です」
「ソーナはそこまで修復ができなくなったと?」
「新王が即位した頃から如実に状態が悪くなっています……もう、だめでしょうね」
「……そうですか」
李神官は小さな溜息をつく。
「私は気が乗らないのだが……」
「わかります。俺も本当はこんなのは嫌なんですが……」
アデラードは目を伏せる。
「そうだな。私より貴方のほうが辛いはずだ」
「それは……言わないでください」
「ああ、これは申し訳ないことを。あなたの気持ちを考えずに」
「いいんです……もう、影響が出てきている……あまり、迷っている時間がない」
「影響?」
李は訝しげな顔をする。
「契約の剣が出現しました……いや、正確に言えば、それを内包する者たちが」
アデラードの言葉に李は息を飲む。
「馬鹿な……もしや、鞘のほうがクー・ククルと出あったと?」
「ええ……しかしまだ、覚醒はしてません。鞘はクー・ククルから強大な魔力を注がれなければ絶対に覚醒しない……そして、鞘が覚醒すれば剣が呼応するのは時間の問題。『あの方』は憂いておいでだ……」
「そんな馬鹿な……鞘はまだ覚醒には早いはず……いや、それ以前に契約の剣は行方不明だった筈だ。かつての大戦の後、『あの方』が自ら手放した筈……」
李はいっそう声を潜めた。
「鞘と剣の所在はもうわかっています。しかし、やっかいなことにベルガーの一族が一枚噛んでいる……取り返しのつかないことになる前にどうにかしなければ……」
「ベルガーだと……?」
李神官の顔色が変わった。
「剣を折り、鞘を割ろうとしているのです」
「なんだって?なぜ、そんな大それたことを……」
「おそらく、『あの方』への服従の拒否でしょう」
「できるわけない。そんなことが、あれにできるわけが……あれは二百年前、ヘルガとフォルカの件で充分に思い知ったはずだ……痛い目にあった筈だ……」
李の声に僅かに焦りが含まれた。
「それでもあれはやらずにはいられないのですよ……だけど、気になるのはそれじゃない……これはあれ自身が一人で思いついたことではない……裏にもっと大きなものが隠れている……たぶん……」
アデラードは苦々しい顔をする。
「……そういうことか」
何かに気づいたようにはっとした李は眉をしかめる。そして、軽く舌打ちをした。
「そうか……またしてもあれが……だとしたらやっかいだ……それにしても記録者はまだ、自分の責務を果たそうとはしないのだろうか?私はあれらを見るのが忍びない……」
李は複雑な表情をしている。濃灰色の瞳の底に、一瞬だけ悲しげな色が浮かぶ。
「あれは業深きコンラートの心……心を二つに割られ、長き転生を繰り返しても、いつまでもセラスの魂を追い続けてる悲しきもの。しかし、それゆえ『あの方』が許さない……あれは気づいていないのだ……愛しきものはいつの時代もすぐ側にいるのに……」
アデラードは本に目を落としたまま呟く。
李の顔を見ずに。
「どうして……どうして『あの方』は哀れなあれを許さない……許しを与えれば、あれの魂も安らぐだろうに……」
「許さないのには訳があるはずです……李卿……。『あの方』には何かお考えがあるのでしょう……ただ……私はやはり『あの方』のお心がわからない……そして……これから起こることを思うと……怖い」
「ヴィエネール司書長……」
李はアデラードが小刻みに震えているのに気づいた。
その顔は青ざめている。
「でも……怖いから……やらなければならない……怖いから……」
「大丈夫だ」
呉神官は立ち上がると、彼の側に近づき、その肩にそっと手を置いた。
「……あの方は悪いようにはしない……私は、知っている……ただ……」
「ただ?」
「膿は出さなければならない……そして、それには痛みが伴うのは仕方の無いこと。私はそう思う」
「はい……」
「このことは私以外の誰にも言ってはいけない……二人の秘密です。たとえ兄弟にも……愛しい兄や弟、妹にもね……」
「……わかっています」
アデラードは薄く微笑む。
「美しく気高い竜の女王はきっと鞘と剣をうまく制御してくれるでしょう……貴方もそれがわかったから、敢えて干渉をする気になったのでしょう?」
「そうだ……鞘が蛹になる前、あの忌まわしき呪いに対抗するため、クー・ククルに命じたのは他ならぬ彼女……そして、開放された鞘の力を収め、蛹にしたのは他ならぬ『あの方』だから……彼女たちは見ている……この成り行きを見ている……」
アデラードの声はまだ少し震えている。
李は力づけるように、アデラードの肩に置いた手に力を込めた。
「ならば、大丈夫……何が起こっても」
「そうでしょうか……」
「怖がらなくてもいい……全ては正しく導かれるはずだから」
肩に置かれた李の手を、アデラードはぎゅっと握った。
「……お願いします」
数日後。
ソーナの竜王神殿を訪ねる者があった。
「彩岩楼皇国の李 星牙と申します。各国の竜王神殿の巡礼をしております。神官長猊下にひとことご挨拶を……」
同じ頃、ネッカラの里に戻ったアデラードは眠りつづけるフィンを心配そうに見ているピリポに向かって言った。
「クー・ククルはもうそろそろ目が醒める。そうすればフィン君も目覚めるはずだ。もっと大きな魔力を持った強い存在にね……心配しなくていいよ」
「本当?」
「ああ、本当だ。ほら、ごらん……クー・ククルの蛹を」
アデラードはピピとポポが眠る結晶を指差した。
「……ひびが入ってる」
青く光る四角錐の結晶に僅かなひびが入っていた。
「明日には蛹から孵る……それまで、待とう。フィン君はきっと大丈夫だから」
「……はい」




